| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

河童

作者:たにゃお
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
次ページ > 目次
 

終章

「――いつまで隠しておく気だ?」
いっちゃんと柚木が帰るのを窓から見下ろしていると、後ろで紺野がぼそりと呟いた。
「何のことかしら」
「…もう、思い出してるんだろ。姶良のことも、家の事も全部」
「どうかしらね」
奴は柚木が見舞いに持ってきたシュークリームを、口一杯に頬張っていた。紺野にしては、いやにぼそぼそ喋ると思った。紺野は一旦、シュークリームをぐびっと呑みくだすと、少し真面目な顔になってクリアファイルを取り出した。
「狂ってるフリもだ。いい加減にしないと、ますます警備がきつくなるぞ」
「幸いね、ここを出る気ないもの。…私が狂ってるのは、本当じゃない」
くっくっく、と小さく笑う。もうそんな話に興味ない。最近一番気に入ってるルービックキューブを拾うと、掌でかちゃかちゃ弄んでみた。縞模様、渦巻き、鍵十字…模様が千々に入り乱れる。……きれい……
紺野が困った顔をする。これを見ないと、紺野に会った気がしない。だから紺野のこと、どんどん困らせるの。

――あの時の気持ちが初恋だったのか、『兄弟』に対する憧れだったのか…今となってはもう分からない。

あれから程なくして、従兄弟を手にかけて発狂した私の世界で、紺野はただ1人の『身内』になったから。紺野、それ以外は敵。それが、ついこの間までの私の世界観だった。
「この回復ぶりからすれば、もう退院だって出来る」
「退院して、どこに行くの。…あの家に帰るの」
語尾が震えた。…お願い、帰すなんて言わないで。お願い……。
「そのことだ。…流迦ちゃん、親父さんから面会の申請が来ている」
申請の書類が、ベッドサイドにぱさりと置かれた。
「…ふぅん。体裁の悪い娘を座敷牢にでも閉じ込めて、座敷童にでもして家の繁栄を願うのかしらね。廃品利用ね」
あっはっはっは…廃品利用。自分で言った言葉がおかしくて、笑い続けた。さぞ困った顔をしているにちがいない。見ものだわ、と思ってちらりと目をやると、思ってたよりもずっと穏やかな顔をしてた。
「……お前、聞いてくれたな」
「うん?廃品利用計画について?」
「親父さんの話。…叫んだり、気を失ったりせずに聞いてくれたのは、今が初めてだ」
「……嘘」
「面会申請の話をするのは、もう27回目だ。…覚えていないんだな」
「会わないわ」
ぷい、と横を向いて、他のキューブを拾い上げた。あいつは絶対許せない。紺野の手紙を、全部私の目の前で破り捨てたんだから。
「手紙全部返してくれたら、会ってあげる」
「手紙?」
「なんでもない。一生会わないってイミよ」
キューブに飽きて、いっちゃんが忘れていった自転車の雑誌をぱらぱらめくる。ちょっと可愛い自転車を発見。
「紺野~、これ買って?」
「それも初めてだな」
…なによ、いちいち五月蝿い。
「キューブ以外のものをねだるのも」
そう言って、私の頭をくしゃくしゃ撫でた。
「だけど自転車だけあってもしかたないだろう。…姶良は、お前のことを今でも慕っている。…姉さんとしてな。お前がここに残る理由は、もうないだろう」
「………」

……あれは、うそだ。

忘れていたなんて、嘘。いっちゃんの事を一瞬でも忘れたことなんてない。全部を忘れ果てた後でさえ、あの子の記憶だけは、いつも胸の疼きを伴って浮き沈みしてた。
首をぎりりと絞めて、体重をかけた私を見つめた、あの瞳。信じてた、大好きだった私に裏切られた絶望が閃き…その直後、頭のいいあの子は全部を理解して、私に殺されることを受け入れて目を閉じた。柔らかい頬を、すうっと涙が伝った。

あの瞬間の顔が忘れられない。

「私は、自分を許してないわ」
雑誌をぱたりと閉じて膝に置いた。気分が変わった、自転車は要らない。
「…お前が、そんなこと言うなんてな」
「いちいち五月蝿い」
「ここしばらく、お前の成長の著しさに、兄ちゃん思わずな」
と、涙をぬぐってるフリをする。紺野はたまに、自分のことを『兄ちゃん』っていう。
「…警告は、受けてたのにね」
もう一度キューブを手に取る。それは相変わらず、掌で軽やかに回転して模様を替える。
「私は結局、砒素の毒にやられたのね。いっちゃんを巻き添えにして」
最後に6面の色を揃えて、キューブを置いた。紺野は目を泳がせて頭を掻きながら、さっきのクリアファイルから書類を取り出す。
「お前が入院してから、親父さんも精神科のカウンセリングを受けた。治療の対象として」
「嘘。受けるはずないわ。あのひとの中では『精神科=キチガイ病院』なんだから」
「そうみたいだな。最初、全力で拒否された。名誉毀損で訴訟を起こされそうになったくらいだ」
「…じゃ、どうやって」
紺野はまた頭を掻いた。…思い出したくないことを思い出してるみたい。
「受けてくれれば、児童相談所を介入させない、という交換条件だ」
「児童相談所…?」
「いやなことを言うが…あの件は、『過干渉』という心理的虐待に分類されるかもしれないんだ」
「………」
「子供の意思や自我を一切否定して、自分の思うがままにコントロールするタイプの虐待だ。虐待をしている本人も、受けた子供も、それを『虐待』と認識していないことが多いから、発覚しにくいし、改善もしにくい」
…そうね。あのひとはいつも、よかれと思って私を束縛してきた。
「だから虐待をした本人に、過干渉は虐待だと理解してもらい、子供の意思を尊重した子育てができるように、カウンセリングを受けさせて教化しなけりゃならない。…つまり、児童相談所が介入すれば、これは児童虐待と認定されるだろうな。だからそれをしない代わりに、カウンセリングを受けろ、と」
…噴き出しそうになった。
そんなことになったら、政治家生命おしまいね。ざまぁみろ。
「最初、自分を脅すのか、このひとでなし、という趣旨のことを散々怒鳴られた。訛りがきつくて分からなかったが」
そうでしょうね。
「決め手になったのは、お前のお袋さんだ」
「……母さんが?」
いっちゃんとこの伯父さんと同じで、優しいけど存在感が薄くて、なに考えてるのかよく分からなかったあのひとが、何を?
「怒鳴り散らす親父さんを、いきなり殴ったんだ」
「………!!」
「…そんなことされるの、初めてだったんだろう。呆然としている親父さんの代わりに、お母さんがカウンセリングを受ける旨を受諾して書類に押印した」
「殴った…って、殴り返されなかったの」
「それでもいい、と思ったから殴ったんだろう」
それも紺野に言われたことだった。追い詰められる前に、周囲に目を凝らせばよかった。助けてくれる大人は、すぐそばにいた。私は……
「…お母さんは、お父さん側のひとだと思ってた」
「どうして」
「お父さんに逆らうの、見たことなかったから」
「思うんだけどさ」
書類に目を落としていた紺野が、ついと目を上げた。
「お前と会ったとき、普通の女の子だと思ったんだよな」
「…そう思われるように、演じてたもの」
「違う。カウンセラーに聞いたんだがな…」
なんか長い話になりそう。紺野の話は、意外と回りくどい。
「過干渉を受けてきた子供の自我ってのは、普通、未成熟なんだよ。何も自分で決めることはできず、友達や彼氏と楽しく遊んだり、部活動で汗を流したりといった、親に許可されている行動以外の行動全般に罪悪感を示すそうだ。でもお前は、親の目を盗んで色々やんちゃをしてたじゃないか。友達から巻き上げた罰金で白熊食いに行ったり、居候追いかけて桜島まで乗り込んだり」
「しつこいわね。いい加減忘れなさいよ」
「お前のそういう感性を育ててくれたのは、お袋さんじゃなかったか」
お母さんは大人しくて、争いごとが嫌いで、上品で…ちょっとお茶目なひとだった。
下品なカキ氷なんか食べることは許さない!というお父さんの目を盗んで、白熊を食べに連れて行ってくれたのはお母さんだった。お父さんには逆らわない。でも心まで支配されない。そういうやり方を私に教えたのは、あのひとだったかもしれない。

――なんで、信じなかったんだろう。私のためなら、お父さんに逆らってくれるかも知れないって。

「まぁ…親父さんのカウンセリングの経過は、普通…というか正直、思わしくないんだが、流迦ちゃんに会いたいという気持ちは芽生えてきている。もう何度も面会の申請をしてきているしな。…どうだ、親父さんの治療の一環として、協力してみないか」
「お断りよ」
だからイヤだって言ったじゃない。何度言わせるのよ。
「うーん…」
「手紙返してくれるまで、袖にし続けてやるんだから。お母さんなら来てもいいわ」
「そうか…伝えておく」
「ねぇ、紺野」
もう一度、窓から外を見下ろしてみた。…もう、いっちゃんの姿は見えなかった。さっきベッドの横で所在なげにしていた男よりも、ここから見下ろす小さい『いっちゃん』の方が、ずっとしっくりくるのに。これからは窓の外から見舞えって言おうかしら。
「私、背が伸びたのよ」
「まじか!?」
紺野の目が輝いた。書類をテキトーにベッドの脇に押しやって、身を乗り出した。
「初めてじゃないか、それこそ!」
あの事件から時間を止めていた私の体が、遅まきな成長を始めた証。紺野は私が恥ずかしくなるくらいに喜んでくれた。胸囲は、胸囲はどうなんだ!乳は!!スポーツブラ卒業か!!とドサクサにまぎれてセクハラ発言を繰り返す紺野の足を蹴って、もう一度窓の外に目をやった。桜の花が、ほころび始めている。この病室から桜の花が見下ろせることを、今年初めて知った。
「……私が退院することになっても」
いつしか、紺野が薄いコートを着込んで立ち上がっていた。
「戻りたくない」
紺野は少し笑って、もう一度椅子に座った。
「だったらうちに来い。あの時、言ったろ」

――逃げてこいって。

「…そうするわ」
でも、桜の花を見るまではここにいるつもり。
 
 

 
後書き
ご愛読ありがとうございました。ご意見ご感想など頂けましたら、励みになります。よろしくお願い致します。
また、来週には番外編2をアップする予定です。よろしければそちらもよろしくお願いします。 
次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧