金木犀の許嫁
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第七十二話 また来る時までその十二
「収めてくれました」
「そうだったんですね」
「そのことを見ますと」
「家康さんは天下人になっても」
「やはり律義な人で」
そうであってというのだ。
「仁愛もです」
「持っていましたね」
「大久保彦左衛門さんもです」
若い頃より家康の傍にいて天下のご意見番として知られた人物である、尚時代劇でよく彼と共にいる一心太助はモデルの人物が実在していたらしい。
「秀頼さんを助けたとです」
「書いていますが」
「大坂の陣の前ですが」
それでもというのだ。
「倒すところを千姫と縁組をし」
「助けたとですか」
「家康さんは優しい人なので」
「そうだったんですね」
「勿論かなり家康さん寄りです」
大久保の言葉はというのだ。
「代々三河の人で」
「譜代ですね」
「譜代中の譜代で」
そうであってというのだ。
「家康さん寄りでない筈がないです」
「それもかなり」
「はい、ですが」
それでもというのだ。
「家康さんのことは書いています」
「優しい人だと」
「それは家康さん寄りでも事実で」
「豊臣家もですか」
「悪意は持っていませんでした」
「そうだったんですね」
「そして大久保さんは幕府の中枢にいたので」
かつては大名であった程だ、だが本家が改易となり旗本にまで落ちたのだ。
「間違いなく秀頼公のご子息のこともです」
「ご存知でしたね」
「はい、ですが」
それでもというのだ。
「黙っていました」
「そのことはですね」
「幕府では処刑したことになっていたので」
大坂夏の陣の後捕らえ京都の四条河原で斬首したとなっているのだ、これが歴史の公の記録になっている。
「それで通しました」
「そのことですが」
ここで白華は幸雄に尋ねた。
「その時処刑された人は誰か」
「そのことですね」
「秀頼公のご子息でないなら」
「おそらく大野治長さんのご子息では」
「その人ですか」
「幕府の人質になっていたので」
だからだというのだ。
「どのみち人質だったので」
「斬られたんですね」
「それで、です」
「その人を斬って」
「秀頼公のご子息を処刑した」
「そうしたんですね」
「若しくは斬ったと喧伝し」
天下にというのだ。
「それで、です」
「終わらせたんですね」
「そうかも知れません」
「そうですか、そういえば」
ここで白華はこうも言った。
「大野治長さんの名前が出ましたが」
「豊臣家の第一の家臣でありましたね」
「あの人の弟さんが落ち延びて」
「そこでご子息を連れたとです」
「お話がありますね」
「このことからもご子息が処刑されたことは」
「疑問が残りますね」
「弟さん、大野治房さんの最期は諸説ありまして」
そうであってというのだ。
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