戦国御伽草子
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参ノ巻
文櫃
3
「瑠螺蔚っ、すまんこの父を許してくれっ!」
訳もわからず結構な距離を運ばれて、放り込まれたのは知らない屋敷の真っ暗闇の部屋の中。
「ふむっ!?」
本当に文字通りあたしは放り投げられた。受け身もとれず、べしゃりと落ちたのは畳ではなく何か柔らかい布の上。でもそんなことどーでもよくて、あたしは自由になった手で口元を覆う布を毟り取ると、即座にたった今閉められた板戸に駆け寄った。
くっ・・・開かない・・・!
案の定というか、何というか、入り口は固く閉ざされたまま、揺すっても叩いてもびくともしない。
「ちょっと父上!何ふざけてんのよ!開けなさいよ!」
「姫?」
急に嫋やかな声が結構近い距離でして、あたしは思わずひっと息を呑んで固まった。
あ・・・あたし、今気づいちゃいけないことに気づいちゃったかも、ははは~・・・。
あたしがさっき飛ばされた柔らかい布、布って言うか、厚みのある・・・あれ、布団、じゃない?
てことは、てことはよ。ここは、どこかの寝所・・・ってことに、ならない?
なんで、あたしが実の父親にどこぞの寝所にぶち込まれなければならないのか。
もしかしなくても、あの文櫃が問題だったに違いない。
あたしはぎりぎりと歯ぎしりしたい気分だった。
櫃の中の文に何が書いてあったかは今となってはもう知る術はないけれど、あたしに関わる何か、もしくは前田に関わるなにかだったことは明白で・・・。
父上の、あほんたれーっ!せめて、内容ぐらい教えなさいよっ!
この身に何が起きるのかわかれば、対抗策もとれただろうけど、父上も伊達にあたしの父上やってないわ。それも考慮に入れて、知ったらあたしが逃げるとわかって何も言わなかったに違いない。我が父ながら、よくよくあたしの事をわかってる。
「・・・姫?」
も一度、声がした。
優雅だけどそれはしっかり男の声である。
・・・ここが、寝所だと仮定してよ。
中に男がいるとする。そこにあたしがぶち込まれてこうして閉じ込められてる訳でしょ。
ど、どう考えても最悪の方にしか思考が働かないんですが・・・。
あたしは闇に目が慣れてきて、部屋の中が一通り見渡せるようになってきた。
案の定、部屋の真中には布団が敷いてあって、その横、思ったよりも近い位置に・・・人影が・・・。
「な、なっ、あんた誰よっ!?」
「徳川洪一郎亦柾です。お忘れですか」
「えっ、亦柾?」
あたしは男の口から想定外に知っている名前が飛び出してきて面食らった。
亦柾、っていえばあれよね。由良と縁談が持ち上がってあたしがぶちこわしにいった徳川家の嫡男よね。
「え、なんであんたがここにいるの?」
あたしは先刻よりも大分落ち着いて言った。
「・・・螺蔚姫は何もご存じないのですか?」
「うん。知らない」
亦柾は驚いたようだった。
それから笑い出した。
「ああ、それで・・・。わたしも急な話なのにすんなりいくなとは思っていたのですよ。あれだけ意固地だった螺蔚姫をどうやって説得したのかと。しかし・・・前田の忠宗殿はなかなかの・・・方ですね。実の娘を・・・いやいや」
「ちょっと、あんたひとりで納得していないであたしにも説明しなさいよ!」
「わかりました。立ち話も何ですから、こちらでお座り下さい」
亦柾が指したのは、なんと布団だった。
「いくわけないでしょ。そこで話しなさいよ」
「男として姫を立たせたままではいられませんよ」
「・・・」
あたしはその場にすとんと腰を下ろした。
「座ったわよ」
「直床で足を痛めるといけないのでこちらに」
亦柾は笑ったままそう促す。
あたしは目を据わらせるとずかずかと亦柾に近づき、やわらかそうな布団を一枚剥ぎ取ると、素早く板戸の前に戻り、それを敷いて座った。
亦柾はそんなあたしを見て、声を出して笑った。
「本当に螺蔚姫は楽しい方だ」
「お褒め頂き光栄デス。あとあたしは瑠螺蔚で螺蔚じゃないから」
「そうですね。螺蔚姫」
「だから・・・っ呼び方は今どうでも良いとして、話よ話。一体何がどうなってあたしはこんなところに閉じ込められなきゃなんないのよ!」
「そうですね、押し問答をするのも楽しいですが、螺蔚姫に嫌われては元も子もないですし」
そうして亦柾はことことと話し始めた。
事の起こりは、徳川政稜と前田忠実とかいう、あたしたちのおじいちゃんにあたる当時の徳川前田両家の当主だった。
今は疎遠だけれども、その時その二人はエラい仲が良くて、そのうえ良い競争相手でもあったらしい。
「そこで、二人は約束をしたらしいのです。前田家と徳川家で、二代の後、石高が高かった方から低かった方へ姫を嫁がせる、と。遊びの延長だったのかもしれませんが、わざわざ証文を作り、判を押し、特別に作らせた櫃に入れて保管しておいたようです」
そうして、徳川と前田の正式な判が押された証文は、後世にまでしっかり受け継がれた。
姫を何歳で嫁がせるかは双方で相当揉めたらしい。
こっちとしては本当にどうでもいいことなのだけれど、十三でははやすぎるしかし十八では遅い・・・とのことで、姫が十五か十六に輿入れさせることが決まった。
「無責任よー!」
聞き終わった瞬間、あたしは叫んだ。
「側室なんて、イヤー!」
「側室?」
「え、側室じゃないの?」
「正室ですよ」
「でも、イヤー!」
そう思えば、全ての謎は解けてくる。
きっと、父上は、そんな何代も前に取り交わされた証文のことなんぞころりと忘れていたに違いない。
それをあたしが掘り出してきたもんだから、もう十六歳のあたしに時がないと焦って・・・焦って・・・え、なに?焦って、あたしを亦柾のいる部屋に閉じ込めて?え、っと、つまり・・・。
「私は螺蔚姫で光栄ですけれど」
ふとその声が思ったよりも近いところでするのに気づいて、あたしは仰天した。
亦柾が、なんと二足先の距離にいつの間にかいたのである!
「ち、近寄んないでよ!」
あたしは慌てて立ち上がったけれど、背を板戸に預けているのに気づいて、思わず舌打ちした。
「螺蔚姫は知らぬ事と思いますが、明日は祝言です」
「え?あ、ああ、そう。誰の・・・」
「私と、姫の」
「はあっ!?」
「私は、螺蔚姫がここにいらっしゃるのは、全て同意の上だと聞いていたのです。しかし、そのご様子。忠宗殿も酷なことを為さる。螺蔚姫には、御同情申し上げます」
「そ、そうでしょうそうでしょう。もっと同情してくれても良いのよ」
「ですが、婚姻など自分の意のままになる方が少ないこの戦の世。前田という家を背負って立つ螺蔚姫もわかっておられるでしょう。私達の意思など、そもそも問題ではないと」
「そっ、そんな、そん・・・」
亦柾が、一歩、あたしに近づいた。
「あ、あた、あたし、駄目だから!」
あたしは混乱して叫んだ。
「駄目とは?」
亦柾の声が優しく囁く。近い、近いったら!
「あたし、もう、将来を誓い合った人が・・・」
「無効ですね」
亦柾は断言するようににっこり笑った。そして背けたあたしの顔のすぐ横に、亦柾の両手がそっと囲うように着かれた。あたしは開かないかと一縷の望みをかけて板戸を押したけど、やっぱり開かない。
「あたし、その人じゃないと駄目だからっ!こ、こんなこと、知ったらあんたなんて斬られちゃうんだからね!強いんだからね!」
「姫・・・そんな男など・・・忘れさせて、差し上げます」
亦柾の指が、あたしの頬に触れた。
や、やばい本当に本当にやばいかもしれない・・・。
最後まで諦めないと覚悟して、噛みついてやろうと口を開けたその時だった。
あたしが背にしていた板戸が、いきなり開いたのだ!
あたしは開いた拍子にがつんと頭を打ち、痛みでその場にしゃがみこんだ。
「高彬殿・・・!?」
亦柾の声で、あたしは驚いて顔を上げた。
肩で息をしながら、大きく戸を開けているのは、紛う事なき高彬その人だった。後ろには徳川家の家人達が転がってたり、戦々恐々と言った体でこちらを見ている。
「高彬っ!」
これほど高彬の姿を頼もしく思ったことはない。あたしは勢いで高彬に抱きついた。兎にも角にも密室から解放されたのだ。とりあえずの危機は過ぎたとあたしは安堵で腰が抜けるようだった。
「あんた、どうして・・・」
高彬はさっと視線をあたしの着物に走らせた。
「忠宗殿が置いていった証文を見た。忠宗殿なら、こうなるかもしれないと思ったけど・・・良かった、間に合って」
「え?でもあれ、櫃は・・・」
「緊急時だと判断して、壊させて貰った」
ええ?でもあれ、どうやって壊したんだろう・・・。
「・・・無礼なことをするね、佐々の高彬殿は」
不意に部屋の中から声がした。笑顔の亦柾が出てくるけれど、わ、笑ってないでしょ、あれ・・・。あたしは高彬にぎゅっとしがみついた。
「無礼なのは、そちらでしょう、亦柾殿」
「こうして無断で徳川家に侵入しておいて?それに先ほど、証文を見たとおっしゃいましたね。ではおわかりでしょう。あなたの出る幕ではない」
「いいえ。何故なら、私と前田の瑠螺蔚姫は幼き頃より将来を固く誓い合った身だからです」
ほえぇ!?なっ、なにを言うんだ高彬は!
幼き日に将来を誓い合ったなんて、全然、ちっとも、身に覚えがないぞ!
父上が高彬と交わした証文も、たかが一年前、祖父の代からある証文には及ぶべくもないだろうし・・・。
「ですから、証文は無効なのです。亦柾殿」
語気強く高彬は言った。
「そのような戯れ言、本気にするとお思いか。ねぇ、姫?それとも、螺蔚姫は先ほど言っていた将来を誓い合った男が、この高彬殿とでも言うのですか」
「えっ?あた、あたしは・・」
いやさっきのは完全に口から出任せでしたけど!
でぇえぇい!女瑠螺蔚、覚悟を決めてやる!
じゃなきゃ明日には、亦柾の数ある妻のひとりだ!そんなの、絶対に、嫌ッ!
あたしは、半ばヤケクソ・・・いや意を決して、答えた。
「そうよっ!高彬の言うとおりよっ!あたしと高彬はぶっ契りの仲なんだからっ!」
後書き
例の名言を使わせて頂きました。
どこかでも書きましたが、そもそも戦伽はこの参ノ巻ぐらいまでは小説の練習用に戦国時代でただ原作の出来事を追うだけの話でした。
鷹男の入道の変も、この話も。本当にまんまだなーと思います。
ただやっぱりそれじゃ面白くないかなーと色々書き換えたり勝手に方向が変わったりしたのが今の戦伽です。
ぶっ契りも変えようと思ったのですが・・・上手い言葉が見つかりませんでした。うーん。なのでここは書き直すかもしれません。
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