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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第三十八話 公的資金




帝国暦487年  11月 15日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸   エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク



十一月になるとオーディンの夜は流石に冷えてくる。暖房は必要ないがそれでも温かい飲み物は必要だ。ブラウンシュバイク公爵家の応接室では七人の男がそれぞれ飲み物を口に運んでいる。俺がココアでリヒテンラーデ侯が紅茶、他は皆コーヒーを飲んでいる。

「しかし公なら領地経営も出来ぬような馬鹿な貴族など潰してしまえと言うと思ったが……」
リヒテンラーデ侯が俺を見て皮肉そうな表情を浮かべた。ジジイ、鋭いな。本当は馬鹿な貴族なんて潰したかったんだよ。公的資金の投入なんてやりたくなかった。

「貴族を潰し、その借金については債権者の自己責任とする。それをやれば帝国は崩壊しかねませんよ、リヒテンラーデ侯」
俺が答えると皆が訝しげな表情を見せた。財務尚書ゲルラッハ子爵も訝しそうな表情を見せている。駄目だな、どうやら説明しないととんでもない事になりそうだ。

「帝国貴族四千家、このうちフェザーンの金融機関、商人から融資を受けている貴族がどの程度いると思いますか? 直接の借金だけではなく貴族が経営している企業に対する融資等も含めてです」
皆が顔を見合わせた。

「半分、いや三分の二かな」
「もう少し多いだろう、八割を超えるのではないか?」
義父(おやじ)殿とリッテンハイム侯が同意を求めるように周囲を見回すと皆が曖昧な表情で頷いた。まあ大体そんなものだろう、どちらにしても半数は超える事は間違いない。

「では、一家当たりの金額は?」
皆が困惑した様な表情をした。視線がゲルラッハ子爵に向かったが彼も困惑したような表情をしている。
「平均すれば……、一億、いや二億程度でしょうか」
そんなものかな、あの馬鹿共の借金が五億、十億だ。もうちょっと有るかもしれない。

「仮にリッテンハイム侯の言う通り八割とすると三千家以上の貴族がフェザーンの金融機関、商人から融資を受けていることになります。一家当たり平均して二億帝国マルクとしても六千億帝国マルクのお金がフェザーンから帝国に流入していることになります」
「……」

皆の顔が強張っている。実際はもっと多いだろう、おそらくは一兆帝国マルクに近いのではないだろうか。そして貴族以外の企業、平民達に貸し付けた資金を加えればどの程度になるのか、とても想像がつかない。二兆か、それとも三兆帝国マルクか……。

帝国の統治の欠点だ。貴族に大きな裁量権を与えてしまったためそれが一種のブラックボックスになってしまっている。貴族領で何が起きているのかが見えないのだ。元の世界ならそんなことは無かった。何処の国から資金が流入しているかなんて事は分かったのだ。おそらく自由惑星同盟なら把握はしているだろう。

だが帝国では分からない、だから国務尚書リヒテンラーデ侯も財務尚書ゲルラッハ子爵もフェザーンからの資金がこの国の経済にどんな影響を与えるのかが分からない。金の恐ろしさが分からないのだ。だが元の世界で何が起きたかを思い出せばある程度の想定は出来る。

「借金を返済出来ない貴族がどれだけいるか分かりません。仮にこれを全体の五パーセントと見積もれば百五十家の貴族が該当します。一家当たり五億帝国マルクの借金としても七百五十億帝国マルクの不良債権が帝国には有るのです。これを潰せば当然ですがフェザーンの金融機関、商人は大打撃を受ける事になる」
「……確かに」
フレーゲル内務尚書が頷いた。

「これまではフェザーンの金融機関、商人にとって貴族というのはもっとも安心できる融資先でした。しかし帝国の現政権が貴族の保護をしないとなれば何が起きるか……」
「……なるほど、フェザーンは融資を引き揚げますな」
ゲルラッハ子爵が深刻な表情で呟く。他のメンバーも不安そうな表情だ。ようやく危険だと分かってきたらしい。

だが帝国で起きるのは融資の引き上げなどという生易しいものではないだろう。おそらくは貸し剥がしに近い状況が発生するはずだ。そうなれば領地経営が良好な貴族も苦境に陥らざるをえない。本来なら破綻せずに済む貴族も次々に破綻する事になる。そして貸し剥がしの次に起きるのが貸し渋りだろう。貴族への融資は危ないと見て融資を抑えにかかるはずだ。

そうなれば帝国の経済は混乱し麻痺し停滞する。そして貸し剥がし、貸し渋りは貴族だけではなく民間にも及ぶだろう。混乱と麻痺と停滞はさらに酷いものとなる……。俺がその事を説明すると皆の顔が蒼褪めた。当然だ、改革どころか革命が起きかねない状況だろう。俺達は皆、首が飛ぶ。

「元来お金というのは非常に貪欲な、そして臆病な生き物なのです。利益になると分かればそこに集まります。しかし危険だと分かればあっという間に逃げ出す……。今ここで負債を抱えた貴族を潰してしまえば、フェザーンの金融機関、商人達は帝国政府は貴族達を救済する事無く整理しようとしていると判断するでしょう。あっという間にフェザーンからの資金は帝国から逃げ出しますよ、とんでもない騒ぎになる」
俺が話し終わると暫くの間沈黙が落ちた。

「……だから救済すると言うのか」
声が掠れていた。それに気付いたのだろう、リヒテンラーデ侯が不機嫌そうな表情で紅茶を口に運んだ。
「潰す事が出来ない以上救済するしかありません。救済して借金を帝国に対して支払わせる。そして平民への権利拡大、フェザーン資金の監視、貴族達の抑制のために役立たせるのです……」
リヒテンラーデ侯が溜息を吐いた。俺も溜息を吐きたい気分だ。義父(おやじ)殿もリッテンハイム侯もそしてゲルラッハ、フレーゲル、ルンプの各尚書も憂鬱そうな表情をしている。

七百五十億の借金を清算するために公的資金を投入する。それを惜しめばその十倍、いや二十倍以上の資金が帝国から消えてしまうだろう。不良債権の整理は素早く大胆に行わなければ悲惨な事になるのだ、公的資金の投入はやむを得ない。幸いここは帝国だ、支持率だの世論だのそんな馬鹿げた感情論で左右されるものを気にする必要は無い。カストロプから没収した財産も有る、金は有るのだ、思い切ってやるべきだ。

「平民への権利拡大は分かるがフェザーン資金の監視、貴族達の抑制というのはどうするつもりだ?」
「貴族を一種の企業とみなしてその領地経営を監視する、その中で流入する資金を監視する。そういう方法しかないでしょう、義父上」
義父(おやじ)殿は不審そうな表情だ。いや他のメンバーも俺が何を言っているか分からないらしい。

「企業と同じように決算報告書を年に二回作成させ帝国政府に提出させるのです。それによって貴族達の領地経営状況、家の資産状況が分かります。同時にフェザーンからどの程度の資金が貴族に流れ込んでいるかも見えてくるでしょう」
「我々もかな、ブラウンシュバイク公」
「我々もです、リッテンハイム侯」
応接室に溜息が溢れた。不満か? しかしこれをやらなければ帝国という国家が見えてこない。

「貴族達の作る決算報告書と一般企業の作る決算報告書、それを合わせれば帝国全体にどの程度の資金が流れ込んでいるかも分かります。景気動向の予測も立て易くなる、そうでは有りませんか、ゲルラッハ子爵」
「確かにその通りですな」
ゲルラッハが答えると皆がまた唸った。

これまでがザルだったのだ。帝国創生当時は貴族も有能な人間が多かった。だから決算報告書の作成など必要なかったのだ。だが今は違う、貴族達の質は劣化し領地経営も満足に出来ない馬鹿共が多くなった。そうである以上監視体制を強化せざるを得ない。

「今回の一件を利用して全ての貴族に決算報告書の作成を義務付けましょう。帝国政府が貴族の不始末を救済するのは今回だけ、以後は救済しない。だから貴族は帝国政府に対してその経営状態を報告する。帝国政府はそれを監査し異常が有れば勧告、指導する。そうする事で領地経営の健全化と貴族の財政状態の健全化を図る……。それにこれを行えばフェザーンの影響を受けやすい貴族も分かります」
「なるほど」
リヒテンラーデ公が相槌を打つと皆が頷いた。

「では先ず貴族達に借金が払えない者は帝国政府に名乗り出るようにと通達するか。そして借金を清算した後で決算報告書の作成を貴族達に義務付ける。どうかな?」
リヒテンラーデ侯が皆に問いかけたが反対者は居なかった。賛成する声が聞こえなかったのはやはり決算報告書など書きたくないという思いが有るのだろう。丸裸にされる様なものだからな。理性では納得しても感情では不満が有るという事だ。しかし始めればそれなりに得る所も有ると分かるはずだ。自分自身の目で確認できるというのは大きい。

「貴族達に直接公的資金を投入するのではなく債務を帝国政府が引き受ける形を取りましょう。帝国政府が債権者と交渉し債務を支払うのです」
「それは大変ではありませんか、貴族達にある程度任せた方が良いと思うのですが」
フレーゲルの提案に皆が頷いた。その方が良いといった表情をしている。

「フレーゲル内務尚書、債務の中には法律で定められた金利を超える物も有るかもしれません」
「……」
「借金が多額になれば貸す方は渋ります、借りるには金利が高くても受け入れるしかない。貴族に任せればそのまま支払うでしょう、政府が全面に立ち不当に貪った分は返還させた方が良い」
ルンプ司法尚書が溜息を吐いた。俺も溜息を吐きたい。人間なんてやってることは何年、いや何世代経っても変わらない。この世界でも元の世界でも……。

「それと今回債務を肩代わりした貴族には監督官を派遣しましょう」
「監督官?」
「領地経営に失敗したのです。帝国政府から監督官を派遣し経営に関してはその同意を必要とさせる……。帝国政府に債務を返し終わるまで政府の監督下に置くのです」
リヒテンラーデ侯が苦笑を漏らした。

「厳しいの」
「税金を投入しているんですよ、当然でしょう。そうでなければ平民達が怒り出します、政府は貴族に甘いと」
「……」
爺さんが顔を顰めた。だが現実に影響が大きすぎて潰せないなど言ったら甘いと取られても仕方がないのだ。

「決算報告書の管轄は財務省でしょうが監督官は内務省の方が良いでしょう」
「互いに監視させるか」
「監視させるわけではありませんがチェック機関は多い方が良いと思います」
「どうかな、財務尚書、内務尚書」
二人とも頷いた、反対は無しだ。そして国務尚書は義父(おやじ)殿とリッテンハイム侯、そしてルンプ司法尚書に視線を向けた、こちらも反対はしない。つまりルンプは法制化に動くという事になる……。



客人達が帰った後、義父(おやじ)殿が話したい事が有ると言ってきた。表情が厳しい、良くない状況だ。そのまま応接室で二人で向き合った。
「エーリッヒ、先程の決算報告書だが……」
「はい」
「拙い事になるとは思わぬか?」
囁くような声だ。

「と言いますと?」
「当家やリッテンハイム侯爵家はその力を政府に知られれば削ぎ落そうという動きが出るとは思わぬか?」
「……なるほど」
なるほど、それを心配したか……。杞憂とは言えないな。

「お前が言ったな、今は良いが十年後、十五年後は分からぬと。この場合もそれが当て嵌まるとは思わぬか?」
「確かに難しいところです。改革が進めば平民の力が増大します。つまり改革を進めた政府の力が増大する事になるのですが……」
俺が口籠ると義父(おやじ)殿が頷いた。

「改革を進めたのはお前だ。平民達の支持はブラウンシュバイク公爵家やリッテンハイム侯爵家にも向かうだろう」
「……全体的に見れば貴族達の力は抑えられると思います。つまり相対的には政府の力が強まる事になる……」
義父(おやじ)殿が“うむ”と頷いた。

「当家だけを恐れるということは無いでしょう。恐れるとすれば当家が他の貴族と連合する事だと思います」
「リッテンハイム侯だな。或いは一門の連中か」
「はい」

単独なら恐れることは無いだろう。有るとすれば連合した時だ。問題はそれだけのことが出来るカリスマが居るかだな。例えば俺か……、無理だな、貴族を押さえようとしている俺を担ぐなど到底有り得ない事だ。その事を話すと大公も“そうだな”と頷いた。

「わしの杞憂かな?」
大公は首を傾げている、不安そうな表情だ。
「有るとすれば当家に強い敵意を持つ人間がこの国に現れた時でしょう。その人間がこの国の実権を握った時、理性では無く感情で動かれれば危険だと思います」

「なるほど、だとすると今のところは心配はいらぬか」
「そうですね、油断は出来ませんが……」
「うむ」
大公が安心したように頷いた。十年は大丈夫だろう、十五年も問題はないかもしれない。問題が有るとすればその後だろうな、エルウィン・ヨーゼフ、こいつがどう成長するか、それが問題だろう……。



 
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