ドリトル先生の長崎での出会い
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十二幕その七
「この神戸でね」
「そうすることだね」
「そしてね」
先生はさらに言いました。
「今はまだ存在していても偏見もね」
「蝶々さんを不幸にした」
「人種的偏見も宗教的偏見も」
そのどちらもというのです。
「かなり弱まっているから」
「だからだね」
「そう、その分ね」
「幸せになりやすいね」
「そうだよ、ただね」
こうも言う先生でした。
「問題は反省や後悔に圧し潰されない」
「そのことが大事だね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「中尉の子孫の人なら」
「反省や後悔をだね」
「持っているかも知れないし」
「蝶々さんの親戚の人達の子孫の人達も」
トミーが言ってきました。
「反省や後悔をしているかも知れないですね」
「うん、だからね」
それでというのです。
「そうした感情に押し潰されることはね」
「あってはならないですね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「本当にね」
「そのことが気になりますね」
「僕としてはね」
「そうなんですね」
「反省と後悔が贖罪の気持ちになって」
そうなってというのです。
「それでね」
「贖罪の気持ちにもですね」
「押し潰されたらね」
そうなればというのです。
「やはりね」
「駄目ですね」
「反省や後悔はその人があらためてやりなおすもので」
そうであってというのです。
「押し潰されたらね」
「駄目ですね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「そうなったらね」
「過ぎないことですね」
「気持ちがね」
「そうであることですね」
「そのことが気になるよ、けれど」
それでもと言う先生でした。
「蝶々さんのことは明治維新の頃で」
「今じゃなくて」
「もう百六十年は昔のことで」
「反省や後悔の気持ちもですね」
「薄れている筈だよ」
「それだけ歳月が経てば」
「うん、その筈だよ。血筋のそれはね」
それだけの歳月が経てばというのです。
「その筈だよ」
「だからですか」
「安心出来るかな、ただ生まれ変わりなら」
「魂のことですか」
「そちらはわからないね」
「日本は転生の考えが強く」
執事さんが言ってきました。
「生まれ変わってもですね」
「魂は同じですね」
「はい、そうした考えですね」
「キリスト教では本来ないですが」
それでもというのです。
ページ上へ戻る