ラ=トスカ
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第五幕その四
第五幕その四
「そうかも知れないね」
そう言うと優しく微笑みトスカを再び抱擁した。そして二人は立ち上がった。スカルピアの邪な目論見は完全に費え去ったのだ。
否、まだスカルピアの魂はこの城にいた。生き長らえた二人に再び襲い掛かってきた。
「逃がすな、まだ上にいるぞ!」
スポレッタの声だった。その他にも怒声が続く。スポレッタが階段から姿を現わした。警官達や兵士達も後から続く。
「ご婦人、やってくれましたね。まさかこの様な事を為さるとは」
左手に持っている物をトスカに見せた。先端が血塗られている。あのナイフである。
「しかも子爵までおられる。一体どういう事かわからないが」
そう言いつつも内心では胸を撫で下ろしていた。彼にとってもやはり後ろめたい仕事であったのだ。
「ですがあの方を殺した罪は償って頂きます。我等の主の命は高くつきますよ」
スポレッタもまたシチリアの男だ。血の絆とその報復は骨の髄まで染み込んでいる。
「待て、フローリアに近寄るな!」
カヴァラドゥッシがトスカの前に出た。そしてジリジリと歩み寄って来る兵士や警官達から彼女を護ろうとする。
兵士の一人がその足下へ銃を撃った。スポレッタも懐から拳銃を取り出した。
「御心配無く。子爵にもトスカさんにも指一本触れませんよ。今この場で主の下へ行って頂きます」
兵士も警官達も二人へ向けて銃を構えた。それぞれの引き金に指が掛けられる。
「シチリアの掟、その身を以って教えて差し上げます」
「くっ・・・・・・・・・」
カヴァラドゥッシは歯を噛み締めた。元よりトスカに救ってもらった命、惜しくはない。覚悟は出来ている。だがトスカを死なせたくはなかった。
トスカを護る様に彼女の前に立った。己を盾にしてでも護るつもりだった。だがトスカは動いた。
ミカエルの像がある高台の方へ走った。そしてその側に着くとスポレッタ達の方へ振り向いて言った。
「貴方達に殺されるぐらいなら・・・・・・・・・。またマリオを殺させるぐらいなら・・・・・・・・・。私はティベレ川へ飛び降りて貴方方の罪を全て主の御前で申し上げるわ!」
「!!」
彼女の行動と言葉にスポレッタも兵士達も驚愕した。そしてその時だった。
突如としてローマ中で大歓声が沸き起こった。それは口々にフランスを、ナポレオンを讃える声だった。
「スポレッタ、まずいぞ!」
コロメッティとスキャルオーネが飛び込んで来た。二人共息を切らしほうほうのていで入って来る。
「アンジェロッティ候を共和主義者達に奪われた、そして彼と共にフランス軍がローマの前に姿を現わしたんだ!」
「何!!」
信じられなかった。彼等は全てマレンゴにいる筈ではなかったのか。
「だが・・・・・・」
トスカとカヴァラドゥッシの方を見る。二人共何が起こったのかまだ把握しきれておらず呆気に取られている。
「一刻も早くローマを脱出するんだ、さもないと我々は狂った市民達のリンチで皆殺しにされるぞ!」
そうだった。権力を失くした彼等を待つ運命が何なのか、それを本能的に知っていたのだ。
「・・・・・・解かった、行こう」
スキャルオーネとコロメッティに急かされスポレッタ達は屋上から逃げる様に消え去った。最後尾にいたスポレッタが階段に足を入れた時サッと二人の方を振り向いた。
「・・・・・・・・・お元気で」
スポレッタはそう言うと去って行った。後には恋人達が残された。
暫くの間城内の殆どの者が逃げ去ったサン=タンジェロ城は静まり返っていた。だが朝日が姿を現わす時になると城内に喚声が木霊しはじめた。
「カヴァラドゥッシ、無事で良かった」
朝日に輝きはじめたポンテ=サンタンジェロの上でカヴァラドゥッシとアンジェロッティは手を握り締め合った。カヴァラドゥッシの傍らにはトスカがおり三人の周りを共和主義者や青い軍服の将兵達が囲んでいる。
「アンジェロッティ、君こそ。よく生きていてくれた」
二人は再び両手を握り締め合った。強く固く握り合った。
「警官達に追い詰められた時は流石に僕も駄目だと思った。だが奇跡が起こったんだ」
「奇跡?」
「うん。今将に捕らえられようとしたその時彼等が現われたんだ。そして僕を救い出してくれた」
そう言ってフランス軍の将兵達を指し示した。
「彼等を導いてくれていたのはこの方だ。この方こそ僕の命の恩人なんだ」
アンジェロッティに手で指し示された男が前に出て来た。その男の姿を見た時トスカは思わず叫んでしまった。
「貴方は・・・・・・!」
男は悪戯っぽく左目をウィンクした。紅衣のあの男であった。
「どうしたの、フローリア。お知り合いの方なの?」
「いえ・・・・・・」
男が手で紹介されるのを制止したのでトスカは言うのを止めた。何か知ってもらいたくない事情が男にも有るのだろう。
「何でもフランスともこのローマとも所縁の有る方らしいんだ。それで僕を助ける事が出来たらしい」
「成程」
「僕はまたこのローマで領事を務めさせてもらう。今度こそローマを自由と平等が息吹く街にするつもりだ」
「うん、頑張ってくれ。君なら出来る」
カヴァラドゥッシは友に言った。
「そして君はどうするんだい?ローマに残るのかい?それならば一緒に働かないかい」
「そうだね」
トスカの方を見た。自分に対し微笑んでくれている。
「僕はあの絵を完成させてフローリアと一緒にヴェネツィアへ行くよ。予定していた事だしね。それに僕は彼女と何時までも一緒にいたいんだ」
「マリオ・・・・・・・・・!!」
トスカがカヴァラドゥッシの胸に抱きついた。衆人の前でありカヴァラドゥッシも顔を赤らめた。
「そうか。じゃあ残念だけどもうすぐお別れという事になるね」
「ああ」
「機会があったらまた会おう。そして何時までも変わらぬ友情を」
「こちらこそ」
ローマと自由を讃える声の中カヴァラドゥッシとトスカは歩きはじめた。既に陽は高く登りローマの街をその黄金色の光で照らしていた。
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