戦国御伽草子
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参ノ巻
文櫃
4
「あー疲れたっ!」
佐々家に帰ってきたあたしは呻いて脇息に凭れかかった。
「それにしても、よくあれで収拾がついたものよね・・・」
ついつい呟きが漏れてしまう。
例の一件は、結局、収まるところに収まったのだった。
大衆注視の中、無我夢中だったとは言え我ながら恥ずかしいことを叫んだものだと思うけど、あたしと高彬が、その、ち、ちぎ・・・いえ、いい仲だとなれば、そもそも徳川と前田の絆を深めるためのあの証文も意味を成さない。そして佐々家を敵に回してまでわざわざ傷物である姫を奪い取るほど、徳川家は困ってはいない。あたしは本当に、高彬と夫婦になるしか、道はなくなったのである。
そしてもし、あたしが高彬と一緒にならないとなると、今度は亦柾と添い遂げなければならなくなる。
亦柾と高彬に板挟みにされて、二者択一。どちらかを選べと言われたら、そんなの、顔は良いけれど浮気者の亦柾より、顔はまぁ、いい男だし、妻はあたしひとりだと言ってくれる高彬を選ぶしか、ないじゃないのぉぉぉ!
浄土の蓮華座に御座す亡き母上。
二番目の、亡き優しい御義母上。
美しく聡明であった、亡き兄上。
浮気性で甲斐性もなくて一人娘も証文ひとつで売り飛ばしてしまう殺しても死ななそうな、父上。
兄上を失われて、毎日泣き暮らしていると思われるであろう、姉上様。
そして運命に弄ばれまくっている、かわいそうな、このあたし。
嗚呼!皆々様この先一体瑠螺蔚はどうなってしまうのでせうか。よよよ・・・。
ヤケになったあたしが悲劇の姫ぶりっこをしていると、横から高彬が呆れたように口を開いた。
「よくもそう、ころころと表情を変えられるものだね」
「ほっといてよ。進退極まってるんだから」
「進退極まるも何も・・・はぁ。瑠螺蔚さん、良い機会だからちゃんと確認しておきたいんだけど・・・」
「ん、なに」
「その前に、こっち向いて」
「向いてるじゃないの」
あたしはそっぽを向いたまま答えた。
「向いていないでしょう。もっとちゃんと」
「向いてるったら」
高彬は溜息をつくと、強引にあたしの身体に手をかけて、あたし達が正面から向き合うようにしてしまった。
「女の子の身体に急に触らないでよ!訴えるわよ」
「訴えるって、どこに」
「鷹・・・織田三郎宗平、様!」
「瑠螺蔚さん・・・」
高彬の溜息は深くなる一方だ。あたしは本当のところ、高彬が今なにを言い出すのか気が気じゃなくてどうにか真面目なような、そうでないようなこの空気を誤魔化したい。・・・絶対に、高彬がこれから言うことは、恥ずかしいことに決まってる。だって高彬も、なんだか・・・緊張してるんだもの。それがわかって、あたしも緊張してしまう。
「瑠螺蔚さん」
高彬の声に懇願が混じってあたしはしぶしぶ高彬を見た。やっぱり高彬は緊張している。ぴんとはりつめたような表情は、なんだか、いつもより少し、男らしく見えなくもない、かもしれない。
そして高彬はあたしを見詰めたまま、口を開いた。
「改めて言う。僕は、この先どんなことがあっても、あなたに傍にいて欲しい。僕の、ただ一人のひとになって」
「・・・」
高彬の真剣さにあたしは声が出ない。
あたしが高彬と夫婦になるのはもう決定事項だ。それでもこうして聞いてくれるのは、高彬の優しさと・・・そして不安の表れなのかもしれない。多分、多分だけど、あたしが本気で嫌がれば高彬はきっと笑ってなかったことにしてくれる。例え誰になんと言われようと、高彬との婚姻の話も、なしにしてくれて、それできっと力の全てで徳川家からも守ってくれるだろう。高彬は、優しいから。優しい、から・・・。
目頭が熱くなり、見つめ合ったままの高彬がぼやける。
あたし、なんで・・・悲しい訳じゃ決してないのに、どんどん昂ぶる感情が瞳に集まり熱く、溢れ出しそう・・・。
その涙が零れるよりはやく、高彬の腕があたしを強くかき抱いた。
「・・・言って。はいと」
高彬のくぐもった声がする。あたしは高彬の肩に頬をつけたまま、閉じた目蓋を震えさせた。
「・・・はい」
高彬の腕の力が強まる。あたしの頬を涙がつたい流れて高彬の衣に落ちる。
「・・・もう撤回は聞かないよ」
「しないわよ、ばかね・・・」
なんだか泣いたのが恥ずかしくてあたしは照れ隠しに顔を伏せたまま笑った。
「あんたこそ、後悔するんじゃないわよ。悪いけど、こんなあたしを娶ろうなんて物好きな男、なかなかいないわよ?我ながら世間一般で言うおしとやかな姫にはほど遠いし・・・」
「瑠螺蔚さんは自分のことをもっとよく知るべきだね。僕は今さっきも、徳川家から奪い取ってきたばかりだと言うに」
「それは、『前田の姫』が欲しいからよ。あたし自身じゃあないわ」
「さて、それはどうだろうね」
高彬は苦笑したようだった。なによ、それは。亦柾なんてなにをどう考えてもあたしのことからかって遊んでいるだけでしょう。
「瑠螺蔚さん・・・」
「失礼致します、高彬様、こちらにいらっしゃいますか」
高彬が優しくあたしの名を呼ぶ、その時外から控えめな声がした。
「えっ!?」
「え?」
あたしは部外者の声に驚き咄嗟に高彬を突き飛ばしてしまった。
「あ、ご、ごめん。わざとじゃないのよ、わざとじゃ。驚いて・・・ほら、誰かあんたになんか用みたいよ」
あたしは誤魔化すようにあわあわと言った。
「なあにーどうぞー」
そして動揺したまま、捲し立てるように勝手に返事をした。
「失礼します・・・」
からりと開いた障子の向こうに顔を出したのは侍女のようだった。その顔を見た高彬が、おやと言うように顔を上げた。
「見かけない顔だけどー・・・」
「は、はい。先月から、こちらで働かせて頂いております、雪と申します。あ、あの、尉高様から、あの、宵の話の抓みに一献でもと・・・」
「尉高義兄上が?憎い方だ」
高彬は嫌味なく笑った。尉高ってやつのこと悪く思ってないみたい。ふうん。誰だろ。とりあえず高彬に嫉妬しまくってる根性ねじ曲がった義兄どもの一人ではないらしい。
「義兄上が余計な気をまわして下さったようだから、ありがたく受け取ろう。そこに置いておいて」
「はい」
雪という侍女が盆から杯やら提子やら置いている間、あたしは高彬ににじり寄って聞いた。
「ねぇねぇ尉高、って誰」
「尉高義兄上?歳は僕と十ほど離れておられるが、素晴らしい方だよ。大局を見ることのできる器の大きな方だ。僕など足下にも遠く及ばない」
高彬は遠い星に手を伸ばすようにそう言った。へー。ほー。高彬がこう評すぐらいだから、相当な人間なんだろう。ふむ。佐々家もまだまだ捨てたもんじゃないって事ね。まぁそもそも高彬がいるから大丈夫だろうけど。
「あ、杯はひとつでいいわ」
「え、瑠螺蔚さん酒駄目だっけ?」
「あー・・・うん、飲めるのよ。飲めるんだけどー・・・。何でか知らないんだけどさ、あたし一度調子に乗って飲んで記憶ぶっ飛んで、起きたら兄上がもう絶対飲んじゃだめだー!って凄い勢いで」
「ふぅん」
「だからさ。あ、ねぇ、白湯はないの?それなら付き合うわよ」
「はい、ございます」
「義兄上も、随分用意の良いことだ」
高彬は苦笑した。
「雪、ありがとう。もういいから尉高義兄上には宜しく伝えてくれ」
「はい。畏まりました」
そうして再び部屋はあたしと高彬の二人きりになった。
「ねぇ、高彬、あんた、酒乱・・・ってことはないわけ?」
あたしはくすくすと笑いながら言った。すると高彬は呆れたように答えた。
「それは、瑠螺蔚さん、あなただろう?酒を飲んで、記憶がなくて・・・なんて、案外大暴れでもしたんじゃないの?」
「あたしが?大人しい姫の代名詞であるこのあたしがそんなことする訳ないでしょ」
「瑠螺蔚さんがホントに大人しい姫であったなら僕はこんなに苦労してないよ」
「それは・・・まぁ、ゴメンね。これからは大人しくするよう心がけるわ。・・・多分」
数々の所行が蘇ってあたしも素直に謝るしかない。
「そうであるよう願ってるよ」
「ご期待に添えるよう努力しマス。ほら杯持って」
あたしと高彬はささやかに笑いあった。
なんだか、むずがゆいような変な感じだけど、こんなのも、悪くない。
「あたしが高彬に酌するなんて・・・おっきくなったわねぇお互い」
「もういくつだと思ってるの」
高彬は笑いながら一息に杯を干した。
「ほら、瑠螺蔚さんも。喉渇いているだろう」
「仕方ないわねぇ、注がせてあげるわよ」
あたしも高彬に白湯を注いで貰う。たぷたぷと、湯は杯に満ちた。
はぁ。今日だけでも本当に疲れたわ。
あたしは疲れを振り切るように、それを一息に飲み干した。
「僕もちょっと貰おうかな」
「白湯を?いいけど・・・」
あたしは何事もなく、提子から高彬の持つ杯へと白湯を注いでいた、その筈だった。
それはもう、自分の意思と言うよりもほぼ反射だった。
あたしはいきなり提子をぱっと手から離すと、高彬の手にある杯を叩き払った。
下の畳には提子にたっぷりと入っていた白湯がこぼれ落ちて膝を濡らし、あたしに薙ぎ払われた杯は、無様に後ろの襖に叩き付けられて落ちた。
「何を・・・!?」
驚いている高彬。その姿が、ぶれる。
「ぇあ、」
それが、自分の出した声だと言うことに、少したってから気づいた。ぐぅわと逆らいがたい嘔吐感が昇ってきて、あたしは高彬の前だというのに吐いてしまった。
おかしい、色が、真っ赤だ。
ごぼり、ごぼりと変な音を出しながらあたしは血を吐く。
―・・・白湯・・・、毒・・・。
きっと飲み込んだ白湯も吐き出してしまっただろうに、血は止まらない。驚くほどの量の血を、だらだらとあたしは吐いていた。
こんな即効性で無味無臭で強い毒なんてあるの?
高彬、白湯を飲んではいけないと言おうとしたけれど、あたしが全て自分で叩き音していたことに気づいて安心する。どうやら、頭も回ってないみたいだ。
手も衣も畳も全てがあたしの血で濡れている。体中の血を吐き出そうとでもするかのように、あふれ出る血の塊を喉に詰め、あたしは咽せた。
ああ、これはー・・・助からないわ。
逃げられない死を前にした人間は皆そうなるのか、あたしはなぜか、とても冷静だった。
胸が熱い。
ああ、バカだったなぁ・・・。今更後悔してもしょうがないけれど、もうちょっと警戒するべきだった。あたしが飲んだから良いようなものの、これが高彬だったら、あたしは後悔してもしきれない。
呼吸が詰まる。背を撫でる感覚があって、あたしは薄く瞳を開けた。途端に、高彬の顔が視界に飛び込んでくる。
思わずあたしは状況も忘れて笑いそうになった。
・・・なによ、泣いてるじゃない。男のくせに・・・。
高彬は必死で何か叫んでいる。それがあたしには何故か聞こえない。声が聞きたくて、その唇に指を寄せようとしたら、高彬の手が被さり頬に強く押しつけられた。高彬の涙にあたしは触れる。
ねぇ・・・泣かないでよ高彬。
高彬に体調が悪そうな様子がないことにあたしは安堵する。良かった。酒の方には何も入ってなかったみたいだ。狙いはあたしってことだ。良かった。
目蓋が重い。身体が重い。感覚まで全て鈍り痺れ、地の底まで沈んでいくような暗い重さが、あたしを優しく掴み引く。
もう、眠りなさいよと誰かが言っている。
もう、いいじゃない、と。おまえの運命は、ここで尽きるのよ、と。もう十分生きたでしょう、と。
運命、なんて・・・。
「瑠螺蔚さーん、瑠螺蔚さーん」
高彬の泣き声が耳の奥で聞こえる。小さい高彬の声が。高彬はずっと、あたしを探して泣いていた。小さい時も、そして今も。
「瑠螺蔚さーん、どこー瑠螺蔚さーん」
からかっても何しても高彬はあたしについてきていた。ぐしゃぐしゃのみっともない顔で。
高彬、あんたがね、あたしを好きだって言ってくれるのは嬉しいの。ホントよ。やっぱね、嫌いだって言われるより好きって言われる方が嬉しい。照れるけど。
ただね、あたし思うんだ。高彬の好きって言うのは、恋愛の好きなのかなって。あたしと小さい時から一緒にいたから、ずっとあたしを探してくれるのが習慣みたいになっているから、これからもあたしと一緒にいなきゃって思ってるんじゃないのかなって。
もしそうなら・・・それは二人にとって決して幸せなことじゃないよね。
あたしはこのまま死ぬんだろう。動かせない身体。自分でわかる。多分、助からない。
高彬。
心配かけてごめん。苦しめてごめん。
ねぇ、だから高彬、もう義務みたいにあたしを探さなくて良いんだよ。
高彬・・・。
あんたはいい男よ。縁談だって、山ほど舞い込んでるの、あたし、知ってるんだからね。そしてそれを全部断ってるのも。
ごめん、高彬。幸せになって。とびきり綺麗で優しい人と。あたしはもう邪魔はしない。
そうよ、これがあたしの本音。高彬に求められるのは嬉しい。でもあたしは高彬を幸せにできるのかな。あたしと夫婦になって、高彬は幸せになれるのかな。高彬には守られて助けられて与えられる一方なのに。だから、多分・・・これで、良かった。
あたしは今日亦柾を選ぶべきだった。前田家のために。亦柾の言っていたことは、本当は正しいのだ。家のためにあたしたちがあり、あたしたちの意思など、そもそも問題ではないのだと。
死にたい訳じゃない。でも死んでも良いと思っている。それは、あの日から変わらずあたしの心の奥底で深く息を潜めている。生きると誓ってからも、ふとした拍子に顔を覗かせる。だからあたしは今、死にものぐるいで生きようと願ってはいないのかもしれない。
高彬、父上をお願いね。
不思議と痛みはなかった。焼け付くような苦しさと逃れようもない倦怠感があるだけ。
あ。
ふっと一瞬で力が抜けてゆく。感覚という感覚が遠ざかっていく。
光もなくなった世界で、聞こえるのは、幼い高彬の泣き声だけ。
お願い、泣かないで。
誰も、あたしのために悲しまないで。
後書き
ご愛読有り難う御座いました。
戦国御伽草子・完。
・・・というのは冗談ですが。もう少し続くのでおつきあい下さい。
なんだかやっぱり最初といろいろ変わってしまいました。
本当はやや子の話とかをしてたのですが、全部カット。
そして大分長くなってしまいました。天国と地獄の回。
うーん。
はやく次を書きますね。
お気に入りどうもありがとうございます!
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