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ヴァレンタインから一週間

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第18話 長門有希のお引越し

 
前書き
 第18話を更新します。

 次回は5月16日。『蒼き夢の果てに』第61話。
 タイトルは『騎士叙勲』です。

 その次は5月20日。『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第4話。
 タイトルは『助っ人は二人の転生者だそうですよ?』です。
 

 
 書架と書架の間。其処で少女は、立ったまま和漢に因り綴られた書籍の内容に合わせて視線を上下させている。
 その姿は、既に世界の一部に溶け込み、まったく違和感を覚える事はない。いや、大半の人間ならば、彼女が其処に存在して居る事にさえ気付きはしないで有ろう。
 何故ならば、現在の彼女は間違いなく人払いの結界のような陣を構築している……と思われるから。

 その手の微かな違和感にも似た気配を、俺は彼女の周辺からは感じて居ますからね。

「待たせたかな」

 俺は、長門有希と言う名前を与えられた人工生命体の少女に対して、そう話し掛ける。
 尚、有希自身はこの時期……。北高校とやらに入学前の涼宮ハルヒとは出会う訳には行かないらしいのですが……。
 それでも、この図書館行きに付き合ってくれるのですから、これは、これで良いのでしょう。

 もっとも、見た目通りの読書好きと言う属性を彼女は持って居るようですから、自らが本を読む為に図書館に通っているだけであって、俺に付き合っている感覚を持って居ない可能性もゼロではないのですが。

 しかし……。
 明後日の方向に向かい掛けた思考を、彼女(有希)に視線を戻す事で、無理矢理に元へと戻す俺。
 そう。書物の世界に自然に溶け込んだ儚い雰囲気の少女と、この世界の関わり合いについての思考に。

 和田さん(水晶宮長史)の言葉を信じるのならば、有希の知って居る歴史と言うのは、異世界で訪れるはずだった未来の話。この世界では必ずしも訪れるとは限らない未来の話だと思うのですが。
 そうして、有希が元々暮らしていた世界では、未来を変える事が出来なかったとしても、この世界が俺の暮らして居た世界に近い世界ならば、未来を変える事は可能な世界のはずです。

 いや、そもそも、歴史を改竄しない限り彼ら……キョンと名乗る異世界の存在と、彼を時間移動させた未来人の少女がこの世界に登場する事が出来ないハズなので、元々、歴史を……未来を変える事が出来ない世界だ、などと言う事は有り得ませんけどね。
 この世界の場合では……。

 和田さんの言葉を信用するのならば、本来、出会うはずの無かった二人。キョンと呼称される謎の存在と、この世界に不満を持つ少女涼宮ハルヒが出会う事に因って、世界に呪が打ち込まれた、と言う話でしたから。

 そう考えていた刹那、儚げな雰囲気を放つ少女が、自らの手の内に存在する書物より視線を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。
 そのメガネ越しの視線に、何かを籠めて。

 この感覚は……。

「何か、俺に頼みたい事が有るのか?」

 俺は、彼女が発して居る雰囲気を、感じたままに問い返して見る。
 今日で彼女との付き合いも三日目。まして、彼女との間には霊道と言う、目には見えないけど、しっかりとした絆が繋がっています。これに合わせて、彼女の表情や視線などから、現在の彼女が考えて居る事を類推出来ない訳は有りません。

 少し考えた後、有希は静かに首肯いた。

 そうして、

「あなたに手伝って貰いたい事が有る」

 彼女に相応しい、落ち着いた。そうして、やや抑揚に欠けた小さな声で話し掛けて来た。
 そして、この声が本日この図書館にやって来てから、初めて発せられた彼女本人の声で有った事は間違い有りませんか。

 まして、彼女の方から何かして欲しいと言うのは……。

 ……今回が初めて。……と、そう考え掛けて、其処に少しの違和感を覚える俺。
 そう。彼女に出会ってから今までの事を改めて思い返してみると、名前を呼んで欲しいとか、自分の寝室で寝ろとか、彼女も結構、自分を主張していたような記憶も有りましたから。

 彼女の発して居る雰囲気や、言葉数が少ないトコロから、あまり自己の主張が強いようには思えませんが、それでも、結構、押して来るトコロは押して来ているような気もしますね。
 要は自分(有希)の方から言い出すのではなく、俺が彼女の雰囲気を察して水を向けているから、彼女の方から言い出したのではなく俺の方から言って居るように思って仕舞うけど、実際は彼女の方から言い出して居るのも同じ状況。

 何となくですが、上手く使われているような気がしないでもないのですが……。

「それで、俺は何をやったら良いんや?」

 俺の、彼女に対する対応を少し変える必要が有る可能性については後で考えるにして、ここは彼女の要求を聞いてみるべきでしょう。
 まして、彼女の頼みが俺に為せないような無理難題だとは思えませんから。

「この図書館の貸し出しカードを作って置きたい」

 何か良く判らない反応ですが、陰陽相半ばする雰囲気を発しながら彼女が告げて来た内容は、矢張り無理難題だとは言えない内容でしたが。
 但し、

「その行為に何か理由が有るのか?」

 一応、そう聞き返す俺。もっとも、まさか彼女が言い出した事ですから、この図書館の貸し出しカードを作ると言う行為自体が、まったくの無意味な行動。例えば単に図書館に来たついでに、今後も利用し易いように今日の内に図書館の貸し出しカードを作って置く、などと言う行為ではないとは思うのですが。

 案の定、微かに首肯いて、俺の問いに対して答える有希。
 そして、

「この貸し出しカードを作ると言う行為は、今までのわたしの記憶に有る経験では、五月の連休明けに行われる出来事。それ以前に行われた事はない」

 ……と、普段通りの彼女の雰囲気で簡潔に説明を行った。但し、少しの違和感に似た何かを同時に発しているのも事実。

 ただ……。
 成るほどね。違和感の正体はよく判りませんが、カードを作る事については納得出来ました。確か、今までの彼女の記憶の中に俺が登場する事は無かった、と言いましたからね。……有希自身が。それならば、この融合世界は有希の知って居る世界からは、三年前の段階でずれが生じている可能性が有ると言う事です。
 そのずれが生じた融合世界でのタイムパラドックスの扱いが、彼女の暮らして来た世界とは違う可能性も有りますか。

 そもそも、最初の打ち立てが、時間移動と同時に次元移動を行う事に因って、異世界からの来訪者が何等かの呪的な企てを行った結果出来上がった融合世界ですから。
 この今現在、俺と、そして長門有希と言う名前の少女が生きて居る世界は……。

 いや、ただ、もしかすると、未だ完全に違う世界の記憶だと言う保障はないのですが。

 俺は、真っ直ぐに俺の事を見つめる人工生命体の少女と視線を絡めてから数瞬の空白。かなり、陰の方向に向かいつつ有った思考を無理矢理追い出し、そして、彼女に少しの笑い顔を見せる。
 そう。彼女に対してあまり暗い表情は見せたくありませんでしたから。

 今は特に……。

「この貸し出しカードを作ると言う作業が、この世界に置けるタイムパラドックスがどのような扱いと成るのかを確認する作業、……と言う事か」

 そして、普段と変わらない調子で、そう問い掛けた。
 俺の問い掛けに、矢張りまったく遅滞する事などなく、コクリと首肯く事に因って肯定と為す有希。

 成るほど。それならば、

「だとすると、可能性としては、
 1:そもそも、何らかの邪魔が入る事に因って貸し出しカードを作る事が出来ない。
 2:その貸し出しカードを五月に作ると言う記憶の書き換えが行われる。
 3:そもそも、その未来の記憶自体が、既に違う平行世界での出来事と成って居り、問題なく貸し出しカードを作る事が出来る。
 この三つの内のどれかに分類されるかに因って、この世界のタイムパラドックスの扱いが判ると言う事か」

 俺は自らの読んでいた本を、有希の身長よりも遙かに高い位置に戻しながら、そう問い掛けた。
 そんな俺の問い掛けに、微かに首肯いて答える有希。

「俺の想像が正しければ、この世界は俺の暮らして居た世界の直ぐ傍の世界。
 それならば、選択肢の答えは『3』。俺の暮らして居た世界は、未来人に因って歴史を改竄する事は可能な世界やった」

 但し、それが、歴史に悪影響を及ぼす可能性が有るのなら、その範疇には収まりませんが。
 もっとも、所詮は彼女の図書館の貸し出しカードを作る事です。つまり、その事に因って世界の崩壊や人類の滅亡に繋がるとも思えませんから、世界の防衛機構からの介入を招くような事は起きる事などないでしょう。故に、普通に考えるのならば、そのまま問題なく、図書館の貸し出しカードを作る事は出来るはずです。

 有希がゆっくりと肯定を示す形で首を動かした。

 但し、彼女は既に気付いているはず。
 人工生命体で有る彼女の場合、記憶の中に俺が存在しない事、イコール、彼女の暮らして居た世界では、このラゴウ星事件が起こらなかった、と言う事実には繋がらない事が。

 そう。事件解決後の俺が異世界に去った後に、今の俺の記憶を持った彼女が消され、俺と出会う以前の彼女が再構成されたと言う可能性が有ると言う事に……。

「それなら、さっさと貸し出しカードを作りに行ってみるか」

 それでも、未来は変えられるはず。そう思い……。思い込む事に因って、そう、彼女に対して言葉を告げられるだけの気力を回復させる俺。
 そうして、彼女に対して軽く右手を差し出した。

 そんな俺の問い掛けに、素直に首肯く有希。そして、俺の差し出した右手に、彼女によって大事そうに抱えられていた数冊の本が手渡される。
 その様な、何気ない日常の一コマ。
 しかし、何故か、その瞬間、彼女から柔らかい気が発せられたような気がしたのですが……。


☆★☆★☆


 俺自身は生まれてこの方、マンションなどに住んだ事がない人間です。故に、ひとつのフロアーに立ち並ぶ無個性な扉から、まるで異世界の入り口に等しい違和感を覚えつつあるのですが。
 そんな、俺的には妙に没個性な異常な空間に佇ながら、少し背後に意識を向ける。

 そうして、其処からかなりの威圧感(プレッシャー)を受けながら……。

「アガレス」

 短い言葉の後、ソロモン七十二魔将の第三席。魔将アガレスの能力を発動させる。
 その瞬間、世界の理を歪ませる、奇妙な違和感のような物に包まれた。

 そう。何故か、和田亮、それに神代万結、そして長門有希の三人が三者三様で見つめる眼の前で、アガレスを起動させ、時空結界で有希のマンションの部屋を封じさせられる事となった俺。
 ……なのですが。



 尚、図書館の貸し出しカードに関しては、まったく問題なく作製する事が可能でした。
 それに、有希の記憶。現在からすると未来の出来事となる、本来、貸し出しカードを作るべき日に行われた行動の記憶は、すべて彼女の記憶領域に残ったままで、別の記憶に因って上書きされる、などと言う事もなく。
 これで、この世界と、有希が元々暮らしていた……。本来、製造され、投入されるはずで有った世界と、この世界は違う世界の可能性が高いと言う事と成ったと思いますね。

 何故ならば、この二月の半ばに図書館の貸し出しカードを作って、次の五月の連休明けに、新たに貸し出しカードを作る場合には、何らかの小細工。つまり、前に作ったカードの情報の抹消や、その時の図書館の司書の記憶の改竄などを行わない限り不可能でしょう。
 しかし、五月に図書館の貸し出しカードを作った際の有希に、そんな情報の操作を行った記憶も、そして、他者に因る情報操作の痕跡も感じない、と言う事でしたから。

 つまり、この世界に置いて彼女の持っている未来の記憶は、ほぼ意味のない物。彼女が無理に記憶の通りに歴史を進めようとしない限り、その記憶通りに進む可能性は非常に低い。そう言う代物(記憶)と成って居るのだと思います。



 それで、現在。
 何と言うか、まるで授業参観の日に母親の目の前で発表させられる子供のような、妙な緊張に包まれながらも、アガレスを起動させ、時空結界で部屋自体を包み込む。

 尚、俺よりも前に、有希のマンションの部屋の和室には、内側からは出られぬように万結が封印の札を外側から施し、それぞれの部屋に細かく結界材を置き、その後にマンションの構造材自体も簡易の結界材と為して時空結界自体の術式を複雑化した上で、俺が封印。

 これで、

 先ず、有希が元々施して居た時間凍結で、和室は通常の時空からは切り離されて居ます。
 更に、万結が施した結界術で、和室からの出入りを完全に禁止しました。
 其処に、俺が、有希のマンションの部屋自体の時間を停止させ、通常の時空からは完全に切り離して仕舞いました。

 ……と、言う事に成りますか。元々、有希以外の俺と万結は同じ系譜の術師ですから、術式同士が相反する事は有りません。更に、彼女(万結)の指し示す行は水。俺の木行とは水生木の関係で有り、相性は非常に良い。
 尚、有希の行った時間凍結は、超絶科学の結果らしいので、はっきり言うと、俺には原理がまったく理解出来ませんでしたし、おそらく、地球人に再現する事は不可能でしょう。

 そして、最後は……。

 水晶宮の長史が、口訣を唱え、導引を結ぶ。
 刹那、周囲の雰囲気が変わった。これで、後はこの階層に人払いの結界を施して、余計な一般人が侵入する事を防げば、そう、危険な事も無いでしょう。

 少なくとも有希の記憶内には、今までの周回の最中に、この時間凍結中の二人が何らかのアクションを行った事はない、と言う事です。つまり、自らが、自らの改竄した歴史を再び変えるようなマネを行わない限り、不測の事態が起きる事はない、と言う事に成ると思います。

 もっとも……。
 俺は、今、目の前に存在している、今朝まで二日間暮らして来たマンションの一室の扉を見つめながら、少し、背中に冷たいモノを感じる。

 そう。もし、そのキョンと言う存在が名づけざられし者(ハスター)や、門にして鍵(ヨグ=ソトース)、などと言う人知を超えた存在ならば、この程度の小細工など一切、通用しないはずなのですが。
 もっとも、双方とも真の姿の時は真面な知性が存在するとは思えませんか。名づけざられし者は無窮なる痴神。門にして鍵の方にしても、心の部分の存在しない、本能のみで動く存在のはず。
 何故なら、外なる神の精神の部分は這い寄る混沌(ニャルラトテップ)だと言われていますから。

 そして、もし、這い寄る混沌がこの有希の部屋の和室に存在して居るのならば、ここで顕現する事は有り得ないでしょう。
 何故ならば、ヤツはラゴウ星よりも狡猾な存在ですから。

 こんな場所で顕現すれば、ここには現在、水晶宮の長史が存在して居ます。
 彼と戦っては、如何に伝承で語られる邪神とは言っても、無事に逃げ切れるとは思えません。
 そして、ヤツが厄介なのは、ヤツが外なる神の中で唯一封印を逃れている存在だから。

 この場で顕現して、俺達と争っていたとしたら、例え、この場で倒される事が無かったとしても、直ぐに何処かの神族に捕捉され、封印か、それとも消滅させられる事と成ると思いますからね。
 流石に、其処までの危険を冒してまで為したい事が、この世界に残って居るとは思えませんから。

「それでは、忍くんは、最後に人払いの結界を施した後に、我々の後を追って来て貰えますか」

 有希の部屋に対する最後の結界が施された後、俺と有希の方に振り返ってから、そう告げて来る和田さん。

 そう。これは当然、有希の部屋の和室に存在する可能性の有る、危険な魔法を身に付けた相手を完全に封印する為の作業。
 そして、それは……。

「新しい部屋が、長門さんの気に入って貰えると嬉しいのですが」

 水晶宮に因って用意された、有希の新しい部屋への引っ越しを意味する事。

 そう、俺と有希。いや、おそらくは俺に言った後、俺の左側に立つ万結に目線のみで合図を行う和田さん。
 そして、その一瞬後、この場から消えて仕舞う二人。

 成るほどね。これは、彼ら二人の気を捕まえてから、正確にその場を割り出して着いて来いと言う事なのでしょう。
 そして、俺と有希の内で、先に転移魔法を使用して移動した二人の気を捕まえ、その場に正確に転移魔法を使って移動する事の出来る人間は俺の方。つまり、これも俺の能力を試す為の試験と言う事でしょう。
 そうしたら……。

 俺は、転移魔法を使用して二人を追う為に、有希の顔を見つめる。
 しかし、彼女は……。

「大丈夫。確かに俺は、新しい有希の部屋の有る場所は知らない」

 俺を上目使いで見つめたまま、少し微妙な気を発する有希。その有希の放つ雰囲気から彼女の感じて居る疑問を推測して、そう答える俺。
 そして、更に続けて、

「当然、俺は、その有希の新しい部屋に行った事もない。西宮の地理にも疎い。しかし、其処に居るはずの和田さんや万結の居る場所に転移魔法を行う事は、そう難しい事ではない」

 ……と、続けた。
 但し、これには少しの欺瞞が存在します。それは、難しくない、と言う部分。
 確かに、和田さん()万結(彼女)の気は掴んでいる心算です。しかし、それは流石に絶対では有りません。
 故に、これは俺の能力を知る為の試験のようなモノと言う事。

 この程度の事ぐらい熟せないのならば、ラゴウ星の顕われる場所には向かわせてはくれないと言う事なのでしょう。
 まして、このラゴウ星への対処は、この世界の存亡を掛けた戦いと成る可能性も有る。
 この程度の試験も真面に熟せない人間に、そのような大事を任せられる訳は有りませんから。

 しかし、俺の答えを聞いた彼女は、更に強い疑問の色を浮かべている。
 そして、

「あなたは相手の思考をリーディングする事が出来るの?」

 ……と聞いて来た。
 そして、その時の彼女から発せられているのは警戒。

 もっとも、それは当然でしょう。相手の思考を読む事が出来るリーディング能力者などに傍に居られると言うのは、流石にあまり気分の良いモノでは有りません。
 多少は、警戒されたとしても、有希を責める心算は有りません。

 但し、それ故に、正直に答えて置く必要は有りますか。それに、有希が何かの際に、俺の式神に付いての伝承に触れる機会がないとも限りません。
 その際に知られるぐらいならば、初めから明かして置いた方が余程マシですから。

「それは、俺がESP能力者かと言う質問ならば、その答えは否」

 最初に、有希の問いに対してそう答える俺。その瞬間、有希からは、少し安堵に近い色の気が発せられる。
 ここまでは、ほぼ想定通り。幾ら、彼女が人工生命体とは言え、彼女も心を持つ存在。そんな存在が、傍に心を読む人間に居られる事を好む訳はないでしょう。

 しかし、更に続けて、

「しかし、俺の未来に於いては、俺にはリーディングが行使可能と成って居る可能性も有る」

 ……と、答えた。
 その俺の答えを聞いた有希から、少し微妙な、いや、これは間違いなく陰の気に分類される気が発せられた。

「有希も知って居る俺の式神の中に、ソロモン七十二の魔将の一柱、魔将ダンダリオンと言う式神が居る。
 彼女の職能の中にはあらゆる存在の心を知り、そして操る事が出来る、と言う物が有る」

 俺は、彼女から発した陰の気。つまり、警戒感に関して気付いていないかのような自然な雰囲気で、それでも、普段よりは少しゆっくりと有希に対してそう告げた。
 そう。流石はゲーティアに記された知恵の女神。彼女(ダンダリオン)の職能は、無駄口の海で溺れるだけではないと言う事。

 但し、

「今の俺の連れているダンダリオンの能力では、ダンダリオンの鏡技能は行使出来るが、リーディングや誓約(ギアス)技能は使用不能」

 これは、おそらく俺と、そのリーディングや誓約技能は相性が悪いのでしょう。
 特に、誓約技能は、相手の意志を自在に操る技能。つまり、相手に望まない行動を()()()()取らせる行動。このような行動は、どう考えても徳が下がる結果と成り、俺自身の能力が使用不能と成る可能性が高く成りますから。

「まして、例え使用出来たとしても、リーディング技能を生来の能力として有して居る能力者ではない俺が、軽々しく相手の思考を読む、……と言う行為を行う事は非常に危険な行為に成るから、ダンダリオンに間違いなく使用を拒否される」

 それで、現実的に考えるのならば、無理に有希の思考を読む必要は有りません。判らない事が有ったら、彼女に聞けば済むだけ。その答えが言いたくない事。聞かれたくない事ならば、そう俺に告げたら良い。ただ、それだけの事。
 今までだって、俺は彼女に対して契約者としての態度ではなく、対等な相手に対する態度で接して来ました。それを、急に変える必要はないでしょう。

 この、今、有希が発して居る危惧に近い気の正体は、彼女の知って居る未来について、俺に知られると言う事に対する危惧なのでしょう。
 人間に取っては、未来の出来事を知る、と言う行為は、何事にも代えがたい蠱惑に満ちたモノで有るのは間違い有りませんから。
 未来の情報を知り、それに対して上手く立ち回る事が出来たのならば、その人間には大きなアドバンテージが与えられる可能性が高いですからね。

 もしくは、自らの造物主。統合情報思念体に関して知られる事を恐れているのか。

 もっとも、この部分に関しては、彼女自身が、その思念体に対して、ある程度の疑念を抱いているらしいので、思念体の事を知られる事を恐れて居る訳では無く……。
 有希自身が、思念体の命令に従って、為して来た行為に関して知られる事を恐れている可能性が高いですか。

 しかし、

 俺は、少し不安げな雰囲気を漂わせる少女の精緻な玲瓏たる容貌(かんばせ)を瞳に映す。
 その俺の視線に気付いた少女が、珍しく彼女の方から俺の視線から逃れるような仕草で視線を外した。

 しかし、彼女が思念体の命令に従って何を為して来ていたとしても、それは、生殺与奪の権を完全に握られた相手に強制的にやらされて来た事で有って、彼女自身には大きな罪が有るとは思えません。
 ロボット工学三原則でも、
 第三条 ロボットは、自己を守らねばならない。
 ……と言う項目が有りますから。

 もっとも、これに関しては大前提。
 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することに因って、人間に危害を及ぼしてはならない。
 ……と言う部分が存在しているのですが。



 そんな事を考えながら、しかし、表情、及び雰囲気には、その思考を一切、臭わせる事もなく破顔一笑。
 そして、

「何故、リーディングが危険な行為なのか、と言う部分についての説明をするから、聞いて貰えるかな」

 ……と、有希に問い掛けた。
 それに、不必要に彼女を追いこむ事が、俺の目的では有りませんから。

 俺の、そんな意図に気付いたのか、それとも気付かなかったのかは判りませんが、それでも、俺の言葉に興味を抱いた事は確実な雰囲気を発した後、有希は微かにひとつ首肯いて見せる。これは、当然、肯定したと言う事。

 それならば……。



 リーディングを行う人間は、先ず、相手との精神力の戦いと成ります。ここで、相手の精神力の防壁を破らない限り、そもそもが、相手の思考を読むなどと言う行為を行う事は出来ません。
 もっとも、一般人の精神力の防壁を破る事は、そう難しい事ではないと思いますけどね。

 次に、相手の思考を読むと言う事は、相手にも、自分の思考を読まれる危険性も有る、と言う事でも有ります。相手の精神力の防壁を破りながら、自分の思考はきっちりガードして置かなければ、リーディングを行う意味が無くなって仕舞いますから。



 ここまでで、少し話を中断して、有希の様子と、彼女の発して居る雰囲気の確認を行う俺。流石に、この段階で疑問符の方が多い場合、ここから先の説明は、更に意味不明で抽象的な内容と成る事が確実ですから。
 そう考えてから、普段よりも少し感知の能力を上げて、彼女が発して居る気を掴む俺。

 ……大丈夫。彼女から発せられている雰囲気は疑問符に彩られたモノなどでは有りません。これは、彼女が俺の荒唐無稽な説明をちゃんと理解してくれていると言う事。

 それならば、

「もし、この段階で相手の能力……精神感応力が高かった場合は、そのまま意識を相手に乗っ取られる危険性が有る」

 再び、息を整えた後に説明を開始する俺。

 俺達の間では、そのような相手の精神に乗っ取られた状態の事をシンクロ(同期)現象と呼ぶのですが、どっちかと言うと憑依現象って、表現した方が良い状況ですか。もっとも、もし、そんな状態になったとしたら、その時は相手の操り人形状態ですから、呼び名が、同期現象だろうと、憑依現象だろうと大して差はないのですが。

「相手の思考を読むだけで、ここまでの危険性や問題が有るんや。そうそう試せる訳はない。もっとも、相手がそれなりの術者や能力者ではない一般人ならば、思考を読む事ぐらいならば、簡単なモンなんやろうけどね」

 少し、軽口めいた口調で、そう伝えて置く俺。
 まして、リーディング能力者は、その能力に覚醒した瞬間から、相手の思考と、自分の思考を明確に分けて置く事が可能なのですが、俺にはそんな便利な能力は有りません。

 つまり、最悪の場合は、同期した相手と俺の思考の境界線が曖昧になって、ヘタをすると後遺症のようなモノが双方共に残る可能性だって出て来ます。

「故に、ダンダリオンは、俺が相手の思考を読む行為を禁止する、と言う訳やな」

 まぁ、俺に説明が出来るのは、この程度のレベルが限度なのですが。コレ以上の説明は、本職のセンセイにでも聞いて貰う必要が有ります。もっとも、そんなセンセイが居るかどうかは知らないけどね。

「では、何故、あなたはわたしの思考が判る」

 俺の説明を聞いた有希が、更に質問を続ける。
 成るほど。最初からそうだったけど、昨夜からは特に、彼女が何か問い掛けて来る前に、彼女の問いの内容を理解し答えていたような気もしますか。
 流石に、そんな事を繰り返していたから、俺にリーディングの技能が有ると思われたとしても不思議では有りませんでしたか。

「それは……。有希との前後の会話の内容。オマエさんの会話の間。表情。雰囲気。仕草。視線。言葉の強弱。これだけの情報が有れば、大体、有希が今、何が話したいのかは、察しが付く」

 但し、それだけに頼っているとイタイ目を見る事と成る可能性も有るのですが。
 俺に取って、女性が本当の意味で何を考えているのか、など判る訳は有りません。但し、ある程度、理解する事、想像する事ならば可能ですから。

 少なくとも、霊道で繋がっている有希が発して居る雰囲気が、冷たくて、哀しい陰の気に彩られた物か、それとも、温かくて、楽しい陽の気かぐらいは簡単に判別が付きますよ。

「了承した」

 有希から、普段通りの短い返事で会話の終了が告げられる。しかし、彼女からは、やや明るい雰囲気を感じる事が出来たのですが……。
 俺の言葉から俺が感じた事を、彼女も同じように感じ取った、と言う事なのでしょうね。

 俺が、言葉数の少ない彼女から情報を得る為に、常に彼女を視線や感知能力を使って情報を収集し続けて居た、と言う当たり前の事実に、ようやく自分自身でも気付いたと言う事を。

 それにしても……。俺は、俺の事をやや上目使いに見つめる少女から、少し視線を逸らしながら、
 矢張り、一番情報量が多いのは、気を読む事だと確信させられていたのですが。

「そうしたら、最後に、この廊下に人払いの結界を施してから、あの二人を追い掛けるけど、構わないな?」

 この場で行う最後の仕事の結界材に、自らの霊気を蓄えながら、自らの右隣に立つ少女にそう問い掛ける俺。
 そして、今度は、少女も小さく首肯く事に因って、答えと為したのでした。

 
 

 
後書き
 同期とか、憑依とか意味不明ですが。
 今回の話の意味が判らない。そして、直ぐに意味が知りたいのなら、『蒼き夢の果てに』の第27話を読んでみて下さい。もしくは、第63話も今回の話に関係する内容となって居ります。
 第63話に関しては、未だ公開してはいないのですが。

 それでは次回タイトルは『有希の初陣』です。

 
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