世界はまだ僕達の名前を知らない
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決意の章
06th
部分的記憶喪失
「支部長、只今戻りました」
「うむ。首尾は」
「北支部から五人、東・西からは三人、南東から一人、中央からは無しです」
「……………………」
帰ってきた部下達からの報告を聴いて前衛兵は唇を『へ』の字に曲げた。
彼らに任せたのは、他の詰所への報告と援軍の要請だ。正直に言うと前衛兵が直接出向きたかったが、ここでの指揮を執る方が重要だと判断した為断念したのだ。
各支部から一〇人程貰えるのが理想で有ったが……まぁ、前衛兵が他所の支部長だったとしても、『手を向けるだけで人を気絶させたり宙に浮かんだりしてくる奴らが襲ってくるから助けて』と言われても余り信じられない。そう考えると、今回の数字は普段の行いにより積み重なった前衛兵への信頼の結果とも言える。
「では、周辺の住民の避難を手伝ってくれ」
「「「了解」」」
部下達が退室するのを見届け、前衛兵はデスクに広げた地図に目を落とす。
が、思考を再開する間も無く、ドアがノックされた。
「入れ」
「失礼します。例の人物の所持品をお持ちしました」
「解った。そこに置いておいてくれ」
「了解」
入ってきた衛兵が衣類とトイレの入った袋をテーブルの上に置き、退室した。
「……………………」
前衛兵は今度こそ思考に戻る。
こちらの人数は他支部からの援軍を合わせて41。これだけの人数でこの建物を守護しなければならない。
「……………………」
取り敢えず、トイレ男の監視に一人か二人。
それから、前衛兵は現場で直接の指揮を執る。
そして……
「……………………」
行き詰まった。
そもそも、相手の目的が全く判らないのだ。敵は何故ここを襲う? 街を奪う為? 否、それならば態々こんな隅っこではなくもっと重要な場所、街の庁舎や中央支部を襲うだろう。ここに有る何かを奪う為? 否、ここには他のどこにでも有る様な物しか置いていない。誰かを殺す為? 否、ここに暗殺される様な人物は居ない。衛兵達の身元チェックは万全だし、殺す事で何か益が生まれる様な人物は居ない。
「……………………」
が……トイレ男の事が思い浮かんだ。
「……………………」
記憶喪失を主張する彼の身元は全く判らない。
「……………………」
前衛兵は彼を頭の中から追い出した。彼をこの建物に入れたのは前衛兵が襲撃の話を聴いた後だ。あの時点では彼がここに来るなんて判らない。……若しかしたら敵が何らかの方法で、それこそ未来予知とかで判っていた可能性も有るが、だとすればそもそもこちらでトイレ男を保護する前にやってしまえばよかったのだ。ここに襲撃を掛ける必要性は、無い。
その後も頭を加熱させる事暫し。部下の意見も聴いてみるか? と思い始めた所で、部屋のドアがノックされた。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは、当然ながら一人の衛兵である。
「報告です。⸺リーフィア氏が目醒めました」
「解った。直ぐに行く」
前衛兵は椅子から立ち上がり、トイレの入った袋を回収して部屋を出た。二階に降り、巨女を寝かしている部屋のドアを叩く。許可が有ったので、ドアを開けて入室した。
巨女はベッドの上に居た。
「おっ、マエンダ氏じゃないか」
「何か悪い所は無いか? リーフィア氏」
両腕を広げて歓迎する巨女に訊く。彼女は「無い」と首を振った。
「そうか……では幾つか質問させて貰おう」
「あぁ、いいぞ」
前衛兵は少し考えて、
「……敵の一人に腕を向けられた時、貴方が気を失う直前の事だが、様子が可怪しかった。あの時はどういう状況だったんだ?」
と問うた。
「……………………」
巨女は少し思い出す様に上を見、
「済まない……君はいつの事を言っているんだ?」
と困惑してみせた。
◊◊◊
どうやら彼女は部分的に記憶を失っているらしかった。
トイレ男を連れて壷売りの旧アジトを見に行った事は憶えている。が、その後の事は全く憶えていなかった。
「……………………」
部屋に戻り、これは一体どういう事かを思案する。
状況的に考えて、記憶を失ったのは彼女を気絶させた人物⸺白い服を着た女の仕業だろう。あの場に居たメンバーで、巨女だけがした/された事と言えば白女に気絶させられた事しか無い。
では何故敵は巨女の記憶を消した? 先ず第一に考えられるのは口封じ。恐らく敵は前衛兵達全員から記憶を消し、襲撃の事を知られる事を避けようとしたというのが最もしっくり来る考えだ。しかし、巨女の記憶を消すだけにさえあれだけの時間が掛かっていたというのに、果たして全員分、先に逃げた二人は除いて五人分の記憶を消すというのは現実的なのだろうか? そこが引っ掛かる。或いは最初はその積もりだったが、巨女の記憶消去に想定より時間が掛かっていたとかだろうか。とすると、彼女が暴れていたのは記憶消去に対する抵抗? 暴れる事の何が抵抗になるというのだろうか?? 肝心の巨女が記憶を失っているので、その辺りの真相は闇の中だ。そして、闇を払う光は敵しか持っていない。こちらには、光源を作る為の、しかし十分ではない素材だけが有る。
「……………………」
取り敢えず、記憶を失った彼女に現状を説明し直し、協力させる事には成功した。巨女は並の衛兵を大きく上回る実力を持つ。実質二、三人分とカウントして支障無い。
前衛兵は巨女の事は後回しにして、別の事を考える事にする。
とそこで、コンコンとドアがノックされた。
「入れ」
「失礼します。他支部からの援軍をお連れしました」
入ってきた衛兵の後ろには一〇人強の装備で身を固めた衛兵達が居た。見憶えの無い顔ばかりである。
「解った」
立ち上がり、彼らを出迎える。
「こちらが着任証になります」
援軍の中から四人が出てきて、一人一枚紙を手渡してきた。それを受け取り、中を検めると、うむ、と頷く。
「着任証、確と受け取った。配置に関しては、追って通達する。それまでは他の衛兵の手伝いをしていてくれ」
「「「了解」」」
一二人の衛兵は敬礼し、部屋を去った。
「失礼しました」
彼らをここまで案内した衛兵も退室する。
「あぁ、待ってくれ。ヴェートに、ユミルニに、ツォルモ、ソルヒ、その他の頭のよく回る奴を呼んでくれ」
「了解です」
衛兵は今度こそ退室した。
「……………………」
前衛兵は人数分の地図を用意しながら、どうすればここを守れるかを考えていた。
◊◊◊
「総員、準備完了です」
「うむ」
時は経ち、前衛兵が作戦を立て終え、準備も終えた頃。
空は純黒に染まり、辺りに人々の気配は無く、唯詰所からのみ光が漏れている。
「……………………」
これでいいのだろうか。判らない。
しかしこれ以上どうすればいいのか、とも思う。これで駄目ならどうしても駄目だ。前衛兵やその部下が限界まで頭を捻ってこれなのだから、これ以上ができるとしたら、前衛兵とその部下以上の限界を持つ者のみである。
そして、そんな者は、この場には居なかった。
「……………………」
前衛兵は目を瞑り、精神を統一し、神経を研ぎ澄ませる。
目を開けた時、目に映る景色は変わっていなかったが、それでも先程までとは違う物が見えている様に思えた。
「……………………」
近くに控える部下達からも緊張の気配が伝わってくる。
結局の所、彼らはまだ半信半疑という所だろう。本気で前衛兵の言った事を信じている者は少ない。彼らがこうして配置に着いているのは上官である前衛兵に言われたから、というのが大きい。これに関してもどうしようも無いな、と前衛兵は思っていた。自分だって、彼らの立場に有った時、心から信じる事はできない様に思う。
「……………………」
前衛兵は不安を忘れられぬ侭、しかし忘れようと努力しながら、その時を待った。
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