…
……
…………
「――――これでもっ、キミ達は人を信じれるって言えるのッッ!?」
ユミルの口からついに語られた、その余りに凄惨な過去。
それを聞いた俺は……
「……………」
なにも……なにも、言葉を紡ぐ事が出来なかった。
「キミ達に分かるッ!? 生まれてずっと信じてきたものが、こんなむごい形で裏切られる気持ちが! 一番大切なものが……目の前で、他人に笑顔で無惨に殺される気持ちが!!」
俺の後方では、アスナも両手で口を隠しながら真っ青な顔で絶句し……
ダムッ、という音が聞こえたかと思えば、リズベットが「どうして、こんな非道いことがっ……!」と、行き場の無い感情に対して心底悔しそうに額を地面に叩きつけていた。その肩は涙を堪える様に震えていた。
シリカもユミルの話の途中から「もう、やめて……」と首を振りながら抱き締めるピナの胸の中に顔を潜り込ませ、終始、涙ながらにその過去の話に苦悩を馳せていた。
俺達全員が、その小さな口から飛び出してきた筆舌に尽くし難く酷い過去に、何も言えないでいた。
「あいつらがルビーの遺したアイテムを醜く取り合っていたのも、そして挙句にラフコフに殺された事も!」
ユミルはその過去が語り終わっても、未だ俺達に叫び続ける。
「人は愚かに絶えず争っている! この世界でも、現実でもだ! いじめもPKも生活もレベルも! 突き詰めていけば、人の世は何もかもが互いを貶めあい、傷つけあう争いの毎日だ! もう……人は、傷つき傷つけあう為に生きているんだと、認めざるを得ない!!」
そして、再びその真理の如き言葉を吐き出す。
「人なんて、愚かで弱いっ! …………それは、ボクだって……今でもそうだ……!」
ユミルは自分の胸をギュッと鷲掴む。
「あの時こそ……今度こそ、本当にボクの心は完全に死んで、冷え切ったと思ってた……。もう二度と、人なんて信じることはありえないと……そう確信していたのにっ! またボクの心は、キミ達なんかに揺らいでるっ……! いつの間にかマーブルに半年間、知らず知らず心を温められて……そして知らず知らずキミ達と会話を交わしてしまうくらいになっていた……! そしてキミ達に、心の氷を溶かされていた……!」
その瞳は純真さと憎悪の相容れぬ二つが交じり合い、今にも砕け散ってしまいそうな、余りに脆い眼差し。
「ルビーを亡くしておいて……人に裏切られておいて! もうボクは、キミ達なんかと一緒に居たいと思ってしまってた! マーブルに受け止められた時、シリカにボクの事を信じてると言われた時、救われたと思ってしまってた! キミ達が作ったあの料理を食べた時、心を開いて全てを吐き出してしまいたいと思ってしまってた!! ……
人は、なんて弱いんだっ……ボクは
死神で居続けたいだけなのにっ!!」
その瞳の憎悪が、増していく。歯が、喰いしばられていく。
「キ、キミ――お……
お前達さえ、いなければっ……! ボクは、ボク達はこんなことにはァっ……!!」
そして手を離していた大鎌を握り、大きく振り上げる。
「…………消えろっ……消えろっ……!」
憎悪に低くなった声で呟き、そして……
「お前達なんてっ、みんな……――みんな消えてしまえばいいんだアアアアッッ!!」
そう怨嗟の声で叫びながら、鎌を掲げて襲い掛かってきた。
が……その進撃は、数歩進んだだけで止まっていた。
ユミルの目の前に……背後にいたはずのミストユニコーンが割り込んでいた。
「な――……なん、で……」
ユミルは鎌を掲げたまま、足元の仔馬を信じられないかのように見ている。
ユニコーンは少しの間ユミルを見上げた後……振り向き、正面数メートル先にいる俺の目を、まっすぐと見つめてきた。
「ベ……ベリー……?」
ベリー。それがあのミストユニコーンの名前なのであろう。
その名に相応しい、クランベリー等の果実にそっくりな赤く丸い目の白馬は……こちらに、ゆっくりと歩み寄り始めた。
「ベリー、なにをっ……」
ユミルは鎌を降ろし、驚愕の目で手を伸ばすが……
その時、ベリーがユミルへと再び首で振り向き、軽く首を横に振った。
「ま、待って……そいつらに近寄っちゃ、ダメッ……」
それでもユミルはそう声をかけるが……恐らくはシステム的なボイス指令に入っているであろうその主人の言葉にもハッキリと否定の意を示し、こちらに歩み続ける。
……その時俺は、ベリーの行動の真意を直感した。ベリーがユミルと俺に、何を求めているのかを理解した。
「待て、ユミル」
「え……?」
俺は言葉で、彼の伸ばす手を遮った。
「……ベリーは今、お前に……人は信じられるのだと、自分の身で証明しようとしているんだ」
「なっ……」
今度こそ驚愕にその目が見開かれる。
「今のベリーの誠意を、お前が邪魔しちゃ駄目だ」
「そ、そんなの信じられるわけが――」
「信じろ」
俺は即座に言い返した。
「俺じゃなく……ベリーを信じるんだ。それとも今のお前は、そのベリーすらも信じられなくなっているのか?」
「……それは……」
俺は剣を鞘に収めた。そして膝を着き、ベリーを待つ。
「まだ俺達を信じなんてなくていい。けど、今から俺とベリーが……お前に証明してやる。俺達は信じあえるんだ、ってな」
「……あ、あぁぁっ……」
ユミルは伸ばしかけのまま止まった手を震わせながら、遠ざかりつつある使い魔に、か細い声を上げて見届けている。
ベリーはまっすぐと俺を目指し、ユミルに見せ付けるように蹄を進めていく。
それは近付けば近づくほど、穢れない姿だと思わされる。鬣から立ち込める薄く青いオーロラが本当に神秘的だ。
そしてベリーは俺の目の前で歩を止め、俺をどこまでも無垢な目で見つめる。
「ベリー……さっきは、斬りかかってゴメンな」
俺も、しっかりと見つめ返す。
「……さぁ、ベリー。俺達で、お前の主人に証明してやろうぜ。――そうして……この事件を、終わらせよう」
そう言い、手をその頭に伸ばす。
それに、もうユミルは何も言わなかった。
そして。
――――――俺の視界が、濃緑と深紅に染まった。
「「…………え?」」
俺とユミルは同時に声を上げる。
それは一瞬の事だった。すぐに視界が元の夜の森に戻る。
しかし、俺の目の前、視界の正面に、ベリーは居なかった。
ベリーは……オーロラのような霧を撒き散らしながら、宙を吹き飛んでいた。
……そのHPをも散らせながら。
「な――」
ベリーの代わりに、俺の目の前には……途轍もなく長い、蛇のような槍が、横の草むらからまっすぐ水平に視界を横切っていた。
死角から飛び出してきたその槍が、ベリーを薙ぎ払っていた。
ベリーは大きく吹き飛び、反対側の草むらの奥にドサリと落ち、見えなくなる。
その代わりに――
「…………ベリー……?」
ユミルの目の前に、ボテボテッ、と生々しい音を立てながら、何かが転がった。
…………ベリーの、切断された後ろ足だった。
それは数秒の内に瞬く間に、バァンという効果音と共に、ポリゴンとなって消えた。
「――――――――」
それを見届けた、ユミルの見開かれた目から……一瞬で光が失われた。
それと同時に。
「――――ふぅーう……っと。一度逃げられた時は冷や汗かいたが……やっと仕留められたぜ」
と、横の草むらからガサガサと姿を現したのは、
「お前は、デイド……!?」
デイドはその長い長い槍をヒュヒュッと軽快に持ち上げ、それを肩に担いだ。
「……悪ィな、パーティは事前に抜けさせてもらったぜ。よってこの手柄は、オレだけのモンだ」
「なんで、お前……俺の《索敵》スキルを……」
混乱する頭で、俺はまず最初に疑問に思ったことを口にしていた。
俺はさっきまでも不測の事態に備えて、辺りを索敵スキルを駆使して気を怠ることなく張っていた。さらに俺は、索敵スキルをカンスト目前になるまで鍛えているのだ。よって現状、仮にもトッププレイヤーの一員である俺から、完全に意表をつけるプレイヤーはほとんどいない筈なのだ。加えてデイドのような、俺よりもレベルが下のプレイヤーにそれを許してしまうなど……
「あン時の調べが甘かったな、キリト」
デイドはニヤリと笑って俺の思考を遮り、ウィンドウを弄り始めた。
「取調べの時、オレはテメーらにステータスを見せなかったんだぜ? なのにテメーらはその後のオレの戦闘を見て、ただの後方火力支援型のランサーだとタカを括った。だが、オレの本当のビルドはな……
待ち伏せから
蛇矛の長いリーチで、確実な不意討ちと毒での一方的な追い討ちを得意とする奇襲型ビルドだったんだよ!」
そして一つのウィンドウが俺にも可視設定で表示される。それを見た俺は息を呑んだ。
デイドの《隠蔽》スキルは、俺の《索敵》スキルと比肩するほどに特化された数値だったのだ。
「それに加え、オレ特製の隠蔽スキルを一定時間向上してくれるポーションも使えば、テメーにすら感知できない環境の完成――」
「なぜだ!?」
「……あ?」
俺は叫び、デイドの言葉を遮った。
「身を隠してたって事は、ユミルの過去と俺達の一部始終を見ていたんだよな……? なのに、どうしてベリーを殺したんだ!?」
「どうしてって…………ハッ」
一瞬不思議そうな顔をしたデイドは、すぐに俺を鼻で笑った。
「知るかよ」
そして言った言葉は、とても簡潔だった。
「オレは言ったはずだぜ!? 目的のためならば、手段は選ばねーってなァ! それになんだ? テメーはそこのガキを……」
デイドはチラリと、背後で呆然と立ち尽くしているユミルを親指で指した。
「あの《死神》を……正真正銘のオレンジプレイヤーの肩を持つのか? 犯罪者だぞ!? 逆にオレが問いたいぜ! なんでテメーら程のヤツらがオレンジの味方なんてしてるのかってな!」
「貴様っ……!」
俺が背の剣に手をかけると、それにデイドは再び鼻で笑った。
「殺すのかよ? テメーに出来るのか、キリト? 出来ねーよなぁ? だって殺しちまったら、ガキの言った『傷付けあって生きている』とか言ってたことに賛同することになっちまうもんなァ?」
「く、そっ……!!」
俺が鞘から剣を引き抜けない姿に満足したのか、デイドは踵を返す。
「……さて、オレはそろそろアイテムを回収して退散するとするぜ。となれば――」
「あ……あ、あ……」
「あ?」
ユミルが小さく喘ぎ始め、その声にデイドが今更の事のように振り向く。
「…………あァ、そうだなァ……」
そして何を思ったか、デイドはユミルの前へと歩み寄った。ユミルはそれに微塵も反応せず、ベリーの足が散った地点から目を微塵も離さず、ただ目を見開いて突っ立っていた。
「――ガキ……テメー、ここで死んどくか?」
「なっ……!?」
デイドが槍の矛をユミルの胸元突き立てようとし始め、それに俺は声をあげる。
「あの迷惑な死神を退治したって名誉も、オレが攻略組ギルドに入れる大きなプラス材料になるだろうしな。なにより……ガキ、悪い事ァ言わねぇ。相棒を亡くした今、犯罪者プレイヤーとして生き続けるくらいなら……せめてもの情けだ。オレが、テメーもアレと同じ場所へ送ってやるよ」
「…………あ、ぅあ……」
ユミルの忘我の喘ぎを肯定と取ったのか、デイドは今度は真剣になった顔付きで、槍をその胸を貫かんと引き絞った。
「やめ――」
咄嗟の俺の制止の声も間に合わず、その槍はあっけなくユミルの胸元へと吸い込まれ――
―――――。
「…………あ?」
そのデイドの不思議そうな声と共に、槍が動きをピタリと止めていた。
「……………」
ユミルの、突っ立っていた体の右手だけが霞む如き速さで動き、その槍の柄を胸の直前で握って受け止めていた。
すぐにデイドが槍を引き戻そうとするが……まるでユミルとその槍が一つの銅像になってしまったかのようにピクリとも動かなかった。
さらに。
――ミシ、ミシ。
と、驚くべきことに、その素手の筋力だけで、槍の柄にヒビが走る。
「テ、テメェ……!」
「…………あぁアア」
直後。
ユミルの体を取り巻くステータス上昇の禍々しい赤いエフェクトが、
「……うァアあぁアアッ……」
再び激しく螺旋を描くが如く鳴動し始め……それに呼応するかのようにユミルの不気味な声が激しさを増していく。
「アァアアッ、あああァア……!」
しかもその勢いと大きさが尋常ではない規模になり、その激しさは治まる気配を全く見せない。
それだけに留まらず、やがてその赤いヴェールが……そこに墨汁を一滴垂らしたかのように、急速に黒へと変色を始めていた。
そして、ユミルは焦点の合ってない目で、大きく息を吸い……
「――――……ッ、うわぁああアアア”ァアアアア"ア"ア"アァアアアアアア"ア"ア"ア"ッッ!!!!」
という狂気と絶望の絶叫が、辺りの空気を支配した。