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河童

作者:たにゃお
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第四章

「――で、やっぱり君はそこにいるのか」
「自分ちの何処にいようと勝手でしょ」
早朝。
人の迷惑も顧みず、この河童はまたも石つぶてで私を起こし、なんか紫色の唇をぶるぶる震わせて、シャワーを貸してくれと懇願してきた。
昨日炎天下で農作業してたのに、シャワーを浴びられなくて相当不快だったらしい。仕方ないから明け方にこっそり近所の寺で清めの手水を浴びてたら、願掛けの水垢離と間違われ、親切な住職に『今どき感心な若者』と絶賛され、服を全部ひっぺがされ、褌を締められたうえにありえないほど冷たい氷水をぶっかけられたらしい。馬鹿じゃないだろうか。

「おぉ、暖かい…冷え切った体がよみがえる…」
何言ってるんだこんな真夏日に。馬鹿じゃないだろうか。
「子供みたいね。余計なことばっかりして、ろくな目に遭わないんだから」
「なんだと。頭来たから、住職に貰った褌をお前の手の届かない所にぶら下げておいてやる。親父に『流迦っ、お前…お前っ!』て思われるがいい」
布団たたきの柄でドアをドカッと突くと、中からひゃあ、とか怖い怖いとかそんな声がした。
「変なことされる前に、ここ密閉状態にしてバルサン焚いてやるから」
「やっやめろ馬鹿、バルサンもったいない!」
「じゃ、大人しく使いなさい」
ちぇー、とか話そうよ流迦ちゃーん、とか聞こえたけど、全部無視してやった。しばらく大人しくしていた河童が、ふいにまた話し始めた。
「桜島大根な…」
「どうするの」
それくらいは聞いてやってもいい。
「実家に送りつけることにした。定形外郵便で」
「定形外?」
「知らないか?スルメに切手貼って出しても届くというだろう。…くっくっく、あいつらびっくりするぞぅ、桜島大根がむき出しで届くんだからな…」
「よくそんな迷惑なことばっかり思いつくわね」
「いいんだよ。うちは食べ盛りが3人いるからな。こんな大根、1日ももたないぞ♪」
「………あなたみたいのが、あと3人もいるの」
「俺を筆頭に男が3人、最後に女の子が1人。お前と同じ歳くらいかな」
「お友達になれそうもないわ」
「ははは…あいつはがさつだからなぁ」
上に男が3人もいるとなぁ~、なんて歌うように言って、河童はシャワーを止めた。
「…兄弟って、どんな感じなの」
…思わず、口をついて出た。
「兄弟、か」
浴室のドアが少し軋んで、衣擦れの音が聞こえ始めた。
「んー、一人っ子にどう説明すればいいのか……」
もう衣擦れの音は終わっているのに、河童は出てこない。私たちはドアを一つ隔てたまま、話し始めた。
「まぁ、うざいよ。おやつ独り占めできたためしがないし、飯は基本的に奪い合いだから、おちおち食ってらんないし、一人部屋なんて夢のまた夢だし、馬鹿だから心配のタネばかり持ち込むし、散々可愛がってやった妹にはセクハラ兄貴呼ばわりされるし…」
「…セクハラは自業自得な気がする」
むしろ妹さんがかわいそう。…でも。
「心配、するんだね。あなたみたいなのでも」
「…そりゃな、俺は一番上だし。とくに妹とは随分歳が離れているから」
「ふぅん…」
―― 一瞬。一瞬だけ、私のことを心配する河童と、うざいうざいって逃げ回る私を想像した。…やっぱり、分からないなぁ。布団たたきをぶらぶらさせながら、壁によりかかって耳を傾けた。
「心配もするし、逆に心配もかける。今回の自転車旅行だって…」
言葉が切れた。なにか思い出しているみたい。…河童は『…そうか』と小さく呟くと、再び話し始めた。
「親と妹は反対した。でも弟たちが面白がって賛成して、結局いろんなことがうやむやになった。…で、うやむやのままテキトーに出発することになった」
「兄弟が多いと、いろいろテキトーになるのね」
「む…そういう部分もあるな。親は全員の動向に気が回らないし、誤解を恐れずに言えば…4人もいるんだから1人くらいダメな子でも、という気安さはあるかもな」
……いいなぁ。
一粒種は、たった1つの芽を枯らさないように、大事に、神経質に管理される。
おやつは常に独り占めだけど、大好きなおかずを奪われたことなんてないけど…。
「難しく考えたことがないんで、どう言えばいいのか…兄弟ってのも、要は人間関係なんだよな。お互いが影響しあうんだ。近い目線で。弟たちが面白がったせいで自転車旅行が何となく許可されたり、妹の主張で部屋のカーテンの模様が決まったり。その影響には、親も巻き込まれるんだ。…だから影響を受ける方向も、与える方向も、一方的じゃいられない。一方的に言い聞かせようとしても、どこから横槍がはいるか分からないからな」
……全然、想像がつかない。それくらい、私の世界は全てが一方的に流れていて……
「…なぁ」
「なに」
「お前の周りに、横槍をいれてくれそうな大人はいるか」
―――どういうこと?
「先生でも、親戚のおっちゃんでも、爺さんや婆さんでもいい。…親父さんの一方的な影響力に、水をさしてやれそうな大人だ」

そんな…大人。

一瞬だけ、いっちゃんのお父さんが頭をよぎった。親戚中が面白がって私といっちゃんを夫婦扱いする中で1人だけ、いつも私の様子を伺うように押し黙っている、あのひと。
…でも、すぐに掻き消した。
気付いていることと、横槍をいれてくれることは違う。あんなに繊細で、穏やかで、争いごとが苦手そうなあのひとが…私のために、お父さんに意見してくれるなんて思えない。
それに私がやろうとしてることは、いっちゃんを傷つけること。その手伝いをさせようなんて…。
「……いないわ」
廊下が、水が満ちたみたいに静かになった。じーわ、じーわ、と早起きな蝉の声だけが響いている。…河童は、まだ出てこない。

「――お前、やばいぞ」

低い声が、静かな廊下をずるり、と流れた。それは怪談の締めみたいに、ぐきりと心臓に刺さった。
「…なにが」
「前に言ってた、ぎりぎりまで耐えて、都会に逃げるってやつ」
「なによ。蒸し返す気」
「お前、多分耐えられない」
「耐えられそうになかったら、卒業前に逃げるもん」
「無理だ。気付けない」
「……なんなのよ」
「気付けないんだよ、耐えられないって気持ちに」
「そんなはず、ないじゃん。自分の気持ちなのに!」

…また沈黙。河童はふたたび、そろりそろりと言葉を探しだした。

「砒素って毒、知ってるか」
「聞いたことあるわ。…詳しくは知らないけど」
「昔、よく暗殺に使われた毒だ。毒で暗殺っていうとアレだろ、なんか突然コップ取り落として、うっとか叫んで悶絶しながら死んでいくの想像するだろ」
「……違うの?」
「砒素は無味無臭で食べ物に混ぜ込みやすい。一番便利なのは、体内に毒が蓄積するところだ。一回に盛る分は、少しでいい。少しずつ、繰り返し…」
「……どうなるの」
「致死量に達した時点で、死ぬ。傍目には、なにかの病気で少しずつ衰弱して死んだように見える。急に具合が悪くなるわけじゃないから、異変に気がつけない…お前が受け続けている圧力に、すごく似ていないか」

―――とてもうまくいっている、仲のいい親子。

―――物分りのいい、家庭的でおしとやかなお嬢さん。

―――私があのひとから受け続けている、そんな無言の圧力は、どこかに逃げ場を持っているの?

「毎日、少しずつ受け続ける圧力だからこそ気がつけないんだよ。もう充分やばいのに、まだ大丈夫、あと少し大丈夫…そう、勘違いする。そしてじりじり、限界に近づいて」
「じゃあどうすればいいの!!」
もうこれ以上聞くのに耐えられなくて、言葉を遮った。
……聞きたくない。うすうす気付いてた。こんなの、長続きするわけない。
河童はまだ出てこない。…まだ、何か言う気なんだ。思わずドアに手をかけた。

りりりり……りりりり……

廊下の奥で、電話が鳴った。救われた気分でドアの前を離れる。
「……はい、狭霧でございます」
『おっ流迦、今日も早かねぇ。ラジオ体操け?』
……お父さん!
「おはようございます、お父さん。今日はちょっと早めに目がさめちゃったの。昨日、疲れて早めに寝ちゃったからかなぁ」
私の猫なで声を、彼がドアの向こうで聞いているのかと思ったら嫌気がさした。…自分に。
『ははは…大根掘って、わっぜぇだれたごたる。よかこつばい!』
「うふふ…お父さんも早いのね。どうしたの?」
『へっへっへ、流迦、ひったまぐっな。…あと30分でそっちに着くが』
「うそっ!!」
つい、大声が出た。
『仕事が早く片付いたけん、流迦がとぜんねか思いばしとるんじゃないかちぃ思ってな、いっき車とばして戻ったが。お土産、ず~んばい買てきたがよ』
「わぁ、楽しみ!流迦、寝ないで待ってるね♪」
『わぁはははは、そげんなこつ言いよるち、もじょか子じゃ!』
「あっ、目玉焼きが焦げちゃう!じゃあ、切るね」
慌てた口調で即切ると、洗面所のドアに駆け寄り乱暴に開いた。
「ど、どうしたすごい形相だぞ」
うるさい、私の形相なんてどうでもいい。
「あっ、あと30分…30分で!」
お父さんが帰って来る、は聞かないでも分かったらしい。河童は小さく頷くと、そこらへんの私物を掻き集めて駆け出した。
「残りは捨てておいてくれ」
ちらっと洗面所をのぞくと、住職に貰ったとかいう褌が残っていた。こんなもん見つかったら家族会議ものだ。ちょっと抵抗を覚えたけど、服の下に押し込んで玄関を出た。




薄暗いガレージに散らばった工具の中央に置かれた、ぼろぼろの自転車。私が最初に見たのは、大破した自転車の残骸みたいなものだった。あの残骸は今、ぼろくて汚いけど、たしかに自転車としてそこに在った。…なんだか、とても昔の自転車みたい。
「いつのまに、直したの」
「昨日、一晩がかりで」
それで明け方に、神社で水浴びしてたんだ。
「っつっても、まだようやく組み立てたばかりなんだ。細かい仕上げをしないと」
「できるの、30分で」
「ぎりぎり漕げるくらいまでなら、なんとかいけるだろ」
河童は私のよく知らない工具をすっと手に取ると、自転車の傍らにしゃがみこんだ。同時に流れるように手を動かす。
「…ぼろい自転車」
「年季が入ってるからな」
「どのくらい?」
「さあ。50年以上は経ってるかもな」
話しながらも、手は止まることなく自転車の上を動く。無駄なく、正確に、流れるように。
「……結局、ライトがどうにもならなかったんだよな」
ドライバーを口にくわえてふがふがしながら、河童が1人ごちた。
「…………ライトなんて、なくても走れるじゃない」
「このナリにこの自転車で無灯火…職質して下さいって言って走ってるようなもんだ」
河童は少し視線を彷徨わせて、壁にかかっていた懐中電灯を取った。
「お、防水仕様。これでいーや♪もらうぞ」
「ちょっと…」
「大丈夫、バレない。埃かぶってんじゃん。きっと随分使ってないんだぜ」
そう言って、懐中電灯を前カゴの下あたりにワイヤーでくくりつけた。…変な自転車。
「…なんで、こんな自転車で旅しようと思ったの」
河童は苦笑いしながらも手を止めず、呟くように言った。
「好きで旅に出たわけじゃない。…選ばれたんだよ」
「選ばれた?」
「呪われたランドナーに、な」
流れるような手つきで取り付けられたペダルは、左右違うパーツだった。よく見ると他にも、いやに派手なサドルとか、前輪だけ妙に新しい泥除けとか、ちぐはぐな部分がいっぱいある。…本当に、変な自転車…
「ま、その話はおいおい…」

――おいおいって、いつ?

あと数十分したら、ここから出て行くくせに。
彼も、お父さんとかと同じ大人なんだ。楽しそうに自転車直しながら、平気で嘘をついて。
…これ以上口をきけば、嫌なことしか言えなそうな気がして、ぐっと唇をかみしめた。
…少しだけ、期待してたんだ。この生活が少しでも、変わるかもしれないって。突然現れた河童が、私を変えてくれるかもしれないって。…だけど違った。彼はここを通りすがっただけの、他人。
ううん。期待なんて元々してない。私は平然と見送るんだから。どっかの安いドラマみたいに、涙浮かべて見送ったりなんてしない。…だって馬鹿みたい。楽しそうに出て行く河童を泣きながら見送るなんて。


遠くのほうで、ぶろろろ……と音がした。
もう、なにも感じない。心が麻痺したみたい。河童が楽しそうにここを出ることにも、またいつもの生活が戻ってくることにも…私が、結局変われなかったことにも、全然心が動かない。
「やっべ、あれ親父さんの車か?」
「……うん。でも裏門に回れるわ」
「案内たのむわ」
ガレージの外では、まだ朝とは思えないような強い日差しが、梢を貫いて地面を焼いていた。今年一番の暑さになるかも。用水路のあたりで河童が熱射病かなにかで伸びて、またうちに担ぎ込まれる場面を想像したけど、そっと打ち消した。
滅多に開けない裏門を、力いっぱいこじ開ける。んー、と力を入れて寄りかかったら、河童が手を添えてくれた。
「色々、ありがとな」
「……ん」
挨拶なんてしてやらない。自転車が門を出たのを見計らって、また門を閉めようとしたとき、河童が少しだけ門に肩を挟んで、私を見下ろした。…ひどく、真剣な目で。
「さっきの話の続きだ」
「…もういいよ。お父さんたち、もうガレージに入ってる」
「お前は自分で思っているよりも、ずっと脆くて危うい。…お前には、大人が必要なんだ。お前を、環境を変えてくれる大人だ」
「いない。…言ったでしょ」
「いる」
なんで言い切るの。私のことも、周りの大人のことも、よく知らないくせに。
「いいか。自分を追い詰める前に、周りに目を凝らせ。1人くらいはきっといる。お前がサインを出さないから、手を差し伸べられないんだ」
「……いないかも、知れないでしょ」
「いいからやってみろ。いなかったら」
言いかけて、彼はメモ帳のきれっぱしみたいな紙に何か書いて渡してきた。
「俺がなる」
紙切れには、住所が書いてあった。
「俺は学生だ。正確にはまだ大人じゃない。だが近いうちに大人になる。…やばくなったら、俺のところに逃げてこい」

―――張り詰めてたものが、全部ぼろぼろに崩れた。

そのあと、自分がどうしたのか分からない。我に返った時、ぐずぐず鼻をならしている私の頭を、河童がぽんぽん撫でてくれていた。そして、しがみついてた私の指を、そっと肩からはがした。
「早く。親父さん、帰ってきたんだろ」
「待ってよ!…こんなの、渡されたって…」
私は…
「私、あなたの名前、聞いてない…」
彼はそっと門を閉めて、桜島大根が入った袋を前カゴに投げ込んで、振り返った。そして眉をちょっと上げて笑った。

「紺野、匠だ」
 
 

 
後書き
終章に続きます 
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