世界はまだ僕達の名前を知らない
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仲間の章
07th
箱詰めされ運搬されるトイレ男
「!! チッ!」
突然トイレ男が角に消えたのを見て、やさぐれ女は男声で舌打ちしつつ駆け出す。監視対象から目を離すのはどうやってもマズいのでこっそりと後を付けていたのだが、いきなり消えるとは予想外だった。
トイレ男が消えた角まで来て、彼が消えた方向へと顔を向ける。が、どうやら彼は既に遠くへ行った或いは角を曲がってしまったらしく、彼のランプの光は見えなかった。足音は聞こえると言えば聞こえるが、方向を定められるほどの音量ではない。
「チッ」
再度舌打ちをして、頭の中に叩き込んだ水路の地図を想起する。デタラメに追うより、行き先を絞り込み先回りした方が効率的だ。
が、水路は複雑に入り組んでいる。太い水路概ね地上の大通りの下を通るように設計されているが、太い水路同士を繋ぐ細い水路が無数にあるのだ。絞り込む事はやさぐれ女の頭脳では不可能なのであった。
「……………………」
不可能な事は諦めて、どうすべきかの二択を考える。
一方の選択肢は、このまま一人で探す事。床を見れば、トイレ男のものと思われる薄い足跡が奥へと続いていた。これを追う事は難しくない……が、トイレ男が途中から水の溜まった中央部を移動していれば、足跡は当然残らないので追う事は不可能になる。
もう一方の選択肢は、一度戻り衛兵達に助けを請う事。人数が居るので、虱潰しに探す事ができる。問題は、トイレ男が急に駆け出した理由だ。
やさぐれ女は足音の正体はネズミか猫かと思っていたが、トイレ男が急に走り出したという事は違うのだろう。彼の言う通り人であった可能性が高い。問題はその人だ。こんな時間からここに居るとなると、明らかにここを根城としている人物で、即ちアングラな世界に身を置く者だ。その辺のこそ泥程度ならまだいいが、彼の上司である茶男を始めとした有力者達の身内である可能性を考えると、衛兵と鉢合わせするような事態は避けたい。低い可能性だが、低い可能性で身を滅ぼすのがやさぐれ女の世界だ。
やさぐれ女は少し悩んで、結局足跡を追い始めた。
◊◊◊
優男は衛兵を手伝って台車を組み立てていた。
衛兵達と会話しながら作業をしていたのだが、ふと周りを見た時に、トイレ男とやさぐれ女が居ないのに気が付いた。
「あれ、ツァーヴァスさんとハイリンシアさんが居ませんね」
それを言えば、話していた衛兵は当たりを見回して、
「あ? ……本当だ、居ない。まぁその辺を探険にでも出かけたんじゃないか?」
「二人で?」
「あ、あぁ、そうだろうよ」
衛兵は急にドス低い声を出した優男に慄きつつ肯定した。
「……僕探してきますね」
「あ、あぁ、気を付けてな」
優男はその場を離れて、トイレ男とやさぐれ女が居た所と一番近い通路へ行った。
◊◊◊
トイレ男は何とも情けない事に、体が貧弱である。
「……………………」
端っこを走るのは腕が壁に当たって危ないので、もういっその事真ん中を走ろうとしたら滑って転んでしまい、立ち上がるまでの間に子供とそれを追う何かを見失ってしまったのだ。
「……………………」
服とトイレが汚水まみれになった上にマスクも汚れた。外してその辺に投げ捨て、顔を拭うと拭った腕も汚れていた。「…………」、比較的綺麗な壁まで寄って腕と顔を擦り付けた。トイレを壁に擦る事などできないので、汚れを一旦腕に移してからそれを壁で擦った。
「……………………」
さて、どうしよう。
普通に考えれば戻るべきなのだろうが、流石にあの子供を放っておく事はできない。一旦戻って衛兵達に救援を求めるか? いや、その間に手遅れになったらどうする。というかそもそも帰り方がわからない。
悩むのも時間の無駄だと悩みを切り捨て、トイレ男は駆け出した。
「……………………」
まぁ、T字路に当たってすぐ止まってしまったのだが。
「……………………」
前か右かの二択。
トイレ男は僅かな手がかりでも残ってないかと水面に顔を近づけるが、足跡なんて見えない。濁っていて底を見通せないのだ。
こうなったらもう運しかない。トイレ男は幸運の女神ことトイレに託す事にした。ランプを置いて、トイレを目の高さまで持ってくる。「…………」、トイレは右と言っている気がする。よし、右d
「おい! 誰か居るのか!!」
「!!!!」
右に曲がろうとしたらその右から声と走る音が聞こえてきたので慌てる。その辺に置いてあった箱に飛び込んだ。ビチャッ。「…………」、何を踏んだかは考えない。
「……あ? ランプだけ?」
「誰かが置き忘れたんすかね?」
どうやら彼らはトイレ男のランプの光を見て誰かが居ると思ったらしい。ランプを置いておいてよかった、と心底思うトイレ男であった。トイレを見る為にランプを置いたのだから、きっとこれも幸運の女神ことトイレのお陰である。ありがたやありがたや。
「でもまだ灯りが消えてないって事はこれの持ち主は近くに居るって事っすよね?」
「……怪しい。報告だけして触るのはよしとこう」
「そうっすね」
どうやら彼らは二人組の男らしい。
「んで、確かこの箱だよな」
「木でできた頑丈な赤い箱……そうっす! これっす!!」
というか、何だか聞き覚えのある声である。具体的に誰かまでは思い出せないが……
「うし、とっとと運んで金貰うか……ありゃ? 蓋が外れてんな」
「閉め忘れっすかね?」
そんな事を考えている間に蓋が閉められてしまった。どうやら中身は検分しないらしい。
「よーし……うぃーしょっ!」
「!?」
箱ごと持ち上げられた。そしてその衝撃で思い出したが、これ、大男と小男である。かつてトイレ男を恐喝しトイレと引き離そうとしたあの悪しきチンピラどもである。巨女と出会うキッカケになった縁の神でもある。
「重いな……」
「大丈夫っすか?」
「おう、大丈夫よ」
「さっすが兄貴ー! 怪力の塊ー!!」
「はーはっはっは、もっと褒めろ。うし、いっその事走っていくか!」
「やべーっすよ兄貴!」
やめてくれ、とトイレ男は思った。コケられでもしたら怪我してしまう。
しかし大男はそんな事知ったこっちゃないので、バチャバチャと大きな足音を立てて走り始めた。
「っ、っ、っ、っ、」
揺れる。
「……ありゃ? 兄貴、また光っすよ」
「あ? 本当だな、さっきは無かったよな?」
大男が一度立ち止まって、トイレ男はふぅと息を吐いた。というか、暑い。
「……何か怖くないっすか」
「いやでも見ろ、今度の光は動いてる。人が居るぞ」
「さっきの奴っすかね?」
「さぁな、まぁ怖がる理由も無いだろ」
歩みが再開され、今度はゆっくりと揺れ始めた。「…………」、速く揺れる時と違って、体の内側にずっしりと来る揺れである。
「おーい、誰か居るかー」
大男が声を掛けた。さっきみたいに逼迫した声でないのは、さっきはこの箱が近くにあったからであろう。
「はーい」
返事が帰ってきた。こっちも聞き覚えのある声である。
「何モンだ?」
「名乗るほどもない者ですよ」
というか優男である。体が硬くなった。何故ここに?
「実は人を探していまして。トイレを抱えたヒョロヒョロの男と妙齢の女性なんですけど、知りませんか?」
「んぁ? 知らねぇなぁ」
「でもさっき、向こうの方にランプが放置してあったっすよ。何か関係あるかも」
「そうですか、協力ありがとうございます」
「おう。今は仕事中だからお前の身ぐるみを剥ぐのはやめとくぜ」
何が面白いのかガハハと笑う大男。ぴちゃぴちゃという足音が遠ざかったので、多分先程の所に行ったのだろう。
「……………………」
彼はどうやらトイレ男とやさぐれ女を探している様子であった。トイレ男はともかく、何故やさぐれ女まで? ……あぁ、監視対象のトイレ男が居なくなって一人で探しに行ったのか。
悪い事したなぁと思っていると、また揺れが始まった。速い揺れを感じながら、さてこれからどうしようかと悩むトイレ男であった。
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