ああっ女神さまっ 森里愛鈴
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5 選んだのは、私の意志
この地域では珍しく雪が降った。
積雪は現在10センチにも昇り、電車はともかく自動車や二輪など混乱していた。
ここ半年で友達から親友になった三人は傘をさして下校中。
午後の帰り道。本来なら車などめったに通らない道だ。
緩やかな坂を三人で歩いていた。
アカネが笑い。ユリはその横で、おっとりと頷いていた。
そして愛鈴は──その少し後ろで、ふたりの笑顔を静かに見守っていた。
「今日は、いい日だったね……」
「小テストさえなければね」
「アカネ、算数にがて──」
ユリのその一言は、何の前触れもなく遮られた。
坂の下、住宅街の角から、制御を失ったトラックが──飛び出してきた。
──金属のきしむ音。
──タイヤの悲鳴。
──誰かの叫び声。
その場にいた誰もが、動けなかった。
ユリはアカネと愛鈴より三歩ほど前に出て、トラックに背を向けていた。
「……っユリ!!」
気づいた瞬間、愛鈴の心が悲鳴をあげる。
視界が鈍くなる。時間が引き裂かれる。音が遠のく。神属の血をもつ彼女にはその一瞬が克明に見えた。
──どすん。
鈍く、重い音が耳に届いた時には、ユリはすでに地面に横たわっていた。広がる血液の臭い。
トラックは蛇行して電信柱に突っ込んで止まった。
「ユリ……ユリ!!」
必死の愛鈴。
血が、地面を滲ませていた。瞳は開いているのに、焦点が合っていない。セーターが血に染まっていく。右腕は人のそれとは思えない形に歪んでいる。
アカネが泣きながら叫んでいる。
通行人が携帯で救急車を呼ぶ声が聞こえる。けれど。
ユリはもう呼吸をしていない。
(……間に合わない)
胸の中で、確信が走った。
ユリの命は、すでに燃え尽きかけている。
「母さまや、ウル姉、スク姉なら……“階級持ち”なら……あるいは……」
──でも、今ここに、いるのは“わたし”だけ。
神にもなりきれず、天上の登録も未済の、ただの“神未満”。
(ここで神力を使えば、存在が干渉記録に載る……規約違反、場合によっては召喚・拘束……)
──だとしても!
「そんなこと、考えてる暇ない……!」
手が震えていた。心臓が壊れそうだった。目の前で大切な友だちが、消えてしまう。
「……やるしか、ない!」
ならば全力で。愛鈴は母親が封じていた神力を解き放った。制御できるか?知らない!制御する!!
封印解除コード「力は制御してこその力」
吹き上がるオーラ。
開放された力はむしろ穏やかで祈りに満ちていた。
友を救いたい。
愛鈴は両膝を地面につけ、ユリの傍らに両手をかざした。
「術式オープン。体組成回復術式、魂の拡散防止術式、同時並行」
空気が震えた。愛鈴の周りに複雑な術式が円盤状になって流れている。
小さな手のひらから、ふわりと淡い光が溢れ出す。
神界由来の回復エネルギーと、命の律動を重ね合わせる技。
本来、未熟な神が触れてはならない領域──
けれど、彼女の“祈り”は、純粋だった。
絶対に助ける!
ユリの肉体が時が戻るように復元されていく。
「ユリ……お願い、帰ってきて……!」
その声に、答えるように。
ユリの胸が、微かに上下しはじめる。
周囲の空気がざわめく。誰かが泣いている。アカネが叫んでいる。
けれど、愛鈴はただ、目の前の命だけを見つめていた。
光が収まり、ユリの睫毛が、わずかに震える。
「……あいりん……?」
その瞬間、力の糸がぷつんと切れたように、愛鈴は倒れ込んだ。
視界が暗くなる。けれど、彼女の唇には、確かな微笑が浮かんでいた。
(よかった……ゆ……り)
意志で選んだその行為が、この日、愛鈴を“ただの神の娘”から、“誰かを救う者”へと変えた。
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