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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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初めての挑戦



「いいか、ここ重要だから、もう一度言うぞ」
 そんな教官の言葉に、ライナ・フェアラートは小さくため息を吐いた。
 小等科で初めて聞いた時は、耳を疑ったものだ。

 一度聞けば、話などすぐに覚えるのに、もう一度言う必要があるのだろうかと。
 それは異質であって、他の人間がそうではないというのに気づくことに三年かかった。
 どうも自分は他の人間とは違うらしい。
 聞いたこと見たことは全て一度で覚えたし、出来なかったことはない。

 優秀な人間が集まる軍にいけば、少しは違うかと思ったが、何のことはない。
 ライナはここでも異質であった。
 確かに優秀な人間はいた。
 だが、それだけだ。

 まだ入学して、わずか半年余りであるが、既にライナは失望を始めていた。
 そう思ったのは、戦術シミュレート大会のせいでもあるのだろう。
 学年の主席が一堂に集まって、始まった訓練は――実につまらないものだった。
 一言で言えば、相手にならない。

 考える策は全てよめ、こちらの策には見事にはまる。
 それで全員が学年主席というのだから、実にばかばかしい。
 いやと、ライナは細いシャーペンを唇にあてて、思った。
 リシャール・テイスティア――四学年の主席。

 彼だけはまだ他の主席の中でも一番ましだった。
 こちらの考える策のいくつかが読まれ、初めて苦戦というものをした。
 全て思い通りにいかなかったのは初めてといってもいいだろう。

 多少は褒めてもいい。
 最後の言葉は余計であったが。
 ライナ・フェアラートにはその時の台詞が全て思い出せる。


『強いね、やっぱりアレス先輩のように上手くはいかないか。でも』
『何でしょう』
『負けたのに何を言っていると思うかもしれないけど、君は強いけれど恐くはなかった。君は今のままだと戦場だと勝てないよ。きっと次は負けない』
『何をおっしゃているのか、理解できません』

『戦場では全てが君のように機械的に出来るわけじゃないということさ。君には恐さがない、だから同じく敵も恐いと思わない』
『相手に恐いと思わせることがそれほど重要なのですか。非効率的ですね』
『戦いが全て効率的なわけではないよ。そうだね、君もアレス先輩と戦えばわかると思う』
『どういうことでしょう』

『君は今まで恐いと思ったことがないでしょう』
『……』
『君が本当の恐さを知れば、きっとわかる。恐くない相手がどれほどもろいかをね』


 恐さとはマイナスの感情だ。
 それを知ったところで、満足な戦闘が出来ることはない。
 他の誰かがそれを言っていれば、一笑して記憶にのぼることもなかっただろう。
 ただ一人、苦戦した相手がそうまでいう人間。
 烈火のアレス。

 彼の話は、わずか半年余りで非常によく聞いた。
 戦術シミュレート大会が開催以来三連覇を達成した天才。
 彼が見回り当番のなれば、その日の街への脱走は中止になり、時には忙しい時期になど教官から学生とは別に学校の事務の仕事を与えられ、こなしている。
 おそらくは学校で誰よりも有名な人物。

 その事に同学年であるアンドリュー・フォークは良い顔をしないが、ライナ・フェアラートにとってはどうでも良い事であった。
 ライナにとっては、フォークも一学年の落第生も同レベルでしか数えられないのだから。
 小さく息を吐けば、授業の終わりを告げる鐘が鳴り、ライナは静かにノートを閉じた。

 + + +

 戦術シミュレータ大会の一カ月は、放課後に特別な任務もなく、訓練に専念が出来る。
 本日の掃除担当でないものは、急いでそれぞれの訓練場所に向かっている。
 最年少の一学年では、単純な訓練の他に茶の準備など、いろいろ用事があるからだ。

 くだらないことね。
 心の中でそう呟きながら、ライナもノートを鞄に閉まった。
「ライナちゃんはいる?」
 室内の入口に顔を覗かせたのは、上級学年の先輩だ。

 ケビン・ウィリアム候補生。三学年の先輩が一学年の部屋に姿を見せれば、慌てたように学生達が敬礼を行った。
 三学年の主席――それも、士官学校の隠れ人気ランキングで上位の人物だ。
 数少ない女性が目を輝かせていた。
 そんな状況を自らも理解しているのか、ウィリアム候補生は答えるように小さく手を挙げる。

 ざわめきが大きくなった。
 と、視線の先にライナ・フェアラートの姿を発見すればゆっくりと笑みを広げた。
「ああ、いたね。迎えに来たよ」
「そう、ですか」
 静かに答え、ライナは出入り口を目指す。
 羨望が入り混じる視線がライナに突き刺さるが、当の彼女はどこ吹く風の様子だ。

 眉ひとつ動かすことなく、鞄を手にして、出入口へと歩く。
 ウィリアムが大げさな動作で出迎えた。
「さ、行こうか。荷物を持つよ」
「結構です」
「そう言わずに……」

「荷物をもてないほど、か弱いわけではありません。はっきり申し上げて、迷惑です」
 はっきりと否定の言葉に、ウィリアムは語尾を濁した。
 それでもあいた手がライナの鞄の辺りを彷徨うが、有無も言わさずに歩きだしたライナを止める事はできない。
「授業で何かわからない事はない?」

「いいえ、まったく」
「あ、そう。じゃ、生活で困った事とか。抜けだすいい場所とか知ってる?」
「興味がありません」
 取り付く島がないという言葉は、この事なのだろう。

 それでもウィリアムは他の人間に比べれば、頑張っているほうだ。
 彼女の容貌を見て声をかけた多くの人間は、初日で撃沈しているのだから。
 会話というよりもほぼ一方的にウィリアムが話しかける。
 それは過去の戦術シミュレータ大会で本大会に出場した時のことであったり、陸戦技能の大会で学年優勝を果たした時のこと。

 それらの言葉に、しかし、ライナの表情は動かない。
 ウィリアムが小さく眉をしかめる。
 打っても全く響かず、やがて話題も尽きて来たようだった。

 一瞬の間が空けば、ライナの顔がウィリアムへと向いた。
 身長差からライナが見上げる形となった。
「一つお聞きしてよろしいですか?」
「もちろん。何でも聞いてよ」

「先輩は戦いで恐いと思ったことがありますか」
「恐い?」
「ええ」
 頷いたライナに対して、ウィリアムは少し考えた。
 そして、柔らかく笑う。

「ないね。怯えていては、将来的に将官なんて務まらないさ」
「そうですか、私と同じですね」
 そんな言葉に対しても、ライナの感情は動かない様だった。
 笑いかけたままで、ウィリアムの笑顔が固まる。

 ウィリアムの方からすぐに顔を戻せば、指を唇にあてた。
「恐れというのは必要なことなのでしょうか」
「何を考えているかわからないけど、恐いなんていうのは臆病者のいう台詞だよ。あのブルース・アッシュビーが敵前逃亡をしたことがあるかい?」

 ライナは考える。
 果たして、リシャール・テイスティアは臆病者であるのだろうかと。
 少なくとも現状までの訓練を考える限り、あり得ないように見えた。
 むしろ、訓練中は誰よりも激戦の中にいて、戦っているように見える。

 彼が臆病者であるのならば、士官学校の人間はほとんどが臆病者になってしまう。
 心情的にはウィリアムが正しいのだと思う。
 個人の気迫が左右した古い戦いならばいざ知らず、今はむしろ感情の方が余計だ。
 恐いと思う暇があれば、一瞬でも早く指揮をした方がいい。

 そう理解しながらも、テイスティアの言葉は、ライナの頭の中に残り続けていた。

 + + +

 圧搾音が鳴り響き、筺体の扉がゆるりと開いた。
 共有スペースのモニターでは、チームの勝利を告げる映像が流れていた。
 対戦相手はコンピュータ――しかし、同時に訓練を行っていた別のチームからは感嘆の声が漏れていた。

 コンピュータとはいえ、設定された高難度の対戦は、時には教官ですら時には負ける場合があるほどの強さだ。
 そんな相手に対して、ほぼ圧勝の結果にフォークは満足そうに頷いた。
 訓練で、チームのメンバーが互いに戦うことはなかった。
 フォークの立てた作戦を、それぞれが完璧にこなせば、誰にも負ける事はないというのが、総司令官であるフォークの方針だ。

 実際にそれぞれが仕事を完璧にこなし、高難度のコンピュータを相手にして勝利を収めている。
 一人一人のレベルが非常に高いからこそできる訓練だろう。
 もっとも、それが面白いかどうかといえば、決してライナは面白いとは思わない。
 ただ淡々と仕事をこなす作業など、ただ時間が無駄なだけだ。

「さて、今日もお疲れ様。明日は別の想定で訓練をしてみよう」
「いいですか?」
「何だい、テイスティア候補生」
「互いの連携についても確認しておいた方がいいのではないですか?」

 テイスティアの言葉に、フォークが片眉をあげた。
「君は私が最初にたてた方針を聞いていなかったのか?」
「聞いてはいました。ただ、今は上手くいっていますが、敵対することで見えることもあると思います」
「時間の無駄だと、最初に言ったはずだが。このチームでは一人一人が完璧に仕事をこなせば、誰にも負けるはずがない」

「こちらが完璧にこなしても、相手がそれ以上完璧なら負けることに」
「我々以上に完璧な人間などいない!」
 怒声と言って良い言葉に、テイスティアは言葉を止めた。

 テイスティアを睨みつけながら、ふとフォークは気づいたように顎に手をあてた。
「なるほど。そういえば、君はマクワイルドと昔同じチームだったな」
「ええ。でも、今は敵同士です――だからこそ、油断できないと言っています」
「油断などしていない。それとも、君はこちらの情報をマクワイルドに売るつもりか……なるほど、それなら戦いたがるわけもわかるというものだ。対戦相手は良く見えるだろう?」

「それは本気でおっしゃっているのですか?」
「いいぞ、何だったらマクワイルドのチームに行けばいい。君一人いなくても、このチームは何ら問題がない。どうする、テイスティア参謀長」
「……」

「どうすると聞いているんだ、答えたまえ!」
 フォークの畳みかける言葉に、テイスティアはゆっくりと首を振った。
「いえ、このチームで戦いたいと思います」
「懸命な判断だ」

 勝ち誇った笑みを浮かべて、フォークは満足そうに頷いた。
「時間をとらせたね。明日も同じ時間で、今度はもう少し難しい訓練をしてみよう――テイスティア候補生は、明日はこなくてもいい。ゆっくりと反省する時間が必要だろう」
 そう告げると、フォークが立ち去った。

「何か、悪かったね」
 それを見届ければ、小さな謝罪の言葉とともにテイスティアも歩き去る。
 残されたのはライナを含めた三人だ。
「どうもテイスティア先輩はどうも烈火のアレスを過大評価しているらしいね」

「油断はしない事にこした方がいい」
「君もか、ハワード候補生」
 ハワードの言葉に、ウィリアムは大げさにため息を吐いた。
 その様子にまあと短く答えれば、悪くなった空気から逃げるようにハワードも姿を消した。

「臆病者というのは、困るものだ」
「そうでしょうか」
「ああ、慎重と臆病は似て非なるものだよ。どうだい、この後食事でも?」
「御遠慮します」

「は、え。いや、ちょっと!」
 慌てたように声をかけるウィリアムに踵を返し、ライナは長い髪を揺らして歩きだした。
 遠ざかる背に、ウィリアムがかける言葉は届かない。

 廊下を曲がれば、あっという間に姿は消えた。
 ウィリアムは呆然と背中を追い、眉間にしわを寄せる。
 そして、壁に拳を叩きつける。

「んだよ。くそ――ちょっと顔が良いからって、ふざけてんのか」
 ウィリアムの表情からは笑顔が消えて、見えなくなった廊下を睨み続けていた。

 + + +

 アレス・マクワイルドのチームは三号館の戦術シミュレータ装置で訓練していた。
 さすがに有名な人物だけあって、訓練を終えた人がまばらに共有スペースのモニターを見ている。

 聞こえる烈火との言葉に、歩いていたライナも足を止めた。
 共有スペースに映るのは、マクワイルドチームの訓練内容だ。
 どうやらこちらは対人戦を行っているようだ。

 見れば、アレスを相手に他の四人が共同で勝負を挑む形であった。
 一対四という状況にも関わらず、むしろアレスの方が有利に進めている。
 相手の行動に対して的確に阻害し、数分前の行動が布石となる。

 機械の様な正確な行動に、まるで決まり事のように四人は遊ばれているようだった。
 実力差があるのだろう。
 アレス・マクワイルドはチームに恵まれなかったらしい。

 そう思ったライナの考えは、見学して数分後には訂正する事になった。
 相手は決して弱くない。
 艦隊運動や状況判断を見れば、むしろ、そのうちの一人はテイスティアと同等か、それ以上の実力がある。

 特にその思い切りの良さは、周囲の動きをスムーズに変えている。
 自らだけではなく、他の艦隊を引っ張ることができる人間は珍しい。
 それにつられるように動く周囲も、決して下手ではない。
 まだぎこちなさは残るものの、出来ることを確実にこなしている。

 強い――だが、アレスが的確に相手を崩しているだけ、弱く見えるだけだ。
「あーあ。良いようにやられて、こりゃ、今年はマクワイルド先輩は駄目かな」
「フォーク先輩のチームは全員が主席らしいからな」
「烈火のアレスもさすがに四連覇は難しいか」

 何もわかっていない観客が口にする言葉に、ライナは小さく苛立った。
 そう思うなら、四人を相手に戦ってみればいい。
 おそらくは――ライナでも難しいかもしれない。
 そんな考えに、ライナの顔に自然と笑みが浮かんだ。

 自分ですら無理だと思う戦いが、いま目の前にある。
 そう思えば、ライナは楽しいと感じる。
 今までは出来る事が当たり前だった。
 少なくとも人ができていて、自分が出来なかったことは存在しない。

 初めて浮かび上がる感情だ。
 言葉でこそ知っているが、今まで使う事がなかった言葉。

 そう――それは、挑戦。

 
 
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