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ヴァレンタインから一週間

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最終話 夜景

 
前書き
 最終話を更新します。

 次の更新は、

 10月2日、『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第12話。
 タイトルは、『今度は三人仲良く、だそうですよ?』です。

 その次の更新は、

 10月9日、『蒼き夢の果てに』第73話。
 タイトルは、『湖の住人』です。
 

 
 何時の間にか世界は通常の夜を取り戻し、中天の辺りには満面の笑みを地上に魅せる蒼き偽りの女神の姿が――
 其処から西に目を転ずると、そろそろ彼方……海の方向へと沈み行く雰囲気の、半分よりは少しその表情を余分に魅せている紅き女神さまと、地球より遠ざかって行く軌道に乗ったと思われる彗星の大きく尾を引く姿が存在していた。

 俺と有希が異界化した世界から、この通常の理……。通常の冬の氷空が支配する世界に帰還を果たしたと言う事は、取り敢えず巨大彗星激突による世界滅亡の危機を脱する事に成功したのでしょうね。
 もっとも、未だ蒼き偽りの女神が中天に存在して居ると言う事は、根本的な危険は未だ排除されていない、と言う事なのでしょうが。

 そう考えながら、ゆっくりと周囲を見渡す俺。
 ここは異界化した世界と同じ中学校の校庭。しかし、戦闘の際に破壊されたはずのバックネットは無傷で健在。
 更に戦闘の余波で出来上がったはずのクレーター状の巨大な穴や、焼け焦げた痕。高熱に晒される事に因り、熱せられた土自体がガラス状の物質に変わっているなどと言う現象を確認する事は出来ず、ただ、普通の学校のグラウンドが存在するだけの場所で有る事は確かで有った。

 しかし、先ほどまでの戦いが夢や幻では無かった証拠。全身を銀色の縛めに封じられた黒き破壊神が、俺と有希の目の前に存在して居ましたが。
 普通の人間……。いや、それどころか駆け出しの道士クラスならば簡単に呪い殺されそうな瞳で俺の事を見上げる黒い男に近付き、素早く残った計都星(ケイトセイ)……ケートゥの仙骨を封じて仕舞う。
 これで、この場からラーフが逃げ出す可能性は、ほぼゼロと成ったと言う事です。
 後は、この晴明桔梗印結界内に、玉砕覚悟で名の有る邪神が突っ込んで来ない限り、この破壊神殿は、再び太陽星君の牢獄へと囚われる事となるはずです。

「もう知って居ると思うけど、その鎖はオマエさんの神気を糧にして締め付けるオマエさん専用の鎖。如何に、伝説に名を残すアンタでも引き千切るのは無理やで」

 そうラーフに対して話し掛ける俺。別に勝ち誇る訳でもなく、事実のみを語る者の口調で淡々と。
 その俺の傍らに、ゆっくりと歩み寄って来た紫の髪の毛を持つ少女が、この冬の夜に相応しい雰囲気で静かに並ぶ。

 その彼女を、少し驚いたような。しかし、悟ったような表情で見つめるラーフ。
 もっとも、悟られて当然ですか。最後の場面で俺に出来たのはヤツの身体に傷を付ける事だけ。しかし、次の瞬間には、ヤツの身体に突き立つはずのない金属製の針が突き立って居たのですから。

「オマエさんの目の前に立つ人間はかなりの臆病者でな。弱点を放置したまま、彼女を戦場に連れ出せるほど、自分に自信が有る訳ではなかった」

 本来ならば、ずっと後ろの方で隠して置きたい少女だったのですが、それを許して貰えるほど、今回の羅睺(ラゴウ)星事件は甘い事件では有りませんでした。
 伝承に近い形で進めない限り、これだけの事件を解決に導く事が今の俺には出来なかったと思いますから。

「当然、オマエさんの黒い炎に対する対策もその中には含まれて居る」

 そう。もし、あの時にさつきから火避けの指輪を渡されなかったとしても、有希には対処法を告げて有りましたから。
 この世界には絶対の防御と言う物もなければ、絶対の攻撃と言う物も有りません。相手の攻撃方法が判って居たのなら、ある程度の対策を行って置く事は可能です。

「すべては、伝説の破壊神ラーフを罠に踏み込ませる為の策。
 どうやった俺の奥の手、複合呪符の味は?」

 但し、その複合呪符を教えてくれたのは万結。この世界に来るまで、俺に行使出来る技では有りませんでした。
 もっとも、その万結に複合呪符を教えたのは、前世の俺だとは思うのですが。
 ……彼女が、俺の有り得ない記憶の中に存在する『彼女』ならば。

 尚、複合呪符とは。複数の呪符を有る特殊な順番で組み合わせる事に因って、普段よりも効果の大きな術を発動させる方法の事です。
 現代にまで残る事がなく歴史の彼方に消えて仕舞ったのか、それとも、一子相伝の秘術として、この世界の何処かに細々と残って居る術かは判りませんが、少なくとも俺の師匠が教えてくれる事は無かった方法なのですが……。

 但し、本当にヤツ。伝説の破壊神を倒したのは、そんな術では有りません。
 まして、偶然に、罠の有る場所にヤツが着地した訳では有りませんから。

 本来、ヤツ。伝説の破壊神ラーフを倒した方法と言うのは……。

 女神フォルトゥーナの職能とは運命を読む能力。
 その能力を使用してラーフの次の行動を予測し、その次の瞬間に移動する先に罠を張る。
 その罠に足を踏み入れ、ラーフに一瞬の隙を作り出したその瞬間、
 咽喉と両方の琵琶骨を一瞬の内に俺が斬り裂く。
 そして、その攻撃が行われる前にフォルトゥーナに因って、ラーフの一瞬後の位置と、俺の攻撃により傷付く位置を知って居た有希が、
 俺と精神を同期(シンクロ)させる事に因ってシルフの能力。物体を転移させる能力を使用して、拘束用の針を転移させた。

 これが、戦いの最後の場面で起きた事の顛末で有り、時空結界の内部で有希に対して語った、女神フォルトゥーナと有希がこの伝説の破壊神ラーフとの戦いの切り札と成り得ると言った意味でした。

 それに、流石に俺では其処まで細かな計算を行い、手抜かりなく完璧にこの手順を熟す事は出来ませんから。

 物体を転移させる事は出来ます。しかし、それを確実に傷付いた個所。それも動く的に対して、ラーフの不死性に因り傷を完全に回復される前に転移させる。
 こんな神業を為せる訳はないでしょう。俺のテキトーでいい加減な脳ミソでは。

 そう。この戦いで行使した本当の奥の手とは、因果律を操る方法。
 結果を完全に読み切らず、寸前までで止め結末を曖昧にする事に因って、限りなく成功率の低い作戦が初めから失敗する事が判って居る作戦に成る事を防ぎ、逆に成功する可能性の高い作戦へと導く。

 今回の場合で説明するのならば、ラーフが炎に巻かれ、その瞬間に俺がヤツの身体に傷を付ける。ここまでを予測し、ここから先に針がヤツの身体に刻まれた傷痕に対して確実に転移されて、ヤツの身体が特製の鎖で覆われるかどうかはまでは予測しない。
 命中するかどうか。宝貝が額面通りの効果を発揮するかは、蓋を開けてみないと判らないパンドラの箱として残して置く。

 こんなイカサマ臭い方法は早々使用出来ませんが、ここ一番。一打逆転を狙う時にならば、かなりの効果が有るはずです。
 絶対の条件として必要なのは、相手が因果律を操る職能を有していない神性ならば使用可能、と言う事なのですが……。

「まぁ、いいか」

 黒の破壊神が、俺と有希の顔を順番に見つめた後、呟くようにそう言った。
 先ほどまでの、敵愾心をむき出しにしていた雰囲気などではない、かなり穏やかな気を発しながら。

 そうして、

「オレは神々以上の不死性を持って居る。この職能を果たす為に……」

 太陽星君の牢獄に何百年か閉じ込められたとしても、その後に再戦を挑めば良いだけの事だから、そう、穏やかな口調で続けたのでした。
 どう考えても、先ほど世界を滅ぼそうとした暗黒の破壊神とは思えない雰囲気で……。

 但し、

「あぁ、そう言えば言い忘れていたけど、次は多分、俺は関係ないで」

 普段通り、かなり軽い感じの口調で少しキツイ内容と成る台詞を口にする俺。
 まして、今回は色々な理由から俺がこの伝説の破壊神ラーフの相手をする事と成りましたが、次は……何時に成るのか判らないけど、その次に彼が顕われた時まで俺が出張って来なければならないような事態に発展するとは思えませんから。

 しかし……。

「キサマは前の時にも同じ事を言っていたが、結局はここに現れた。それが答えだろう、英雄どの」

 矢張り、何か勘違いしている伝説の破壊神。確かに、ヤツは英雄と言う存在に倒されたと思う方が精神を安定させ易いのでしょうが……。
 ただ、

「多分、その辺りが間違っている。俺は別に世界を救う為にここに現れた訳やない」

 俺は右側に立つ少女を感じながら、上目使いに俺を見る破壊神に言った。
 そう。そもそも、英雄と成るべく世界を救え……では俺のやる気は下がりまくり。そんな状態ならば、間違いなくこの場に現れる事もなかったでしょう。

「今回……。いや、多分、前回も一緒。俺が護りたい相手をアンタが巻き込んで仕舞ったから、俺がこの場に現れた。世界を護る英雄と成る為にアンタの相手をした訳ではない」

 俺が護りたかったのは世界では有りません。其処に住んでいた、たった一人の少女を護りたかっただけですから。
 結果としてはどちらも同じだったとしても、心構えが違いますから。

 まして、伝承の方でも主は八百比丘尼(やおびくに)一目連(いちもくれん)は従。
 その一目連が前世の俺ならば、その時の俺も今の俺と考え方は一緒。要は八百比丘尼と伝承で言われている少女を護りたかっただけでしょうから。

 俺の言葉が冬の夜気に白く散じ、夜が更に深い時間帯へと移り行く。
 その瞬間、校門の方向からゆっくりと近付いて来る二人の人影。

 そのふたつの人影は俺と有希、二人の影を踏まない位置にすぅっと立ち止まり、世界の未来の為と見せかけて、実はたった一人の為に戦った不心得者の姿を見つめる。
 そう。ふたりが見つめていたのは、有希でもなければ、捕らえられたラーフでもなく、俺。

 その新たに現れた二人を、最初の男性を興味無さそうに見、其処から続けて、彼の傍らに佇む紅い瞳の少女を見た瞬間、鎖に因り雁字搦めに拘束されたラーフから、奇妙な気が発せられた。
 しかし、其処まで。其処から先の台詞を、ヤツは何も語る事は有りませんでした。
 類推する事は可能ですが……。

 もっとも、そんな事はどうだって良い事ですか。前世で、伝説の破壊神ラーフと戦った際に俺の隣に誰が居たのか、などと言う些細な事は。
 むしろ今、重要なのは……。

「ただいま、蓮花(レンファ)

 俺は、月下に佇む蒼銀色の髪と紅い瞳の少女にそう話し掛ける。
 今の彼女の名前ではなく、俺の記憶の中に有る彼女の名前を……。

 俺の呼び掛けに、二人の少女から異なった気が発せられた。
 蒼髪紅瞳の少女は、どう答えて良いのか判らない戸惑いと、そして、喜びに似た雰囲気が。
 紫髪メガネ装備の少女からは驚きに彩られた気が。

 しかし、蒼髪紅瞳の少女の迷いは一瞬。微かに首肯いて見せた後、

「お帰りなさい」

 ……と、有希に良く似た声、抑揚の少ない話し方でそう答えてくれる万結。いや、俺の知って居る名前で呼ぶのなら蓮花。
 そして、彼……水晶宮現長史和田亮が現れたと言う事は、俺と有希のこの場での役割は完全に終了したと言う事。

 それならば、

「そうしたら亮。俺と有希はもう帰らせて貰うわ」

 そんな、かなりお気楽な俺の言葉が発せられた。
 まるで、気の置けない友人たちと何処かに遊びに出掛けた際の別れの間際のような言葉及び口調。どう考えても、つい先ほどまで、世界の命運を賭けて戦った人間の台詞だとは思えない雰囲気で。

「そうですか。では、後の事はすべて私にお任せ下さい」

 おそらく、その言葉の内に色々な意味を籠めて、亮はそう答えた。
 真冬の夜の大気が、彼のその言葉に因って微かに白くけぶる。

「信用していますよ」

 信用しない訳がない相手からの答え。しかし、その答えに対して報いるには、少しいい加減な雰囲気、と取られるかも知れない俺の答え。
 但し、その後ろに、

「すべての事に関して」

 ……と付け加えた。こちらも同じように色々な思いを籠めて。

 さて、それならば。
 俺は、この一連の流れの中で初めて、自らの右側に立つ少女に視線を向ける。
 その瞬間、彼女の視線と俺の視線が交わった。

 ずっと最初から俺を見つめていたのか、それとも俺が視線を移す気配を察して、彼女の方も俺に視線を移したのか。
 微かに視線のみで首肯する有希。表情は普段通り。但し、雰囲気に僅かな違和感。
 これは……。

「そうしたら、亮。それに……蓮花。久方ぶりに二人の顔を見られて、楽しかったで」

 有希が発する違和感に気付かない振りをしながら、短い別れの挨拶を行う俺。
 ただ、今回は今生の別れと成る類の別れの挨拶などではなく、長くとも七月七日までの短い別離。元々、湿っぽいのは苦手ですから、この程度の挨拶で充分でしょう。

 ゆっくりと首肯く二人。
 亮の方は、季節。そして夜に相応しくない柔らかな笑みを浮かべて。
 片や蓮花……いや、万結は、彼女に相応しい透明な表情を張り付けたままで。
 そう言えば、彼女はこんな時にどんな表情を浮かべて良いのかも知らない。俺と出会った当初はそんな、生まれた直後の人工生命体の少女でしたか。

 俺は、二人の浮かべる表情を心に刻み、有希に対して右手を差し出す。有る事の確認を行う為に。
 その差し出された右手を、少しの逡巡の後にそっと取る有希。その名前と、そして、冷たい冬の夜に相応しい属性の左手で。

 緊張から来る血管の収縮。更に、先ほど感じた違和感。ここから導き出される答えは……。

「おい」

 しかし、そんな俺の微妙な思考の邪魔をする空気の読めない男が一人。
 さっさと歩み去ろうとした俺の背中を呼び止める、身体中を縛めの鎖に覆われた黒の破壊神さま。

 そうして、

「俺には挨拶もなしに帰ろうと言うのか?」

 何事かと思い振り返った俺に対して、かなり意味不明の言葉を投げ掛けて来るラーフ。
 もっとも、俺自身はゴツイ筋肉に覆われた男を相手に愛嬌を振り撒くような、そんなアッチ系の趣味はないので男相手には基本は冷たい対応に成るのですが。

 ただ……。

「そうか、そいつはすまなんだな」

 大地に転がされた状態のラーフに対してそう告げる俺。俺的に言うと異界化した空間で、最初に出会った時に、この黒き破壊神が浮かべていたような漢の笑みを浮かべて。
 但し、笑みに関しては完全なる自己申告。そう見えたら良いな、と言う願望のような物。

 俺の対応を、笑みを浮かべる形で見つめるだけの亮。無味乾燥。俺と黒き破壊神の会話など一切興味を示そうとしない少女たち。
 そして、何故か期待に満ちた瞳で俺を見つめる黒き破壊神。
 もしかすると、俺は前世でも……。

 俺ならば有り得る可能性。そして、その約束を守る為に今ここに俺が居るのでは。

「じゃあ、またな」

 しかし、口から飛び出し掛けた台詞を止める方法などなく――――
 伝説の黒き破壊神ラーフが、その言葉を聞いた瞬間、満足気に首肯いたのでした。


☆★☆★☆


 既に、彼女の左手に刻まれた人魚姫と言う意味のルーンが残されているのは確認済み。矢張り、彼女の未来に立ち込めている暗雲は、今回の羅睺(ラゴウ)星事件が原因などではなく、別の原因が存在していると言う事。
 これで、後何度と成るか判りませんが、この世界の彼女の元に、俺は召喚される事が確実と成ったと言う事です。

 その様に考えながら、普段よりも少し冷たい有希の左手を感じる。
 そう。戦いの場と成った東中学を出る直前に繋がれた手は未だ解放されず、彼女のやや緊張した心を俺に伝えて来ていた。

 羽虫ひとつ飛ばない冬の街灯の下、彼女の冷たい左手を握りしめ、ゆっくりと歩み行く二人。
 深夜と言うべきこの住宅街の道を進むのは俺たち二人と、それぞれの影。
 追い掛けて来るのは二人の足音だけで有った。

「……あなたに連れて行って欲しい所がある」

 この道行きが始まってから、何度か迷いを発した後に彼女が初めて言葉を発した。
 その時に感じる決意。

「ええで。俺が連れて行ける場所ならば、何処にでも連れて行ってやる」

 この世界にやって来てから初めて有希からの願い。それに、羅睺(ラゴウ)星事件が解決した以上、俺がこの世界に居られるのもあと僅かな時間。
 おそらく、今回の有希からの願いを叶えるのが最後の仕事となるでしょうから。

「わたしを蒼穹に。この街の蒼穹に連れて行って欲しい」


☆★☆★☆


 北より吹き付ける冷たい風が、腕の中の少女の髪の毛を僅かに弄った。

 天壌無窮(てんじょうむきゅう)。永劫に続く氷空。そして、果てなく続く世界(地球)
 中天には蒼き女神が地上に向かい蒼白き矢を放ち、遙か西の海上には紅き女神が朧なる光芒を纏い沈み行く。
 ここから見上げる蒼穹は、まるで上質な黒きビロードに散りばめられた宝石の如き煌めきを放つ星々に彩られた世界。

 其処から地上に目を転ずれば――――

 俺と有希の滞空する真下に存在する山の稜線を示す黒。其処から点々と……。少しずつ数を増やして行く家々の明かり。
 其処から更に視線を移して行くと、俺の貧弱な語彙では、宝石箱をひっくり返した様、としか表現出来ない街の明かりが続く。
 そう。黒から点々とした青やオレンジ。黒は不安。青は安定。オレンジは温かさを表現する。

 そして、再び境界線を経て夜の海を指し示す黒へと至る。

 しかし、ただ何となく、そう感じると言うレベルなのですが、山が示す黒と、海が示す黒とは似て非なるモノのような感じもしますし……。
 もっとも、二人の女神が支配する夜と言う属性と、一千万ドルの夜景と呼ばれる景色。
 そして……。

 俺の腕の中に居る少女が、僅かに身じろぎを行った。
 そう、この腕の中に居る少女が見せる幻の可能性の方が高いのですが……。

「人は闇を恐れ、その闇を切り開く事に因り自分たちの領域を広げて来た」

 この場所。六甲山の遙か頭上から見下ろすとその事が良く判る景色でしょう。
 それならば、あの色彩。眩いばかりの青や温かみの有るオレンジ。其処と黒の境界線が、此の世と彼の世の境目。
 そして、その境目こそが、俺の本当の居場所と言う事に成るのでしょうか。

「今、この場所でわたしの情報連結を解除されたら、あなたはわたしの事を忘れない」

 ゆっくりと、そのひとつひとつの言葉を俺に聞かせるように、俺の記憶に強く留めて置くかのように、彼女は小さな声でそう言った。
 普段よりも少し身体を密着させるように、俺の首に回された彼女の両腕が強く引き寄せられる。

「半分正解、半分ハズレ」

 まるで俺の方向に視線を向けまいとするかのように、地上を見つめる有希に対して、こちらも出来るだけゆっくりと、そう話し掛ける。
 まして、彼女がそう言い出す理由も判りますから。

 ただ……。

「有希の事を忘れない、……と言う部分だけならば正解。但し、それを為したいだけならば、出会って、契約を結んだ瞬間に条件はクリアしている」

 無理に今、この場所で有る必要は有りません。
 そして、多分、俺は彼女の事が……。

「思念体から、わたしの情報連結の解除通告が為された」

 彼女の透明な横顔が蒼と紅、二人の女神に照らされ、より神秘的な雰囲気を漂わせる。
 そう。メガネのレンズを通さずに見える彼女の瞳は、普段の理知的な輝きと同時に、普段以上に深い憂いを湛えて居るかのように感じられ、細面なあごのラインとすっと通った鼻筋。さらさらと柔らかい印象の紫の髪の毛が高いレベルで融合し、月でさえも恥じ入るような……そんな彼女の横顔が、俺の右肩の直ぐ前に存在していた。

「それで、どうせ消える可能性が有るのなら、俺の腕の中で消える事を望んだ。そう言う事かな?」

 俺の問い掛けに、微かに……動いたかどうかの判別が付かないほど小さく首肯く有希。
 確かに、この街の夜景を見下ろせるこの位置ならば、彼女は間違いなく俺の腕の中に存在する事と成ります。
 更に、自らに対する思念体の支配が絶対の物だと考えて居たのなら、この有希の対応にも首肯けはします。

羅睺(ラゴウ)星との戦いが終わった直後から、復活した思念体からの交信をすべて拒否して居たわたしに対して、思念体は最終通告を行って来た」

 淡々と、普段通りの抑揚の少ない平坦な口調でそう話し続ける有希。

「交信を行わないと、その情報連結の解除とやらを行うと恫喝して来た、と言う事やな」

 俺の問い掛けに、悲愴感も。悲観すらも発する事なく、ただ、普段よりは少し強い陰の気と、何故かその中に微かな陽の気を放ちながら、先ほどと同じように微かに首肯く有希。

「二月二十二日午前零時を以て、わたしと思念体との情報連結は解除される」

 成るほど。それに、対応としてはそう奇異な対応と言う訳では有りませんか。
 しかし、有希やその他の対有機生命体接触用人型端末たちとの連絡が途絶えたのが一週間前の二月十四日(ヴァレンタインデー)。それから一週間。思念体からのバック・アップもなしに過ごして来た有希に取って、今更彼らからのバック・アップなど……。

 そう考え掛けた俺。しかし、直ぐにその考えを否定する。
 それは、彼女の言う情報連結と言う作業が、もしかすると有希自身の身体の組成に影響を与える事象の可能性もゼロではない、と気付いたから。

 例えば、その情報連結を解除すると言う行為が、彼女自身に仕組まれて居たはずの危険なギミックが発動する切っ掛けとなり、致死遺伝子のような物が動き出す可能性もゼロでは有りませんから。
 そう。伝説上の人魚姫のように、俺の腕の中で光の泡と成って仕舞う可能性も……。

「そうしたら、有希は後どれぐらいでその情報連結を解除された状態となるんや?」

 有希にそう問い掛けながら、俺は待機状態と成って居た水の精霊ウィンディーネを起動させる。

「後、百八十秒後」

 自らの生命のカウントダウンを行って居るとは思えない、波ひとつ立つ事のない湖にも似た落ち着いた雰囲気でそう告げて来る有希。
 いや、何故かその中に、矢張り奇妙な安寧を示す気を発して居るのは間違いない。

 ただ、そんな事はどうでも良いですか。

【ウィンディーネ。俺の居る場所だけに雪。風花を舞わせてくれるか】

 その瞬間。俺と有希に冷たい北風が吹き付けて来る。
 そして……。

 風に混じる天からの花びら。
 いちまい、にまい。

 俺の首を解放し、蒼穹に向け差し出した彼女の小さな手の平の上にゆっくりと舞い降り、
 そして、儚く消えて行く。
 次々と舞い降りて来る白く冷たく繊細で微小な結晶体は、しかし、僅かな温かさに触れた瞬間、儚く消え去って仕舞う幻の花びら。

 蒼穹に向かい手を広げたまま動こうとしない有希。その彼女の様を見ているだけで、何故か涙がこみ上げて来る。

「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」

 蒼き月。蒼穹に存在する星と、地上の星々。そして、彼女と、彼女の温かさに触れ儚く消えて行く蒼穹からの花びら。
 思わず洩らされる呟き。そんな独り言に等しい呟きが、俺の口元を白くけぶらせ……。
 その呟きの間にも、彼女の温もりに因り小さな結晶は儚く消えて行く。

「ちりぬべき時をしりてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」

 手の平に舞い降りる花びらを見つめたまま、彼女はそっと呟いた。
 何故か……。いや、勘違いで有る事を祈るしか有りませんか。

 彼女自身が、自らがこのまま消えて仕舞っても構わない、と思っていない事を……。

 そして訪れる空白。
 ゆっくりと過ぎて行く時間。その間もずっと舞い続ける風花。
 世界は、今まさに沈みつつある紅き女神。更に未だ中天に輝く蒼き偽りの女神。
 そして、晴れ渡った蒼穹から舞い落ちる風花が支配する冷気と静寂に包まれた世界で有り続けた。

 ………………。
 …………。

「トコロでなぁ、有希。その情報連結の解除と言うのは、未だ終わらないのか?」

 風花と紅蒼ふたりの女神を瞳に宿した後、変わらない温もりを感じさせ続けてくれて居る少女に対して問い掛ける俺。

 俺と、自らの手を交互に見つめ、そして、不可解と言う雰囲気を発する腕の中の少女。
 少しの微笑みを浮かべ、腕の中の彼女を感じ続ける俺。
 そう。今更ながらに感じて居たのだ。彼女を失わずに終わった事の幸せを。

 そして、

「今の有希が、思念体に否定されたぐらいで簡単に消えて仕舞う訳はない」

 ……と、そう告げた。口調は出来るだけ平静を装いながら。
 但し、これは俺に取っては当然の帰結。彼女の造物主たる思念体が今更、何を仕掛けて来ようが彼女には指一本触れさせない状況を作り上げた心算ですから。

「もしも……。もしも、有希の事を誰も必要としていない。ここがそんな世界なら、思念体程度でも有希の事をこの世界から消す事が出来たかも知れない。
 しかし、有希の事を必要だと思っている俺がここに居て、更に命数が尽きて居ないオマエさんを、この世界から消せるほどの現実を歪める能力を思念体が持って居るとは思えない」

 そう。誰かが必要だと思っているから、其処にその誰かが存在して居る。そして、有希の事を俺が必要としている以上、彼女はこの世界から消えるはずはない。
 情報統合思念体と言う連中は、自称しているほど、完璧で、更に完全な、進化や進歩を極めた存在と言う訳ではなさそうやからな、俺はそう言葉を締め括った。
 その程度の連中に今の彼女に手を出せる訳は有りません。

 その瞬間、水平線の彼方に確かに存在していた紅い女神が波の向こう側にその姿を完全に隠した。
 今、ひとつの時間が終り、そして新しい時間が始まる。

 そして……。
 何もなかったはずの空間。俺の二メートル前方に現れた蒼い光輝が現われた。何の前触れもなく唐突に。

 空中の有る一点より、天に向かって放出される光の柱を見つめる俺と……有希。
 その瞬間、有希から覚悟にも似た哀しい雰囲気が発せられ、そして、俺の横顔に向かって僅かに首肯いて見せた。

 その仕草を最後まで確認した後、少しずつ高度を下げて行く俺。目的のあの場所に向かって。
 その時、有希が再び、俺の首に腕を回した。
 二度と離れないように強く。
 それは、まるでお互いの優しさ(温もり)を確かめ合う儀式のように、俺には感じられた。

 その俺と有希の前方二メートルの距離を維持しながら共に高度を下げて行く魔法陣。
 この陣は見た事が有る。おそらく、この有希の暮らして来た世界と、俺の元々暮らして居た世界との間に存在していた次元断層が解除された為、お師匠様が俺の為に帰り道用の次元の扉を開いてくれたと言う事。

 そして、それは――――

 音もなくそっと降り立ち、自らの腕の中に存在する少女をマンションの屋上のコンクリート製の床の上に開放してやる。
 離れ難い……。このまま、次元の扉の向こう側にまで彼女を連れ去りたい、そんな有り得ない妄想に支配されながら。

 何か言い掛けて、しかし、彼女は言葉を呑み込む。
 その瞬間。最後に舞った花びらが彼女の頬に触れ、そしてその姿を変えた。

 ゆっくりと彼女の頬を伝う雫が、まるで――――

 正面から相対した彼女の冷たい頬に手を当て、頬を伝う蒼穹からの雫をそっと拭き取る俺。
 少女は、その俺の右手にそっと自らの手を重ねた。
 その仕草ひとつひとつが言葉。短い間、しかし、濃密な時間の中に培われた俺にしか通じない彼女の言葉。

 自らの瞳に彼女を焼き付けるかのように見つめる俺。
 そう。少女特有の白いうなじから華奢な肩に続く……未だ女性に成り切る事のない線。
 染みひとつ見つける事の出来ない処女雪の白を持つ肌。
 何時も見つめられると、思わず視線を逸らして仕舞うメガネ越しの視線には、普段の彼女から感じる事のない言葉を強く感じる。

 そして――――
 そして、僅かな余韻を残して解放される俺の右手。

 彼女が瞳のみで首肯いて見せた。この瞬間、明日が今日と言う日に変わった。
 時間的な意味ではない。二人の間に明日が始まったと言う事。

 一歩、一歩と蒼き光りを発する魔法陣に向けて歩みを進める俺。
 彼女の視線を背中に。彼女独特の雰囲気をより強く感じながら……。

 後一歩踏み出せば、俺と彼女の住む世界が変わる。その境界線上に立ち、一度上空の蒼き女神に視線を送った後、振り返って彼女……。長門有希と言う名前の少女を見つめる。
 月下に佇む少女の姿を自らの瞳へと最後に映す為に。

 最後まで表情を変える事もなく、真摯な瞳で俺の背中を見つめていた少女の視線と、振り返った俺の視線が絡み合い、そして、繋がる。
 その瞬間、俺が笑う。風花が舞い、月と静寂に支配された世界の中心で俺が笑う。

 そうして、

「行って来るな」

 一時的な別れの挨拶。再び逢うまでの次元を超えた固い約束の言葉。その言葉は、確かな温もりを持って俺の目の前を白くけぶらせた。

 微かに。本当に微かに首肯く有希。彼女が発するのも別れには相応しくない陽の雰囲気。
 静かに、本当に静かな彼女に相応しい声で、

「行ってらっしゃい」

 ……と伝えて来る。
 その言葉を最後まで心に刻み、彼女の作り出した吐息が世界を白くけぶらせる様を瞳に宿した後、

 俺は再び、次元世界の旅人へと成って居たのでした。

 
 

 
後書き
 書き上げたのは真夏でしたが、更新は秋に成って居ました。
 まして、この物語。完全に終わった訳では有りませんし。

 一応、連載開始当初の目的は、30話30万文字以内が目標でした。
 その目標に関してはクリア出来たかな。
 アクセスに関しては、アットと合わせて2万ぐらい。こんなモノじゃないかな。
 ゼロ魔の、両方合わせてそろそろ35万と言うのが出来過ぎだと思いますからね。

 ただ、にじファンの時には別の作品でしたが、三カ月であっさりとクリアした数字なのですが。
 尚、ゼロ魔二次に関しては、ハーメルンに連載していた二か月間(12年の8~10月)でUA3万有りましたけどね。

 それで、順当に行くと次は、『眠れる森の美女事件』となる予定なのですが……。

 こちらの方の事情により、順番を変えます。
 次は現地時間で02年12月。ハルヒの原作内の時間で言うと、『涼宮ハルヒの消失』と同じ時期に起きる事件を先に描く事として居ます。
 もっとも、原作のアノ事件は置きませんけどね。

 更に、ゼロ魔二次の方で明かされるべき情報と言う物が有りまして、最速で話が進んだとしても今年の12月中に公開を開始出来たらラッキーと言う状況でして……。

 それでは、このような拙い作品に最後までお付き合い頂いて、誠にありがとうございました。
 そして、次の作品でまたお会い出来たら幸いで御座います。
 
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