これで二度目の、地震とも思える地の衝撃。地の爆発が巻き上がる。
その巻き上がる土砂で、大鎌を振り下ろしているユミルと、それを振り下ろされて倒れているデイドの姿が霞む。
「ハァ……ハァ……」
俺は、それを肩で息をしながら待つことしかできない。
やがてその巻き上がった土砂も、森の夜風や重力にしたがって薄まっていき……二人の姿が露わになる。
「……………」
やがて見えた、すっかり乱れてしまった金髪……ユミルは、大鎌を振り下ろした姿勢のまま硬直し、沈黙していた。
その大鎌の刃は…………デイドの首のすぐ横、彼の赤黒く染め抜かれたフードを突き刺す形で墜落していた。そのおかげでその体を吹き飛ばし、HPを全損させるには至ってはいなかった。
そしてそのデイドは……口から泡を吹いて気絶していた。白目を剥き、時々痙攣を起こしている。
……少しして、その頭の代わりに突き刺されたフードがバァンと破裂し、ポリゴンに散ったその様を見届けたユミルは、彼に向けて伏せていた頭をフラリと力なくあげた。その横顔は、夜風にサラサラと揺れる横髪で隠れ、表情が見えない。
「…………ちがう」
そして口を開く。
「ボクは……ちがうっ……」
その言葉は、俺のさっき放った言葉のどちらに対する否定なのかも言わずに、ぽつりぽつりと呟く。
「ちがうのにっ……。でも……ボク……」
その姿の大半を隠すほどに禍々しくなったエフェクトを纏ったまま……彼は、それとは正反対に静かなるまでに佇んでいた。
「コイツを、お前達を……殺したくて、復讐したくて、堪らない、よっ……!」
途切れ途切れに、恐らくは俺に話しかけている。
「……あは、あははっ」
笑う。
乾いた声で。
余りに儚過ぎる響きで。
「どうしよう……? ボク……ル、ルビーどころか……ベリー、まで……大切なもの、ぜんぶ、な、何もかも……失くしちゃ、た……」
そして。
「――ねぇ……どうしよう、キリト……?」
その顔を、俺に向けた。
「――――……ボク、もう……憎くて憎くて憎過ぎてっ……もう……わけ、わかんないや……」
その顔は……笑っていた。
しかし……それは『笑顔』とは言えなかった。
言えるものか。
……涙で頬を濡らし、今にも壊れそうなこの顔を、笑顔と呼べるものか。
誰が認めるものか。これが、ユミルが俺達に初めて見せた笑顔だと……誰が認めるものか。
が……突然、その笑顔とは呼べぬ表情が、ぐしゃりと崩れた。
「あ"ァッ……!! あァァア"ガ"ア"ア"ア"ッッ!!」
ユミルは突如激しい頭痛が襲ってきたかのように頭を抱え、大きく髪を振り乱し始めた。
「ア"ァアア"ア"アアッ!! 憎いっ!! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いッッ!!!!」
まるで壊れてしまった人形のように、同じ単語を繰り返し絶叫し始める。
いや……
――――………………もう、ユミルはとっくに……壊れて、しまっていた。
「ユミル……お前っ……!」
それを見た俺の目から熱い水が滲んで来て、それに顔を伏せてしまう。
いや……もう、目を逸らしてはダメだ。
俺は……彼を見なくてはならない。
彼が戦う前に、俺に選択を迫った時から直視していなかった彼を……俺は顔を上げ、真正面から見つめた。
「キリト君……?」
後方から、アスナが声をかけてくる。
だが俺は、苦しむユミルを正面に据えたまま、クリアになった思考を巡らせていた。
この子は、ほんの少し前までは、俺達と同じ……いや俺達よりも幼い、普通の……本当に普通の子供だったのだ。
両親が大好きで普通に甘えて。友達が欲しくて普通に寂しがり。それでも気丈に人を信じ、可憐な笑顔を振りまいていた。
本当は素直で、情緒があって、感受性が豊かで、それでいて泣き虫で。
なかでも取り分けて動物思いな、あんなに……あんなに心優しい子だったのだ。
それが……
こんなに……こんな、
酷い暗闇の姿にまで、汚れてしまった。
あんな……あんなにも純粋で、あんなにも優しかったあの子を、こんなにまで壊してしまったのは。
――他でもない……俺達、人間だ。
――……なぁ、ユミル。
この世は、こんなにも冷たい世界だ。
さぞ失望したことだろう。
さぞ絶望したことだろう。
さぞ泣いたことだろう。
さぞ辛かったろう。
さぞ苦しかったろう。
……だから。
「……もう、いい。もういいよ、ユミル……」
俺は、今まで頑張ってくれたボロボロの《エリュシデータ》を背の鞘に仕舞う。
「もう……これ以上、苦しまなくていい。だから――――これで、もう……終わりにしよう」
そして俺は、もう一本の剣を引き抜く。
青みを帯びた、白銀の剣――――《
暗闇を払うもの》を。
「キリトさんっ……!?」
「ダメよっ、そんな……そんなのっ!!」
背後からリズベット達の制止の声がかかる。
だが……
「それじゃダメなんだッ!」
俺は即座に叫び首を振った。
「俺達とユミルはっ……本当の意味で、真正面から向き合わなくちゃならない!!」
俺のHPは、今までの戦闘で半分以下にまで削れてしまっている。
対してユミルは9割以上を残しているが、外見では見えぬ数値上での惨状は言わずもがな。
……恐らく、互いに一撃でもまともに攻撃を喰らったら、死ぬだろう。
しかし。
……だからこそ、だからこそだ。
そうして、俺とユミルはここで初めて、真正面から向き合うのだ。互いに本当に知り合い、この事件を終わらせる。
――そして……もう、ユミルを……楽に、させてやるのだ。
「でもっ、こんなのっ……こんなのってないよぉ!!」
俺の心情を察したアスナが、泣き叫ぶ。
しかし、もう俺の決意は変わらなかった。
剣を構え、ユミルとしっかりと対峙する。
目に溜まりかけていた雫を、コートの袖で拭い払い。
己を昂ぶらせるように、あるいは冷静でい続けられるように、大きく大きく息を吸い……
「……来いユミルッ!!」
まっすぐと、ユミルに向けて声を届ける。
「ッ!!」
未だ頭を抱え苦しんでいた、もはや憎しみの塊となったユミルが……自我を失った獣の如く、ガバッと俺をその眼光で射抜く。そして地に突き経っていた大鎌の柄を乱暴に握る。その体の漆黒のエフェクトが、大鎌に伝染していく。
「ユミルッ! 俺が……人間が憎いか!?」
「憎イッ!! 憎イ憎イ憎イ憎イ憎イッッ!!!!」
ユミルは条件反射のように即座に叫び返してくる。肉切り歯を剥きながら、何度も叫ぶ。
「ならば来いっ!! これが最後だ!! 俺がっ……お前のその憎しみを全部、俺が受け止めてやるっ!!」
「ガァァアアッ!!」
俺のその言葉を合図に、言い終わったとほぼ同時に狂乱のユミルが猛獣の如く俺へと突撃してくる。
走るたびに、穴が開き負傷した右腕で引きずっている大鎌が地をガガガガと引き裂いていく。
それを迎える俺も、剣を水平に寝かせ、腰を捻って大きく引き絞った。
俺の数あるソードスキルの中でも、最も高い単発威力の持つ、単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》。
俺の右腕と剣が、ジェットエンジンのアイドリング音に似た重低音と共に深紅の光芒に染まる。
ユミルの大鎌が、体と手から伝染していた漆黒の激しいヴェールを完全に纏う。
もう、二人を妨げるものは何も無い。
二人の距離が、急速に縮まっていく。
「おおおおっ……!!」
「ギリドッ……キリトォォォオオ"オ"オ"オ"ッ!!」
俺は一段と剣を引き絞り、ユミルは大鎌を振り上げた。
そして、最後の一撃が……
ダークリパルサーが、爆発音と炎のように燃え盛るエフェクトと共に突き出され。
死神の大鎌が、暗闇の奔流となって雪崩れ振り下ろされた。
「――――せらぁぁあアアアアアッッ!!!!」
「――――死ネェェエ"エ"エ"エ"ッッ!!!!」
「――――やめてぇええええええっっ!!!!」
俺達とアスナの叫びが重なり……
真紅と白銀を纏った漆黒と、漆黒を纏った白金と翠が衝突し……
直後、それは辺り一帯の視界を一瞬で塗りつぶした。