世界はまだ僕達の名前を知らない
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決意の章
06th
追い求める物、切り捨てる物
「…………おいおい親父、マジ?」
「そうだ」
暗い部屋で、二人の男が会話している。
その片割れの黒い服を着た男は、相手の返しにむっとして、
「流石にお断りだぜ、それは。言っただろ? アーニと白姉と、序でにおっさんがやってくれた所為で向こうの警備はガチガチだ。他所からの援軍まで読んでやがる。俺達じゃ抜けない」
「それでもだ」
その相手は自分だけ椅子に座りながら、淡々と答える。
「ちゃんと聴いてんのか? 『できねぇ』つってんだよ、身の安全がーとかそういう次元じゃなくて、『不可能』だ」
「それでも、だ」
「だからぁ……!!」
何度言っても聴かない相手に、血が昇って来るのを感じる。一度決め込んでしまえばなかなかそれを変えない性であるのは知っていたが、まさかこうまでとは思わなかったと、黒男は認識を改めた。
「……今回ばかりはこっちも折れねぇぞ。俺は死にたくない」
「好きにすればいい、"約束"を忘れられるのならね」
「……………………」
黒男の脳裏に一人の男が浮かんだ。
「…………おい、それを持ち出すか?」
「持ち出すも何も、そもそもそれの上に成り立った関係だろう? 忘れたのか??」
「それはそうだけど!!」
相手の態度に、黒男は思わず怒鳴る。
最初は、最初は確かにそんなドライな関係性だった。だが時が経ち、同じ立場の者も増え、少しずつ湿り気を増してきたと思っていたのに……。
「……………………」
黒男は、スゥー、と息を吐いた。
もうこの際、相手の感情は、どうでもいい。所詮こちらが勘違いしていたというだけの話だ。こっちが、馬鹿で愚かだったというだけだ。
だが、相手の思考はその限りではない。感情の話を抜きにするのならば、黒男とその同類は、相手に取って好きかって使える都合の好い手駒である。それを一気に喪う様な真似を、どうして相手がやろうとするのか、その理由が有る筈だ。その理由如何によっては、別の方法、黒男達が危険に晒されずに今回の件を乗り越える事もできるかも知れない。
……黒男よりも相手の方が格段に頭が良く、こちらが考え得る事には全てあちらも思い至っているだろう、という事は置いておいて。
「……何でだ? 何でそんなにあの男に執着する? それ程重要な位置に居るでも無いし、何か個人的に思う事でも有るのか?」
「無いとも。彼に拘っているのは私ではなく依頼主だ。個人的に彼に思う所は無いよ」
「アンタの立場なら依頼を断る事だってできる筈だ。どうしてやらない?」
「先ず一つ、今回の責がこちらに有るという事。敵が警戒を固めたのはこちら側のミスが原因だ。それを理由に依頼を断れば、今後の仕事に支障が出る」
「今後の仕事も何も、今回で終わればそれっきりじゃないか」
「どっちにしろ終わるんなら、少しでも可能性の有る方に賭けようじゃないか。それに、それっきりなのは君達にとってだよ、ハミー」
「テメェッ……!!」
黒男の顔に青筋が浮かぶ。だが、短絡的に感情的に怒鳴り散らすだけは堪えた。それをやっても言い負かされるだけだ。
「……そんなに、金が大事か」
「…………ふむ、君は少し勘違いをしている様だが」
黒男が絞り出した言葉に、相手は膝を組み替えて、
「ここに居る者に取って、命は当たり前ではない。命は或る程度の名声の上か、その保護下か、人々の認識の下にのみ成り立つ。私は最初で、君達は真ん中だ。今回の場合、金は名声の副産物に過ぎない。私は金ではなく名声を惜しんでいるのだよ」
私の名声が落ちれば君達の命はどうだろうね? と相手。
「無論、私だって名声を失った後に、認識の下に潜り、再びそれを得る為の準備はしてあるさ。だが、それは余り執りたくはない手段だ。その場合、君達を保護するなんて以ての外だからね」
「……今の俺達なら、お前の保護なんか無かったって」
「逃げるという事が名声を失うという事と同値であるという事が判らないのか?」
「……………………」
黒男は黙った。相手の言う通りだったからだ。舐められたら終わり、そういう世界に彼らは生きている。
「話を戻すが、二つ目だ。単純に、断れば潰される」
「……そんなにデカいのが依頼主なのか?」
「そうだとも」
流石に国家じゃないがね、と相手。
「だから先程の話は、実は無意味だったんだ。逃げれば確実に助からないからね」
「……勝てないのか?」
「白が敵に回るぐらいには勝算が無いよ」
「っ! 白姉は、お前とは違うッ!」
「君が彼女の何を知っているというんだ。彼女を引き入れたのは私だ、彼女をよく知った上で引き入れたんだ。その上でそれぐらいの力量差が有る相手だ、と言っているんだ。……そもそも、どこに反応しているんだ」
「黙れ! 白姉は、白姉は……」
黒男は必死で彼女が裏切らないという証拠を探す。
しかし、何を言っても『それが仕事だからな』『それはそれとして、命が関われば彼女もそれを守る為に動くだろうよ』等と言い返される気しかしなかった。
「……言いたい事は終わりかね」
「……………………」
「そうか」
相手は黒男の沈黙を勝手に解釈し、
「今回は白に本格的に参戦する事を許す。その事に就いても話したいから、彼女を呼んできてくれ」
お前との話は終わりだ、という相手を、黒男はせめて力強く睨み付け、ドタドタと床を踏み付けながら部屋を出た。
◊◊◊
「嫌われただろうか……」
部屋に入るなり聴かされた弱音に、白女は思わず苦笑を漏らした。
「仕方無いよ、貴方にも目的が有る」
目的が有るのは良い事だ。それだけで人生が潤い、無為に生きる事が無くなる。
私、そういうの無いから……と、白女は自嘲気味に呟いた。
「一つの目的の為に進んで来た筈なのに、気付けばその為に切り落とすのが惜しいものが有る。一つ達せられればそれでよかった筈なのに、自分の強欲さが嫌になってくるよ」
「そういう懊悩も、まぁ人生の楽しみじゃない?」
「楽しむには、重過ぎるんだよなぁ……」
相手は深く溜息を吐いた。
「……それはそれとして、仕事の話だ」
「うん」
どうやら先の溜息は背中に掛かる苦悩から出た物ではなく、意識を切り替える為の物だった様だ。
「ハミーから聴いたかも知れないが、全力を出してくれて構わない。もうサポートに徹するのは止めて、主力に躍り出てくれても構わない」
「うん、解った。その分の報酬は……」
「無論、上乗せする。次回支払い時までに何を買おうか、精々悩んでいるといい」
「解った。そうしとく」
とは言え、物欲の無い彼女だ。相手は白女が、黒女や黒男達に色々な物を買い与えている様子を幻視した。
「……お前は、私を見損なわないか?」
だから、覚えずそう問うていた。
「? 何で?」
「私は自分の為に彼らを使い潰そうとしている。彼らとギブアンドテイクな関係に有る私でさえ気が重いのだ、君なら尚更だろう?」
「……………………」
白女は少し考え込んだ。
「……私は」
そして自らの思いを紡ぐ。
「私は、自分の思う事なんてどうでもいい。唯生きているだけの私より、追い求める物の為に生きる貴方の方が尊いから」
「……そうか。惚れてしまいそうだ」
「それは遠慮するね」
「だよな。目的の為に他を蔑ろにする男と番なんてなりたくないか」
最初から冗談だったのか、特に気落ちした様子は相手には見られなかった。
「それじゃ、ハミー達の所に戻ってくれ。……そう言えば、ハインツはどうした?」
「うん、そうする。ハインツは、アーニのお陰ですっかり元気だよ」
「そうか。……できるだけ、彼女達が死なない様にしてやってくれ」
「解った」
白女は部屋を出た。
「……………………」
一人残った相手は、椅子の背凭れに深く身を預ける。
その心臓は、遂に叶いつつ有る悲願に震えていた。
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