「――――……ッ、うわぁああアアア”ァアアアア"ア"ア"アァアアアアアア"ア"ア"ア"ッッ!!!!」
「な、なんだコイツッ!? ……ッ、ラアッ!」
その叫びに慄いたデイドが本腰を入れ、ようやく槍をその手から引き抜くことに成功した。
その時に槍を握っていたユミルの手のひらがブシッと切り裂かれ、そこから小さな赤いダメージエフェクトが散る。さらにデイドの蛇矛には毒が塗布してあったのか、ユミルのHPバーが緑色の枠に覆われ徐々にHPが減る《ダメージ毒》状態異常のアイコンが表示される。
だがHPバーは微塵も減らず、むしろ回復……いや、それを一瞬も垣間見せない勢いでHPを削り、上書きされている。
大鎌の唯一にして使用者のHPを蝕む、呪われたスキル《デモンヘイト》。
そのステータス上昇エフェクトは、その勢いを視覚的にも現しているのか、赤かったそれがみるみる黒へと近付いている。
その変色は、まさに今の彼の狂乱の程を表しているようで――――
「いや……待て……」
俺ははたと気づく。
SAOというMMORPGにおいてもエフェクトは様々な場面で登場する。ソードスキル使用時をはじめ、回復アイテムを使用したとき、特別な効果を持つ食べ物を食べたとき、時には感情の激動に合わせて顔を真っ赤になるなどの感情エフェクトなど、その分類は多岐に渡る。その中で、今ユミルが放つステータス上昇エフェクトもその一つだ。
しかし……効果を得れば得るほど、身に纏うエフェクトが『変色する』、などという仕様は無かったはずだ。
エフェクトは一律して一色限定であり、あまつさえ使用中に他色に変化するなどという事はない。
過去に『この世界では、敏捷値による高速移動の上限が存在するのか』を調べようとしていた、とある物好きな攻略組プレイヤーが、ひたすら己にあらゆる種類の敏捷値上昇アイテムや装備品を使い、実際に公開実験していた場を俺は見たことがある。
そのプレイヤーは現在で知られているありとあらゆる敏捷値上昇の方法を全て駆使し……結果、瞬間的ではあったものの、俺すらも軽く凌駕する俊足っぷりを確かに成果として残していた。
しかし。
その時には幾重もの恩恵を受けていたはずであろう彼のエフェクトは、確かに段階的に派手にはなっていたものの……変色などは一切していなかった。
ゲームの世界であるが故に、これらエフェクトは非現実的な表現現象であるが……それ故に、この差は明らかにおかしい。ましてや使用者の感情に呼応して変色するなど、あくまで1と0の機械的なプログラムで作られたこの世界であるが故に、まずありえない。……これには何か絶対的な理由が……
いや。いや…………少し待て。思い出せ。
死神ことユミルは、俺と出会った当初は……たしか赤と黄の織り交ざった、
赤黄色だったはずだ。
それがユミルと戦う直前までには、いつの間にかピュアレッド……真紅に近い色合いになっていた。
そして今では……赤黒い、血が固まったかのような不気味な色合いだ。
《デモンヘイト》は他のスキルとは一線を画す、余りに異端なスキルだ。考えてみればエフェクトも独自なものであってもおかしくはない。
――だが、しかし……この背に走る
悪寒はなんだ?
これまで様々な窮地で不本意ながら発揮されてきた俺の直感が、ここでも俺に何かを訴えかけている。
考えろ、考えろ……桐ヶ谷和人。
もしかすると……この変色は《デモンヘイト》のスキル持続時間の限界が訪れているという、使用者に対しての警告なのか?
……いや、それは無い。
SAOではステータス上昇効果を得た後に、それと同じ行為による同じ効果を得られた場合……他の多くのMMOタイトルと同じく、その効果が二乗されるわけではなくその持続時間がリセット、または加算される方式なのだ。よって、先程からデモンヘイトを頻発させていたユミルのステータス上昇効果が切れるのはまだ先なはずだ。
加えて、ユミルにとってこのスキルの持続時間の管理は、この戦いにおいて最重要事項である。いくら狂乱しているとはいえ、そのようなヘマをするヤツではないのはこの場の誰もが心得ている。
……違う。俺の直感は、そんな点について俺に警告してはいない。
もっと、簡単な……
そう……目の前に起きている、この変色現象……。
それを見て、俺は、なにか思い出さないか……?
……黄色、赤黄から、赤へ。
そうだ……俺は、ボス戦を始めとした死線で、何度も目にしてきた筈だ。
そう、それはいつも俺が死に掛ける時に、いつも起きていた現象…………
――HPバーが、
注意域から、
危険域へと変化する時の――――
「―――――――ッッ!!!?」
その時、背を這っていた悪寒が、戦慄となって一気に体中に突き抜けた。
今のユミルは、やや削れていたHPバーを先の数秒の内にある意味での全回復を完了……見た目だけは満タンのグリーン状態である。
しかし、そのエフェクトの変色を見て……一つの疑問が頭をよぎったのだ。
――ユミルには、
あとどれだけの最大HP値が残っている?
……という疑問が。
そう。
今のユミルのエフェクトは赤黒色。
HPバーに、
危険域以下の時に変色する危険色などは存在しない。
つまり……
――このエフェクトが現している『黒』とは、恐らく………………『死』だ。
HPが無くなり、そして死亡後に現れるのであろう、ブラックアウト……『You are Dead』のゲームオーバー画面を著しているのだ。
そして……今のユミルは文字通り、半分死に近付いていると比喩してもおかしくない程に、HP値を削っているのでは……!?
「な、なんてことだっ……!!」
その時には俺は、声を割るユミルへと駆け出していた。
ユミルは叫びながら降ろしていた大鎌をやや上段に掲げなおしていて、槍を取り戻しその場から逃げ出したデイドを追い駆けようとしていた所だった。
「このっ……ば、化け物がっ……!!」
「――デイドォォオオオ"オ"オ"オ"オ"オ"ッ!!!!」
その間に俺は全速力で割り込み――
「やめろユミルッ!!」
悪魔の形相で突撃してくるユミルを、背から再び引き抜いた剣で受け堪えるべく構えた。だが、ユミルは俺の事など眼中に無かったが如くそれは無視していて……しかし、間に俺が割り込んでいた為に、振り上げていた大鎌は俺の背後と逃げるデイドの後方……俺達の中間地点に振り下ろされた。
「――ウォオア"ッッ!!!!」
――ズトォッ、ドシャァア……!!
「「ぐぁぁあっ!?」」
その爆風に俺とデイドは同時に声を上げ、大きくその場から吹き飛ぶ。
その地に振り下ろされた一撃は、まるで地中に大量のダイナマイトでも仕掛けられていたかのように地面を大きく爆発させ、土砂が高く高く巻き上がった。
その場所を中心に、周囲の森の木々が一斉に大きく薙がれるように揺れ、数多の鳥の群れが驚き、木から空へと逃げ出した。
その一撃で、この階層が……もしかすれば、アインクラッド全体が揺れたのではと思うほどの地震が辺りを襲った。
「ぐ、お……あ、あンのガキッ……なんつー一撃をくれやがんだっ……!」
直接攻撃を食らったわけでもないのに、その余波だけで、ボスのブレス攻撃を受けたが如くHPを目に見えて削られてしまう。
本当に、なんて一撃なんだ……!
今、ユミルには一体どれほどのステータス上昇が――
「だ、ダメだッ……!」
それでも俺はすぐに起き上がり、倒れてモタモタと焦りながら起き上がろうとしているデイドに向かって追い討ちをかけようとしているユミルに再び肉薄した。
「ユミルッ!! もう、それ以上……それ以上《デモンヘイト》を使っちゃダメだッ!!」
しかし、その俺の声は……
「――どォけえええぇええええエエエエエエッッ!!!!」
という、思わず耳を塞ぎたくなるような絶叫によってかき消された。
「ぐぁっは!?」
そして繰り出される突撃の一撃に、俺は堪らず息が詰まり苦悶の声を上げた。
しっかりと剣で受け止めたはずなのに……押されるエネルギーを相殺しきれず後退する体と共に、俺のHPがジリジリと減っていく。かの《魔剣》エリュシデータでも抑えきれない程の威力に、その剣身がビシビシと刻一刻とヒビ割れていく。
頼む、もう少し耐えてくれ――と愛剣に内心祈りながら、右手でユミルの凶刃を受け……
そして彼の暴動を抑えるべく、空いた左手で……
「う……ぉぉああ!!」
体術スキル零距離技《エンブレイザー》を炸裂させた。
「ぅくぁっ……!?」
イエローの輝きを帯びて尖らせるように五指を揃えられた俺の左手は、ユミルの右肩に突き刺さる。同時に、絹を裂くかのような高く短い悲鳴が上がる。HPはやはり防御力も異常な補正を受けているらしく、ここまでやっても2割も削れずに済んでいた。
しかし、その悲痛な声に加え、俺の手に伝わる……かつては共に過ごしたあのユミルの体を貫いてしまったという罪悪感と濡れた感触に全身の産毛が総毛立つ。
だが甲斐あって、エンブレイザーが命中したと同時に、ユミルの凶悪なまでのパワーが鎮まった。
ほんの一時的であろうが、この好機を逃さず俺はユミルに声をかけ続ける。
「よく聞けユミルッ!! それ以上《デモンヘイト》を使えば――」
「デイドォォォオ"ッッ!! 殺ッ、殺スッ!! お前だけはァァアア"アア"ア"ア"ッッ!! そこをどけェェエエ"エ"エ"ッッ!!!!」
しかしユミルは俺の事など露程も介さず、瞳孔の開ききった血走る目で俺の背後の逃げつつあるデイドだけに向かって裏返った狂声を吐いた。
それだけに留まらず、
「ウア"ッ!! ア"アアア"ッ!! ヴァアアッ!! ア"アァア"ア"ッッ!!」
「うっ、ぐうっ、ユミッ……ぐあっ……!!」
俺に向かって大鎌を怒る本能のままに暴れさせ、ただただ振り回してくる。まるで赤子の駄々っ子のように。ただし……その一撃はもはや死神とも悪魔とも言えない、狂いに狂った凶獣のそれだ。その余りに凶悪過ぎる一撃一撃を受ける度に、バキバキと……ついに愛剣が目に見えて悲鳴を上げる。あの、俺の激戦の日々を絶えず強く支えてくれたこの魔剣が。もう残り耐久値は3……いや、2割を切ったか。
「クソッ……ユミルッ、俺の話を……聞けッ!!」
俺はやむを得ず、もう一度《エンブレイザー》を発動させた。ユミルの右肩の中にあった俺の左手が再び輝き――
――ドシュッ!!
という柔らかな肉と硬い骨を同時に突き抜いた音が鳴り……俺の左手が、ついにその右肩を完全に貫通した。
「うっ、ぐわぁぁ……!!」
これには指し物ユミルも堪えたのか、こちらの心も引き裂かれるかのような悲鳴を上げ、ガクンとその頭が伏せられた。同時に眺めの前髪がサラリと垂れ、彼の顔を隠す。
…………ようやく、落ち着いたか……?
「いいか……ユミル。お前のHPは、もう――――」
その時だった。
……俺は、その見解はまだ余りに浅はかだったと知った。
伏せられた、その奥の見えぬ前髪の間から……
「邪魔をォ――――」
という、恐ろしく低い声が漏れ出た。
そして
「――――するなぁぁぁあああああ"あ"あ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッ!!!!!!」
という、再びの弩級の絶叫。
同時に……今までの《デモンヘイト》とは比べ物にならないほどに強烈なエフェクトと暴風が巻き起こった。
「馬鹿ッ、それ以上――……なっ!?」
その時。
ユミルに突き刺していた手が、ズボッと湿った音を立てて、ひとりでに抜けた。
俺の体が、その爆風によって浮かび上がろうとしていたのだ。
その手を再びユミルの肩へと伸ばすが……
「ユミッ――――!」
届かず……そして俺の体は、その爆風に大きく吹き飛ばされ、背後の木に背から激突した。
「ぐあっはっ……!? ……ゲホッ、ゲホッ!」
激しく咳き込みながら、俺の心情は恐慌の渦中にあった。
そう、俺は吹き飛ばされたのだ。
ユミルの『直接攻撃』ではなく……――ただの、ステータスエフェクトに、だ……!
さっきの一瞬だけでも、あいつは一体どれだけのHP消費を……!?
そして吹き飛んだ体を立て直し、再びユミルを視界に捕らえた時…………俺は言葉を失った。
その体はから迸るデモンヘイトは…………もう、目視では全く赤みが見えないほどの……激しい漆黒に染まっていた。
既にそのユミルは、腰を抜けたように時折転びながら逃げているデイドに追いつこうとしていた。
吹き飛ばされたこの場所からでは……もう、間に合わない……!!
「~~~~っ……!!」
だが……まだだ!
ユミルには届くはずだ! 言葉が……!
それは、俺の言葉じゃない……
「ユミルッ!! お前はそれでいいのかっ!?」
俺は、デイドに渾身にして決死の一撃を放とうとしている狂乱のユミルに叫ぶ。
「お前はっ、ルビーを殺したあいつらと同じ人間になってもいいのかっ!!!?」
しかしユミルがデイドに迫り、それにひるんだデイドは転び、絶望の叫び声を上げた。ユミルはそこに狙いを付ける。
「うわぁああああっ!?」
振り上げられた大鎌の爪先が、デイドの顔面へと振り下ろされる――!!
「――喰らえデイドォォオ"オ"!!」
「――ベリーとルビーはッ……!!」
俺達は同時に息を大きく吸い――
「――――ベリーの仇ィィィイイイイ"イ"イ"イ"ッッ!!」
「――――そんな姿のお前を望んでいたのかッッ!!!?」
そして、重なる叫び声と共に。
二度目の地面の爆発が、デイドを襲った。