星河の覇皇
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第四部第五章 英雄と梟雄その七
「現時点の互いの占領地で分割というのはどうでしょう」
「私の一存ではそれはわかりませんが」
アッディーンはまずそう断った。
「ですが暫定的にはそれでいいと思います」
司令官としての権限においてそう答えた。
「わかりました」
シャイターンはそれを聞くと満足したように頷いた。
「これで私のこの会談での責務は果されました」
(それだけではないな)
アッディーンはその笑みの裏に何かを感じたがやはりそれは口には出さなかった。
「ではお話を変えましょう」
(来たか)
そう思った。
「実はこれからの北方諸国連合の在り方ですが」
「はい」
アッディーンは内心警戒を強めた。
(このサラーフ領のことか)
まずはそれを考えた。だが違った。
「今エウロパと隣接しておりまして」
「既に北方の七割が侵略されていますね」
「はい、これは由々しき事態です」
シャイターンはここで深刻な顔を作った。
「エウロパの勢力はこのサハラより完全に駆逐しなければなりません」
「それは私も同じ考えです」
これは彼の本心であった。
「あれは十字軍だ」
こう言う者もいる。サハラにとってこのエウロパの侵攻はかっての十字軍と全く同質のものであった。
(十字軍か)
サハラ、いやこの銀河にいる全ての者が知る忌々しい歴史である。
二百年に渡るイスラム教とキリスト教の戦いであった。聖地エルサレムの奪還を大義名分としてアラブに雪崩れ込んで来たキリスト教徒達は悪逆の限りを尽くした。中には人を食う者すらいた。
「十字軍は悪魔の集団だった」
この言葉に頷く者は今も多い。彼等はまさにその言葉の通り破壊と掠奪、そして虐殺を行く先々で繰り広げた。
虐殺されたその中には同じキリスト教徒もいた。彼等にとってはイスラム教徒の中にいるだけで罪であったのだ。当然ユダヤ教徒も例外ではなかった。
『啓典の民は特別に扱え』
ムハンマドの教えである。イスラムはユダヤ教、キリスト教と同じ流れをくむ一神教だか当然である。コーランにおいてはモーゼもキリストもムハンマドと同じ預言者であった。
「私は最後にして最高の預言者である」
ムハンマドはこう言った。彼は自分自身をモーゼやキリストと同じ存在だと言っていたのだ。
異教徒であっても認める、そうした考えがイスラムにはあった。今もそうである。
『ジズヤさえ納めれば信仰は許す』
それがイスラムの教えである。だがキリスト教は違っていた。
『いい異教徒は死んだ異教徒だけだ』
こうした考えがあった。そしてその言葉の通りに異教徒は殺戮された。同じキリスト教徒ですら。
これに対してイスラムはあくまで文明的であった。エルサレムを奪還した時彼等はエルサレムの者達の命を保証した。
「無闇に血を流してはならない」
エルサレム奪還の英雄サラーフ=アッディーンは言った。サラディンの名で知られるクルド人出身の男である。
彼は軍人、政治家として優れていただけではなかった。その人格もまた優れていた。策略は使っても約束は絶対に破らなかった。
だが十字軍は違った。あろうことか、ジェノバの商人達に唆され同胞である筈のビザンツ帝国まで攻め、ラテン帝国という背信の国まで作る程であった。
「連中はただ欲に目がくらんだ悪党の群れに過ぎなかった」
こうした意見まであった。そしてそれは真実であった。
今のエウロパのサハラ侵攻はまさにその十字軍であった。サハラの民の命や財産こそ奪わないがその地から追放する。彼等は難民となり、サハラ各国や連合に逃れていく。その数は百億を越えていた。
「確かにエウロパには止むに止まれぬ事情があるのだろう」
それはわかる。だが。
「だからといって我々の地に足を踏み入れることは許さん」
サハラの者の考えはそうであった。従って彼等への敵愾心は頂点に達していた。
「これを一刻も早く何とかしなければなりません」
シャイターンは言った。
「それはわかりますが」
アッディーンは一先ずそれに賛同した。特に反対する理由はなかった。
「ですが容易ではありませんよ。彼等もまたかなりの戦力がありますし」
「十字軍はどうなりました」
シャイターンはここで思わせぶりに言った。
「十字軍ですか」
アッディーンはまたか、と思った。
「はい。彼等の最後はどうなりましたか」
「欧州に追い返されました。二百年余の戦いの後」
「ですね。十九世紀、二十世紀にも彼等は来ました」
アラブ世界を支配していたオスマン=トルコの衰退に乗じて彼等はまた来た。そしてアラブの植民地化を進めていったのである。その後は石油を狙ってアメリカが来た。中国やロシアも介入してきた。
「ですが彼等も最後には帰らざるをえなかった」
「はい」
「それと同じです。ただ」
「ただ!?」
「彼等はすぐに帰ってもらう運命にありますが」
「運命ですか」
「そうです、それがアッラーの思し召しです」
ここでもアッラーの名を口にした。
イスラムにおいては神の名をどれだけ口にしても構わない。ユダヤ教のようにみだりに口にするなかれ、とは言われないのだ。
「それは私の手によって為されます」
「閣下の手によって」
「はい、確実にね」
彼はここでにこりと笑った。
(かなりの自信があるようだな)
アッディーンは思った。確かに彼の将としての力量だと普通の軍ならば破るのはたやすいだろう。だが。
(それは普通の軍であるならばだ)
エウロパにはモンサルヴァートがいる。今はエウロパ本土にいるが何かあればすぐにこちらにやって来るだろう。そしてもう一人、怖ろしい男が今サハラにいた。
(確かロギ=フォン=タンホイザーといったな。マガバーンとの戦いにおいて鮮やかな勝利を収めたそうだが)
彼の耳にもそれは入っていた。
アッディーンはこのタンホイザーという男にも只ならぬものを感じていた。モンサルヴァートとはまた違ったタイプの名将であるようだ。
モンサルヴァートはどちらかというと戦術家である。戦略眼も備えているようだが前線での指揮を執ることを好む。そして要塞よりこ艦隊運営、用兵を好む。これは彼がサハラにいる時でのことを見ればわかることであった。
タンホイザーは戦略眼はないようだ。だがその戦い方を見る限り天才的なものがある。
(天性の戦術家というやつか)
中国漢代の霍去病や日本の源平の戦いにおいての源義経、同じく日本の戦国時代の上杉謙信、三十年戦争の時のスウェーデン国王グスタフ=アドルフ等がそれにあたる。時としてこうした特異な人物が出て来るものだ。
彼等の特色は生まれながらにして戦争のやり方を知っているということだ。兵法や軍事に関する書なぞ碌に読んでいない者すらいた。
そして怖れるものがない。上杉謙信は鎧兜を身に着けず僅か四四騎を連れ一万を優に超える敵軍に突入した。敵はそれに恐れをなし自然と道を開けたという。
源義経は何と馬で崖を下った。鹿で行けるのならば馬でも行ける、という理屈でである。ここには戦争の常識はなかった。ただ天才的な勘だけがあった。
そうした者に勝つのは容易なことではない。戦争の常識が通用しないのだから。だがシャイターンはそれでも尚余裕を見せている。
「これはどういうことだ」
彼はそれを不思議に思った。
「司令」
ここで彼が声をかけてきた。
「はい」
アッディーンはそれを聞き考えるのを一旦止めた。
「我々の願いですが」
「何でしょうか」
本題に入ったと思った。
「実は我々北方諸国連合はオムダーマンと友好条約を結びたいのですが」
「友好条約ですか」
「はい」
シャイターンは穏やかな顔をしてみせた。
これが後方の安全を計るものであることは自明の理であった。それにしても軍の総司令官であるが外交のことにまで話ができるとは。
(ハルーク家との婚姻がそれだけの効果があるということか)
シャイターンは今や北方で最大の権勢を誇る。しかも圧倒的な支持もあった。最早英雄といってよい程であった。
(その二つを上手く利用しているな)
アッディーンはすぐにそう見抜いた。
「詳しいことは互いの政府によるものですが」
シャイターンはそう前置きを置いた。
「しかし北方は大体その方向で話がつくと思われます。各国の首脳には私からも話をしておきますので」
これこそ今の北方における彼の力を示す言葉であった。
「そうですか。では私も政府に話をしておきましょう」
断る理由もなかった。オムダーマンと北方はこれといって利害関係もないからだ。
「ではお願いしますね。サハラの平和の為に」
「はい」
これで会談は終わった。あとは二人での個人的な話になった。
「ところで司令」
シャイターンは花園に場所を移していた。
「何でしょうか」
当然アッディーンもそれについている。
「今後サハラはどうなっていくと考えておられますか」
「サハラですか」
「はい」
シャイターンはここで頷いた。
「難しい質問ですね」
流石にこれには答えに窮した。
「西方は我々の手により統一されましたが」
「まだ流動的だと仰りたいのですね」
「はい。何しろ一千年に渡って戦乱が続いておりますし」
「そうですね。ですがこれまでとはかなり違う流れになっていると思われませんか」
「といいますと」
アッディーンはその言葉に顔を上げた。
「今まで西方が一つの勢力の下にほぼ統一されたことはありません。いえ」
シャイターンはここで思わせぶりな口調にあえてした。
「そもそもサハラにおいては一つの勢力に一つの地域が統一されているのは東方だけです」
「はい」
サハラは北方、西方、南方、そして東方の大きく四つの地域に分けられている。そのうち人口が最も多いのが東方である。従ってハサンはサハラで最大の勢力を擁しているのだ。
「他の地域は多くの小国家に分裂して互いに争っていました。そう」
彼は言葉を続けた。
「この西方のようにね」
「否定はしません」
オムダーマンもこれまで多くの戦いを経ている。その中心にいたのが他ならぬアッディーンである。
「それがこのようにハサンの様に一つの地域をまとめる国家が誕生した。それだけでも大きな流れです」
「西方だけの問題ではないのですか」
「はい。これはサハラ全域に影響を及ぼすでしょう。そしてそれのもとが」
シャイターンの目がここで不思議な光を発した。
(むっ)
アッディーンはその光を認めた。まるで夜の空に輝く赤い星のようであった。
(赤い星は凶兆だと言われるな)
アッディーンは幼い頃に言われた話を思い出した。
銀河を行く時でも言われることであるが星には人の運命を司る力があるという。これは古代の占星術なのであるが
イスラムにも占星術はあった。
「占いは当たらない」
ムハンマドはこう言ったがイスラム世界においても占星術は発展した。やはりそうそう容易には禁止できるものではなかった。そもそも占星術はそれだけで成り立っているものではないからだ。
魔術とも関係付けられていた。イスラム世界では魔術はこれといって迫害の対象ではなかった。むしろ錬金術などは奨励されていた程だ。
「金を生み出すことの何が悪いのか」
という論理であった。これにより科学が大いに発展した。
そうした中で占星術も学ばれていた。それは当時のキリスト教世界の占星術よりも遥かに進歩していたものであった。
「占いもまた科学である」
この時代にもこう主張する者がいるがこれもまた真実である。占いはいうものはどの時代にもあるものなのだ。
アッディーンはそれをシャイターンの目の中に見ていた。彼はこれを不思議に思わなかった。
(目の光はしばしば星の瞬きに例えられるが)
それが根幹にあった。だがそれだけではない。
何故かこのシャイターンの目に禍々しいものを感じたからだ。これは先程から気になていたことだ。
(梟雄か)
さっき彼を見て思ったことを思い出した。
(この目の光を見るとそうかも知れないな)
ここでシャイターンがまた声をかけてきた。
「司令」
「はい」
アッディーンは考えることを止めて彼に目を向けた。どうやら暫く目が泳いでいたようだ。
「そのもとですが」
「はい」
どうやらシャイターンも話を暫く中断させていたようだ。見れば右手にダリアの花をまさぐっている。赤い、まるで炎の様なダリアである。
「貴方なのです」
「まさか」
アッディーンは笑ってそれを否定した。
「私はただ命令に従い戦っていただけです」
「それは違います」
シャイターンは言った。
「今回のオムダーマンの西方統一は全て貴方がいたからこそなのです。それはサハラどころか連合やエウロパの者も認めていることでしょう」
「皆私を買い被っているだけです」
「ですが貴方は自分の軍人としての能力には自信がある」
「否定はしません」
「そうですか」
「しかしですね」
彼はまた言った。
「私は単なる一軍人に過ぎません。それ以外の何者でもありません」
「今のところは」
シャイターンはまた思わせぶりに言った。
「しかし人には多くの隠された能力があるものです。それに気付いていない時があまりに多過ぎる」
「私は少なくとも自分の力はわきまえております」
「いえ、貴方はまだご自身の力を完全には把握してはおられない。失礼なことを言うようですが」
「では私にはどのような力があると」
「それは追々わかることです。すぐにでも」
「まあそれは期待しましょう」
いささか社交辞令的に言った。
「貴方がそれに気付いた時また動きますよ」
「サハラがですか」
「はい」
シャイターンは頷いた。
「そしてこのサハラが大きく変わります」
ここで一陣の風が吹いた。風が花々を揺らした。
アッディーンとシャイターンにも吹きつけた。二人の髪と軍服が風で揺れ動いた。
「今まで我々は戦乱と侵略の中に喘いでおりました」
シャイターンはここで透き通る様な赤い光をその目に宿らせた。
「しかしそれも終わろうとしています」
彼は言葉を続けた。
「今までの散り散りになったサハラではなくなるのです。そう」
言葉に何やら妖しげな力が宿ったように感じられた。
「ムハンマドの時以来長らく分裂していた我がアラブの民が一つになるのです」
イスラム世界はごく初期、そうアッバース朝と後ウマイア朝に分裂して以来一つにまとめられることはなかった。セルジュク朝やオスマン朝のような強大な勢力は誕生したが彼等もイスラム世界を一つにまとめることは出来なかった。彼等もそこまでは考えていなかったふしがある。
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