冥王来訪
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第三部 1979年
新元素争奪戦
翻意 その1
前書き
函館空港の件は、既に事件の範囲を超えて、事変に分類されるものだった。
日本側の抑制的な態度の為に、その被害は空港周辺に限定されている。
市民生活の実害も、数台のジェット機のみで、人的被害はないという僥倖に近い状態になっていた。
KGBは今回の事件を契機に、軍部大臣となったドミトリー・ヤゾフ将軍をどうにかして更迭すべく策を練っている最中であった。
ヤゾフ将軍は、非常に公平な人物で、軍上層部からの評価は高く、また現場の信任も厚かった。
KGBは、一度キューバ危機の際に彼を特別部の工作員としてリクルートしようとしたが固辞されたことがあった。
その事を恨んで、ヤゾフ将軍をいつか排除しようと企んでいたのだ。
ヤゾフ自身は、清廉な将校であったが、亡命した参謀総長とは、一つだけ意見が食い違う点があった。
それは、ESP発現体の少年兵の扱いに関してである。
大祖国戦争(第二次大戦)の際、少年志願兵として戦争に参加したヤゾフにとって、子供の年齢にちかいESP発現体に銃を取らせるという行為は耐えられなかった。
ノボシビルスクにあるESPの秘密研究所を解散し、国連のオルタネイティヴ3計画からの即時離脱を上訴したことがあった。
後にグロムイコとウスチノフからの不興を買い、ヤゾフは蒙古駐留軍へ左遷された。
命令を出したのは参謀総長であったが、彼が蒙古駐留軍への左遷を提案しなければ、即座にカザフの主戦場に送られているところだった。
その事実を知らないヤゾフは、モスクワより遠く離れた蒙古の地で罪無くして配所の月を見る日々を過ごしていた。
そして、密かに参謀総長への敵愾心を心に擁き、機会を伺っていたのだ。
新しく書記長になったゴルバチョフは、眠れぬ夜を過ごしていた。
GRUスペツナズの暴走により、日本との関係悪化から戦争を恐れていたからだ。
今のソ連は戦時体制を取っており、兵力は1500万人だが、その多くは少年兵や45歳以上の後備兵だ。
長引くBETA戦争の為、人口は7000万を割る勢いで減っており、急速な少子高齢化の兆しが見え始めている。
ブレジネフ時代の1975年に発令した生後間もない乳幼児を軍の私設で教育させるという政令の為に、一気に結婚を控える風潮が広がった。
その為、国家計画委員会が2000年前後から少子高齢化が進むという予測を立てた担当者を国家反逆罪で処刑するという事態にまで発展するほどの混乱ぶりだった。
このまま、戦争になったら、今度こそは国を失う。
悶々と暖炉の前に座りながら、彼は悩んでいたのだった。
夫人のライサは、夫の事を見かねて声をかけた。
「まだ眠れないの」
ゴルバチョフは、KGB第9総局から来た護衛を遠ざけて、ライサ夫人とともに公邸の庭を散策した。
無論、盗聴を避けるためである。
「しかし、チェブリコフ長官からの提案を無視するわけにはいかないでしょう。
軍の統制強化は、国際関係の観点からも、内政の安定化の点からも、表面的には国民に支持される……」
ゴルバチョフは、妻の言葉を遮った。
「それに、次の後継者の事も絡んで来る」
短いシベリアの夜が明け、東の方に朝日が昇り始めて来た。
日が出れば、今日もまた、摂氏30度近くになるだろう。
「KGBは、今までのソ連政治の影の部分を演出してきた強固な団体だ」
一瞬、夫人の顔色が翳った。
「確かにKGBの提案は理にかなっている。
だが、それによって、極東、日本との関係悪化が進むことが問題なのだ」
その頃、KGB本部では、長官をはじめとする幹部たちが密議を凝らしていた。
クーデターでチェルネンコを排除したことから、軍部による再クーデターを恐れての事だった。
「我らKGBが、ソ連に君臨するには、どうしても軍部の統率が必要だ」
猜疑心に駆られたKGB長官は言葉を切ると、タバコに火をつけた。
煙草の銘柄は、フィリップ・モリス社のマルボーロで、ソ連国内ではなかなか手に入らない高級品だった。
机の上には、純銀製のサモワールに、なみなみと熱い茶が注がれた景徳鎮でつくられた磁器が並んでいる。
ほかにもエビアンの小瓶と西ドイツの高級ガラスであるアルンシュタットクリスタルの切子のコップが置かれていた。
その全てが、ソ連の普通の暮らしでは手に入らない物だ。
KGBの高級幹部でなければ、資本主義的堕落の兆候として見なされ、獄窓に追いやられていただろう。
「しかし……同志議長は、これで動きますかな」
KGB第3総局長は、静かに青白磁のマグカップを置く。
KGB長官は、その言葉を聞いた瞬間、不敵に笑った。
「動かなければ、動くように仕向ければいい」
長官は煙草をふかしながら、数名の幹部の方を振り向いた。
「国家の存続、党の繁栄に、正当性にこだわる必要はない……
どのような形であれ、KGBが全権を握り、国民を指導すればいい」
一方、京都の帝都城では、日・米・ソの三者による秘密会談が行われている最中だった。
当事者の日本政府は、襲撃実行犯の処罰と、民財への損害賠償として航空機の譲渡を申し入れた。
その一方、帰国を希望するソ連兵に関しては、彼らの意思を尊重するという立場を取った。
対するソ連側は、新型輸送機と参謀総長の引き渡しを求める一方、軍事作戦に関しては謝罪の姿勢を示していた。
ソ連政府内での混乱がそのまま交渉に現れた形となったのだ。
そこで当該事件に関する米国側は、以下の通りだった。
人道的観点から亡命を希望する参謀総長の引き渡しを拒否したが、航空検査が終わった後であれば輸送機は返還するという意向を日本政府に伝えてきた。
「大臣、なにとぞソ連機の分解検査は……」
親ソ派として知られる大伴中尉は、数名の部下を引き連れて国防省に乗り込んでいた。
彼等は軍刀を帯びたまま、大臣室に乗り込み、直談判をしている最中だった。
「しかし分解検査の立ち合いも、つまるところは平和の為なのだ」
大臣の周りには、政務官の榊の他に、彩峰大尉や、灰色の常装第1種夏服を着た海軍少佐が近侍している。
彼等は、大伴が激高して刀で切りつけないか、不安だったので、大臣を庇う様にして周りを固めていたのだ。
(注:現実の海上自衛隊では1956年から1996年まで、旧海軍の第三種軍装そのままの開襟型の制服が存在し、第1種夏制服と呼ばれていた。
マブラヴ世界の帝国軍の軍服は、自衛隊そのものなので、本作品では史実を反映した描写にした)
「それに我が国にとっても、米国は最大の友好国だ。
その頼みをむげに断ることは出来ん」
大伴は、きつい視線で大臣を睨んだ。
「大臣!」
大伴は、唇を強くかんだ。
怒りで肩を震わし、両手で上着の下にある剣帯を握りしめている。
「大伴君、この事は政治の最高段階において決定された事なのだ」
一瞬静かになると、部屋に軍刀の猿手が鳴る音が響く。
大臣は煙草を灰皿に押し付けて、消した。
「しかし、不愉快であります」
そういうと大伴は、さっさと立ち去ってしまった。
大臣は、立ち去る大伴の方を向かずに、榊の方を振り返った。
「榊君は、直ちに米軍の調査団に便宜を図ってくれ給え」
彩峰は怒りを鎮めるために、胸ポケットからラッキーストライクの両切りを出して、パイプに差し込む。
ここが大臣室であることを忘れたふりをして、タバコに火をつけた。
大伴一派は、不満を表明しに来ただけで済むのだろうか。
よもや、どこかでクーデターを企てる謀議をしているのではないかという考えが頭をよぎった。
口の中に、パイプを通して冷やされた煙が広がると、怒りに燃えた頭が落ち着いて来た。
変だと勘繰る前に、まず目の前の問題を解決しようと考え直すことにした。
後書き
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