| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

BLUEMAP 改訂前

作者:石榴石
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一章~囚われの少女~
  第六幕『少女の名』

「――嘘よ……。そんな、そんなことって……」
赤いフードを被った少女は、額に滲む汗を拭うことなく走った。それはまるで、先ほど見たものを忘れようとするかのようだった。


――


「ナイト様……」
――伸ばした手の先には何もなく、ただ、目の前は絶望で真っ暗だった。
「あ……」
目を閉じていた頃よりも暗いその暗闇だけが、少女が夢から覚めたことを教えてくれた。

 夢を見ては目覚め、とてつもない虚無感に襲われる。そんな日々を、もうかれこれ幾年過ごしたのだろうか。気の遠くなりそうな年月の中を少女は空想し、演じた。理想の自分を、まだ知らぬ幸せを。

「ホーリーナイト様……」
――彼の顔は……見たのか見てないのか、結局忘れてしまった。

 あの時心の奥では死を望んでいたのならば、ここはすでに死の世界であるのかもしれない。貴女は既に死んでいると言われても、何の感情も湧いてこない。
――ああ、そうか。
「結局は、どちらを選んでも、あるのは死……という事か」
望んだものは、夢の中に消えてしまった。

 死を明日へ控え、生きた心地がしない――とはいうものの、生きているとはどういうことなのだろう。
――どうすれば今、自分が生きていると思える? 己が生きていたと証明できる?

「所詮、夢は夢。本当はわかっていたはず」
一度目覚めると、もうさっきまでの場所に戻ることはできない。夢は儚く、そのささやかな祈りを聞いてくれる神はどこにもいない。
「なんて人生。なんてむなしい」そしてなんてあっけない。これで終わり。こんな終わり方――果たして私に、この世に生れ出た意味はあったのだろうか……。少女は心の中で嘆く。
「ナイト、様……」そして深く、ため息をついた。


――


「夕食をお持ちしました」
少女はこの声でいつも時間を知る。食事の時間が来るたび、黒っぽい服の女がそれを運んで来る――その時だけは重い扉が開く。
 簡素な木のテーブルの上に銀色のトレイが置かれる。いつも銀の安っぽい食器に、病人用であるかのような内容の食事だった。
 しかし今日は、いつもより多少ではあるが豪華だ。小皿には珍しい物がのっている。そこでつい、それを持ってきた小柄の女に質問を投げかけてみる。
「これは、何?」少女が指差しているものは、円を何等分かに切り取られたような形の、それだった。
「こちらは、明日へ迎える誕生日のケーキでございます。ささやかですがお祝い申し上げます」そう、淡々と述べた。「それでは私はこれにて」
この人物は、いつもこんな感じだった。冷たいと言えばそう感じる人もいるだろうが、言葉遣いは柔らかく丁寧なものだった。そうして再び重いドアの向こうに消えていく。ガチャリと鍵の音がした後、そこにさらに鎖がかけられる。
 逃げようと思えば、いくらでも逃げられるだろう。相手は小柄な女。しかも、自分より幼いかもしれない――しかし、逃げようという欲など少女は持ち合わせていなかった。
「誕生祝い……これはどういう皮肉なのかしらね?」少女は言いつつ、そのケーキを傍らの小さなフォークですくいあげる。
 口に入れた瞬間――甘い。ひんやりとしたクリームと、ふわふわの生地。少女にはこの触感は予想外の衝撃だった。
「なんて不思議な味なのかしら……」
“ケーキ”は最後に食べることに。それから普段は食べられない、ローストチキンを上品にナイフで切り取り口に含んだ――またしても口の中に広がり、ゆっくりとはじけていく衝撃。
「私の憎むべき人たちは、いつもこんなのを食べているの!?」これはその人からのおこぼれなのかしら……と一人つぶやいた。

 食事の時間はあっという間に過ぎ、時間はお腹が落ち着く頃になった。備え付けのランプに灯った火が消えるまで、時間もあとわずか。夕食と共にそのランプは運ばれ、その火が消えるとともに1日が終わる――少女の夜の始まりである。
 そして今日は最後の夜。何故だかわからないが、今日は胸騒ぎがする。明日を迎えるにあたって、やはり動揺しているというのだろうか。
 そんな風に思いを巡られていると、ドアの向こうに何やら人の声がした。
(……誰?)少女は壁に近づき聞き耳を立てる。

「……気づかれないよう時間を稼いでおります。……様も速やかに、ご自分のお部屋へお戻りになりますよう」
何を言っているのかははっきり聞き取れなかったが、ランプの火が見える事から誰かがいるのは確かだった。しかも、一人ではない。しかし一人はすぐにその場からいなくなった。
 しばらく様子をうかがっていると、小窓から人影が見えた。

「誰!?」
向こう側から、得体のしれない何かが来るような気がして、こちらから警戒心を露わにした。人影は一瞬びくっとするが、やがて赤いフードに替わる。大きな瞳だけがこちらを覗いてきた。どちらにも怯えの色が見えるなか、二人は声なくにらみ合う。
 その目の位置からすると、自分と同じくらいの背をした人物らしい。相手の様子は、少しおどおどとしたような、震えているかのような、そんな風に見て取れる。
「あなたは……誰なの?」
 いきなり現れた謎の人物に、名前を聞かれるとは、なんだかおかしな気分だ。どうやら向こうは何も知らないらしい。警戒するには値しない。
「私の名前は――」こちらの方から告げる。「もう、必要のない名前だけど」

少女の赤い瞳は、ただ、真っ直ぐだった。

「――レナ。私の名前は、レナ・オレリア――」


                                 -第七幕へ- 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧