ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第113話 はじめての哨戒(おつかい)
前書き
ご無沙汰して申し訳ございません。
年末からずっと、家庭の事情(入院)、仕事の事情と、もうストレスマッハな状態でとても納得いく文章が書ける状態ではございませんでした。
だからと言ってこの話に納得しているわけではないのですが、とりあえず再始動ということで書き上げました。
新キャラばかり出てどうしようもないです。
宇宙暦七九一年 一〇月二二日 シャンダルーア星域より第三辺境星域管区
第一〇二四哨戒隊司令部(現在員二名)の心温まる交流の後、隊は予定通りBルートによる前線哨戒任務に出動した。
Bルートは一三ある第五四補給基地配属の哨戒隊に分け与えられた哨戒航路の一つで、ギシンジ大佐の言うように帝国軍哨戒隊との接触機会が比較的少ないとされている。星域管区に所属する全ての星系を支配率・遭遇率・交戦率・交戦規模・過去の大規模会戦との時系列など、星域管区に所属する全ての哨戒隊の鉄と血で積み重ねられてきた統計が、それを物語っていた。
ちなみにどの哨戒航路を通っても基本的には四つの星域を渡り歩くことになる。シャンダルーアからフォルセティ、ファイアザード、パランティアとより帝国軍の哨戒網に近づき、来た道とは別の航路でシャンダルーアに帰還する。そして他の補給基地に配属されている哨戒隊とは途中何度かルートが交錯するので、情報交換も同時に現地で行われることが多い。
特に基地へと帰還する哨戒隊の情報は、どんなものでも鮮度が高く極めて貴重だ。何処の偵察衛星が破壊されていた、逆に帝国軍の偵察衛星を破壊した、艦艇の残骸が漂流している、残置重力波に異常が確認された等々。どんな情報でも近々の行動予想には欠かせないし、部隊の生存に関わってくる。
例えば味方の宙域固定式無人偵察衛星が破壊されていた場合。設置した衛星は特別に命令が出てない限り意図的に破壊することはないので、帝国軍の仕業だと推測できる。どこに味方の偵察衛星が配備されているかは事前に分かっているから、どのような規則性をもって破壊されているかで帝国軍の行動ルートが推測できる。
ただ当然のことながら、帝国軍も逆手にとって同盟軍を誘引しようという意図もあるだろう。防備は薄いと見せかけて支配権を獲得しようと突出して来た同盟軍部隊を、一斉に取り囲んで袋叩きにしようといった虚々実々の駆け引きが、広大なこの辺境星域管区では常時繰り広げられている。
「懲役二年の刑務所にようこそ、新入り(ニューカマー)」
出動して三日後。シャンダルーア星域からフォルセティ星域へと星域区分が変わるミクトランテクトリ星系の跳躍宙域で、入れ違いでフォルセティ星域側から跳躍して来た哨戒隊の指揮官から通信が入った。
実のところ跳躍宙域における重力波の異常を感知したので、跳躍してくる艦艇ありとして第一〇二四哨戒隊全艦に第一級臨戦態勢を取らせていた。まだ帝国軍の出現確率が低い星域とはいえ、跳躍直後の咄嗟砲撃の可能性を考えて跳躍宙域を囲むような半円陣形で宙域中心部に全艦砲指向していたのだが、相手の指揮官はそれを「新人の過剰反応」と思ってよほど慌てたのだろう。直ぐに識別信号を発して俺に通話を要求して来たわけだ。
「第一二九九のマリネッティだ。第五一補給基地に配属されている。これからよろしく」
「第一〇二四のボロディンです。第五四補給基地に配属しております。よろしくお願いします」
メインスクリーンではなく司令艦橋にある司令用の通信画面の中で、特徴的な鷲鼻の中佐がいかにも面倒くさいといった表情を浮かべて敬礼している。癖のある赤毛は別な意味で懐かしさを感じるが、こちらは男性。その容姿と名前の一致から言えば、おそらく原作で同盟末期ランテマリオ星域会戦とマル・アデッタ星域会戦で、戦艦ロスタムに座乗した本人に間違いない。
彼の名前が初めて原作に出てきたのは要塞対要塞だったはず。査問会から帰還するヤンの護衛に准将として六五〇隻を率いて参加していた。中央の部隊ではなく地方警備を行っていて、一応の火力と装甲を有していたというのだから、どこかの星域所属の警備艦隊司令あたりだったのだろう。その後も同盟軍の惨憺たる状況下にあって、部隊を率い奮闘していた。
「警戒するのは分かるが、ここはまだ味方の領域だ。あまり神経質になると、部下の神経が焼き切れることになるぞ」
「なるほど。そういうものですか」
支配圏が完全に確立していない領域において、敵味方識別信号を確認できない哨戒隊規模の跳躍反応を発見したら即応態勢をとる。自分でも過剰反応ではあると思うが、部下に対して初っ端から手を抜いていいとは言えないし、正しいか間違っているは別としてマリネッティも新入りに対する親切のつもりで言ってくれているのも分かる。
「まぁ無理はしないようやっていくつもりです」
「そうした方が良い。指揮官も兵士も休めるうちに休んでおかねば、いざという時に判断を誤る原因になる」
「ご指導、ありがとうございます。ところで前線の状況はいかがです?」
見込みでミスをするよりは取り越し苦労の方がいいとは思うが、信頼関係が構築されてるわけでもない相手に正論パンチを繰り出すのも意味はないと思い話を転換すると、マリネッティは丸い顎に手を当てつつ太い眉を寄せながら小さく首を振った。
「ぐちゃぐちゃだな。どうやら第八艦隊が奪ったカプチェランカを再奪回しようと帝国軍も気合を入れているみたいで、哨戒ラインも大きく前後に変動している」
「カプチェランカ近域のパトロールは第一辺境星域管区の領分ですが、第三辺境星域管区(こちら)にも流れてきますか?」
「余程脇腹を刺されるのが嫌のようで、打撃戦隊は確認されないがかなりの数の哨戒隊がパランティア星域から向こう側で分散展開している。今回俺の隊は触接五回、戦闘二回で、三隻喰われた。中破は三、損傷八」
周辺視野でレーダー画面を確認すると、第一二九九哨戒隊の残存艦艇数は三〇隻。約一割を一度の行程で失ったことになる。結果だけを単純に見れば、かなり激しめの戦闘を行ったと推測できる。
ただ哨戒隊を文字通り殲滅可能な一〇〇隻前後の戦力で編成される打撃戦隊が確認されていないということは、第三辺境星域管区に対しては攻勢よりも離隔防御を行っていると考えていい。打撃戦隊による掃討よりも哨戒隊を大量展開して、マリネッティの言う通り「脇腹を刺されたくない」よう対応していると推測できる。そうなると問題は……
「敵哨戒隊の士気はいかがでしたか?」
「先に遭遇・戦闘した敵哨戒隊の積極性が異様に高かった。こちらより少ない二八隻で、七隻は確実に仕留めたのに戦うのを辞めなかった。一〇隻目でようやく逃散してくれたが、こちらが弱った直後のタイミングでもう一戦だ」
「……それはまた」
ご愁傷様です、とは言い切れない話。哨戒隊の士気の高さは帝国だろうが同盟だろうが大して変わらない。自分達は「カナリア」だと分かっている。ただ大作戦の序盤となれば中央からの兵員の増援や戦闘物資の支援も見込めるので、より積極的に行動するようになる。それもまたお互い様だ。
しかし最初の交戦相手の指揮官は戦闘狂なのか余程頭がおかしいのか。それとも二つの哨戒隊がバディを組んで、一方が損害覚悟で同盟軍の哨戒隊を削りに来ているのか。そうだとしたら帝国軍の意図が自軍の哨戒隊を磨り潰してでも宙域に潜り込まれたくないという話になる。
「中央でなにかこのあたりを戦場とする大規模会戦があると、貴官は耳にはしているか?」
帝国軍が一星域に分厚い哨戒網を築いているとなれば、逆に同盟軍がパランティアに対して大規模作戦を計画し、その兆候を掴む為の威力偵察、あるいは逆に大規模作戦に先立つ隠密哨戒への妨害を考えてある程度の損失を覚悟する積極的な行動をとっているのではないか。辺境の部隊に何も連絡せず……とそうマリネッティが危惧するのも無理はない。中央の動向に対してもまた、情報には新鮮さが必要だということだろう。
実を言えば原作通り同盟軍中央で、第五次イゼルローン要塞攻略戦が計画されていることを、俺はシトレか聞いている。だがそれは来年の、しかも半年以上先の話だ。作戦前準備行動として威力偵察の命令が下ってもおかしくはない時期ではあるが、第三辺境星域管区の指揮上層部からはなんの話もない。
命令が出ていない以上、中央が辺境に『あえて犠牲を引き受けてもらう』という考えがあるのかもしれない。引き受ける側としてはたまったものではないが、それも戦略的な駆け引きの一つとも言える。地位と任地が生存性を大きく左右するのは、前世地球時代と大して変わりはない。
「統合作戦本部戦略部は三六五日二四時間、日夜関係なく作戦案を提出しているみたいですが、何らかしらの作戦が通ったという噂は聞いてはおりません」
しっかり顔面を操作して応えると、マリネッティも期待していなかったと言わんばかりに、口をへの字にして肩を竦める。
「ま、そんなところだろうな。権力エリートにとって主方面ではない哨戒隊などカナリア同然だ」
つい先日まで国防委員会の権力エリートの末端にいた俺としては心の中にある顔が引き攣る。だが幸いにしてマリネッティは俺の内心を察することなく、疲れた顔つきに憐れむような視線が浮かべている。
「貴官の先の長い人生、いつかいい時が来ることもあるだろう」
「は、はぁ……」
「とりあえず腐らずに二年間、この辺境領域で生き残るんだな。そうすればいつかは運も開けるだろう。では」
軽い敬礼が交わされ、画面からマリネッティの姿が消える。俺は溜息を一つつくと、能面がデフォルトになったドールトンに戦列を二分する旨各分隊に指示するよう伝え、指揮官席に深く座り直した。
彼が基地に戻ってからもし俺の経歴を探るようなことになれば、次に会う時なんて言うだろうか。『トリューニヒトと喧嘩して辺境に流された元権力エリート』として小馬鹿にしてくるかもしれない。だがそれはそれで運命と思うしかないだろう。
お互いの健闘を祈る定型文が艦首の信号灯で交わされる中、会話が終わったのを見計らったように、いつものめんどくさそうな表情を浮かべつつ、ビューフォートが俺の座る指揮官席の横に寄ってきた。司令艦橋に戻ってきたドールトンに、指を三本上げて珈琲を持ってこいと無言で指図するビューフォートの顔は険しい。
「第一二九九からなにかいい話はありましたか?」
「無いね。悪いネタばかりだ」
「でしょうな」
言われるまでもなく第一二九九哨戒隊の損害状況をモニターで観測していたのだろう。俺がマリネッティとの間で交わしたパランティア星域の状況と第一二九九哨戒隊の戦闘行動について軽く説明すると、案の定ビューフォートの眉間の皺がさらに深くなり、ブラウンの瞳には今までに見たこともない警戒感が浮かぶ。
「歴戦の副長でもおかしいと思うか?」
「お若い隊司令殿もそう思いますか?」
なにがおかしいのか言ってみろよ、と言わんばかりにビューフォートは顎をしゃくるので、俺は丸いヘッドレストに後頭部を押し付け斜め上目遣いでビューフォートに応える。
「第一二九九が最初に交戦した敵哨戒隊の戦闘行動がどうも引っ掛かる」
「同感です」
顔つきは険しいままだが、ビューフォートの目には合格という文字が浮かんでいるように見える。
マリネッティが言うことが正しければ、最初の敵は命令であるのかどうかは分からないが、戦力的に不利な状況下で戦い続けたにも関わらず一〇隻目で急に戦線崩壊。パランティア星域における哨戒隊の分布密度が高い状況があって、態勢不利にもかかわらず戦う選択をしたならば、基本的に増援を待つ遅滞戦術をとるのが常識であろうに、積極攻勢の挙句に逃散と言うチグハグさ。
そしてその直後にもう一度戦闘があって第一二九九哨戒隊は少なからぬ損害を受けている。そのことを考えれば、最初に会敵した部隊が遅滞戦術をとり、次の部隊が到着するまで戦線を維持していれば、第一二九九哨戒隊は今頃書類上の存在になっていただろう。
「たまたま敵の指揮官がド素人で、旗艦撃沈によって戦線崩壊したという可能性はどうだ?」
実績や才幹によってではなく、出身身分によっても左右される帝国軍の人事において、ド素人が指揮官になる可能性は十分にありうる。巻き込まれた将兵にとってはいい迷惑だが、哨戒隊の指揮官が功を焦って第一二九九哨戒隊に積極攻勢をかけて自爆した、という話はありえなくもない。
「ありえなくはないですがね。そんなド素人が指揮を執っている哨戒隊なら、旗艦以外の艦艇が会敵早々戦線離脱するでしょうよ。あるいは『不運な砲撃』が起こるかもしれない。辺境の哨戒隊にまで督戦隊など居らんでしょうから」
「にもかかわらず、異様なほどの積極性の高さ、か」
「他にもいろいろ帝国軍にもご事情はおありでしょうが」
「暴走の原因が軍の常識とは別にある可能性」
「……あんまり考えたくないですな」
原因が帝国軍指揮官の無能さではない……よりもっと深刻な辺境交戦領域全体にわたる事情。交戦辺境領域という分厚いストレスが覆う宙域で、生死の恐怖と常に隣り合わせにあって正常で常識的な行動をとる困難さ。それは敵味方関係のない問題。第五四補給基地内部の『空気の悪さ』を考えると、イヤな要因が頭の中をよぎる。
「手っ取り早く帝国軍の捕虜(サンプル)が欲しいところだな」
「そうですな。それで答え合わせもできるでしょう」
空調の気流に沿うように珈琲の香りが漂ってきたので、ついでに味方のサンプルも必要になるでしょうな、とは流石にビューフォートも口には出さなかった。
◆
そんな危機感を抱きつつ、幸運にも会敵することなく辺境航路を進むこと八日。第一〇二四哨戒隊はランダムに陣形変更訓練と砲撃訓練を行いながら前進し、帝国軍との遭遇可能性が高いパランティア星域に属するケルコボルタ星系への最終跳躍へと移行した。
マリネッティの情報からも帝国軍の哨戒隊が跳躍宙域で網を張っている可能性が高いので、跳躍前に対艦戦闘合戦準備を命じ、敵発見時の咄嗟砲撃について各分隊に再確認を指示する。
帝国軍の出現確率が低くともこれまで跳躍の度に繰り返し実施してきた手順だが、戦艦ディスターバンスの艦内に油断は生じていないように見える。大口を叩くだけあって、副長としてのビューフォートの指揮統制は行き届いていて、オオカミ少年効果もなく乗組員の行動の規律は十分維持されている。
「跳躍終了。現界します」
航海長の報告と共に、僅かな衝撃と振動。スクリーンが埋め尽くす白い光から、漆黒の宇宙空間へ。虹色の輪が艦首方向から艦を包み込むように艦尾へと流れ、満点の星空がスクリーンに広がる。
だがその美しさを堪能できるわけもなく、階下にあるオペレーター席からは慌ただしく報告が次々と沸き上がってくる。
「分隊全艦より識別信号を受信。合わせて第二・第三・第四分隊各艦の識別信号も受信。第二・第三分隊各艦は、左右四分円に展開を開始」
「第一分隊各艦、当艦と並列前進を開始しました。第四分隊、両翼半分隊の展開を完了」
「後方跳躍宙域より現界反応確認。数一三。第五・第六・第七分隊……各艦の識別信号を受信」
「至近距離索敵に人工物感知なし。続けて全周中距離探知に移行します」
「咄嗟砲撃脅威、確認できません。対艦戦闘・即応態勢継続中」
「……〇九〇四時。第一〇二四哨戒隊全艦、第三三二四五跳躍宙域での現界を正常に完了いたしました」
ドールトンの報告に俺は軽く敬礼で答える。
「戦艦ディスターバンス、人員機材異常なし。砲撃射程内周囲に脅威なし。砲撃体制は『即応』より『準備』に変更。中距離探知から前方鋭角長距離重力波索敵を開始いたします」
ビューフォートも「艦長席」から立ち上がって敬礼し報告してくる。ほとんど艦運用についてはビューフォートに任せっきりにしているので当然と言えば当然だが、副長席にいるよりもイキイキしていることを表情には出さないが、目付きの鋭さは隠しきれない。天職というべきだろう。専科学校砲術専攻から一三年、三〇代前半で少佐・戦艦副長になったのだから、十分すぎるほど優秀だ。二〇代後半で中佐になっているシェーンコップが異常なだけで。
「いると思うか、少佐?」
「できれば正面から現れて欲しいですな。それが一番めんどくさくなくていいです」
いるのは当たり前だろうと言わんばかりに、肩を竦めてビューフォートは応える。
「とりあえず『開けたらパンチ』はありません、隊司令、次のご指示を」
「一〇分後にアクティブは停止。パッシブは継続。針路そのまま」
「〇九一五時にアクティブ探知停止、パッシブ継続、針路そのまま。了解、隊司令(アイ・サー)」
左手を上げて応えるビューフォートに俺も右手を上げて応じると、メインスクリーンの一角に現在の哨戒隊全艦のレーダーレンジを重ね合わせた画面が映し出される。戦艦の長距離砲撃有効射程の数倍の距離があり、とりあえずはどの方角から来ても対応できるだけの時間は稼げる。
だがそれはアクティブの観測を行っているからで、パッシブに切り替わればその範囲は著しく狭くなる。辺境警備の哨戒隊の任務としての理想は敵に見つからないように敵を見つける隠密哨戒だが、広大な哨戒範囲にあってはある程度自分の身を曝け出しても敵を見つける必要がある。
かといって各種アクティブレーダーをひたすら展開しながら動き回れば、複数の敵哨戒隊を引き付けることになり針路上で待ち伏せされる可能性が高まる。小惑星帯や異常重力帯などの周辺環境や勢力情勢に合わせた索敵方法の使い分けが、辺境哨戒任務におけるもっとも重要な点と言われるところだ。
だからこそ余計にマリネッティが遭遇した最初の敵の行動は、異常としか言いようがない。
「ドールトン」
「はい。隊司令」
「予定航路を再確認する。データを」
スッと大型の軍用端末が司令席に座った俺の前に差し出される。
このケルコボルタ星系は、F四V型の恒星ケルコボルタαとG五V型の恒星ケルコボルタβの二つの恒星を持つ二連星系で、大きなαのまわりを五〇万年かけてゆっくりとβが公転している。主惑星は一つ。恒星αより四AUほど離れたところを公転している巨大なガス惑星Abで、本来ならケルコボルタγになるはずだったと思われる。
その惑星ケルコボルタAbには輪が三本と衛星が一二個存在し、いずれも岩石型衛星だが大きさが最大でも直径三キロほどで、人間が居住するには些か難しい環境だ。何しろF型恒星は強烈な紫外線を放出するし、常に巨大なガス惑星からの重力変異を受ける。何しろ太陽が二つもあるので仮に衛星の一つに居住するのであれば、完全に外部の環境から隔絶された構造にしなければならないだろう。
そんな人類にとって生活圏を構成するのに極めて困難な恒星系であっても、それなりに利用価値はある。誰も住もうとしないので、遠慮なく『命のやり取り』ができるという点だ。
特にこの星系は自由惑星同盟と銀河帝国の国境地帯にあり、イゼルローン要塞のあるアルテナ星系とほどほどの距離で、同盟側有人星系よりは遠く離れていることから戦闘が繰り返し行われてきた。ただここ数年は同盟側優勢で、この星系での大規模戦闘は行われていない。
複雑な重力と放射線の影響で航行不能領域もあることで、艦隊規模の戦闘が可能な場所もある程度限定されている。そして戦う場所が限定されるというのは、逆に言えば隠れる場所も特定されるという意味も持つ。
「恒星αの重力圏にて砲撃演習を行う。それまでの間、緊急訓練は行わない。各艦に砲撃演習まで『安心して』警戒を厳とするよう伝達。特に航路上の障害物、重力異常点については伏兵の可能性がある。予定航路を現在の序列のまま第二警戒速度で航行。第二・第三分隊にはパッシブで宙域簡易測量するよう伝えてくれ」
「敵地ど真ん中で砲撃演習ですか?」
なんでそんなバカなことをすると言わんばかりのドールトンの声に、俺は顔を向けることなくタッチパネルを操作しながら予定航路を確認する。既に一〇回は見直している航路だが、航法出身のドールトンらしく俺の設定した航路に対する注意点を独自に書き込んでいる。
それだけ見ても彼女が優秀な航法士官であると分かるのだが、やはり航法士官にありがちな「司令官の気まぐれで予定を途中で変更されること」に対する不愉快感を隠し切れないところは、隊司令付副官としてはまだまだだ。
「そうだ。一種の示威行動だが、哨戒隊将兵の緊張をほぐすにはちょうどいいと思う。それとここに副長と砲雷長と水雷長を呼んでくれ。はい、復唱」
「ハッ。哨戒隊全艦に通信。恒星αで砲撃演習、それまで緊急訓練なし、航路変更なしで第二警戒速度、警戒を厳とする。第二・第三分隊はパッシブ観測航行」
「よろしい」
含み笑いをしつつ軍用端末をドールトンに返すと、彼女の顔は出港時よりは感情が現れていた。まぁ航法士官としての俺について、多少評価しているということなのだろう。注意点の端っこに『ムカつくくらい効率的』と書き残して消し忘れている位には。
そしてドールトンが軍用端末を胸に抱えたまま艦長席に向かいビューフォートに俺の命令を伝えると、ビューフォートは「はぁ!?」と声を上げた後、マイクではなく身を乗り出して地声で、階下にいる砲雷長・水雷長を呼びだすのが目に入った。それから三〇秒もかからず、二人のむさくるしい男と一人の若い女性士官が、司令席に座る俺を囲むように立つ。
「どうせ遭遇戦となれば砲撃するんです。なんで砲撃『演習』をわざわざ『ここ』でやる必要あるんです?」
ドールトンと全く同じような反応に俺は苦笑を隠せなかったが、歴戦の男はそれで鼻白むようなタマではない。
「砲撃訓練なら、砲手達の指に肉刺ができるほどやってきたつもりですが、まだやりますか?」
そういうのは砲雷長のモフェット大尉。俺より丁度一〇歳年上で、ビューフォート同様に専科学校の出身者。棍棒のような腕とゴツイ顔の作りに鋭い眼光の持ち主で、街中で見たら明らかに反社と言わざるを得ない容姿をしている。それでいながら部下の面倒見はいいので陰で『親分(ボス)』と呼ばれているらしい。
「砲撃訓練でしたら砲術長をお呼びすべきではないですか?」
ワタシ関係ありませんよねと言わんばかりに呆れた声で応えるのは水雷長のシルヴィ=レーヌ中尉。士官学校を出て三年目の若手。小柄な体型と実戦経験が少ないことをかなり気にしているようで、片意地を張って部下に厳しく当たりすぎ、士官室の片隅でモフェット大尉やビューフォートに叱られている姿を時折見かける。ちなみに居室がドールトンの隣なので、俺に対する態度も似たり寄ったり。
「単なる気まぐれだ。付き合ってもらうぞ」
「間違いなく敵に発見されますが、本当にいいんですね?」
ビューフォートの睨むような上目遣いに、俺は軽く頷く。
「構わない。ここは戦場で演習場ではないが、演習と実戦は常に同一線上にあると理解してもらえばいい」
「……隊司令がそう仰るなら、小官に異存はございません。状況がどうであろうと訓練は積めば積むほど良いものですから」
モフェット大尉は納得と諦めの両方をいかつい顔に浮かべて賛意を示すが、
「砲撃訓練に中性子ミサイルも機雷もあまり関係ないように思えるのですが?」
部下に対する暴力厳禁を指示した故か、レーヌ中尉は上官反逆罪スレスレの細い眼差しを俺に向ける。ある意味では十分すぎるほど信頼されているなと、俺は心の底から安堵して笑顔を浮かべると、その笑顔がよほど不気味だったのか、レーヌ中尉は顔を引き攣らせて一歩後ろずさんだ。
「貴官には砲撃訓練とは別に、私からいくつか頼みごとがある」
「え、いや、その……」
「そうか。やはり兵士達の言うように君は『運が良かった』ということか」
履歴書で確認した戦術研究科卒業席次三三番/一〇四四名中、総合席次三七六番/四四五五名中という成績は、間違いなく彼女のプライドの根源だ。少なくとも卒業三年目で哨戒隊に赴任するような成績ではない。なにか本人の素質に問題があるのか、それとも履歴書に記載できないような問題を起こしたからか。もしかしたらこれも先端の尖った黒い尻尾を潜めている奴の仕業か。
そして彼女は計算通り、プライドを十分すぎるほど刺激されたようで……
「やればいいんですよね! やってやりますよ。何でも言ってください!」
ちょっとチョロすぎるだろお前、とビューフォートとモフェットからシラケた視線を向けられていることに気が付かないくらい視野が狭くなったレーヌ中尉は、強く握った拳を自身の薄い胸に叩きつけて、そう俺に応えるのだった。
後書き
2025.03.21 更新
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