冥王来訪
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第三部 1979年
新元素争奪戦
バーナード星爆破指令 その2
バーナード星とは、地球からおよそ6光年離れたへびつかい座にある恒星のことである。
1916年に米国の天文学者のエドワード・エマーソン・バーナードによって発見された。
2024年現在、4つの太陽系外惑星が確認されているが、人類が可住可能かは不明である。
なぜならば実際にロケットを飛ばして観測したわけでもなければ、惑星の地表面を探査したわけでもないからだ。
その為、一度はバーナード星は恒星のみで、惑星がないという説が主流となった。
2024年にスペインのカナリア天体物理学研究所(IAC)の研究チームが再発見するまで、忘れられた存在だった。
ココットから連絡を受けたマサキは、西ドイツのバイエルンに飛んだ。
日本での仕事が終わって向かったため、ドイツ時間は平日の昼間だったが、直ぐにココットが迎えに来てくれた。
シュタルンベルク湖畔の屋敷で、一通りの説明を受けた後、ゲーレンが手に入れた書類を渡された。
ダイダロス計画と書かれた機密資料に目を通しながら、かつての世界であったバーナード星系移住計画を振り返っていた。
1973年に英国惑星間協会が考案したものに、ダイダロス計画という物がある。
恒星間航行計画の一つとして、光速の10パーセントまで加速可能な核融合パルスエンジンを使う案である。
最も近い惑星が存在すると考えられたバーナード星系まで50年をかけて行き、宇宙探査をするという壮大な計画だ。
だが核パルスエンジンが未開発であることと、膨大な費用と広大な建造施設を要することから構想の域を出なかった。
1970年代半ばにバーナード星系には惑星が存在しないという説が出ると、一気に計画は尻すぼみになり、1978年を最後に立ち消えしてしまった。
マサキは、ホープの包み紙を開けながら、再び資料に目を落とした。
なるほど、この世界の技術ならば、あながち嘘とは言えないな。
たしかにこの世界には、前の世界と違って、核パルスエンジンの技術は確立されている。
1950年に米国とフランスを中心とする欧州宇宙機関が外宇宙探索の為に研究を開始した。
1961年には無人探査機という形で、衛星軌道から核パルスエンジン搭載のイカロス1号を宇宙に送り出している。
誰かが俺の気を引くために作った偽文書かもしれん。
KGBは、エイズウイルス人口兵器説を広めるために、インドで新聞社を作るほどだ。
シュタージお抱えの医者ヤコブ・ゼーガルに偽書を用意させ、西側にばらまいた。
あれは、KGB最後の第一局長エフゲニ・プリマコフが、KGBの最高傑作の偽情報工作と評した作戦だった。
(エフゲニー・プリマコフは偽名で、本名:キルシブラッドというユダヤ人である。
ソ連科学アカデミーの会員であり、KGBの現役予備将校であった。
ソ連崩壊後のボリス・エリツィン時代にKGB長官を務め、外相や首相を歴任。
2005年頃に政界を引退した後、2015年に死去した)
この様な回りくどいことをする連中が、何かしてこないはずはない。
マサキは、この問題を疑ってかかることにした。
「この資料はどこから手に入れた。
よもやKGBが俺を欺くために作った偽文書をつかまされた可能性は、本当にないのか」
言葉を切ると、マサキはタバコに火をつけた。
「木原博士、まずありえない話だ」
ゲーレンは、これ以上話を突っ込まれないよう、早口で答えた。
「情報の出場所については、後ほど説明しよう」
マサキは念を押して聞いた。
「偽情報じゃあるまいな」
ゲーレンはマサキの方を向く。
いつになく、それは冷たい声だった
「それは、確実に裏が取れた話なんだろうな!」
ゲーレンは、内心で汗をかきながら思った。
彼は一度だけ、ソ連の偽情報に騙されてしまった経験があったからだ。
若い頃武装親衛隊に居たハインツ・フェルフェという人物を、BNDの工作員としてリクルートしたことがあった。
フェルフェは戦後すぐにソ連にリクルートされたKGBスパイで、その正体を知らずに10年もの間重用し続けた。
彼のもたらす精巧な偽情報で、BNDが惑わされた苦い記憶が思い出される。
(フェルフェは、1969年にスパイ交換で東独に移住後、KGBによって厚遇を受けた。
ソ連当局から赤旗勲章と赤星勲章を授与され、2008年に死去する直前、FSBより卒寿の祝いを受けるほどだった)
天才科学者・木原マサキをして慎重にさせたのは、2パーセクという距離である。
(パーセクとは、今日天文学で用いられる3.26光年の距離を表す単位である)
天のゼオライマー、グレートゼオライマーの各機に搭載された次元連結システムを使えば、即座にワープは可能だが、万が一の事が頭をよぎったからだ。
それは、高速で動く物の中で起きる時間の遅れを恐れたからである。
光速度に近い速度で運動している系の時間の進み方は、静止している観測者に比べて遅くなる現象である。
一般にリップ・ヴァン・ウィンクル効果と呼ばれるもので、日本ではウラシマ効果とされる事象だ。
ゼオライマーは次元から異次元への異動が可能だから、高速移動による弊害は大丈夫であろう。
出されていた焼き菓子をほおばることで、マサキは興奮した気持ちを抑えることにした。
ゲーレンが立ち去った後、マサキは部屋に残って、資料をカメラに収めていた。
詳しい分析は鎧衣あたりに任せよう、ともかくあとは買えるだけだな。
そう考えていると、部屋に近づいてくる足音に気が付いた。
「木原……」
婦人用のスーツ姿のココットは、部屋へ入ってくるなり、マサキに抱き着いてくる。
マサキはそれを宥めて、机の上にある冷たいコーラをすすめた。
「光の速さで、6年もかかる場所でしょ……
無事戻ってきても12年」
最初のうち、マサキは大人しかった。
ほとんどココットの言いなりと言っても差し支えなかった。
「もしものことがあったら……どうするの?」
この時、マサキの心にわずかばかりの揺らぎが見られた。
そうだ、前の世界と違って、俺はクローン受精卵を用意していなかった。
万に一つもない事とはいえ、リスク管理をしていなかったことを悔やんだ。
マサキはわずかに顔を背け、表情の変化を隠した。
「バーナード星行きは、今生の別れになるかもしれないじゃない……」
マサキはコーラを飲み、ゆっくりとホープを吸った。
気持ちを落ち着かせるために、いつも以上に静かに煙を燻らせる。
「せめてもの思い出に、一夜をあげるわ」
マサキは驚いた顔をすると、ココットは少し困惑したような笑みを浮かべて、胸を押し付けてきた。
「冗談はよせ」
「本当よ。
アナタほどの男を逃せば、何時いい人に出会えるかわからないし」
ココットの目の輝きは増している。
とても冗談を言っているようには見えなかった。
「ココット……」
マサキは新しい煙草に火をつけた。
OLやキャリアウーマンという物は、出世や自己実現のために自身を犠牲にする節がある。
いい人に巡り合えないとか、いい出会いがなかったというのは、その手のオールドミスに良くある話だ。
おそらく誰かしらから吹き込まれたのかもしれないが、困ったものだ。
こと野放図な肉体関係に関しては、マサキ自身を危険にさらす場合もあるから迂闊に聞き流せない。
そこでマサキは、無理難題を言って断ることにした。
「まず、この2枚の紙だ」
二枚の書類は、日本語で書かれた白紙の婚姻届と離婚届だった。
アイリスディーナとの一件があってから、常にその一組の書類を肌身離さず持ち歩くようになっていた。
マサキは、胸ポケットからパイロットの万年筆を投げ渡す。
「そこに捺印し、お前の本名と本籍地を書け」
ココットは現役のスパイだ。
そうやすやすと情報を出すわけがあるまいと、睨んでの事だった。
「そして今日の内に、挙式が出来るなら考えてやってもいいぞ」
通常、日本と違って海外では役所で法律婚の手続きを取る際に挙式をあげる。
だが即日の挙式は役所の人員不足の関係で難しく、指定した日に挙げるのが一般的だった。
「え……」
ココットは絶句し、確認した。
「今日中に」
彼女はしばらく考え込んでいる。
「出来ないというのなら、この話は無しだ」
マサキは不敵の笑みを浮かべた。
これであきらめのついたことだろう。
知り合ってから数度しか出会ったことの男女が、いきなり結婚するなどというバカな話がこの世にあるものか。
現にココットは、真剣に悩んでるではないか!
そんな仕草を見て、マサキは勝ち誇ったかのように紫煙を燻らせた。
ココットは、このマサキの態度を見て、その真剣さに感銘を覚えていた。
一夜の契りだけといったのに、この東洋人の男は式を挙げると返してきたのだ。
戦後の西ドイツは、男性就業人口の大幅な減少という結果を受けて、婦人労働力の活用に舵を切った。
但し、女性の社会進出は認めても、価値観として結婚後の女性は家庭に入るというのが一般的だった。
子供を保育所や幼稚園に預けようにも、その数は西ドイツ地域では足りなかった。
国策として結婚後の女性を積極的に活用しようとした東ドイツでは、各地に幼稚園や保育所の拡充を進めた。
(因みに東独の保育所は全額無料だが、既婚が条件である。
その為、保育所の入所年齢児に結婚するパターンが1980年代以降増えた)
人口維持のため、出産奨励金を出し、1年間の産休を早いうちから設定していた。
この事だけを聞けば、東ドイツは女性にとって素晴らしい社会に聞こえるかもしれない。
だが女性たちが外に働き口を求めたのは、家族の看病や介護といった理由を除いて、働かない女性は罰せられる法律があったためである。
多くの女性はパートタイマーを希望したが、認められず、保育所に止む無く預けて働かざるを得なかったのが実情だ。
肝心の収入も低く、複数の子供を育てながら、家事をして、働きに出て、やっとの思いで集合住宅にある小さい部屋に帰る。
夫の多くといえば、秘密警察が闊歩する鬱屈した社会主義の環境で悶々とし、酒に逃避することがままあった。
統計によれば、彼等は子育ては手伝ったが、家事は女性任せが一般的だった。
それらは、70年間社会主義で運営されてきたロシアでも同じで、現在でもその構造は変化がない。
東独の育児支援ばかりがほめそやされ、女性にとって、過酷な実像が忘れ去られようとしている。
筆者はあえて、ここで東独の女性は、ある意味西独の女性より厳しい環境だったということを記しておきたいと思う。
1968年以降、西ドイツ人にとって、結婚は遠い存在になっていた。
それは世界的な婦人解放運動と、経口避妊薬ピルの登場である。
1968年の世界的な学生運動は、それまでの生活習慣や性道徳を破壊するものだった。
東側がプラハの春や文化大革命による価値観の崩壊で警戒を強めていた頃、西側は学生運動で大荒れだった。
フランスの五月革命から始まり、西ドイツ、米国に広がり、日本にまで波及した。
大学という大学が武装した新左翼の学生に荒らされ、ノンポリ学生までも過去を否定する行動に走らせた。
西ドイツではそれまで戦後復興を支えてきた戦前生まれや戦中派の世代を否定し、ナチスを相克する価値観を求める声が上がった。
その為、相次ぐ凄惨なテロや言語を絶する内ゲバ事件を目の当たりにし、赤軍派を過激な極左暴力集団と蔑視した日本と違い、西ドイツではその多くが同情的だった。
1968年の学生運動は、古い価値観を壊し、ドイツに本当の民主主義を導いたなどと、今でも大真面目に信じられている。
日本もマルクスレーニン主義者らが日夜諸外国によって作られた自虐史観を児童に刷り込んでいるが、ドイツでも同じなのだ。
いや日本以上に過激化したのは、1918年に君主を追放し、精神的な中心を失った国の悲劇なのかもしれない。
午後2時の閉庁間近、バイエルン市の戸籍役場に数名の男女が集まっていた。
これから、結婚式を行うためである。
ドイツに居住実体のないマサキは、本来ならばボンの戸籍役場まで行って予約をし、登録を行う必要がある。
だが、ゲーレンの政治力でなんとか滑り込む形で強引に行ったのだ。
本来ならば、半年はかかる審査や手続きを、わずか数時間でパスした形だ。
執行人の講話を聞きながら、マサキの気持ちは沈んでいた。
半ば冗談で言ったことを強引に行ったゲーレンに呆れ、己の失言に後悔していたのだ。
長袖の第2種夏服のマサキの傍に立つココットは、緊張で打ち震えていた。
冴えないライトグレーの婦人用サマースーツ姿の彼女は、これからいう誓いの言葉で悩んでいた。
間違った文句を言って、結婚出来なかったらどうしよう……
ココットの悩みは、杞憂だった。
はいという返事だと、指輪交換だけだったからだ。
儀式は15分程度で、婚姻届けに署名するという流れである。
花嫁、花婿付添人にも署名をしてもらい、終わりというあっけのないものだった。
マサキは、この期に及んで違う事を考えていた。
この世界の住人の倫理観というのは、元の世界とは違うらしい。
彼は、今更ながら後悔をするのだった。
後書き
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