銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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烈火の意味
艦列の崩れた相手に対して、さらに周囲から攻撃を加える事で、出血を強いる。
詰将棋と同じようなものだ。
相手の動きは既に限られており、こちらが間違えなければ敗北はない。
そして、ライナ・フェアラートが間違えることはない。
「お望みならば、その時間まで正確にお教えします。端的に、コーヒーが温くなる前に終わりそうですね、先輩」
筺体の中で呟き、ライナはコンソールを操作した。
細い指はピアノを弾く様に、コンソールの上を駆け巡る。
最適の動きで、最善を弾く。
動きを一切止めずに、ライナは考えた。
簡単すぎると。
確かに相手の射程距離や艦隊の動きを見れば、決して弱いわけではない。
けれど、これくらいであれば先日のリシャール・テイスティアと同様……おそらくはセラン・サミュールも同様の動きが出来る。では、アレス・マクワイルドは彼らと同様の力しかないのだろうか。
答えは否。
動きとは別に、回る思考が答えを導き出す。
「なるほど」
そして、映る画面を見れば、ライナが考えた結果が映っていた。
戦場を大きく迂回した複数の小規模の艦艇が、ライナの背後に回り込んでいる。
決戦が始まる前に、部隊の一部を迂回させていたのだろう。
アレスは、ライナよりも少ない艦数で戦っていた。
おそらくは数千か。それでいて、テイスティアやサミュールと同等までの力を見せつけていたのだから、恐れ入る。もし単純に決戦に集中して入れば、小規模とはいえ艦隊の攻撃を受けたこちらは少なからず艦列を崩す事になる。あるいは小規模艦隊の対応に気を取られて、本隊との戦闘が少なからずおろそかになるかもしれない。
そして、その少ない隙をアレスは見逃さない。
「お見事です。けれど、相手が悪かったと思慮いたします」
呟かれた言葉が、小規模艦隊と敵本隊を同時に対応すべくコンソールを叩いていく。
敵本隊を崩したままで、飛来する小規模艦隊にも対応する。
通常であれば相手の艦隊情報に目を走らせるため、本隊と小規模艦隊のそれぞれを判断するために時間を取られた事だろう。
だが、ライナはそのような時間を必要としない。
一瞥した情報を元に最適の選択を取る。
およそ五つ――背後から飛来する小規模の艦隊に対して、一部に迎撃命令を出しながら、本隊に対しては冷静に戦力を削る。
すでに敵本隊の両翼は数を減らされて、先頭が突出している。
多少の手間はかかったが、結論としては大きく変わりがない。
コンソールを打つ速度を速め、ライナは微笑する。
「これで終わりです、先輩。主砲斉射……三連」
突出した艦隊に対して、一万五千の砲口が一斉に開いた。
「え……」
そして、一瞬――画面がぶれる。
+ + +
一瞬動きが固まった相手に対して、小規模艦隊が敵本隊に殺到し、こちらの主砲が敵を貫いた。遅れて始まった敵の攻撃は、既に連携をとれておらず、単発的に起こる攻撃は、こちらの前方に配備していた重巡航艦によって、容易に攻撃を阻まれる。
相手の攻撃が最適であるからこそ、わかりやすい。
いつ攻撃をするのか、どういう攻撃をするのか。
そして、どういう対応をするのか。
だからこそ、対策が取りやすいし、何より。
おそらくはいまだ理解ができていない彼女に対して、語りかけるようにアレスはその答えを口にした。
「この機械、たまにバグるから」
もっとも、その条件は非常に厳しい。
まず発生条件が決戦であり、特定の星域――対戦相手が二名であること。
次に複数の標的に対して、個別かつ複雑な命令を与えること。
そして、全艦隊が同時に主砲を斉射を命令すること。
他にもいくつかの細かくも複雑な条件が絡み合い、一瞬だけ攻撃が遅滞する――即ち処理落ちが発生する。もっとも発生の条件があまりに厳しく――特に標的を幾つも分けて、複雑な命令を行うことができる人間など限られている。単純に考えれば過負荷が原因であろうと予想ができるが、別の星域や違う条件であれば、もっと強い負荷がかかったとしても発生しないため、単純にそれだけが原因でもないようだ。
ましてや技師でもないアレスにはそれ以上のことなど理解できるはずもない。
ただ、理解しているのは、一瞬だけ敵の攻撃に遅滞が生じる事。
そして、それが敵にとって致命となるように艦隊の動きを変更していけばよい。
相手が効率的な動きをしてくれるから、こちらとしては楽なものだった。
相手が詰将棋のように動くなら、一瞬の遅滞が致命になるように動くだけのこと。
「これを卑怯だと思うか。まあ、卑怯なことには変わりはないが」
こちらの攻撃に対して、相手は距離を取って艦隊を再編させようとしている。
時間を稼ぐことが出来れば、現在の損傷艦艇数からは相手の方が有利。
それを理解しての行動だろうが、少し早過ぎた。
戦場であれば、現状においては最適はあっても、その一秒後には最適である保証はない。
逃がすつもりはない。
アレスはコンソールを叩いて、命令を入れた。
+ + +
「しまった」
命令を入力してから、ライナは失敗に気づいた。
一瞬の遅滞からこちらの艦列が乱れた。
原因を理解する前に、即座に艦隊を立てなおそうと後退する。
その動作まではわずか一秒ほど、まさに機械的な行動だ。
だが、入力し終えて敵艦隊を見れば、失敗に即座に気づく。
こちらは敵の両翼を撃破し、後退させた。
突出しているのは先頭――そして、その図式は三角形の鋒矢の陣形。
通常ならば艦列を整える時間で、ライナの後退は終了しただろう。
だが、既に艦列が整っている状態であれば、攻勢までの時間はかからない。
咄嗟に先ほどの命令を中断して、迎撃の構えを取ろうとする。
絶え間なく動いていた細い指が、コンソールの上で止まった。
間に合わない。
今の状態から艦列を編成しても、突撃するアレスの攻勢は止められないだろう。
ならば今の現状から出来る事はと、最善の結果を探し、それはすぐに見つかった。
でも、その手は、防げたところで全滅が半壊になるだけだ。
そして半壊となった艦隊で、アレスの艦隊を止める事ができるか。
答えは否と思い、そう思えばあれほど滑らかに動いていた指が動かなくなっている。
時間をかければかけるほどに、こちらの手はなくなるというのに。
視線が指先を見つける。
コンソールの上で所在なさげに震える手に、ライナは少し考えて、理解した。
ああ、これが恐いという事なのかと。
負けるのが。
蹂躙されるのが。
全滅するのが。
決して勝ち戦だけでは知り得なかった感情。
未来が見え、わかりきった結末では恐いなど感じるわけがない。
どうなるのかわからない。
だからこそ、人は迷う。
人は戸惑う。
そして、人は恐れる。
『君には恐さがない、だから同じく敵も恐いと思わない』
今ならばテイスティアの言葉が、ライナにも理解ができた。
ライナだけがいくら効率的にしたところで、それに誰もが付いてこれるわけがない。
そんな相手に対して敵が恐いと感じるだろうか。
震える手に答えを見つけて、ライナは微笑した。
恐いと思える――それが嬉しかった。
今まで感じたことのない感情をもって、自分もまた人間なのだと思える。
そう思えば、子供のようにただ見ているだけではあまりにも恥ずかしい。
何も出来なかったと、アレス・マクワイルドの記憶の片隅から消えるのは嫌だ。
だから、ライナは震える手を握りしめて、コンソールを叩き始めた。
少しでも、少しでも、彼の記憶に爪跡を残すために。
それが、この厚かましい願いに対して全力を持って相手をしてくれた敵に対する礼儀だと――ライナ・フェアラートは思った。
+ + +
「良い動きをするようになった」
一瞬の硬直の後に、動き始めた敵の様子にアレスは小さく笑んだ。
後退させながら、一部がこちらの正面に対して猛烈な攻撃を仕掛けている。
小を犠牲にしつつ、再び再編し、逆転を狙う策。
それは確率にすれば、わずか数パーセントほどの可能性しかないだろう。
だが、それのために全力をかけてきている。
それを恐くないと、誰が言えるだろう。
こちらがミスをすれば、あるいは味方の誰かがミスをすれば、逆転の目が残る。
そのわずかな可能性に、全力を持ってかける。
それは今まではなかった――おそらくは効率とはかけ離れた、無駄な努力と言える艦隊運動かもしれない。
その無駄な努力が敵を恐がらせる。
敵は他に何か考えているのではないかと。
成長する後輩に笑みすれば、すぐにアレスは口元から笑いを消した。
笑っている場合ではない。
彼女は全力で戦うことが望みだったと、コンソールを叩く。
既に完成された鋒矢が敵を目指して進み、同時に敵の一部隊がこちらの動きを阻害する動きを見せた。
それに対して、敵の艦列を崩した小規模艦隊は再編を終えている。
五百の艦隊が五つ――二千五百にまで増えた分艦隊が、敵の正面に火力を集中させる。こちらを阻害しようとした敵艦隊は、横からの攻撃に再び艦列を乱す。
そこへ――アレスの本隊が矢となって、敵を貫いた。
+ + +
第11分艦隊旗艦 損傷。
第23分隊 壊滅。
第105分隊 壊滅。
第……。
続く文字の羅列に、ライナはもはやコンソールを叩くことをやめた。
突入直後の航空母艦による戦闘艇の射出。
それを得意とするという情報があっても、それが始まってしまった今ではもはや考えられる対策はない。少しでも逃げようとするが、もはや艦隊半ばまで食い込んだ敵の矢は、こちらの艦隊を容赦なく蹂躙していく。
第24分隊 壊滅。
第53分艦隊旗艦 旗艦損傷。
第31大隊 壊滅。
第……。
流れていくこちらの損傷状況を見て、ライナは納得した。
烈火のアレス。
誰が名付けたのか、それはアレスの攻勢への強さを象徴するあだ名だ。
食い込まれたが最後、燃料がなくなるまで燃え広がる。
それはまさしく彼の苛烈さの象徴であって、彼にふさわしい名前だろう。
だがと、ライナは流れる画面の情報を目にして、小さく思った。
おそらく最初に名前をつけた人間も、この状況を目にしたのではないだろうかと。
第13分隊 損傷。
第23分隊 損傷。
損傷。
損傷。
損傷。
損傷。
損傷。
もはや情報画面には、こちらを意味する赤しか見えなくなっている。
画面いっぱいに広がる赤文字に、ライナは彼のあだ名の意味を理解する。
「これが烈火……」
呟いたライナの目に、一条の光が走り抜けた。
+ + +
『……星系の戦闘結果。青軍、アレス・マクワイルド。赤軍、ライナ・フェアラート。損耗率、青軍18.7%、赤軍78.3%。フェアラート旗艦の撃沈により、アレス・マクワイルドの勝利です』
機械的な音声が鳴り響く中で、アレスは筺体の扉から手を伸ばした。
そこに目的のものがなく、少し不満げに外を眺める。
シミュレータ筺体の外で、呆れたような視線が突き刺さる。
「酷い目だな」
呟いた言葉に、呆れた表情のままでサミュールが手にしたコーヒーを渡してきた。
購入して、三十分たっていないそれはいまだ冷たく、アレスは嬉しげにふたを開ける。
「にがっ。て、なんだ?」
目当ての飲み物を飲んで、いまだに刺さる視線に眉をひそめる。
「なにって。鬼ですね」
「失礼なやつだな。全力であたっただけだろう?」
「その全力が鬼だから、皆引いているんですけれど」
「ああ……」
誰も近づいてこない理由に納得した。
まだ大会から日が近いこともあって、周囲との連携を調整することしか訓練ではしていない。少なくとも、いまだにアレスは全力をチームのメンバーにも見せていない。
「ちょっと早いけど、明日からは訓練で俺も全力でやるか?」
「なにさらっととんでもないことを言ってるんですか」
「なに、少し早まったくらいだろう。連携もとれてきたし」
「そうしてつけた後輩の自信を、速攻でへし折るから鬼だというのです」
「伸びすぎた鼻は折らないとな?」
「植物の剪定でもするように、さらっと言わないでください」
アレスとサミュールの言葉に、フレデリカを初めとした後輩たちはひきつった。
そんなに嫌なのだろうか。
確かに大人気ないと言えば、大人気ないかもしれなかったが。
……いや、バグを使った時点で、相当大人気ないだろう。
刺されても文句は言えないかもしれない。
そう考えれば、背後から近づく気配に、アレスは肩を震わせた。
後ろを振り返れば、そこにいるのは頬を紅潮させた少女だ。
「ありがとうございました、マクワイルド先輩」
言葉とともに頭を下げる動作に、アレスは後ろに下がった。
その様子に、顔をあげたライナは眉をひそめる。
「どうかしましたか?」
「いや。何と言うか……」
彼女のためにしたこととはいえ、実行した事は後輩からも鬼と批判されて良いことだ。
ましてや、実行の対象となった相手からのお礼の言葉にアレスは苦笑する。
「見事な戦いでした。私も勉強をさせていただきました」
「あのずるが?」
茶化すように、サミュールが小さく笑えば、ライナは振り返った。
変わらない表情のままで、緩やかに首を振る。
「私が全力でとお願いしたからなのでしょう。仮にそれを使わなかったとしても、結果は変わらなかったと思慮します。そうですね、追加でコーヒーの代金が発生したくらいで」
どうでしょうと問いかける視線に、アレスは頬をかく。
出来が良すぎる後輩も困るものだなと。
「今ならば最初からコーヒーを諦めるさ」
「あの戦いが出来るのは一回きりでしょうね」
ライナが微笑み、アレスが苦く笑んだ。
確かにあの戦法は一回しか使えない。
だが。
「別にそれだけが戦いではないさ」
「ええ、そうでしょう。出来ればすぐにでも見たいですが、それは後日の楽しみにしておきます、本日はありがとうございました」
頭を下げて、ライナは足を進める。
と、そこで足をとめて、振り返った。
「マクワイルド先輩――一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ん?」
「先輩は戦いで恐いと思ったことがありますか?」
「君は怖いと思ったことがない人間の下で戦いたいと思うかい?」
「愚問でしたね。忘れてください」
アレスの答えに対して、ライナは微笑をすればゆっくりと歩いていく。
ちょうど、いまだ戦術シミュレーターの機械の外にあるアレスの後輩たちの元へ。
何も言えない。
その同期に横にして、ライナは足を止めた。
「グリーンヒル候補生」
「え。なに?」
名前を呼ばれて、驚くフレデリカにライナは声を続けた。
「今まで私はあなたに対して何も思ったことはありませんでした」
その、あまりにも冷酷な言葉にフレデリカは眉をひそめる。
それに対して、ライナは表情を変えることなく、言葉を続けた。
「しかし、いまは少し恨みます。なぜ、あなたがもっと優秀ではなかったのかと」
「そ、それは……」
「そうすれば、私がこのチームにいたかもしれないのにと」
驚くフレデリカが声を続ける前に、ライナはゆっくりと首を振った。
「冗談です、忘れてください。このチームは良いチームですね――決して、無駄にはなさらないでください。本当に恨みますよ?」
「え、ええ!」
「では、御機嫌よう」
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