コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十八章―邂逅の果て―#19
「どう?」
精霊樹の森にある“お城”の一室に設けたラナ姉さんのアトリエで、私はくるりと回ってみせた。
私が身に纏う漆黒の準礼服に上下前後余すことなく視線を廻らせて、ラナ姉さんは頷く。
「うん、いいわ」
この黒地に銀のパイピングと刺繍を施した準礼服は、“特務騎士”として活動されるレド様に従う際に着用するものだ。
勿論、レド様とディンド卿にも、揃いの準礼服を用意している。私の側近となったミュリアにもあつらえる予定だ。
「この【刺繍】っていう【技能】、ブーツにまで使用できるのは便利だわ」
今履いているこの漆黒のサイハイブーツは、支援システムで取り寄せたもので、ラナ姉さんの【技能】によって銀糸の刺繍を施されている。
慰労パーティーのときのブーティ同様、いつもより細くて高いヒールだけど、安定していて歩き心地は悪くない。準礼服も含め、明日の鍛練から着用して慣らしておかないとな。
「ね───辞令式で着る準礼服に合わせてブーツも用意したら、履いてくれる?」
これまでは非常時のために自前のサイハイブーツに拘っていたけど、慰労パーティーでブーティを履いてみて、支給品なら支障はないと判ったので、ラナ姉さんが用意してくれると言うのを無下に断る必要もない。
「うん、いいよ」
私の答えに、ラナ姉さんが珍しく満面の笑みを浮かべる。あ、これは、新しいブーツが一気に増えそうだな…。
「後はミュリアさんの分ね」
「私が、これを元に【創造】で創ろうか?」
ラナ姉さんは、レド様と私だけでなく、仲間たち全員の服装を一手に引き受けてくれている。新年度間近になって、また仲間が増えて、大変なはずだ。
ミュリアは、仲間となって日が浅いが────すでに私の加護と祝福を受けて、【魂魄の位階】が昇格しているため、遠慮なく【最適化】を施すことができるので、私の準礼服を模して創ったものを【最適化】すればいい。
「でも、大丈夫?」
「大丈夫だよ。ここでは精霊樹の魔素を流用させてもらえるから、あんまり自分の魔力を使うこともないし。材料がなくても、魔素だけで創れるしね」
「それなら、お願いしようかな」
「解った。あ、だけど、ミュリアはショートパンツじゃない方がいいよね?」
「そうね。ミュリアさんには膝上丈のタイトスカートなんか似合いそうだけど…、やっぱり戦いにくいだろうからダメよね」
準礼服でタイトスカート。確かに、女性にしては長身で一見クールなミュリアなら似合いそう。それは見てみたいかも。
まあ、でも、ラナ姉さんの言う通り、戦闘を視野に入れたら無理だな。
「そうすると────今穿いているみたいな細身のスラックスに、ロングブーツかな。────ミュリア、何か要望はある?」
黙って少し離れたところで控えているミュリアに振り向いて訊ねると、ミュリアは顔を綻ばせた。
「リゼラ様のご提案の通りでお願いします」
笑顔のまま、ミュリアは答える。
私の側近となってからずっと、こうして話しかけるだけで本当に嬉しくて仕方がないといった感じなので、ちょっと面映ゆい。
これまでの経緯を考えると、そうなるのも当然かもしれない。まあ、しばらくすれば、落ち着くだろう。
ミュリアは────私たちの事情を知ると、少しも迷うことなく私の加護を授かりたいと言ってくれた。家族と会えなくなると説いても、それでも不老長寿となって最期まで私に仕えたいと────そう言ってくれた。
敬称をつけないのもタメ口も、ミュリアたっての希望だ。
私としては、正直、年長者を呼び捨てにして敬語を使わないというのは落ち着かないのだけれど────人生を捧げてくれたミュリアのお願いを無下にするわけにはいかない。
それに、他の仲間たちと違って、ミュリアは私が雇い入れたのだから、主として相応の態度をとる必要もあった。
「ピンブローチも創らなきゃね。ミュリアさんの場合は、リゼの“ファルリエムの貴族章”を模したものになるのよね?」
「うん。アレンジを加えないといけないから、先にデザインを決めないと」
「解った。後でいくつか図案を起こしておくわ」
「お願い」
◇◇◇
ミュリアの準礼服を創り上げた後、私たちは外のテラスで休憩をとることにした。お茶とお菓子を取り寄せて、テーブルに並べる。
主である私と同じ席に着くわけにいかないと固辞するミュリアを、ラナ姉さんが説得して座らせる。まあ、そんなこと言われたら、ラナ姉さんも一緒にお茶するわけにはいかなくなるしね。私としても、それは寂しい。
姿をくらませて警護してくれているジグにも一応声をかけたけど、やっぱり断られてしまったので────私たちだけお茶をするということに気が引けつつも、マグカップに口を付ける。
「綺麗ですね」
湖を眺めて、ミュリアが呟く。釣られて湖の方に眼を遣ると、レド様の瞳のような淡紫色の水面が陽光に煌めいて眩しい。
しばらく、私たちは無言で湖を眺めていたが────誰からともなく、マグカップに入ったハーブティーを飲み始める。
ミュリアが、ラナ姉さんに勧められた貝型のマドレーヌを一口齧って、美味しかったのか眼を見開いた。その様子に口元を緩めていると、ラナ姉さんが切り出した。
「ねえ、リゼ。殿下が“特務騎士”に任じられたら、各地を転々とすることになるのよね?」
「そうなると思う」
「わたしたちは必要なときだけ、合流することになるのよね?」
「うん。ミュリアは勿論、ディンド卿とヴァルトさん、セレナさんとアーシャ、それにバレスとハルドにはついて来てもらうけど────ラムルとカデア、ラナ姉さんには、普段は皇都にいてもらって、派遣された領地の貴族邸に滞在するときだけ招ぶ形になるかな。ラギとヴィドは状況に応じて、だね」
ラナ姉さんは愛用のマグカップをテーブルに置き、背筋を伸ばして、何だか改まった態度になって口を開く。
「あのね、それならお願いがあるんだけど……」
「なあに?」
「わたし…、皇都にいる間だけでいいから、人間の体について、というか────治療の仕方について勉強したいの」
ラナ姉さんの思いがけないお願いに、私は眼を瞬かせる。
「治療の仕方?────医術ってこと?」
「そう、それ!医術について学びたいの」
「どうして、突然?」
「ラギとヴィドがケガしたでしょ。あのとき、自分の魔力で【神聖術】を使わないといけなくて────足りなくなるといけないから、二人がどこをケガしてるか調べて、ケガしてる個所に【神聖術】をかけることになったんだけど…、わたし、ケガしてる部分の名前が読めなかったの」
「読めなかった?」
「うん。【解析】で調べたんだけど、専門用語なのか、名前のところだけ全然読めなかったのよ」
まあ、臓器や器官の名称やその綴りなんて、普通は知らない。ラナ姉さんが読めなかったのも無理はない。
「それなら、あのときはどうしたの?」
「ラドア先生が読んでくれたの」
「………ラドア先生が?」
ラドア先生は、文字の読み書きが全くできなかったはずだ。簡単な数字すら読めないって言っていたのに────臓器や器官の名称だけ知っていた、ということ?
「ラドア先生は、昔、施療院を手伝っていたことがあるんだって。だから、知っていたみたいよ。名前を読んでくれただけじゃなくて、それがどこかも教えてくれたの」
「………その名称の綴りは覚えてる?」
「覚えてはいないけど、メモは残ってるよ」
「見せてくれる?」
ラナ姉さんは頷いて、羊皮紙を取り寄せる。
それは私が以前ラナ姉さんのために作って渡したもので、デザインのアイデアやラフ画を描くのに使っている。左下の空白部分に、墨果筆で書いたと思しき文字が書かれていた。
文章の合間に入る臓器や器官の名称と思われる個所が目につく。
それはどう見ても、エルディアナ語で使われている表音文字とは似ても似つかない、どことなく紋章のような文字で────臓器や器官名の綴りを知っているはずの私でも読めない。
「っ!」
【心眼】を発動させた私は、息を呑む。
【帝国文字】
神竜ガルファルリエムが発明したと伝えられる【神秘文字】を元に創られた表意文字。まだ紙を使用していた時代に簡略化されたもので、それ以前のものと区別するために、【帝国文字】、あるいは端的に【簡略文字】と呼ばれる。
【肝臓】の意。
ラドア先生が、これを読めた────?
孤児院を【最適化】したときのことを思い出す。
執務室のキャビネットにはたくさんの書類が詰め込まれていた。それは古びているものもあれば、新しいものもあった。【遠隔管理】を利用したから、手に取って中を確かめたわけではないけど、あれは確かに書類だった。
それに、レナスが片付けてくれたペンやインク。
考えてみれば────文字の読み書きできないラドア先生の執務室に、書類と筆記具があるというのはおかしなことだ。
数十年前に引退したという前院長のものだとしても、明らかに新しいものもあったことを考えると、全てではない。
私の前の所有者であった貴族は、国からの助成金は懐に納め、国に上げる報告書はでっちあげていたらしく、ラドア先生は一切係わっていなかったと聴いている。契約書を交わすような取引もしていなかったはずだ。
そういえば、私が助成金を申請するにあたって、提出書類の記載事項について幾つか質問したとき────ラドア先生は、『後で確認しておく』と言っていた。
孤児院はラドア先生が一人で切り盛りしていのだから、誰かに訊くということはないだろう。
だとしたら────確認するとは、何を?
ラドア先生は、エルディアナ文字は読み書きできない。だけど、それ以外の文字で────“帝国文字”で記録をとっているのだとしたら?
────イルネラドリエ
最近、耳にしたばかりの───聞き慣れないその名が頭を過った。
※※※
“お城”と呼んでいる“原初エルフの遺跡”を擁する湖の───精霊獣が隠れ住む森に面した湖岸。
湖に食い込むようにせり出している岸辺に建てられた純白の屋舎で、ハルドは、ヴァルトとセレナと共に、父ウルドと兄コルド───そして、セレナのもう一人の弟デレドを納めた白い大理石に似た素材で造られた棺を見ていた。
その屋舎は棺と同じ素材でできていて、ガラスを嵌められていない大きくとられた窓には扉などはなく、貴族家の庭に設けられるような豪奢なガゼボに近い。
“支援システム”の“支給品”の一種────“霊廟”だ。
ハルドたちとしては、三人の亡骸は教会の“共同墓地”に葬るつもりだった。
しかし、教会は魔獣によって聖堂が破壊されたために、しばらく立ち入りが禁止されていた。
ようやく墓地への立ち入りはできるようにはなったものの、魔獣に襲われたショックで司祭が虚脱状態に陥っているとかで、埋葬は断られてしまった。
そこで───見かねたリゼラが、ここに“霊廟”を用意してくれたのだ。勿論、この森を統べるアルデルファルムとヴァイスには許可をもらっている。
“霊廟”を取り寄せ、亡骸を備え付けの棺に納めてくれた後───リゼラはミュリアとジグを伴ってラナと共に“お城”に設けたラナのアトリエへと行き、ヴァイスはアルデルファルムに挨拶するべく向かい、ここにはハルドたちしかいない。
バレスも来るはずだったが、三人の───つい先日までの自分と同じ姿のデレドの遺体を目にして、嘔吐してしまうほどの動揺を見せたため、邸で待っていてもらうことになった。
この古代魔術帝国で造られた“霊廟”の棺に納められた亡骸は、徐々に分解され棺の底に敷かれた土に吸収されるのだそうだ。その速度は任意で変えられるらしく、ハルドたちの希望を聞いたリゼラが事前に設定してくれている。
戦場で多くの戦死者を弔うことを前提とした仕様なのだろう。
棺に仰向けに横たわる三つの亡骸は悲惨な状態で────それを前にして、ハルド、ヴァルト、セレナは無言だった。
デレドは両手足がなく、コルドは胴体や頭が潰れていて────ウルドは背中を斜めに斬り裂かれた上、首を斬り落とされていた。
ウルドの傷は、明らかに剣によってつけられたものだ。あの場には武具を持たされている魔物や魔獣はいたが、魔物や魔獣に斬られたにしては、そこまで深くはない。よって、これは人間につけられた傷としか思えなかった。
『また処分するのは面倒だ』
地下遺跡で対峙したとき、ザレム=アン・ディルカリドは確かにそう言った。あれが意味するのは、多分────
「…っ」
処分された父と、魔獣に潰された兄────どちらも、自分がなっていたかもしれない姿だ。ヴァルトとセレナが連れていってくれなければ、こうして横たわっているのは自分かもしれなかった。そう思うと、ハルドはぞっとした。
この二人には、本当に感謝してもし足りない。
「いい場所だな。教会の墓地なんかより、きっと安らかに眠れる」
不意に、ヴァルトが呟いた。セレナが小さな笑みを零して、頷く。
「ええ、そうね…、きっと────」
彼ら三人には多かれ少なかれ嫌な思いをさせられただろうに────それでも、ヴァルトとセレナは、彼らの死を悼んでいる。
自分は何故、周囲の声を鵜呑みにして、この二人を悪く思っていたのだろうと────もう何度目か判らない後悔が込み上げる。
「セレナ様」
「え?」
ハルドが呼びかけると、セレナは眼を見開いた。驚くセレナに、ハルドは腰を折って頭を下げる。
「オレは────主家のご息女であった貴女に対して、とても無礼でした。お詫び申し上げます」
勿論、こんな謝罪一つで許されるとは思っていないけれど────そうだとしても、きちんと謝罪しておきたかった。
四肢を取り戻したバレスがセレナにこれまでの仕打ちを謝罪したのを見て、やはり自分も過去の過ちをうやむやにしたままでいるべきではないと思ったのだ。
ハルドは、セレナに酷い言葉を浴びせたり、嫌がらせをしたことはなかった。
でも、それは単に、ハルドが仕えていたのがデレドだったからだ。
身分に拘っていたデレドが馴れ合いを拒んでいたので、ハルドが同調してセレナを誹謗することはなかった────それだけの話だった。そういった行為を忌避してのことではない。
誹謗中傷はしていなくても、主や同僚たちの愚行を止めることなく、挨拶すらしなかった。ハルドがセレナに使用人としてあるまじき態度で接していたのは、紛れもない事実だ。それが、セレナを傷つけていたことも。
ハルドは、一度頭を上げて、今度はヴァルトに向き直る。
「聞いたことだけを鵜呑みにして酷い態度をとっていたこと、本当にすまなかった────ヴァルト」
再び頭を下げて、言葉にする。
下を向いていて見えなかったが、ヴァルトが驚く気配がした後、溜息を吐いた音が耳を掠めた。
「顔を上げろ、ハルド」
そう言われて頭を上げると、ヴァルトとセレナがハルドを見ていた。
二人とも眉尻が下がっていて、浮かべているのは苦笑のようだったが、その眼差しは優しかった。
「お前が───伯爵家にいたときのように、もう…、ワシやお嬢を“出来損ない”とか“落ち零れ”とか思っていないことは、ちゃんと解ってる。以前の態度を悔いていることもな。謝罪は受け取った。だから───もう気に病むな、ハルド」
ヴァルトがその大きな掌で、ハルドの頭をぐりぐりと撫でる。
「ちょ、やめろよ、ジジィ」
「ハルド」
セレナに呼ばれて、頭をヴァルトに押さえつけられているハルドは視線だけをセレナに向けた。
「地下遺跡で、私は“落ち零れ”じゃないとあの人に言い返してくれて────どうもありがとう。本当に…、嬉しかった」
「あ、ワシのことも、『不忠者じゃない』って兄貴に言ってくれたんだって?ありがとな」
続いたヴァルトの言葉に、ハルドは一瞬フリーズする。
「な、なんで知って────」
「あの…、ごめんなさい、教えては駄目だった…?」
ハルドが真っ赤になっていると、セレナがすまなそうに謝った。すかさず、ヴァルトが口を出す。
「大丈夫だ、お嬢。こいつ、ただ照れてるだけだから」
「勝手に答えるなよ、ジジィ」
「え?でも、そうだろ?」
「ちがう!照れてなんかない!」
ハルドが声を荒げて抗議しても、ヴァルトはどこ吹く風だ。じゃれ合う二人に、セレナは嬉しそうに───幸せそうに笑みを零した。
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