非日常なスクールライフ〜ようこそ魔術部へ〜
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第137話『潜入作戦②』
「どうなってんだ、ありゃ……」
背後の様子を窺いながら、大地は全速力で鏡男から逃げていた。
大地はクラス一、いや学年一の俊足の持ち主と言っても過言ではない。そのスピードは"風の加護"状態の晴登すら凌ぐほどで、例え魔術師が相手でもそう簡単には追いつかれない。
だから晴登が足止めしている内に姿を晦ますことができれば、その後でゆっくりと優菜を探すことができる。
しかしそれでも、今しがた廊下を塞ぐかのように迫る鏡の壁の隙間を、間一髪で晴登がくぐり抜ける姿を見て、絶対に勝てないと悟った。もはや現実の常識が通用しない。魔術とは、そういうものなのだろう。
「任せたぞ、晴登」
魔術師同士の戦いに、部外者の自分が口を出す余地はない。ここは晴登に託し、自分は前だけを見据えるべきだ。
「……にしても参ったな」
そう決意したのも束の間、大地は弱気な言葉を漏らした。
というのも、鏡張りの現実空間と違って、この空間は左右が反転しているだけで、元の学校と同じ景色だ。だから基本的には迷うことはない。
──普通なら。
度々話題に上がるが、大地は筋金入りの方向音痴だ。見知らぬ場所はもちろん、知っているはずの場所ですら迷うことは日常茶飯事。同じ学校でも左右が逆転しているならば、それはもはや未知のダンジョンと変わらない。
「目的地決めてもしょうがねぇな……」
ならば、考えるより動くほうが早い。
「うっし、しらみ潰しに探すか」
頬を叩き、弱気になる気持ちをリセット。方向音痴という弱点は今さらどうこうできる問題ではない。ならば、得意なことでカバーするだけだ。
「うおおおお!!!!!」
自慢の俊足をもって全速力で廊下を駆け抜ける。
サッカーで鍛えた脚がバネのように弾み、廊下を跳ぶように疾走する。その度に掲示物が風に煽られ、カタカタと揺れた。
しかし闇雲に走っている間も、横目でしっかりと教室の中を確認するのを忘れてはいない。落とし物ひとつ見逃すつもりはなかった。
──そうして廊下を走り回っていると、人影を見つけるのに時間はかからなかった。
「……誰かいる」
足を止め、曲がり角の壁に身を寄せる。慎重に顔を出して様子を窺うと、二人の人物がこちらに背を向けて歩いていた。
「誰かが誰かを連れていってる……?」
後ろの一人が前の人物を引っ張るようにして進んでいる。まるで警察が犯人を連行しているかのような光景に、大地はすぐに察した。
「ってことは、複製体か……!」
誰かを攫うのは、複製体の役割のはず。つまり、今まさに誰かが連れ去られている最中ということだ。
「助けるか……? いや、待てよ」
大地は助けに行きたい正義感をぐっと堪えて思案する。
今ここで助けることにメリットはあるのか。助けたところで、自分に守り切れるのか不安があるし、逆に助けた人が足枷になる可能性もある。今は晴登もいない。下手に手を出せば、自分まで捕まる危険もある。
「……だったら、こっそりついていくしかねぇな」
大地は息を潜め、慎重に距離を保ちながら二人を追う。
──そして。
「ここは……」
たどり着いたのは──保健室だった。鏡文字だが「保健室」と書いているから間違いない。
複製体が教室の中に入るのを見届けてから接近し、慎重に中の様子を窺う。
「中が見えねぇ……」
しかし、カーテンがすべて閉められており、窓や扉の小窓からは何も確認できなかった。
仕方なく、そっとドアに手をかける。ゆっくりと戸を引き、わずかに隙間を作って見てみると── そこには誰もいなかった。
「……は?」
扉を開けて中を覗くと、そこには誰の姿もなかった。ベッドが並び、薬品棚や診療器具が整然と並んでいる。
だが、さっき入っていったはずの複製体達はどこにも見当たらない。全てが静まり返っており、誰かがいた痕跡すら感じられなかった。
「どういうことだ……?」
大地は警戒しながら室内を見渡した。教室の出入口は前後にあるだけだ。誰かが出て行ったのなら、気づかないはずがない。
「……カーテンが開いてる?」
ふと、外から見た時には確かに閉まっていたカーテンが、いつの間にか開いていることに気づく。
妙な違和感が胸に引っかかる。理由はわからないが、何かがおかしい。直感的にそう感じた瞬間、
──ガラッ。
「っ!?」
背後で扉が開く音がし、大地の心臓が跳ねる。
振り返ると、さっき入っていったのとは異なる複製体とその元になったであろう本体が一緒に現れた。しかも教室に入ってきたのではなく、『出ていった』のだ。
もはや隠れる時間などなかったが、幸いにも複製体は大地に気づかなかった。
まるでさっきまでそこにいたかのような出現の仕方に、大地の中で一つの仮説が浮かび上がる。
「もしかして、現実世界の方と繋がってるのか……?」
自分がいたのは鏡の世界の保健室で、複製体がいたのは現実世界の保健室だとすれば、いくら探しても誰の姿も見当たらなかった理由の説明はつく。
複製体は本体を背負い、静かに廊下を歩いていく。その先には渡り廊下、そして繋がる先には大きな扉──体育館だ。
「体育館に何かあるのか……?」
保健室の入口から、複製体の動向を慎重に窺う。
現実世界の保健室へ消えた複製体と、体育館へ向かう複製体。この繋がりを考えれば、何か重要なことが起きているのは間違いない。大きな手がかりを掴んだ気がして、大地は思わず気持ちを昂らせた。
──その瞬間、背後から刺さるような視線を感じた。
「──っ!?」
反射的に振り返る。
そこには、また別の複製体がいた。しまった。この往来は『人通り』ならぬ、『複製体通り』が多かったらしい。
目が合うや否や、複製体がこちらに向かってくる。
「ちっ!」
考える間もなく、即座に保健室を飛び出した。
全力で駆ける。今は体育館どころじゃない。まずは、この複製体を振り切らなければならない。
「あと一歩なのに……!」
近くの階段を二段飛ばしで駆け上がる。逃げる途中、他の複製体にも見つかるが、今はとにかく距離を取ることが最優先だ。
ようやく掴んだ手がかりを目前で逃し、焦燥を募らせながら走っていると、不意に視界の端に異様な光景が映った。反射的に足を止め、「家庭科室」と示されていた教室の窓の向こうを凝視する──
「これは……!?」
教室の中で数十人もの生徒が所狭しと床に座らされ、拘束されている。
「何でこんな所に……?」
捕まった人達は全員体育館に送られる訳ではなかったのか。それとも、別の目的でここに待機させられているのか。理由はわからない。
だが、それよりも重要なことがあった。
「……優菜ちゃん!」
探していた優菜の姿も、その中にあった。
大地は反射的に声を上げたが、慌ててすぐに口を塞ぎ、足を止める。……追っ手はいない。どうやらうまく撒けたようだ。
「……よし」
深呼吸を挟んで心を落ち着かせて、改めて窓から家庭科室の中を窺う。
捕まっている生徒達だけではない。複製体達や、黒フードの人物までいる。焦って飛び込んでも、すぐに捕まるのが関の山か。
「どうしたもんか……」
単身で飛び込むべきか、それとも晴登と合流して策を練るべきか。確実なのは後者だが、それまで優菜の身の安全は保証されないし、何より──自分が我慢できない。
そう考えたところで、ふと別の疑問が浮かぶ。
「待てよ?」
そもそも、ここは本当に『繋がっている』のか。さっきの保健室のように、窓から見えるこの景色がそのまま鏡の世界のものとは限らない。この家庭科室だけが現実世界に繋がっているとしたら、今このドアを開けたところで、そこにあるのは誰もいない『鏡の世界の家庭科室』、ただそれだけだ。
「つまり、タイミングが重要になる」
複製体が教室を出入りするタイミング。そのタイミングならば、間違いなく『繋がる』。
このままドアの近くで待ち伏せすれば、のこのこ出てきた複製体一人くらいなら、不意討ちで倒すことはできるだろう。
──だが、その後は?
『繋がった』状態で敵を倒せば、すぐに他の敵に気づかれる。そのまま数で押し切られ、為す術なく捕まるか、あるいは魔術師であろうあの黒フードの人物に呆気なく屈するか……。どちらにせよ、単身で乗り込むのと何も変わっていない。
「じゃあダメだ。他に方法は──」
仮定に仮定を重ね、考えを巡らせる大地。
しかし、運命は非情にもタイムリミットを宣告する。
複製体が、優菜の腕を引いて立たせたのだ。
「……っ!!」
大地の思考が一気に吹き飛ぶ。
複製体に連れられた優菜が、徐々にこちらに近づいてくる。それを後押しするように、黒フードの人物の手が添えられた。──その瞬間、彼女の顔が強ばる。恐怖を押し殺すように唇を噛み締めているが、肩は小さく震えていた。そして瞳に滲む涙を……大地は見た。
「……許せねぇ」
ドアがあった空間が、水を垂らしたかのようにぐにゃりと歪んだ。
色彩がぶれ、輪郭が揺らぎ、境界が崩れ——鏡の世界と現実世界が重なる。見えていた景色がそのまま、目の前に現実となって立ち現れる。
──もうここしかない。
「その子に、触るんじゃねぇ!!」
大地は迷いなく踏み込んだ。
繋がった瞬間を逃さず、一直線に黒フードの男へ向かう。
身体を捻り、勢いを乗せ、その顔面に飛び蹴りを叩き込んだ。
*
こうして、大地と優菜は無事に合流を果たした。
解放された優菜は大地の胸に飛び込み、堰を切ったように涙を流す。大地はそっとその背中をさすった。
「本当に無事で良かった、優菜ちゃん」
「……怖かった、すごく怖かったです。ありがとうございます、大地君。私を助けてくれて」
「当たり前だよ。君のためなら、たとえ火の中だろうと水の中だろうと、鏡の中だろうと駆けつけるさ」
安心させるように優菜の頭を優しく撫でる。
こんな状況とはいえ、少し役得すぎるのではないか……いや、ここに来るまで大変だったのだから、これくらいのご褒美があってもいいはずだ。
「……あの、どうしてまだ私のことが好きって言ってくれるんですか? 私、あんなに酷いことをしたのに」
「え? だって優菜ちゃん可愛いし」
「は?」
優菜の問いに、大地はあっさりと答えた。
すると、彼女は眉をひそめて怪訝な表情を浮かべたので、慌てて答えを訂正する。
「いや、見た目はもちろん可愛いんだけど、他にも真面目なところとか、頑張り屋なところとか、一途なところとか、ずるいところとか……そういうところを全部含めて、俺は優菜ちゃんのことを可愛いと思ってるし、好きなんだ」
「……でも、私がまたその好意に漬け込んで、大地君を利用するかもしれませんよ?」
「いいよ。それだけ俺を信頼してくれてるってことでしょ? 何があっても、俺は君の味方だから」
これは打算のない、紛れもなく大地の本心からの言葉だった。確かに最初は一目惚れだったけど、彼女を知り、同じ時間を過ごす中で、その存在を愛おしく思うようになった。だから──
「俺と付き合ってください」
「……ずるいのはどっちですか」
「え?」
「こんな状況ですし、返事はまだ待って欲しいです。……でも、前向きに検討しておきます」
そう言いながら、優菜はわずかに視線を逸らし、頬を赤く染めた。
「……ありがとう」
大地が素直に礼を言うと、優菜はふいっと後ろを向き、大地の腕の中から離れる。大地は名残惜しそうに手を伸ばしかけるが、状況を考え、その手を止めた。
少し気まずそうに、優菜は話題を変える。
「そ、それよりも、これからどうするんですか? というか、学校は大丈夫なんですか?」
「う〜ん、何かヤバい奴らが攻めてきてるらしいんだけど、どれぐらいヤバいのか俺もよくわかってないんだ。晴登と合流しないことには何とも」
「そうですか……。なら晴登君と合流しないと」
「あー……それも無理かも。俺達、この教室から出られないから」
「……え?」
大地は頭を掻きながら床を指差す。
そこには、大地が蹴り倒した黒フードの人物が倒れて──いない。
代わりに、無数の鏡の破片が散らばっていた。
実は大地が蹴り飛ばした瞬間、まるでガラスを叩きつけたかのように、黒フードの人物の身体はひび割れ、そのまま砕け散ってしまったのだ。血の一滴も流れることなく。
その時になって初めて、大地は黒フードの人物が複製体だったことに気づいた。気づけば他の複製体達も次々と崩れ去り、入口の『繋がり』も消えてしまっていた。
つまり、この教室から出るための手段が無くなってしまっていたのだ。
「どうやら、ここで助けを待つしかないみたいですね……」
「ごめん、全然後のこと考えてなかった……」
「そんなこと言わないでください。少なくとも、ここにいる人達は大地君のおかげで助かりました。本当にありがとうございます」
優菜の言葉に、大地は周囲を見渡す。救い出した人々は、まだ不安の色を残しつつも、互いに励まし合い、安堵の表情を浮かべていた。誰かが肩を貸し、誰かが手を握りしめ、誰かが泣きながらも笑っている。
その光景を目にし、大地はふと実感する。これが、人々の日常を守るために戦うヒーローの気持ちなのかと。胸の奥にじんわりと込み上げるものがあった。
……ちょっと、いや、ものすごく気分がいい。
だが、すぐにその感情を押し殺す。
「……まだ終わった訳じゃない」
大地が成し遂げたのは、あくまで優菜の救出。この教室以外の収容場所にいる人々の安否は不明のままだし、そもそもミラーハウスから脱出しなければ、本当の意味で日常を取り戻したとは言えない。
そして、その鍵を握るのは──
「晴登……」
大地と共にこの鏡の世界へやってきた親友。きっと今も、鏡男との戦いの最中だろう。無事だろうか。戦況はどうなっているのか。
──その時だった。
「……っ!?」
「爆発……!?」
遠くで何かが爆発したような轟音が響き渡る。振動が床を伝い、窓ガラスがかすかに揺れた。方角は……ちょうど保健室や体育館の方向。
大地の顔が引き締まる。
「晴登……頼んだぞ」
強く拳を握りしめ、親友の無事を願う。
それと同時に、焦燥感が胸を締め付けた。
後書き
日ごとに春の訪れを感じるようになったかと思いきや、まだ来ぬ春が待ち遠しく感じられます。どうも波羅月です。春はよ。
今回の更新でようやく前々回に繋がりましたね。実時間にして約五ヶ月。内容忘れて前の話を振り返った方もいたことでしょう。遅くてごめんなさい(泣)
ということで、緊迫した場面ではありましたが、何やら春の息吹が感じられますね。ついに新たなカップリングの誕生でしょうか。オラわくわくすっぞ。
実は今回も話が長引いたので途中で切りました。なので展開で見るとあんまり進んでないように感じますが、次回をなるべく早く更新することでチャラってことで。というか、次回は凄いですよ。もう、凄い(語彙力)
今後の展望と致しましては、忙しくなる前に急いで続きを書いて、今年中に6章が終わればいいなって感じです。辛抱強くお付き合いくださいませ。
今回も読んで頂き、ありがとうございました! 次回をお楽しみに! では!
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