ドリトル先生の長崎での出会い
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第十二幕その九
「駄目だよ」
「先生の言う通りだよ」
「自分がやっていないのにね」
「反省してもね」
「そのことはね」
「ちゃんと考えないとね」
「そう、そしてね」
そうであってというのです。
「中尉の生まれ変わりの人は」
「蝶々さんの生まれ変わりの人と」
「今度こそ幸せになる」
「軽薄なことはしないで」
「真面目にね」
「そうであることをね」
まさにというのです。
「誰もがだよ」
「願うよ」
「蝶々夫人を知っている人なら」
「もうね」
「そう思わない筈がないよ」
「その通りだよ、神様だってね」
皆で祈りを捧げた神様もというのです。
「その様にだよ」
「願われるよ」
「絶対にね」
「神様だってね」
「そう思われるよ」
「そうだよ、だからね」
そうであるからだというのです。
「反省や後悔、食材の気持ちに襲われないで」
「前向きになって」
「そうしてだよね」
「幸せになるべきよね」
「生まれ変わったなら」
「そうぢよ、前世で不幸でも」
そうであってもというのです。
「生まれ変わってね」
「その人生で幸せなら」
「それならだよね」
「いいよね」
「本当に」
「そうあるべきだね」
「その通りだよ」
こうお話してでした。
先生は皆と一緒にお茶を飲んでから学問に励み講義にも出ました、そうして楽しい日常を過ごしまして。
サラが来るとこの人にもお家でお話しました、するとサラはこう言いました。
「私は生まれ変わりはね」
「信じないね」
「キリスト教の教えでは」
どうしてもとです、先生のお家の今で先生とちゃぶ台を囲んでお話します。
「そうした考えがないから」
「だからだね」
「ええ、うちの人前は聖職者だったでしょ」
「今は社長さんでもね」
「それで私もね」
サラもというのです。
「キリスト教の考えが強いから」
「信仰心もね」
「だからね」
そうであるからだというのです。
「どうしてもね」
「そうした考えにはならないね」
「そうなの」
こう先生に言うのでした。
「転生は日本の考えでしょ」
「仏教のね」
「元はインドにあるね」
「あの国はずっと転生を信じているわね」
「そして日本もね」
「それはあっても」
それでもと言うサラでした。
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