コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十八章―邂逅の果て―#20
※※※
朝のルーティンが終わって、年長の子供たちを仕事へと送り出し、幼い子供たちが勉強のために元待合室へ向かって一人になると、ラドアは一息ついた。
今日は、ラムルとカデアは来ない。新年度に向けての準備で忙しいらしく、しばらくはこちらに来る余裕はないようだ。
仕事が休みの子は、すでに自室へと戻っている。
巨大なテーブルの端で、お茶が入ったマグカップをぼうっと眺めていると、不意に塔に続く扉が開いた。
入って来たのは、リゼラとその主であるルガレドだ。それと、姿をくらませた護衛が二人、後からついてくる。ティルメルリエムは一緒ではないようだ。
「おはようございます、ラドア先生」
「おはよう、リゼ。おはようございます、殿下」
「おはよう。朝から邪魔してすまない」
二人の様子から、何か訊きたいことがあるのだと察する。
おそらくは────ラドアの素性に関することだろう。
「寛いでいるところをごめんなさい。でも、ラドア先生にお訊きしたいことがあるんです」
「……お茶を淹れるわ。ちょっとだけ待っていてくれる?」
「あ、手伝います」
「大丈夫よ。リゼは殿下と座っていて」
幸い、沸かしたばかりのお湯が残っている。皇子であるルガレドに出涸らしを飲ませるのは気が引け、他のポットを取り出して、新しい茶葉でお茶を淹れる。
リゼラには専用のマグカップ、ルガレドには来客用のカップに注ぎ、それぞれの前に置く。二人は口々にお礼を言って、カップに唇を付けた。
ラドアは先程まで座っていた席に腰を下ろすと、期待を持たせても悪いと思い先を制した。
「ごめんなさいね。貴女たちが私に何を訊きたいのか見当はついているけれど────話せないの」
ラドアの素性を話すとなると、どうしたってあの国のことに触れる。そうなれば、ガルファルリエムとの“誓い”に背くことになってしまう。
ティルメルリエムには“約束”とぼかしたが、実際に交わしたのは“誓い”だ。
神との“誓い”は、“約束”とは比べ物にならないくらい重く────強い強制力を持つ。破れば、命をとられることになる。
「そうですか」
リゼラの声音にも、ルガレドの表情にも、落胆や驚きの色はない。ラドアがそう応えることを予想していたに違いない。
敏いリゼラなら、あの国の情報が不自然なほど残っていないことに疑問を抱き、何者かが隠蔽していると推察するのは容易いだろう。
「それは、古代魔術帝国に纏わることのみ───ですか?」
「……ええ」
ラドアは、慎重に頷く。リゼラは少し考え込んだ後、ラドアに訊ねる。
「魂魄に損傷を負った場合────どういった支障が出るか、ご存知ですか?」
それくらいなら答えても大丈夫だろうと判断し、ラドアは口を開いた。
「私が知る限りでは…、確か───記憶の混乱や、“夢遊病”の発症…、それから、魔術が制御不能になるなど、そういった事例が報告されていたわ。
ただ───個体差があるらしくて、併発する人もいれば、何も発症しない人もいたそうよ」
「魔術が制御不能に……」
リゼラは、再びじっと考え込む。
「それでは────身体に不具合が生じるとか…、生活していくのが難しくなるような、大きな支障が出るわけではないんですね?」
「そのはずよ」
そうでなければ────ディルカリダは【記憶想起】を使うことはなかったはずだ。前世の記憶を蘇らせても、身体に不具合が出るなら、元も子もない。
「そうですか、ありがとうございます」
リゼラは安心したようにそう言って、小さな笑みを口元に浮かべた。
「あと一つだけ、聴かせてください」
「何かしら」
「サリルの“体質”とはどんなものだったのですか?」
思いも寄らない質問をされて、ラドアは眼を見開いた。
“体質”についてもだが────リゼラが、どうしてサリルの存在を知っているのか。
「……何故?」
「サリルの子孫に、彼女と同じ“体質”を持っているかもしれない人がいるんです」
「そう───サリルの……」
その子孫に会ってみたい気もしたが────無意識にサリルの面影を求めて、がっかりしてしまいそうだ。ラドアは微苦笑を浮かべ、その思い付きを振り払う。
「サリルは、“感応力”が人並外れて強かったの。魔法を使うときだけでなく、感情が昂ると、周囲の精霊や亜精霊が呼応してしまって────あの子自身の魔力量が膨大だったこともあって、魔力の暴走を頻繁に起こしていたわ」
リゼラがどこまで情報を得ているのか探るためにも、ラドアは言葉を選んで答える。
リゼラは、ある程度予測していたみたいで、納得したような表情を浮かべた。
『魔法を使うとき』という部分に言及しないところを見ると、魔法と精霊の関係性を知っている───ということだろう。
「では───その体質によって、肉体に悪影響を及ぼすなどといったことはないのですね?」
「ええ。私が知る限りではなかったと思うわ」
「そうですか」
良かった───と、リゼラは安堵の笑みを零す。
「話してくださって、ありがとうございます───ラドア先生」
リゼラのその安堵で緩んだ表情を見るに────先日の“研究施設”の騒動で、仲間内の誰かが【記憶想起】を発動させてしまったのかもしれない。
加えて、サリルの子孫が潜在能力を発揮して────“研究施設”を調べたところ、サリルの“体質”に行き着いたといったところだろうか。
「私の話が参考になったのなら、良かったわ」
「とても参考になりました。ありがとうございます」
リゼラは再度お礼を言って、マグカップを両手で包んで持ち上げる。そのまま口をつけようとして、何かに気づいたように、手を止めた。
「そうだ────もう一つだけ、確認したいことがあるのですが…」
「なあに?」
「私の生家───イルノラド公爵家の家名は、初代当主の母親の名である“イルネラドリエ”が由来なのだそうです。何か、ご存知ですか?」
同じくお茶を飲もうとしていたラドアの動きが止まった。
リゼラの言っていることが理解できずに、もう一度その言葉を反芻する。かなり遅れて脳が意味を咀嚼して────ラドアはすっとんきょうな声を上げてしまった。
「は───え、ええっ?!」
ラドアの驚き過ぎて混乱する頭が、矢継ぎ早に取り留めのない考えを弾き出す。
「わ───私の子供ってこと…?!一体、誰との、いやいや、そんな───絶対にありえないわ!子供を生むどころか妊娠だってしたことないのに…!」
それどころか、ラドアは男性経験がない。
幼いうちに“聖女候補”として“神殿”に上がり、修行に明け暮れていたラドアには、恋仲となり得る異性と知り合う機会などなかったし────見た目が初老に達するまでに何度か求愛されたことはあったけれど、永く生きるラドアからすると相手が未熟に思えてしまって、そういった対象にならなかったのだ。
「あ、あの…、ラドア先生?」
リゼラの困惑した声で、パニックに陥っていたラドアは我に返った。
「どうやら勘違いだったようですね。すみません」
「いえ…、見苦しいところを見せてしまったわ。ごめんなさい」
冷静になったラドアは、やっぱり意味が解らなくて、首を傾げる。
子供を生んだ覚えは断じてないが────この国に自分と同じ名を持つ者がいるとは思えない。
「その初代当主のお名前は?」
「ええっと、確か───デゼロ、だったかと」
「デゼロ……」
ラドアには、その名に聞き覚えがあった。
どれくらい前だったか、正確に覚えてはいないが────この孤児院で育った子の中に、その名を持った子がいた。
確か、鮮やかな赤い髪色と双眸の男の子だった。あの当時では珍しくない没落貴族の子息で、生家の解体に伴って孤児院に預けられた────そんな身の上だったはずだ。
(私を母親のように思っていてくれた、ということかしら…?)
思い出せる限りでは、慕ってくれていたのは確かだ。
(あ…、そういえば────)
いつだったか────何かの拍子で、ラドアの本名が“イルネラドリエ”だと知ったデゼロが、ラドアを自分の母親ではないかと疑ったことがあった。
(すごく思い詰めた表情で、あの子に尋ねられたのよね…)
その所作から貴族の出ではないかと疑われていたラドアが、本名を隠していることを知って────子供特有の短絡さで、デゼロが幼い頃に邸から出て行ったという母親と結び付けたようだった。
ラドアがきちんと否定したら引き下がったけれども、表情を見る限り、あまり納得していないようだった。
まさか、あれからずっと、ラドアが母であると信じ続けていたのだろうか。
(ありえる話だわ────あの子ってば、ものすごく思い込みが激しくて…、しょっちゅうトラブルを起こしていたもの)
慌てふためく赤い髪の少年を思い出して、思わず笑みが漏れる。
ふと、リゼラの実父であるダズロ=アン・イルノラドが思い浮かんだ。リゼラを救ってくれたお礼がしたいと、ついこの間、多額の寄付金を携えて、この孤児院を訪れたのだ。
確かに、デゼロを彷彿とさせる風貌だった。
リゼラの容貌は、デゼロには似ていない。どちらかというと、デゼロにいつも寄り添っていた少女の方に似ている。
黒髪に蒼い双眸を持っていて────リゼラのように顔立ちはそこまで整ってはいなかったものの、どこか凛とした印象で、とても目を惹く子だった。
名前は────そう、リゼリア。“リゼリア”という名だった。
(もしかして、あの二人は結婚したのかしら)
デゼロとリゼリアが巣立って間もなく、ラドアもこの孤児院を離れたため、二人の行く末は知らない。
デゼロはとりあえず冒険者となって、力をつけたら騎士になりたいと語っていた。本当に、ラドアの知るあのデゼロがイルノラド公爵家の始祖なら、その夢を叶えたということだ。
そして、リゼリアがその妻となったのなら────
(リゼは、あの子たちの子孫────)
そう思うと、何だか不思議な気がした。その一方で、腑に落ちる。
その色彩から鑑みれば────おそらく、デゼロは“騎士”の末裔で、リゼリアは“魔導師”の末裔だと考えられる。あの二人の子孫ならば、どちらの血が濃くても内包する魔力量が多いことに変わりなく、ディルカリダの言うところの“強い肉体”となるのも当然だ。
神子に選ばれるほどの魂魄を受け入れることができたのも、納得がいく。
「ラドア先生?」
「ああ…、ごめんなさい」
「初代当主について、何か覚えが?」
「ええ───おそらく、この孤児院にいた子ではないかしら」
「なるほど…、そういうことでしたか」
得心がいったというように頷くリゼラは、やはり、どこかリゼリアに似ている気がした。
“リゼラ”という名も、もしかしたら、リゼリアに因んでつけられたのかもしれない。
サリルの子孫が存在するように、ラドアが育てた子供たちの子孫も存在する────それは当たり前のことなのに、何故か初めて知ったような心持ちになった。
(どうして、思いもしなかったのだろう……)
ディルカリダとサリルと死に別れて以後、ラドアは空虚だった。
生きる意味を見出せないまま、ディルカリダに救われた命を粗末にするわけにはいかず、惰性で生き永らえてきた。
ディルカリダに任されたこの孤児院だけが生きる縁だった。何度もここに舞い戻っては、身寄りのない子供たちを世話してきた。
子供たちの面倒を見るのは楽しかったし、慕ってもらえれば嬉しかった。だけど───それは関わっているときだけだ。孤児院を離れたら、記憶に紛れて思い出すことはなかった。
(違う…、私は────思い出さないようにしていた)
だって、そうしなければ、生きていけなかった。
どんなに愛したとしても、子供たちはあっという間にいなくなってしまう。忘れなければ、置いて行かれたという思いに囚われて────自分が孤独であると思い知ることになる。
聖竜との繋がりが切れたとき、ラドアはやっとその孤独から解放されるのだと安堵した。この何も成すことのない、虚ろな人生から、ようやく解放されるのだと────
(ずっと、私が生き永らえることに意味はないと思っていたけれど、そんなことはなかったのかもしれない……)
今となっては遥か昔、神代に封印されたという────“邪霊”。
その封印が危うくなっているこのときに現れた、“邪霊”を祓える可能性のある神子────リゼラ。
ラドアが孤児院を開いていなければ、デゼロとリゼリアは出逢うこともなく────こうして、リゼラが生まれることもなかった。
そして────リゼラがティルメルリエムを救い出すことも、神子となることもなかった。
(いいえ────たとえ、リゼのことがなかったとしても、身寄りのない子供たちの世話をし続けたことは、きっと意味があった……)
この世界に大きな影響がなかったのだとしても────世話した子供たちが生きて子孫を残したことは、語られることがないだけで、何かしら、もたらしていたはずだ。
ラドアは、ディルカリダに再会して、もう何も思い残すことはないと───いつ死んでもいいと思っていた。後は、いざというときに、リゼラに全てを打ち明けて果てることが、ラドアのできる唯一のことだ───と。
(でも、私にもまだやれることが────いえ、やらなければならないことがある)
リゼラは、新年度を迎えたらルガレドと共に旅立つ。しばらく、子供たちに係わることはできない。
この孤児院には、まだ独り立ちしていない子供たちがたくさんいるのだ。リゼラがいないのなら、あの子たちを護れるのは、自分しかいない。
(何故、思い残すことはないなどと思っていたのだろう。私には、あの子たちがいるのに。それに────)
リゼラに打ち明ける役目をラドアが背負うと宣言したときの、ディルカリダの様子を思い出す。
親によって孤児院に連れてこられた子供が、自分を置いて去っていく親を見送るときのような────今にも泣き出しそうな表情をしていた。
(まだ、死ねない。このまま死ねば────きっと、ディルカリダを悲しませてしまう)
万が一のときは、自分の命と引き換えにしてリゼラに打ち明けるという覚悟は変わらない。だけど、できる限り、天寿を全うできるよう足掻こうと、ラドアは心に決める。
生きて────ディルカリダがラドアを心残りなく見送れるよう、少しでも時間を共にしたい。
ラドアは俯き加減になっていた顔を上げ────リゼラに向かって微笑む。
「リゼ───貴女がいない間、この孤児院のことは任せてちょうだい。もし、この孤児院を害そうとする者がいても、子供たちは私が護ってみせるわ」
ロウェルダ公爵家やサヴァル商会だけでなく、イルノラド公爵家も、何かあれば力になると申し出てくれている。イルノラド公爵が不在でも、邸に言付けてくれれば家人が対応してくれるとのことだ。
「だから…、安心して行ってらっしゃい」
ラドアの言葉に、リゼラは滅多に見せることのなかった───屈託のない満面の笑みを浮かべて、頷いた。
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