星河の覇皇
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第四部第五章 英雄と梟雄その六
サラーフにおいても同じだった。マスコミの犯罪行為、ナベツーラ一派の腐敗を隠す為に警察の弱体化を計ってきた。そしてそれはかなりの成功を収めていたのだ。
「そうしたことがあるからな。警察も真面目に捜査したりしないだろう」
「権限もかなり制限されていますからね」
「それが格好の理由になる」
「はい」
ここでもややシニカルであった。
アッディーンは官邸の応接室に来た。そしてそこで立ったまま待った。
「そろそろか」
「はい」
シャルジャーは腕の時計を見て答えた。
「閣下」
そこに若い将校が入って来た。
「シャイターン司令が来られました」
「わかった」
アッディーンはそれを聞き頷いた。
「では出迎えに行こう」
彼は周りの者を従え官邸の正門に向かった。
「お待ちしておりました」
彼等はシャイターンの前に来た。
「はい」
シャイターンはそこにいた。赤い軍服に黒いマントを身に着けている。
(これがシャイターンか)
アッディーンは彼を見てまずその全身を上から下まで一瞥した。
(噂に違わぬ美男子だな)
見ればまるで十九世紀の欧州の彫刻の様である。整った顔に身体をしている。
(だが)
アッディーンは他のことに気付いた。
(神や英雄の彫刻ではないな)
そう言うにはあまりにも陰があった。シャイターンは確かに美しい。だがその美貌は夜の世界の美貌であるように彼には感じられた。
例えればルネサンス時代きっての策略家チェーザレ=ボルジアであろうか。彼もまた陰のある美男子として知られていた。
シャイターンもまたアッディーンを見ていた。
(成程な)
彼はアッディーンの持つ気まで見ていた。
(流石に若くしてここまでなったわけはある)
均整のとれた身体に覇気のある顔立ち。まるで若獅子のようであった。
(獅子のようだな。その身体も心も)
アッディーンの精悍な気性をも一目で見抜いていた。
(あくまで正道の人物のようだな。才覚はあるが)
彼にはそれしか道はない。だがシャイターンは違う。
(だが今はそこまで考えなくともよいな)
そう、少なくとも今は。
(とりあえず今この男とは何もない。こちらから牙を剥く必要もないな)
彼はそう考えた。そしてあえてにこやかな顔で言った。
「以前よりお会いしたいと思っておりました」
「こちらこそ」
アッディーンも笑顔になった。二人共社交辞令であった。
「この度の戦い振り、お見事でした」
「いえ、それ程では」
アッディーンは謙遜の言葉を出した。
「それよりも貴殿のエウロパ、サラーフとの戦いですが」
「あれはアッラーが味方して下されたのです」
シャイターンは何事でもないように言った。
「アッラーのご加護があれば何でもありません」
「アッラーのご加護ですか」
「はい、他に何がありましょうか」
「いえ」
アッディーンもムスリムである。それを否定するつもりはない。
「貴方にもそれはありますね」
「私にもですか」
アッディーンは驚いたように言った。
「はい、だからこそ勝ち続けることができるのです」
「そういうものでしょうか」
アッディーンはシャイターンの言葉に少し首をかしげそうになったが公の会見の場であるのでやめた。
「人それぞれの資質もありますが」
なおこれに重点を置くのが連合である。
「ですがそれだけで勝利を収め続けることはできません」
「アッラーの加護なくしては勝てないということですか」
「その通りです」
連合やエウロパではそれを『運』と呼ぶことも多い。だがサハラではそうした考えはあまりない。運も全てアッラーの思惑によるものなのだ。
こうした考えはムスリムに昔からあある。この世の全てはアッラーの考えるところによる。その人の一生も。天国へ行くか、ジャハンナムへ行くか、それすらもアッラーが決めていることだ。だが戦い、聖戦で死んだ者は必ず天国へ行くことができると教えている。
「アッディーン司令にもまたアッラーの加護があるのですよ」
「そういう考えは今までありませんでしたが」
彼はイスラムは信じていたが、戦いにおいてはアッラーの加護を願ってはいなかった。
「アッラーは自ら動く者を導かれる」
そうした考えであった。
だがこのシャイターンという男は違うようだ。彼はあくまでアッラーが全てを司っているという。
(それは間違いではない)
アッディーンもそれには同意する。
(だが戦いに勝つのはそれによるものではない。それはあらゆる要因が加わる)
彼の考えはそうであった。
「司令の仰りたいこともわかりますよ」
だがシャイターンはその思いを察したように言った。
「ん!?」
まさか自分の考えが読まれているのでは、そう思わざるを得なかった。
「ですがそうした要因をもアッラーは決められているのです」
「そうした意味でこの世の全てを司っている、と」
「はい」
何処か宗教家めいた言葉である。そういえば彼はある宗派の家の出である。
本来いイスラムでは僧侶といったものは存在しない。法学者がいるだけである。
「私は預言者に過ぎない」
ムハンマドはこう言った。
「イスラムには僧侶や神官は不要だ。あくまで市井の宗教なのだ」
これは僧侶や神官達の腐敗と特権を知っていたからだ。この時代キリスト教世界では早々と腐敗の兆候が見られていた。後にはその腐敗が極限にまで達し様々な問題を起こした。法皇にしろ宗教家というよりは封建君主であり、政治家であった。何しろ神を信じず、この世の酒と美食、栄華と美女こそが天国であると言った法皇すらいた位なのだ。
イスラムがそれを禁じたのは正解であった。この宗教はそうした厄介な問題から解放されていたのだから。
それでも宗派によっては僧侶が存在する。それでも他の宗教に比べればその腐敗も特権もかなりましである。ムハンマドのこうした考えが生きているからだ。
シャイターンはそうしたある宗派の僧侶の子である。今では父はリーダーとなっているらしい。
(何でもあの宗派は南方に大きな勢力を持つというが)
彼の家のことはアッディーンも聞いたことがある。
彼の父はその宗派で長い間要職を歴任し、今では法皇だという。
(かなりのやり手だと聞くが)
宗教家でもあるが謀略家としても南方では有名であった。『右手に奸智、左手に謀略』というのがそのもっぱらの評価である。
その調子がこのシャイターンである。話によるとその父の気質を最も色濃く受け継いでいるらしい。
(それだけではないようだがな)
アッディーンは確かにシャイターンに宗教家めいたものを感じていた。だが、彼にはそれ以外のものが明らかにあった。
(例えていうのなら)
彼は言葉を捜した。
(梟雄の匂いがするな)
その外見からは考えられないが、彼には確かにその風格が感じられた。
実際に彼の経歴を見ているとそれは当てはまった。
まず父の宗派の要職に就いた。今でもそれに就いたままである。そして父の力と宗派の財力を背景に傭兵団を作りそれで南方で戦いを続けた。悪魔的に冴え渡る謀略で鮮やかな勝利を収め続け北方に風のようにやって来た。そしてエウロパとサラーフを退け、権門ハルーク家に入った。鮮やかでいて、そこには常に謀略の香りが漂う。
アッディーンはすぐにそこに考えを巡らせた。そして彼に言った。
「つまりアッラーの御意志により我々は戦いに勝ち続けていると」
「はい、我々が今ここで会っているのもそうです」
シャイターンは落ち着いた声で言った。
「私と貴方は今日ここで会う運命だったのです」
「そうだったのですか」
これにはあまり賛同できなかった。
「ではこれからの私達の運命も既に決まっていることでしょうか」
「当然です」
彼はアッディーンの言葉に対しさも当たり前のように答えた。
「それも既にアッラーが決められていますよ。そう」
彼の整った彫刻の様な唇が微かに歪んだ。
(ん!?)
アッディーンはそこに何か邪な気配を感じた。だがそれは顔には出さなかった。
「これからの私の歩む運命も。貴方の運命も」
「そうなのですか」
どうもこれはアッディーンにはどうしても馴染めない考えであった。
「おわかりになられませんか」
「残念ながら」
「まあいいです。これはそのうちおわかりになると思います」
シャイターンは不敵に笑った。
「ところで旧サラーフ領ですが」
「はい」
本題に入ったな、と思った。
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