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河童

作者:たにゃお
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第三章

私の予感が当たったのか、河童はその日、帰ってこなかった。
次の日も、その次の日も。
自転車の壊れ方が尋常じゃないから、放置して帰ることにしたのかもしれない。
それならそれでいいよ。でも、それなら一言くらい…。

あ、もしかして。

シャワーを浴びたあと、それを言おうとしてたのかもしれない。
「おれ、帰る。さようなら」って。
風鈴が、生暖かい風にあおられて、か細く鳴る。その音にあわせて、縁側の葦簀もかさかさ鳴った。…困ったな。誰もいない夏休みって、なんだかひどく長くて…。
生暖かい風になぶられて、無力にうなだれる。アスファルトの隙間に根を下ろして、身動きがとれなくなったタンポポみたいに。麦茶の氷が、からりと音を立てて沈んだ。

りりりりり、りりりりり。遠くで電話の音がする。ゆっくり立ち上がって、スカートのほこりを払い、ふらふらと歩く。…どうせ、あのひとだから。
「…はい、狭霧でございます」
『流迦!?わたし、わたし!』
――少しだけ、気分が晴れた。
「…沙耶?」
『へへー、この時間なら確実に流迦が出るって思ったんだー』
「うん。暇だしねー」
自分で思ってたより、けだるい声が出た。
『河童どうしてる?』
「…んーん。結局いなくなっちゃった」
『あー、やっぱりそうかー』
「やっぱり?」
やっぱりってなに?沙耶は事情を知ってるの?
胃の中がちりちりこげるみたいな感じがした。…沙耶、ケータイ持ってるもんね。メールのやりとりとか、してたのかな。沙耶のこと気に入ってたみたいだし。
『部活棟でさー、河童の噂、大変なことになってるよ?』
「…噂?」
『自転車廃棄場の近くで、グミの実食べてたとか』
………。
『天文館通で白熊食べてたとか』
………。
『浜辺で貝殻拾ってたとか』
………。
『居酒屋で農家のおじさんと意気投合してたとか』
………。
『桜島行きのフェリー乗り場で見かけたとか』

………ほう。

『見たっていう場所もまちまちだし、鹿児島市内の怪しいひとが全部〔河童〕てことにされてるんじゃないかなぁ。いい加減ねー』
沙耶は電話の向こうで笑った。
「いい加減なのは、あいつのほうよ」
『えっ…?』
「ガレージ強引に借りて、言いたい放題言って、いきなり自転車残して消えたかと思ったらあっちこっちで都市伝説作り回って…あの大馬鹿河童は…」
『…どうしたの?』
「沙耶!…これから駅前のマックに来て。で、今までに聞いた河童の噂、全部話して」
返事を待たずに電話を切ると、麦茶を一気に飲み干して立ち上がった。髪をとかして、服を着替えて、ここを出るんだ。

あの河童、絶対に許さないんだから!!




「噂の現場は、これで全部ね」
駅前のマックで地図を広げて、河童目撃情報のあった箇所に赤い丸をつけて付箋をはる。付箋には噂の内容を書いて、赤い文字で自分なりの解釈を加えた。
「感謝しなさいよ。あのあと部活棟に戻って、噂の裏をとってきたんだからね」
「私もー」
琴美が、ぴょこっと地図を覗き込んだ。
「おかげで思ってたより早く情報がまとまったわ。ありがとう」
付箋に解釈を書き込んでいる私の手元を、沙耶が面白そうに覗き込んだ。
「ほんとに、河童捕まえる気なの?」
「粗大ゴミ捨てるのだってお金がかかるのよ。あのガラクタ、絶対に引き取ってもらう!」
「…珍しい」
「ん?」
「流迦が、こんなにムキになるのって」
「だね。流迦ってなんだかんだ言ってモメ事キライじゃん」

…ムキに?

なってるのかもしれない。
そりゃそうよ。あんなこと言い逃げされてたまるか。うちに粗大ゴミを放置したことも、私のこと「ひどい奴」って言ったことも、全部後悔させてやる。
「目撃情報を時系列に並べてみよう。…三日前の昼、うちを飛び出したあとにもう一度小道に戻ってグミの実を食べる」
「戻ってまで食べたいかねー」
琴美がくすくす笑う。
「ここから次の日の昼までの足取りは不明…と」
「そのあと、天文館通での目撃情報多数。…あ、いいなぁ、白熊食べてる」
「よし!」赤鉛筆をペンケースにしまって、地図をたたむ。
「情報収集のために、私たちも食べにいくわ」
「え~!!」
琴美が大げさに悲鳴をあげる。でも許してあげない。今日の私はちょっとご機嫌ななめなんだから。




―――私たちは今、桜島行きのフェリーに乗っている。

特大白熊を3人で食い倒したあと(琴美は半泣き状態だった)、店主に聞き込みをしてみた。この時期は観光客が多いだろうし、たいして期待してなかったんだけど(って言ったら琴美に『じゃあなんでわざわざ白熊食べにきたの!』と半泣きで猛抗議された)、奴はここでも悪目立ちしてたみたいで、思ったよりすんなり情報を聞き出せたけど、
「桜島大根を売ってる店はないかって聞かれたけど、ほら、あれは冬場だしねぇ…」
と、苦笑いされてやんの。一応、漬物屋を案内しておいたけれど、興味は薄そうだったらしい。自分で聞いておいて失礼な奴。

念のため漬物屋にも行ってみた。どうせ来ていないと思っていたのに、意外にもあの河童は漬物屋にも顔を覚えられていた。
「桜島大根の千枚漬けの周りをうろうろしてたがよ。そしたらうちに品物卸してる業者さんつかまえて、なんか話して…そのうち、業者さんのトラックに乗って、どっか行っちゃったよ」
「どこへ?」
「さぁ……」
漬物屋さんは、首をかしげながら奥へ行ってしまった。
「あ、でも」店の奥から声がした。
「仕入先の契約農家のおっさんに会うとかなんとか言ってたな?」
「それよ!」
居酒屋で農家のおじさんと意気投合してたって噂があった。きっとそれが、仕入先の契約農家のおっさんなんだ。そう言うと、琴美が小さく首を傾げて、少し振った。
「でも農家なんていっぱいあるしー…」
「問題ない。大体特定できたわ。居酒屋の聞き込みは要らない」
「えっ!!」
2人が目を丸くして短く叫んだ。
「あいつ馬鹿だから、この暑いのに、生の桜島大根を探してうろうろしてるみたい。仕入先の契約農家っていうのは、きっと桜島大根よ」
ほんと馬鹿みたい。こんな馬鹿な理由で県内を飛び回る前に、自転車直せ、馬鹿。
「でも、桜島大根作ってる農家だっていっぱいあるし…」
「そのあと、桜島行きのフェリーに乗ってる。いまホントに桜島で桜島大根作ってる農家は、20軒もないわ。…それでも、ちょっと多いわね。もう少し絞り込むわ。ねぇ沙耶、携帯貸して」
「プリーズ」
沙耶が目をキラキラさせて携帯を差し出した。『なんか面白いことになってきた』と思っている目つきだ。琴美は宇宙人でも見るような目をしてる。みごとに引く一歩手前ってかんじ。これ以上本性をさらすと琴美が帰っちゃいそうなので、笑顔で優雅に携帯を受け取り、番号をプッシュした。ぷるるる…ぷるるる…と3回鳴り、聞きなじんだ胴間声が携帯から漏れた。
『あい、狭霧』
「お父さん、私。流~迦!」
嬉しそうな作り声で、歌うように甘える。
『おぉおぉ、…母さん、流迦から電話ばい。もしもし~、流迦~』
電話の向こうで、お父さんが相好を崩すのが手に取るようにわかる。…単純なひと。
『どげんしたとね、お前が電話なんて珍しかねぇ』
「あのね、流迦ね、桜島大根が食べたいの。ちゃんと桜島で育ったのがいい!」
ちょっと舌ったらずなかんじに、ゆっくり喋る。通行人が私を、かわいそうな子を見るような目つきで眺め回し、去っていく。
『…桜島大根?』
お父さんですら、不審に思ったみたい。…そんなに変な子になってるのか、私は。
「早くできるのもあるって、聞いたんだけど…やっぱり、むりかな……」
ちょっと声を詰まらせる。さびしいけど、諦める。そんな声色を意識する。
『…んにゃ、そげんなことなかよ!父さんな、桜島で一軒だけ、イベント用に早生種の桜島大根こさえちょる農家知っちよいけん、いっき人をやって、届けさせるが!』
「わぁい、私、畑見たい!教えて教えて!!」
…馬鹿じゃないかしら。誰が今更そんなもん見たいか。小学校の遠足とかでイヤってほど見たわ。
『あっでー、流迦はもじょかおごじょばい!よかけん、教えるばい』
お父さんが胴間声を張り上げながら読み上げる住所を記憶する。耳が痛い。
『とぜんねが時ゃ、いっでん電話してよかよ!』
…電話が切れたことを確認して、携帯をたたんで返す。
「ありがと」
「おぅ…流迦、まさかの口八丁手八丁ね…」
「私を怒らせると怖いのよ。地の果てまで追い詰めてやるわ!」
おーほっほっほと高らかに笑うそぶりで胸をそらす。2人は『くわばらくわばら』と呟きながら拝んで離れるマネをした。
「さぁ、桜島で河童をボコるわよ!」

――そして私たちは今、桜島行きフェリーの甲板で潮風をあびている。

「片道150円…あいかわらず安いわ」
髪を風になびかせて、船首をにらむ。あとで髪がかぴかぴになるのは分かっているのに、なぜか甲板に立つのがやめられない。お父さんが一緒だったら、一瞬たりとも潮風になんて当たらせてもらえないんだけど…。
「安いったって往復で300円じゃない…ふふ、もう何がしたいんだか分からないわね」
沙耶が仁王立ちで桜島を望みながら、自嘲気味に笑った。琴美は『髪がゴワゴワになるからー』と言って、さっさと船室に入ってしまった。
「3人分の運賃が900円…そんだけあればあの自転車、粗大ゴミに出せるんじゃない」
「あいつの知らないところで、私がひっそり損するのがイヤなの。私達の運賃と白熊の代金くらい、あいつからせしめてやるんだから」
「白熊代まで…流迦、なかなかの悪党ね…」
どぅん…とくぐもった音を立てて、桜島が小さく噴煙をあげた。沙耶が桜島を睨みつけたまま、おさげをなびかせて口元に細く笑みを浮かべた。
「…ないとは思うけど、もしも偶然運悪く火山弾やら落石やらで全員死んだら、家族にどう思われるのかしらね」
「こんな夏真っ盛りにアホ面さげて、桜島大根を掘りに来たと思われるわね、うちの父さんの証言で。…薩摩おごじょって感じの死に方ね」
「死ねないっ…間違っても、そんな誤解残したまま死ねないわっ…」
「あんたか琴美が火山弾で死んで、私が生き残ったらもっと悲惨よ…私、テレビに顔出して泣きながら『桜島大根を…大根を掘りにっ…』とか言わないといけないじゃない…」
「『河童をっ…河童をボコりにっ…』と言うよりよっぽど真っ当なんじゃない?」
「そうね…桜島大根は実在するんだから」
…考えてみれば本来の目的だって充分イタい。でも止まらないんだから仕方ない。理由なんてないもの。とにかく会ってボコらないとおさまらないんだから。
「そろそろだよー…うっわー、2人ともごわごわー」
琴美がしつこく毛先を気にしながら船室から出てきた。つやつやの巻き髪を自慢げに揺らして…どっちが『女子』として正解か、一目瞭然な感じ。すっかりカピカピのパリッパリになった髪を掻き上げ、私たち2人は一斉に叫んだ。
「出てきたか裏切り者っ!」




「ここ入るのー?サンダル汚れちゃうんだけどー」
バスを降りて、舗装されていないあぜ道に降りる。琴美が白いサンダルをしきりに気にしながら、そろそろと歩く。横を通り過ぎた他校の男子が、琴美をちらっと盗み見てた。

琴美は、きれいになったな…て最近思う。

中学校に入学した頃は、みんな同じ感じだったのに、気がついたら琴美だけは、こっそり校則違反の色つきリップクリームを使ったり、普段着に、動きにくそうなミニスカートとかサンダルとかを選ぶようになっていた。

好きなひとがいる…と教えてくれたのは本人じゃなく、他のグループの子だった。

沙耶に言えば『裏切り者っ』て怒るだろうから言ってない。寂しいけど仕方ないかな、と思うし。…恋バナはギブアンドテイクだもの。私や沙耶に話したって、一方的に冷やかされるだけって思われてるんだ。…実際、沙耶はきっとそうする。
最近は私たちといるより、そのグループの子と話してるほうが楽しそうだし、いずれそっちに行っちゃうのかな…。
それに、なんとなく予感しているの。

琴美は、ここから出て行かない。

標準語が上達しないのは琴美の能力が低いからじゃなくて、自分には必要ないって、どこかで分かっているから。
多分ここで何度か恋愛して、いいひとを見つけて、ここで結婚する。そして子供を産んで育てるんだ。

……私は、どうなんだろう。ここを出ること、出来るのかな…

「…なに見てるの?」
琴美の声で、我に返った。
「…うぅん、別に」
その辺を見渡す振りをして、すっと目をそらす。うっすら灰をかぶった大根畑が、一面に広がっていた。その向こうに、いまだにうっすらと噴煙をただよわせる桜島が、静かに煙る。…綺麗、なのかもしれない。
この景色も、仲のいい友達も、可愛いいっちゃんも…お父さんも全部捨てて中央を目指す。私がしようとしていることは、思っているよりも、ずっと大それたことなんだろう。桜島の麓に続く道から、トラックが土埃を巻き上げて走ってくるのを見つめながら、そんなことを思っていた。あぜ道の隅に寄って、目を閉じてスカートを押さえて、トラックが通り過ぎるのを待つ……
「――流迦ちゃん?」
聞き覚えのある声。ばっと顔を上げた。
「おっ、やっぱ流迦ちゃんだ!」
トラックの荷台には、季節外れの桜島大根が満載されていた。その隅っこに追いやられるように屈んでいた青年が、運転席のガラスをこんこんと叩いてトラックを止めると、ひらりと飛び降りた。
「…あなたは…」
「どうした、みんなお揃いで!…えーと、沙耶ちゃんだっけ。今日も可愛いね」
「可愛いね、じゃないですよ。流迦、怒ってるんですから!」
「怒ってるって…もしかしてこれ、偶然じゃなくって…」
「そうですよ!」
沙耶が勝ち誇るように胸をそらした。
「流迦が噂をたどって、探り当てたんですから!桜島で唯一、桜島大根の早生種を作っている、この農家を!」
「へぇ…」
河童と目が合った。自転車のことも勝手に家を出たことも、残らずまとめて文句言ってやろうと思って息を吸い込んだ瞬間、河童が破顔一笑した。

「すごいな流迦ちゃん。やっぱり天才だ!」

喉の奥で、ぐびって音がした。…それと同時に、両目からぼろぼろっと涙がこぼれた。…焦って、焦って。でも焦れば焦るほど、涙は止まらなくて、しゃがみこんでしまった。
みんなが何か口々に騒ぎながら取り囲む。そんな声も遠くに聞こえた。
――認めるしかない。私は。

この河童に、会いたかったんだ。




「――天才って言われて、びっくりしただけなんだから」
トラックの荷台に揺られながら、もう何度も口にした言葉を、もう一度繰り返す。
…農家のおじさんが、船までトラックを出してくれるというので、ご厚意に甘えることにした。バスはあと1時間来ないらしいし。
「はい、はい」
河童は枝毛を探すようなそぶりで、こっちを見ないようにしてる。トラックの揺れで枝毛どころじゃないくせに。その気の遣い方が余計に腹立つのよ。
「――両親留守だし、気が張ってて、いろいろ不安定になってただけ!」
「うん、うん」
訳知り顔で頭をぐりぐり撫でて微笑む琴美にも腹立つ。肩透かし~、とかつまんな~い、とかぶつぶつ繰り返す沙耶も、それはそれでむかつく。

とにかく、今の私は不機嫌ピークだった。

河童が何か言い出す前に殴ればよかった。ボコボコにして襟首つかんで家に連れ帰ればよかったのよ。そうすれば余計な恥かかないで済んだのに。
「ちょっとひどいんじゃないですかー」
琴美がちょっとたれ気味の目をつりあげ…ているつもりで河童を睨んだ。
「急になんの断りもなく出て行ってー、女の子泣かせてー」
蒸し返すな。空気読め。
「…んー」
河童が目を泳がせて頭のてっぺんをかきむしった。…ふーん、困るとこういう顔するんだ。
「…最初は軽い気持ちで八百屋に行ったんだ」
「その辺の八百屋で、この季節に、桜島大根が買えると?」
だとしたらあきれ果てた大馬鹿だわ。
「鹿児島県民は、毎日普通に桜島大根食ってると思ってたんだよ」
「あんな調理しにくい野菜を普通に食べる家庭なんて滅多にないわよ馬鹿。だいいち冷蔵庫に入りきらないでしょ、馬鹿。常識で考えなさいよ馬鹿馬―鹿」
―――ふんだ、馬―鹿。
「何度も馬鹿馬鹿言うなよ。…とにかく子供一人分くらいあるという巨大な大根をぜひ食べてみたいと思っていた」
「そんなに育っちゃってるのは観賞用よ。食べられたもんじゃないわ馬―鹿。だいいち、そんなの益々冷蔵庫に入らないじゃないの馬鹿めが」
「巨大、大根か…略して巨」「それ以上言ったら車輪の下に叩き落とすわよ大馬鹿野郎」
「……ダチにそんなタイトルの写メを送りたくて送りたくて、居ても立ってもいられなくなった俺は、そこらのスーパーとか八百屋を散々めぐった。しかし、ちっとも見つからないじゃないか!」
「鹿児島の誇りをくだらない下ネタで汚すと殺すわよ馬鹿」
「………こんな田舎の八百屋じゃ、らちがあかん!と。…そこからだったか、なんか変なエンジンが入り始めたのは」
「くそ田舎で悪かったわね馬鹿」
「………で、エンジンのおもむくままに天文館通で白熊食って、桜島大根のこと聞いて、漬物屋に行ったら丁度、漬物メーカーのおじさんが納品に来て」
「そこらへんの流れは知ってるわよ馬鹿」
「…お前、徹頭徹尾、語尾に馬鹿をつける気だな?」
「気にせず続けなさいよ馬鹿」
琴美がドン引き丸出しの笑顔で凍りついてる。沙耶はもう輪から外れてメール打ってる。…こんな馬鹿馬鹿しい下ネタから始まったのか、あの謎の放浪は。こんな奴追いかけて桜島まで渡った私は一体……。さっきは会いたかったと思ったけど、今はもう死ねと思ってる。今すぐ荷台から転げてトラックの後輪で轢かれて死んじゃえ馬―鹿。
「………まぁいい。桜島でこの時期でも食べられる大根を作っているのは、このおじさんだけだと紹介されたわけだ。今、収穫で人手が足りないというので、いくばくかのバイト代と桜島大根一本と引き換えに、労働力を提供する契約を持ちかけた。路銀は稼げるし、大根は手に入るし、一石二鳥!」
「ふーん…で、その大根どうするの。丸かじり?うちの台所は貸さないから」
「実は桜島大根はもう食べた」
「食べた?」
「桜島大根作ってる農家だぞ。3日も泊り込みで仕事してりゃ、賄いで出るわな」
「…どうでした、それだけ追い求めた大根の味は?」
河童は注意深く運転席のおじさんのほうを伺い、小声で答えた。
「…まぁ、大根、だな」
「大根が大根の味するのは当たり前でしょ。いるのよね、噂の『甘み』に期待し過ぎて、食べてみたらフルーツみたいに甘くないんでがっかりする旅行者。そんな甘い大根がお好みだったら甜菜でもかじってればいいのよ」
「…いや、旨かったよ。でも考えてもみろ。泊り込んでた3日間、毎食出るんだぞ、桜島大根が。そりゃ最初は物珍しさも手伝って素直に旨いと思ったけどよ…正直もうげんなりというか、うんざりというか…」
「現物支給でもらったのは、どうするの?」
ちら、と足の間に置かれた桜島大根に目をやる。それは傾きかけて柔らかくなった日差しの下、真珠色の肌をしずかに光らせてた。本当なら、こんな馬鹿に貰われるのはもったいないほどの、いいものなのにね。
「……要る?」
「要らない」
既にお父さんが手配済みだったみたいで、おじさんは私の顔を見た途端に、にっこにこしながら大ぶりの大根を持たせてくれた。これを持って歩くことを想像するだけでげんなりなのに、二つなんてありえない。
「君ら、どう?」
沙耶と琴美に向かって、すべすべ感をアピールするように大根を撫でてみせる。
「要らないー。持って歩いてるの、知り合いに見られたら恥ずかしいもん」
ちょっと待て琴美。既に貰ってしまった私に喧嘩を売っているのか。
「うちもパス。みんな、そんなに大根好きじゃないから」
沙耶は間髪いれずに拒否した…かと思ったら、私に向かって手を合わせた。
「流迦ん家で、ゴチになりますっ!」
…標準語の仕入先が大抵テレビなので、こういう語彙ばっかり増えてる。
「どうすっかなぁ…これ」
河童が、ポケットから煙草を取り出して、ちらっと私たちのほうを見る。何で見るのか分からなくてぼんやりしていると、そっと煙草をしまった。

――このとき、煙草吸っていい?って無言で聞かれたのだと気がついたのは、彼が去ってしばらくしてからだった。
 
 

 
後書き
第四章に続きます 
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