リリカルってなんですか?
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無印編
第十話
突然現れた高町さんに気を取られていたのは、どれほどの時間だっただろうか。少なくとも長時間ではないことは確かだ。そんなに長時間もの間、高町さんに気を取られていたとしたら、僕の背後で吼えている得体の知れない何かは、間違いなく僕を襲っていただろうから。
ところで、ここに来たということは、高町さんが僕とイタチくんにとっての救世主なのだろうか。だとすれば、神様も相当に意地が悪い。僕が望んだのは、荒事に慣れていそうな青年男性だったというのに。どう見ても、高町さんはその条件とは正反対の人間である。
しかしながら、そんな風に考えている時間はあまりない。
「高町さんっ! こっち!」
気を取られていたのも一瞬。転倒していた身体を起こし、跳ね上がる力を利用して一気に加速する。その際に高町さんの手を引っ張っていくことを忘れずに。彼女に事情を話すにしても後ろにバケモノがいる状態では話もできない。
こいつの特徴として、あまり知能が高くないことが分かっている。曲がり角でも曲がった方向を確かめるのではなく、曲がり角で一旦停止をしてから僕のほうへ向かってきたことからも明らかだ。
今までは逃げることだけで目的にしてきたため、その間も走ってきたが、今は時間稼ぎに使わせてもらうことにしよう。
幸いにして、この先にあるのは十字路。つまり、僕が逃げる方向は三箇所あるわけで、その選択肢が増える分だけ、時間が稼げる。その稼いだ時間でこの状況を打破する方法を考えなければならない。
「イタチくん、もう一人っていうのは高町さんで間違いない?」
もしかして、という意味もこめて僕はイタチくんに聞くのだが、その願いは悪い方向へと外れてしまった。
「ええ、間違いありません。僕のなけなしの魔力で封時結界を張ったので。この空間に侵入できるのは魔力を持った人間だけです」
名前から察するにこの空間を閉鎖する結界なのだろう。それは、現実世界に影響を及ぼさないためか。確かに、逃げてくる間、得体の知れない何かからの触手のようなものから攻撃のせいでコンクリートに穴があいていたからな。もしも、これが見つかれば、明日は大騒ぎだろう。
そして、魔力を持った人間というのは、僕ともう一人だけだったということか。
なら、残念なことに高町さんがもう一人の魔力を持った人間だということで間違いないのだろう。
実に情けないことに僕は精神年齢から言えば年下の女の子に頼らないとこの場を切り抜けることはできないらしい。
しかし、僕はちらっ、と手を引かれて僕の後ろを走る高町さんを見る。
彼女は、あの得たいの知れない何かを見て何の感情も抱いているようには見えなかった。今も冷静な目をして僕を見ている。何かを問うような表情もしていないし、困惑している様子もなければ、恐怖に歪んでもいない。
まるで、感情という器官が停止してしまっているように思える。
最後に高町さんの姿をきちんと見たのは、一年ほど前だろうか。高町さんが不登校になったときに高町さんの日頃の様子を探りはしたが、探っただけで彼女に直接出会った訳ではない。つまり、クラスメイトだった日々が最後だというわけだ。だが、少なくともそのときはこんな風な表情をするような女の子ではなかったはずだ。一体、彼女に何があったというのだろうか。
しかしながら、今はそんなことを考えている暇はなかった。僕は、交差点の角を曲がると、高町さんを前に連れてきて、すぐ傍にあった電柱に隠れるようにして、背を預けて、ズルズルとずれてその場に座り込んだ。
長時間走り続けたせいか、かなり息があがっている。正直、息が整うまで待って欲しかったが、そんな時間も惜しかった。
「高町さん、まずは、来てくれてありがとう」
正直言うと、もしかすると魔力を持っている僕以外のもう一人は来てくれないんじゃないか、という疑惑を持っていた。なにせ、頭の中に響く声だ。僕は、自分自身が超常現象だから、ある程度信じられたが、普通の人ならまず信じられない。もしも、誰かに言ったとしても、それは都市伝説である黄色い救急車を呼ばれてしまうだけだろう。
だから、感謝を告げる。まだ、助けてもらったわけではないけれども、来てくれただけで十分嬉しかったから。
もっとも、ここで下手を打つとこの場にいる全員が死んでしまうわけだが。できるだけ、そんなことは考えないようにした。
「後は、魔法に関してなんだけど……」
僕は、僕が座り込んでいる隣で大人しくしていたイタチくんに視線を向け、持っていたレイジングハートと呼ばれた赤い宝石を渡す。それだけで僕の意図を汲んでくれたのだろう。僕が未だ持っていた赤い宝石を口にくわえると、高町さんの前に立って魔法に関する説明を始めた。
さて、これでしばらく僕はお役ごめんだろう。少しの間とはいえ、体力を回復させてもらおう。
やはり小学生の身体でここまで走るのは無謀だったのだろう。洋服は既に汗でびしょびしょだ。家に帰れたら、もう一回お風呂に入らなきゃな。
そんな少しの安寧を得た僕は平凡なことを考えながら、高町さんを見ていた。
まるで、表情の見えない高町さんだったが、イタチくんから赤い宝石を受け取ると、それを真剣な目で見ていた。いや、それは真剣な、と形容するよりも思いつめたという形容のほうが正しいだろうか。何が原因か分からないが、必死という言葉が彼女には似合うように思える。
一体、初めて出会った魔法というものにここまで必死になれる理由とはなんだろうか。
僕は、体力を回復させるために休んでいる傍ら、思考をそちらへと飛ばしていた。
もしかすると、彼女は、魔法を使うことに憧れる女の子だった? だが、そうなると嬉々とした表情を浮かべるならまだしも、イタチくんの言葉を一言一句逃さず聞こうという鬼気迫った表情とまるで赤い宝石が最後の希望のようにぎゅっと握る手を示すものがわからない。
もっとも、僕が考えたところで正解が分かるわけではない。こうだろうという答えを見つけることはできても、正解を見つけることなどできない。なぜなら、僕は蔵元翔太であり、高町なのはではないから。
彼女の気持ちを想像はできるが、体感することは不可能だ。その人の感情はその人のもので他人とは共有できないものである。
さて、そんな下らないことを考えているうちに彼女も赤い宝石との契約ワードの詠唱に入った。
あのアニメや漫画の中でしか言わないような僕からしてみれば恥ずかしい詠唱を高町さんはつっかえることなく言い切った。
その詠唱を終えた刹那、変化は始まった。
―――Stand by Ready, Set up.
そんな起動音のようなものが赤い宝石―――レイジングハートから聞こえ、直後、レイジングハートから飛び出した光が大気を振るわせた。
僕の身体にもビリビリと何かを感じる。まるで、何かの波動を感じているかのように。そして、それがとてつもなく大きなものだということは肌と本能で感じ取ることはたやすかった。
「なんてすごい魔力だ……」
イタチくんの呟きから、この波動が魔力であることが察せられた。しかも、彼の驚きようから考えるにこの力というのは感じたとおり途方もなく大きなものなのだろう。
そんな力が渦巻く中、高町さんは困惑しているだろう、と思っていたが、実際は違った。
―――彼女は笑っていた。
まるで念願のおもちゃを手に入れた子供のように笑っていた。
人が思いもよらない大きな力を手に入れたとき、それが権力だったり、財力だったり、腕力だったりするのだが、そういうものを手に入れたときの主だった反応は二つ。
一つは、その思わず手に入れてしまった力に困惑し、うろたえてしまうような反応。
もう一つは、その力に酔ってしまうこと。巨大すぎる力を手に入れてしまったことで、気が大きくなり、その力をむやみやたらと振り回してしまうことだ。
まさか、とは思うが、高町さんの反応は後者に近いように思われた。
だが、そんな僕の考えを余所に事態は進んでいく。
「想像してくださいっ! 貴方が魔法を制御するための魔法の杖と身を護る強い衣服の姿をっ!」
さすがに急に言われても、すぐに想像できるはずがない。現に、高町さんは考え込むように目を瞑った。しかし、それも少しの間だ。高町さんが瞑った目を開くと同時にレイジングハートの光が増し、彼女を覆い包む。
一体全体中で何が起きているのだろうか。その答えはすぐに出された。
光が解けると同時に高町さんの姿が見える。ただし、その姿は光に包まれる前とは違っていた。つい先ほどまで着ていた私服とは異なる服装だ。
聖祥大付属小学校の白を基調とした制服によく似た服を着ている。さらに、彼女の左手には宝石を大きくした宝玉とも言うべきものが先端についた杖が存在していた。
「これが……魔法」
その呟きは誰のものか。僕のものだったかもしれないし、高町さんのものだったかもしれない。だが、どちらにしても同じことだ。僕が言ったにしても、高町さんが言ったにしても、感じていることはおそらく同じことだろうから。
呆然とする僕と高町さん。イタチくんは、成功だ、と言って感動しているようにも見える。
だが、そんなに悠長にしている時間はどうやら僕たちに与えられることはないようだ。
――――GYAAAAAAAAAAAAN
高町さんの魔力解放が引き金になったのかもしれない。上手いこと電柱の影に隠れていた僕たちの姿がどうやら得体の知れないものに知られてしまったようだ。僕の背後から見つけたぞ、といわんばかりの咆哮が聞こえた。
さて、どうする?
頭の中で選択肢を租借しながら、僕は電柱の影から離れた。このままでは逃げ道が少ないからだ。道路の向こう側には、確かに僕を追っていた得体の知れない物体が立っていた。
僕の頭の中には二つの選択肢があった。一つは、今までどおり逃げること。もう一つは、ちょっと情けないけど高町さんに任せて逃げること。だが、対抗手段を持っているのはもはや高町さん以外にありえない。
しかしながら、対抗手段は持っているものの、その力がすぐに使えるわけではないだろう。僕にはレイジングハートを起動することすらできなかったのだから、その先は分からない。イタチくんにまかせるしかないのだが。
どうやら、得体の知れない何かは、その選択肢を選択させる暇もイタチくんに説明の暇を与えるつもりはないようだ。
見つけた、とばかりの咆哮を終えた後に、すぐさま、得たいの知れない黒い部分から伸びた黒い触手をこちらに向かって一直線に伸ばしてくる。そのスピードは目で追えないほどに早いというわけではない。
だからだろう。高町さんが僕の前に出ることができたのは。
そうして、僕に背を向けて彼女はかざす。自らが想像した杖を。そして、その杖が告げる。彼女に得体の知れない何かに対抗するための呪文を。
―――Protection.
呪文のように発せられた文言の後に発生したのは、桃色の壁。その壁は高町さんと触手を別つ絶対の障壁のように展開された。
事実、触手は壁を貫くことはできない。それどころか、触手のほうが力負けして、押し戻されている。さすがにこのままの状況では勝ち目がない、と悟ったのか、得体の知れないものは、自らが伸ばした触手を戻した。
「すごい」
それは、イタチくんの呟き。
僕もすごいとは思うが、それが果たして何を基準にしてすごいというのか分からない。魔法なんて見たことないから。
だが、誰が、教えられて僅か十分で、魔法が使えるというのだろうか。得体の知れない物体と戦うことができるというのだろうか。漫画のヒーローではあるまいに。これが現実だとすれば、答えは唯一つ。
高町なのはは、魔法に関して言うと、一を学んで十を知る天才だったというだけの話だ。
高町さんと得たいの知れない物体との睨み続く。得体の知れない物体は、うねうねと触手を動かすことで高町さんを威嚇しているようにも見える。威嚇にしか見えないのは攻めてくる気配がまったくないからだろう。知能が低いとは思っていた分、どうやら高町さんを適わない敵だと認識できるほどには本能的に強いらしい。
一方の高町さんは、得体の知れない物体に向かって杖を向けているだけ。彼女は、まだ何も使い方を学んでいないはずなのだが。どうやって魔法を使っているのだろうか。本当に謎だった。
しかしながら、これはチャンスだった。イタチくんが高町さんに状況を説明する絶好の。
「イタチくん、高町さんに魔法の説明を」
「あ、はいっ!」
僕のその呼び声に反応して、杖を構えたままの高町さんにイタチくんは魔法に関する説明を始めた。僕も初めて聞く話だったが、大まかにまとめると、魔法というのは、術者本人が持つ魔力をエネルギーにし、プログラムを発動させるというものらしい。あのレイジングハートの中には、簡単な魔法が登録されているようだ。簡単な魔法は、思うだけで使えるらしいが、大規模なものになると呪文が必要らしい。そして、その呪文は―――
「心を澄ましてください。そうすれば、貴方の中で貴方だけの呪文が浮かぶはずですっ!!」
果たして、それだけで使い方が分かるものなのだろうか。実際にレイジングハートを起動できなかった僕には分からない。
さて、得体の知れない物体―――ジュエルシードとやらの思念体と高町さんの対峙はいったいどれだけの時間がたっただろうか。短かったかもしれない。長かったかもしれない。僕にはいまいち時間の感覚が分からなかった。
まるで、両者とも動けばやられるという雰囲気を醸し出しており、僕もイタチくんも動くことはできなかった。
ごくり、と緊張のあまり、つばを飲み込んだ音が周りにも聞こえてそうだ。そして、まるで、その考えを肯定するように直後、状況が動いた。
思念体が直接、その僕たちよりも大きな身体を生かして突っ込んできた。まるでダンプカーが突っ込んでくるようなものだ。それに対して高町さんの行動は、先ほどと同じだった。
―――Protection.
レイジングハートの声と共に再び現れる桃色の絶対障壁。先ほどは触手で、今度はその巨体が丸々突っ込んできたわけだが、高町さんにはまったく関係のない話らしい。負荷は増えているように思えるが、それでも高町さんは一歩も引くことなくその巨体を受け止めていた。杖をかざし、バチバチと障壁と触手の間で散らしている火花をじっと見ているように思える。
やがて、高町さんと思念体の力比べは、終わりを告げた。思念体の身体が四方に散らばることによって。しかし、その散らばった欠片でさえ、コンクリートの塀に刺さるほどの硬度と速度を持っているらしい。力は質量と速度で表せることから、欠片でもその力を持っていたのに、それらの塊を一歩も引かずに支えていた高町さんの障壁はいったいどれほどの硬度だというのだろうか。
「……これで終わり?」
「いえっ! まだですっ! ジュエルシードの封印をっ!!」
塊が散らばった程度では終わりではないらしい。気を抜きかけた僕を叱咤するようにイタチくんの声が響く。確かに、思念体は生きているようだ。高町さんから少し離れたところで、アスファルトを砕くほどの大きな塊から触手が伸びて、欠片を回収している。
しかし、イタチくんの声に反応した高町さんのほうが行動は早かった。高町さんは、再び杖を構え、抑揚のない声で呪文を紡ぐ。
「リリカル・マジカル―――ジュエルシード封印」
―――Sealing Mode.Set up.
レイジングハートが形を変える。杖の部分から桃色の光による翼が生えている。そして、レイジングハートから伸びる桃色の光の帯が、ようやく回収を終えた思念体の巨体に巻きついていた。それが苦しいのか思念体は、苦しむような声を上げている。
だが、そんなものはあっさりと無視して高町さんはさらに言葉を紡いでいた。
―――Stand by Ready.
「リリカル・マジカル。ジュエルシードシリアル21封印」
呪文を終えると同時に光の帯は思念体を握りつぶすように思念体を締め上げ、最後には思念体の断末魔と目を開けていられないほどの光を残して思念体は姿を消した。
「これで、本当に終わり……?」
「ええ、封印成功です」
僕は、ほっ、と胸をなでおろした。なぜなら、これで少なくとも僕にとっての命の危険性はなくなったからだ。もっとも、戦ったのは、高町さんで僕は後ろから見ているだけという情けない結果ではあったが。
しかしながら、酷い有様だ。アスファルトは陥没しているし、周りのコンクリート塀は、穴だらけ。さらに、思念体の欠片が、飛散したときの余波か、電柱が折れていた。
「さあ、ジュエルシードをレイジングハートに格納してください」
言われて気づいたが、陥没したところに蒼い宝石が転がっていた。これが、ジュエルシードなのだろう。
高町さんは言われたとおりに聖祥大付属小の制服に似た服装のまま、蒼い宝石に近づき、レイジングハートをかざすと、蒼い宝石はレイジングハートの中に吸い込まれていった。
それと同時に今度は、高町さんが光りだす。今度はなにが起きたんだ? と思う間もなく結果は目に見えて分かった。高町さんの服装が元の私服に戻り、レイジングハートは赤い宝石に戻ったからだ。
高町さんはきょとんとした様子で、赤い宝石に戻ったレイジングハートを見ていた。
「これで、本当に終わりかな?」
「ええ、彼女のおかげで」
本当に全部、高町さんのおかげだろう。僕は、助けるために飛び出したにも関わらず、情けないことにこの場では、傍観者でしかなかった。結果論からいえば、みんな助かって万々歳なんだろうけど。
「高町さん、本当にありがとう。君のおかげで助かったよ」
僕は、呆然としている高町さんに肩を叩いてこちらに顔を向けさせると、改めて御礼を言った。彼女がいなければ、僕は間違いなく屍を晒していただろうから。
その言葉を聞いた直後は、きょとんとしていた彼女だったが、やがて驚いたような表情をしたかと思うと―――
「うんっ!」
高町さんは、僕が真正面から初めて見る満面の笑みを浮かべたのだった。
◇ ◇ ◇
「しかしながら、これはどうしたものかな?」
僕は周りの惨劇を見ながらぽりぽりと頭の後ろを掻きながらどうにもならない現状を嘆いていた。
アスファルトが陥没し、コンクリートに穴が開き、電柱が折れている。地震でも起きたのではないか、という状況だった。
こんな状況が放置されれば、確実に事件になるのは間違いない。
「あ、大丈夫ですよ。この状況はすぐに元に戻ります」
イタチくんがそういった直後、まるでシャボン玉でも割れたようなパンッという音が鳴り、世界に音が戻った。
風の音、風が揺らして葉っぱがこすれる音、遠くを走る車の音。世界に生きる様々な音が今更のように蘇っていた。
そして、先ほどの惨劇は、綺麗さっぱりなくなっており、そこにはジュエルシードの思念体が、暴れる前と同じく綺麗なアスファルトとコンクリート、折れていない電柱が存在していた。
「……すごい、これも魔法なの?」
高町さんが感心したように呟く。それは、僕も同じ感想だった。明らかに僕が知るエネルギーやら法則を無視した結果のように思えた。
「ある意味では。先ほどのまでの空間は、僕の封時結界の中でしたので。こうして結界さえ解いてしまえば、元通りです」
「そんなこともできるのか」
素直に感心せざるを得ない。空間だけを切り取るなんて、物理的な概念を超えている。これこそ、まさしく御伽噺やアニメ、漫画の中でしか出てこない魔法そのものではないか。
高町さんの思念体と戦ったときの魔法といい、今のような魔法といい、実に好奇心を刺激してくれるようなものだ。どうやら、レイジングハートに適正はなかったものの、僕にも魔法自体の才能はあるみたいだから、もし時間があれば、可能な範囲でいいから教えてもらったのに。
しかし、残念なことにそれは叶わないだろう。
「それで、イタチくんはこれからどうするの? 自分の世界に帰るのかな? あるいは、観光していくつもりなら、この周りでいいなら、僕が案内するよ」
もう目的のジュエルシードとやらの封印は高町さんが先ほど終了させた。ならば、彼の目的である探し物は、すでに見つかっており、ここにいる理由もないだろう。僕はそう思ったのだが―――
「え?」
「え?」
「……え?」
三者三様の驚き。上から順番にイタチくん、高町さん、僕だ。
僕にはなぜイタチくんが驚くのか分からない。もう、彼の目的は終了したはずなのに。それとも、これ以上、ここに留まる理由があるのだろうか。
「イタチくん、君は他に―――「なのはっ!!」
驚いた理由を問いただそうとした僕の声をかき消すような大声が夜の道路に響いた。
その声から高町さんの名前を呼んだのは男性のものであることが伺える。あまりの大声に僕たちは、その声の方向を向く。そこにいたのは、肩を揺らしながら全力で走ってくる男性。ぱっと見た感じ、二十歳前後のように思える。
「お兄ちゃん……」
高町さんの名前を知っていることから、彼女の関係者かな? と思っていたら、案の定だった。高町さんのお兄さんは、僕たちを認識するとすぐさま、全速力でこちらに向かってきていた。
しかしながら、僕たちが見たときはかなり遠かったのに、その距離を全速力で走って息切れ一つないってどれだけの体力を持っているというのだろうか。そんな彼は、僕たちの元に着くと、すぐさま僕に不審な目を向けてきた。
「……君は?」
「こんばんは、僕は、高町さんの元クラスメイトの蔵元翔太です」
不審な目を向けられて、動揺してしまえば、不審者ですといっているようなものだ。あえて、堂々と挨拶までつけて自己紹介をおこなう。それが功を奏したのか、高町さんのお兄さんは、僕に不審な目を向けるのをやめてくれた。
「なのは、ダメじゃないか。夜に誰にも言わずに外に出ちゃ」
「……ごめんなさい」
お兄さんに窘められた高町さんは、素直に謝った。だが、高町さんが外に出たのは、彼女のせいじゃない。むしろ、僕が助けを求めたからだ。高町さんはそれに応えてくれただけ。ならば、僕が何もせず高町さんが怒られているのを見るのは忍びなかった。
「あの、すいません。高町さんのお兄さん。高町さんが外に出たのは、こいつのせいなんです」
僕は、道路に立っていたイタチくんを持ち上げる。きゅー!? と鳴いたような気がするが、高町さんのためにも我慢してもらうと思う。
「こいつが逃げ出したらしくて、高町さんはそれを追いかけてくれただけなんですよ。街中でイタチなんて珍しいでしょう?」
「それは、君のペットなのかい?」
「いえ、正確には保護しただけです。今日、森の中で倒れていたのを見つけたんです。少し目を離した隙に逃げてしまって」
正確には動物病院に預けていたのだが、預けていた動物が逃げ出してしまうような動物病院は確実にダメな動物病院だろう。人の口に戸は立てられない。しかも、口コミというのは意外と厄介なもので、一度噂として広まってしまっては手遅れだ。だから、一応、僕が保護していたことにしておいた。
もっとも、事実の中のちょっとした嘘なので見破られる可能性は殆どないだろう。
「事情はわかった。だが、やはり、夜、勝手に出て行くのは危険だ。今度からは俺たちに一声かけていくんだぞ」
コクリと頷く高町さん。たぶん帰って怒られてしまうかもしれないが、これで少しは事情が分かってもらえればいいのだが。
「さて、君の家はどこだ? こんな夜だ。ついでに送っていこう」
「……それじゃ、お願いできますか」
親切心からの言葉なのだろう。しかも、ここで断る理由はどこにもない。むしろ、断ることこそが後ろめたいことを隠しているようで僕には断ることはできなかった。
◇ ◇ ◇
歩いて十五分。それがあの場所から僕の家までの時間だった。
「今日は、ありがとうございました」
「いや、礼には及ばない」
僕がお礼と同時に頭を下げると、謙遜するように高町さんのお兄さんが言う。ある程度は形式めいたものだが、やらないよりもやったほうがお互いに気持ち良い。
お互い、形式めいた言葉を交わし終えて、今日はこれで終わりとばかりに背を向けて帰り始めた。
「高町さん」
僕は高町さんのお兄さんと同様に背中を向けた高町さんに言葉を投げる。
「また明日」
途中で遮られていた言葉の続きを聞こうという意味も込めて僕は高町さんに別れの言葉を告げた。
振り返った高町さんは、僕の言葉になぜか少しだけ驚いたような顔をしていたが、すぐに僕がお礼を告げたときのような笑顔になって、うん、と頷いてくれた。
二人の姿が小さくなり、やがて消える。そうして、ようやく僕は家に入れるようになった。
「さて、君の事はどうやって言い訳しようかな?」
「ごめんなさい。僕のせいで」
「いや、あの場面で助けられなかった分、このぐらいはね」
僕の家の問題は秋人だけだから、僕の部屋だけしか移動させないと確約すれば大丈夫だろう。
だが、その考えはどうやら甘かったようだ。いや、イタチくんのことは認めてもらったのだが。僕の頭の中は二十歳に近くても身分も身体も小学生だ。つまり、親としては夜に出歩くなんて言語道断なわけで、この日、僕は生まれて初めて本気で両親に怒られたのだった。
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