ああっ女神さまっ 森里愛鈴
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7 神界のざわめきと、彼女の名 (改)
ユリを助けた次の日の朝。病院の白い光に包まれた、静かな個室。
ベッド脇の椅子に腰かけていた螢一は、目を覚ましたばかりの愛鈴の枕元にそっと身を寄せた。白いカーテン越しの窓から、梅雨明け直前の鈍い光が差し込んでいる。
「……父さん」
少女の眼に安堵が宿る。飾りのない年相応の女の子がいた。
「おはよう、愛鈴。……よく眠れた?」
「……あんまり。変な夢、見てた。昔のこと、いっぱい」
螢一は静かに頷いた。その表情に、過去を知る者としての重みがあった。
「……ユリちゃんのこと、後悔してる?」
愛鈴は首を振った。
「後悔してない。ただ……どうしても、あの時のこと、思い出しちゃって」
「うん」
「――あたし、また……力を使った。なのに、あの時みたいに誰にも止められなかった。止める人、いなかった」
「……」
螢一は一度、目を伏せて、言葉を選ぶように息を吸い込んだ。
「でも、今回は誰も死ななかった。君はちゃんと、自分で止められた」
愛鈴の瞳に、揺れる光が映る。
「でも、登録もされてない。母さんにも言ってない。ユリを助けたいって、それだけで……」
「それでいいよ」
「え……?」
「愛鈴、君は“自分で決めて”、自分の力で誰かを守ったんだろ?それは、誇れることだ。責任を持って動いた。父さんは、それが嬉しい」
愛鈴の目に、じわりと涙がにじんだ。けれどそれは、迷いや恐れからではなかった。
「……でも、やっぱり怖かった。もし、止まらなかったら、また――」
「その時は、父さんが止める」
螢一は、やさしく微笑んで、娘の頭を撫でた。
「君を信じてる。でももしも、どうしてもって時は、父さんが止めるよ。今度はちゃんと、“生きたまま”」
「……あたし、父さんを二度も……」
「違うよ」
螢一は、そっと彼女の手を握る。
「君は、父さんに“命をくれた”。それも二度も、だ」
愛鈴はその手の温もりに、胸の奥のなにかがほどけていくのを感じていた。
「父さん……だとしても、あたし――」
「だとしても?」
「……もっと強くなる。ちゃんと自分の力を制御して、誰かのために使えるように」
螢一は、深く、誇らしげに頷いた。
「うん。その言葉、父さんはきっと一生忘れない」
病室には、もうただの親子だけの、静かな時間が流れていた。
天上界・中央管制領域、第六審議サーバー。
静謐と秩序の象徴たる空間に、突如、警報のような揺らぎが走った。
「ペイオース様、地上界で異常発生!」
「第三区・地上界日本時間15時27分、等級未満の神格による“緊急介入”を検出」
管理官エレトとエクスの警告は、通常ならば無視されるはずの“神未満”のノイズとは異質なものだった。
なぜなら、解析された神力の波形が──
「……これは……!? ベルダンディー系譜の紋章波……いや、それ以上の──!」
即座に対応に回ったのは、「アースお助けセンター」主任、『ペイオース』だった。
モニターに浮かび上がる波形を凝視し、彼女の瞳に信じられないものを見る色が浮かぶ。
「ちょっと待って……これ、まさか本当に“あの子”なの……?」
彼女は急ぎコンソールを操作し、現地の映像記録を再構築した。
神力が開花する瞬間、光に包まれた幼い少女。
渦巻くエーテルの流れ。命の律動と同調する奇跡の回復──
「間違いない。森里愛鈴……ベルダンディーと森里螢一の娘……神格未取得、未登録者の行使……しかも、回復対象への“魂定位同期”まで──」
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
「待ってくださいよ」エクスが声を張り上げた。
「そんなこと、三級神ですら簡単にできるものじゃない……っ!」
ペイオースの声がかすれる。
彼女は誰よりも、ベルダンディーの強さと、その力の“制御”の難しさを知っていた。
そして──その力を受け継ぎつつ、地上に生まれた娘が、たった八歳で、それを己の意思で使ったという事実。
「ちょっと……これは一報じゃ済まないわよ……」
すぐさま上位への報告文が作成される。
件名:「未登録神格体・森里愛鈴による緊急行使事案に関する報告」
その末尾に、ペイオースは自らの手で追記を加えた。
> “対象は、重大な規約違反の可能性を含む”が──
> 行使の目的、動機、制御、全てにおいて、高位神格の域に匹敵する理性と判断を伴っていた。
> 当該対象は、今後あらゆる面からの観察対象とし、必要に応じて保護および育成対象として再評価すべきである”
手を止めたペイオースは、静かにため息をついた。
「……あの子、ほんとうに使っちゃったんだね。あの“誓い”の封印を超えて」
そして、言葉にならない思いがこみ上げる。
「ベルダンディー……あなた、どんな気持ちで、今それを見ているの……?」
【地上界では神々の力が一般に公にならないようにフィルターが設けらている。例えば
*ウルドが「箒」で空を飛んだとしても「一般人には「鳥が飛んでた」としか認識されない。
*スクルドが実験に失敗して他力本願寺の中で爆発を起こしても「軽い花火をやっている」としか認識されない。
*ベルダンディーが車に轢かれて瀕死の猫を助けても誰も気にしない。
これを『「ユグドラシル」の認識操作フィルター』と呼ぶ。】
本来なら愛鈴の事件もこれに当てはまる筈だったのけれど。
愛鈴は救急車で病院へ運ばれて一泊二日の入院になった。
看護師さんが去って三人きりになった時。
ユリは耳のもとで小さく「ありがとう」と告げた。
アカネも「かっこよかったよ」と指先で頬をつついた。
『認識操作フィルター』が働いていない……?
「お、おぼえてるの二人共?」
「あたりまえでしょ」「感謝を伝えるのは人として当然」
アカネが二人の手を握って。
「親友でしょ私達」
「そうね、親友だわ」あとで母さんに確認しよう……
【ユグドラシル管制室分室】
主任「バグったぁ!」
補佐「そうです。愛鈴様の側近の二名の記憶操作が漏れてます」
突然室内に音声通話だけの通信が入ってきた。3Dスクリーンには「SOUND ONLY」の文字。
「あー…ティールだ。そいつはこちらで操作した。君たちは気にしなくていい」
「…と、おっしゃりますと…」
「あの二人は今後の愛鈴の人格形成において重要な役割を持つ」
言葉を一度切って。
「手出し無用!理解したな?」
主任と補佐は背筋を伸ばして敬礼した。
「承知しました!」
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