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世界はまだ僕達の名前を知らない

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決意の章
05th
  トイレ男がトイレと出会う前のお話






「俺の知るツァーヴァスって人間は……あ、ちょっと待って意外と難しい。ちと待っててくれ」

 (おもむ)ろに語り出した友人氏だが、直ぐに考え込んでしまった。焦らされる形となったトイレ男としては(ただ)(ただ)不満である。

「…………よし」

 考えが纏まったのか、友人氏は納得した様に頷いた。

「……………………」

「じゃぁ行くぞ。⸺俺の知るツァーヴァスって人間は、あんま特徴の無い普通な奴だった」

「……………………」

 地味であると(けな)されたのだろうか?

「そうじゃねぇそうじゃねぇ」

 トイレ男の表情で彼が何を考えているのかを察した友人氏が慌てて首を振る。

「何ていうか……馴染むんだよ、どこにでも。ほら料理とかでもさ、ツェーリって調味料は味が薄い割にどんな料理にも合うし美味くするだろ? それだ」

「……………………?」

 ちょっとよく解らなかった。トイレ男がツェーリに就いてよく知らないからかも知れない。

「あー、そうだなぁ」

 『解んねぇ!』と顔に書いてあるかの様なトイレ男の表情を見て、友人氏は比喩で伝える事を諦め、

「強く主張しないが、しないからこそ周りに居る人達を引き立てる、みたいな……解るか?」

「……………………(頷く)」

 これは解った。

 要するに、常に一歩引いて自分が目立つ様な事をせず、相手を目立たせる様な人間だったのだろう。それだけを聴くと他人への気遣いができるデキる人間だった様に思える。

「よし。それから……うん、それでも他人に流される様な事は無かったな。強く願われれば断れないが、それでもそうでない限り嫌な事は嫌って言うし、駄目な事は駄目って言える奴だ」

「……………………」

 ここまで聴いても記憶を失う前のトイレ男は一本芯の通ったちゃんとした人間だった様に思える。

「ただまぁ、体は弱っちぃけどな。病気に弱いって訳じゃないけど、筋力が弱ぇ。体力も無ぇ。おまけに骨も脆い」

 俺が知ってるだけで一〇回は骨折してたぜ、と友人氏。「…………」、流石に盛ってるだろう。

「それと案外ビビり。道の端かはピュッで鼠が飛び出して来るだけで跳んで驚くし、サプライズパーティーをやった時はサプライズが過ぎて気絶してたからな」

「……………………」

 流石に盛っている、と信じたい。

「俺が咄嗟に言えるのはこんなモンだけど、他に知りたい事有る?」

「……………………」

 トイレ男は少し考えた。

 話を聴く限り、記憶を無くす前のトイレ男は結構な人格者だった様に思える。きっと周りかはの信頼も厚かったのだろう(何か有った時に頼られるタイプではなさそうだが)。問題は自分がちっともそんな人間であるとは思えない事だった。

 まぁ、友人氏がこんな所でトイレ男を騙す理由も見付からないし、きっとそうだったんだろう。記憶を失った事が(ます)(ます)残念に思えてきた。

「無いか? 何か、こう、好きな食べモンとか」

「……………………」

【トイレは好きだった?】

「あー……いや、別に違ったと思うぞ、俺の知る範囲では。だが、変態の中には自分の性癖を上手い事隠す奴も居るから、断言はできねぇな」

 だとしたらトイレ男は記憶は失っても性癖だけは忘れなかった変態という事になる。「…………」、勘弁願いたかった。それにトイレ男はトイレに性的興奮を覚えている訳ではない。芸術的な美を感じているだけだ。このトイレ以外に目を()れる積りは無い。

「他には?」

【趣味】

「うーん、普段は他人に合わせてたからなぁ、合わせる為に結構色々齧ってたな。でも嫌々やってるって感じでも無かったし、全部うっすらとは好きだったんだろうな。ただ一番好きなのは多分読書じゃね? 知らんけど」

【好きな本】

「色々読んでたからなぁ……すまん、判らんわ」

【好きな人】

「……おいおい、行くねぇ。これ言ったら多分前のお前が恥ずかしがるけど、聴く? 聴いちゃう?」

「……………………(頷く)」

「っしゃ、じゃぁアイツの初恋のエピソードを話してやる。アレは俺達がまだガキ……とはいえアイツが一人で田舎から登ってこれるぐらいの年齢だが、兎に角それぐらいの頃だった⸺」

 そう、トイレ男の質問に友人氏が答えるという形で、トイレ男の『自分知り』は続いた。



     ◊◊◊



「おっ、もうこんな時間か」

「……………………」

 友人氏が燃料が切れてきたのか段々と暗くなってきたランプを見ながらそう言った。

「明日も仕事だ俺。悪いが、そろそろ寝ていい?」

「……………………(頷く)」

 自分に就いては粗方知れたし、トイレ男は満足していたので頷いた。

 どうやらトイレ男はこの家からそう遠くない所に住んでいたらしい。勤務先は青果店、恋人は無し(初恋破れて以降春は訪れていない)。親は田舎で畑をやっている。兄弟姉妹も無し、一人っ子。特に気に掛かる様な点の無い、普通の人間だ。

「…………あー」

 そこで友人氏が何かを思い出した様に、

「俺が仕事って事はお前も仕事だよな……どうする? お前、働ける?」

「……………………」

 トイレ男は沈黙した。

 そう、トイレ男は記憶が無いのである。記憶が無いから、働けないのである。しかし明日は働く日だ、働かないといけない。どうすればいいのだろう?

「……まぁ、明日になったら記憶も戻ってるかも知んねぇしな。安心しろ、そうでなくとも俺がそっちの店長に話付けてやるよ」

「……………………」

 夕食、今晩の寝床、記憶を無くす前のトイレ男の事に加え仕事の調整と、トイレ男は友人氏に頼りっぱなしだった。負んぶに抱っことは正にこの事である。トイレ男は深く頭を下げた。

「おうおう、いいって事よ。俺よりも記憶を無くす前のお前に感謝しな⸺」

 友人氏はそう言い残し寝室へ向かった。格好好い、と思ったのも束の間、直ぐに彼は「先に水飲も」と戻ってきてしまった。「…………」、今一締まらないが、まぁこれが彼らしさであるとも何と無く解ってきていた。

 改めて寝室へ向かう。「ベッド使え」『いやいやいいよ』「客を床で寝かせたとなりゃぁ俺の沽券に関わる」『主人を差し置いてベッドで寝たとなればこっちの沽券にも関わる』という様な遣り取りの結果、二人でベッドで寝る事になった。

「うわ、狭っ。ツァーヴァス、トイレ床に降ろせね?」

「……………………(首を横に振る)」

「無理かぁ」

 男二人にトイレが乗ったベッドはギュウギュウだ。掛け布団の幅も足りていない。

 せめてとトイレ男はトイレを端の方に置いた。トイレは布団に入らなくても寒くないし風邪も引かないのだ。「…………」、落ちそうになったので慌てて抱き抱える。

「んじゃ、お休みー」

「……………………」

 友人氏がそう言えば、間も無く大きな(いびき)が聞こえてきた。「…………」、早っ、そう思った。

「……………………」

 眠気に襲われつつもまだ完全に寝てしまうまではないトイレ男はぼんやりと天井を眺める。無意識に染みの数を数えて、顔に見えたので止めた。

「……………………」

 前の自分も、こんな風に友人氏と寝ていたのだろうか。

 自信が無かった。話を聴く限り、前のトイレ男は人付き合いが相当上手い様だった。自分はそうやれるだろうか、やれているだろうか。「…………」、できてないな。そう思った。先ずトイレを抱えている時点で落第である。だからと言ってトイレを手放す気は無いが。

「……………………」

 暗闇の中、先程見付けた顔がヤケに自己主張をしている。目を瞑って視界から除いたが、彼はどういう訳か瞼の裏にも居て、どうしても彼のわらう様な表情から逃れる事ができない。

「……………………」

 トイレ男は無理矢理に眠ろうとして、布団の中に潜る。布団を引っ張った時に友人氏の腹が布団からはみ出てしまったが、爆睡する彼に気付いた様子は無い。

「……………………」

 夜が過ぎる。 
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