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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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第八十一話 戦い、その後

帝国暦485年4月18日11:50
ボーデン宙域(ヴィーレンシュタイン方向)、銀河帝国、銀河帝国軍、
マッケンゼン艦隊旗艦マルクグラーフ、
ヨッヘン・フォン・マッケンゼン

 我々の練度不足が全てにおいて悪影響を及ぼしている。なんとしてもヒルデスハイム艦隊を救わねば…。
「閣下、ヒルデスハイム艦隊旗艦ノイエンドルフ、被弾…との報が」
「何だと…両翼と対峙する敵はまだ撃破出来ないか」
「残念ながら…申し訳ございません」
このままでは……。
「参謀長、中央部のみ前進だ。ヒルデスハイム艦隊を救うぞ」
「そ、それでは両翼は」
「敵を引き付けておく、と考えればよい。現実を見るのだ、ヒルデスハイム艦隊を救わねば、生きて帰れたとてその先どうなるか分からぬぞ」
「は、はっ!…中央前進!」


宇宙暦794年4月18日11:10
自由惑星同盟軍、第十三艦隊、ダグラス分艦隊(臨時編成)旗艦ムフウエセ、
マイケル・ダグラス

 「敵中央、突出します!」
おいおい…両翼の味方を置いて前に出て行こうってのか?…
確かにこのままじゃ敵さんはヒルデスハイム艦隊を救えないが……くそっ、俺とワイドボーン先輩だけじゃ敵中央は止められねえ…。
「し、司令、三時方向に新たな熱源…多数です」
「何だと?スールズ、敵か?」
「これは…第九艦隊です!…通信を受信しました…『我レ、第九艦隊。遅レテ済マヌ』以上です!やりました!……ワイドボーン分艦隊よりの通信を受信…『我レ九時方向ヨリ第十一艦隊ノ接近ヲ確認。コレヨリ本隊ニ合流スル』以上です」
勝った…勝ったぞ。
「よし、俺達も本隊に合流するぞ。艦隊右三十度変針。現座標を離脱する」



4月19日9:40
ヴィーレンシュタイン中域、銀河帝国、銀河帝国軍、ヒルデスハイム艦隊旗艦ノイエンドルフ、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 ここは…俺の部屋か…。
「気がつかれましたか、ラインハルト様」
額に包帯を巻いたキルヒアイスが、俺の顔を心配そうに覗き込んでいる…そうだ、直撃を受けたのだ、戦闘は…!
「我々は離脱に成功しました」
「そうか…マッケンゼン艦隊も無事か?」
「我々を逃がす為に殿を務め…残念ながら…全滅しました」
「全滅…全滅だと?」
目が覚めたばかりだというのに、目の前が真っ暗になりそうな現実だった…。
「俺は、昏倒していたのか。ヒルデスハイム伯は」
「直撃の衝撃で転倒なされて…軍医の話だと後頭部を強く打ち付けた様なので、目が覚めるまで起こすな、と…ああ、伯爵はご無事です。打撲傷と左腕を骨折なさってはおりますが…」
「何…伯は自室か」
「はい。今は自室にて静養中です。艦隊の指揮は私とミッターマイヤー大佐、ロイエンタール大佐が執っています」
見るとキルヒアイスも左腕を包帯で吊っていた。何という事だ。俺のせいで……。
「戦闘はどうなった?」

 キルヒアイスが話す内容はひどい物だった。ウィンチェスター艦隊の撃破を断念して退却の為の変針に入ったところ、ノイエンドルフは右舷機関部に直撃を受けた。俺は昏倒、ヒルデスハイム伯は司令官席から投げ出され、左上腕を骨折、左半身打撲の重症、キルヒアイスも左下腕部骨折、ミッターマイヤーは頭部裂傷、ロイエンタールは肋骨を骨折…俺もそうだが、伯爵も一時的に意識を失っていたそうだ。我々を助ける為にマッケンゼン艦隊の中央部が遮二無二前進、我々の前に立ちはだかり、ヒルデスハイム艦隊は救われたものの、我々の撤退を援護する為にそのまま殿軍となったマッケンゼン艦隊は、三方向から現れた叛乱軍三個艦隊に半包囲され壊滅したという。
「我々の残存艦艇は七百四十ニ隻、我々が助かったのはマッケンゼン艦隊の奮闘もありましたが、ハーン方面の哨戒に向かったアントン、ベルタの両艦隊がこちら側の状況を知ってを知ってアムリッツァ宙域に急ぎ侵入したからです」
「そうか…こちら側には間に合わぬと知って…」
「はい。アムリッツァ宙域ではアントン、ベルタ両艦隊とカイタルに残存していた叛乱軍一個艦隊とで一進一退の睨み合いの状況の様です。その急報を受けたのでしょう、叛乱軍三個艦隊は撤退しました」
「そうか…司令官の自室に行ってくる」
「私もご一緒します」
「いや、大丈夫だ。心配をかけたな、キルヒアイス」

 ウィンチェスターを討つ千載一遇の機会だった。

“されば奴は自分の価値を天秤にかけているのではないか”

その通りだ。奴は俺がいる事を知って、罠をかけたのだ、自分に向かって来るであろうと俺の心を読んで…。俺が居なければマッケンゼン艦隊は全滅せずに済んだ筈だ。追撃戦のまま推移し、奴は無理をせずに撤退しただろう…いや、分からない、何らかの任務帯びている訳ではなく、最初からただの囮だったのかも知れない。叛乱軍は我々がアムリッツァに近づかない事を知っている。だが時が立てば我々も戦力は充実していく。奴等も手をこまねいてそれを見ている訳にはいかない、機会があれば少しでもこちらの戦力を削ごうとするだろう…。ウィンチェスターを救うだけなら二個艦隊もあれば充分だ。だが奴等は三個艦隊を出撃させた。叛乱軍は、のこのこと帝国艦隊が現れるのを待っていたのだ……。
 
 伯爵の自室に入るのを逡巡していると、ドアが開いた。
「部屋の外にはカメラがある、卿は忘れていたかな。さあ、入りたまえ」
私はこれで、と軍医が部屋を出ていく。
「折れたのは左腕だけだと思ったら肋骨も折れていたらしい。打撲傷にしては痛い筈だ、軍医が可哀想なくらい頭を下げてきたよ。参謀長、大事ないか?」
「小官は大丈夫です、閣下こそ大丈夫ですか」
「どうやらまだ死ぬには早いらしい、大丈夫だ」
「…小官の献策が裏目に出ました。何とお詫びしたらよいか、言葉が見つかりません……まことに申し訳ございません…」
「こっぴどくやられてしまったな。マッケンゼン中将…いや、上級大将にも、そのほかの死んでいった者達にも本当に申し訳ない事をした…」
「…これ程の大敗、どの様な裁きも甘んじて受ける所存です」
「となると他の三人も罰せねばならなくなるが…卿等の進言を容れたのは私だ。罪は私にある」
「そのような…」
「よいのだ。確かに此度は負けてしまったが、分かった事がある」
「分かった事…でございますか?」
「うむ。ウィンチェスターなる者は、卿の申した通り叛乱軍の重要人物だと言う事だ。そうでなければ三個艦隊もの救援など出さぬだろう。まあ、重要人物を単独で、しかも半個艦隊程度の兵力で帝国内奥深くまで送り込むなど矛盾している様に見えるがな。奴なら単独でも切り抜ける、と叛乱軍が判断しているか、奴自身にその自負があったのだろう」
「はい」
「もちろん、帝国軍の戦力を釣り上げる餌、という側面もあっただろうがな」
 確かに伯爵の言う通り、餌としての側面もあっただろう。だが並の者にはこの様な危険な任務は任せはしない筈だ。ウィンチェスターなら実行可能、と叛乱軍首脳部は判断したのだ。
 やはりあちこちと痛むに違いない、伯は起こした体をベッドに再び横たえると、ぼそりと吐き出した。
「分かった事はもう一つ。ウィンチェスターは難敵という事だ。この先…卿は勝てるか、奴に」



4月19日20:40
ボーデン宙域、自由惑星同盟軍、第十三艦隊旗艦グラディウス、
ヤマト・ウィンチェスター

 まさかハーン方面から別動隊を向かわせていたなんてねえ…。ハーン宙域からアムリッツァに繋がる航路は、同盟軍にとっては搦手から攻められたに等しい。一個艦隊残しとけ、って言っといてよかったぜ…。
「閣下、再編成が完了致しました」
エリカが端末を操作して再編成の結果を表示する……ええと…残存艦艇は三千三百五十七隻。そのうち修理の必要な艦艇は千七百四十六隻…。およそ半数が沈められたという事か…残存艦艇のほとんどはマイクとワイドボーンに率いてもらった別動隊の方だ。本隊は五百も残ってない、危ない危ない…。
「ワイドボーン大佐、ダグラス大佐も先程お戻りになりました」
「後で報告よろしくと伝えといてくれるかい?」
「了解しました」
これでハイネセンに戻って休養と再編成か…ああ、ハイネセンに戻る前にアムリッツァに寄らないと…ボーデンでの通商破壊の件がある…。
「参謀長、戦闘配置を解きます。艦隊の序列を哨戒第三配備に」
「はっ。全艦、哨戒第三配備とせよ…ローザス司内長、直割が決まり次第、司令部も三配備とします」
「了解しました…第三配二直からです」
「アッテンボロー艦長、聞いた通りだ。あとはよろしく」
「了解了解……副長、艦内哨戒第三配備、二直とせよ」
「了解です」

…二直は誰だっけ?なんて声が聞こえる……ノイエンドルフの撃沈は確認出来なかった。となるとおそらくラインハルトは死んでいない。結局無駄な戦いをやってしまった、って事だ…。
「閣下、どうかなさいましたか」
「いえね、敵とはいえ、一個人の死を願うのはやりきれない気がしましてね」
「ミューゼル少将の事ですか」
「はい。私は一度見逃した。一度見逃したからこそ、今度は倒そうと思ったのです…エリカもいません、今はウィンチェスターでいいですよ」
 ヤンさんはいつもの様に頭をかきながら笑う。これ、ホッとするというか…落ち着くんだよなあ。
「私はね、それほど気にしなくてもいいと思ってるんだけどね。その、ミューゼル少将の事を」
「そうですか?」
「うん。君が彼の事を高く評価しているのは知っているよ。だけど、彼が本当に活躍している所は、我々は誰も見た事がない。何故君は彼の事をそこまで危険視するんだ?何か、知っているのかい?」
「それは…」
どう説明すればいいのだろう。若くして少将、皇帝の寵姫の弟……知っている俺だからこそ分かるのだ。一時停戦後の会見の時、ヤンさんも一度会っているけど、あれだけじゃ何も分からんよなあ。
「君も一緒だったが、私も彼を見た。確かに有能そうな人物、という印象だったけどね」
「あの時、彼は要塞攻略の作戦案を練ったのは私かヤンさんと言っていましたよ。それでは説明になりませんか」
ヤンさんは再び頭を掻いた。
「うーん…それだけではねえ。あの作戦は軍事的には理に叶っているが、異質なんだ」
「異質…ですか」
「うん。乾坤一擲、あまりにも冒険的過ぎる作戦案だ。余程劣勢ではない限り実行しない作戦だと思う…ああ、批判している訳ではないんだよ?ただ、何故今なのか、っていう疑問はあった。それにこれまでの同盟軍の立てた作戦からはかけ離れている。それもあって我々を名指ししたんだろう。一応、私達二人は有名人だからね」
そう言いながらヤンさんは軽くウインクした…俺以外の人間からすれば、ヤンさんのいう通りだろう。あの作戦はそれまでに行われた要塞攻略戦とは全く違うものだ。シトレ親父が要塞攻略戦を計画していたからよかったものの、俺が一からあの作戦を言い出していたら多分実行されなかっただろう。まあ、とんでもない内容なのは思いつきだから仕方ないんだけど…。
「なんだか、帝国の出方を見ながら構想を練っている、というのではなくて、知っている…という印象を受けるんだ。しかも確度の高い帝国の内情をね」
「は、はあ…疑われているのか、褒められているのかよく分かりませんが、ありがとうございます」
「もちろん後者さ。アッシュビーの再来という異名は君に相応しい渾名だよ」
「情報の価値を正しく理解した、極めて有能な戦術家…ですか」
「君は戦術家に留まる物では無い、と思うけどね。でなければアムリッツァで止まろうなんて思わないだろう。ただ…気にかかる事があるんだ」
 二直員配置に付きます、と報告しながら、パオラ姐さんとフォークが近付いて来た。
「参謀長、私の部屋に行きましょう」
「了解です……カヴァッリ大佐、異状なしだ。二人共、あとはよろしく」
俺達二人は、俺達を訝そうに見つめるパオラ姐さんから逃げる様に、艦橋を後にした。

 艦橋を出て部屋に向かおうとすると、ヤンさんがいきなり立ち止まる。
「君の部屋は避けよう。私の部屋で話そう」
「何故です?」
「エリカちゃん…奥さんには聞かせられない話だ」
なんだなんだ…えらい真剣な顔をしているな。
「分かりました」
ヤンさんの部屋に入ると、ヤンさんはキャビネットからブランデーとグラスを二つ取り出した。
「どうだ、やるかい?」
「いただきます。ダブルで」
お互い何も言わずに乾杯すると、ヤンさんはふう、とため息をついた。
「エリカに聞かせられない話って何です?」
「さっきの続きなんだが、気にかかる事があるんだ」
ヤンさんは空になった二つのグラスにブランデーを注ぎながら言葉を続けた。
「君は、しばらく前線に出ない方がいい」
前線に出るな?何でだ??
「ヒルデスハイム艦隊と一戦交える前だ。君はワイドボーンにミューゼル少将に注視している理由を説明していただろう?あれを聞いていてふと思ったんだ。ミューゼル少将も君を狙っていたんじゃないか、ってね」
「…まさか」
「今は同盟が優勢に戦いを進めている。だとしてもだ、帝国領内をたとえ小規模でも同盟の艦隊がうろついているのは帝国軍にとっては面白くないだろう。でも、面白くなかったとしても彼等だって闇雲な戦闘は避けたい筈だ。今はイゼルローンやアムリッツァを取り戻す為に艦隊戦力の充実を図っている筈だからね。それを証拠に、最初に遭遇したマッケンゼン艦隊は恒星ヴィーレンシュタインで砲火を交えただけで、後は追撃に終始している」
「ヒルデスハイム艦隊と合流した事で、我々を挟撃出来るチャンスが到来した…と彼等は考えたのではないですか?」
このままいくと深酒になってしまうと思ったのだろう、ヤンさんはグラスからマグカップに替えて、紅茶入りブランデーにシフトした。
「それもあるだろう。でもね、あちらさんは最悪でも我々を帝国領内から追っ払えればいいんだ、だから無理する必要は無い。たとえ我々が単独の半個艦隊だと知ったとしても、我々にはカイタルからの増援がある事を彼等とて想像しない筈がない」
「そうです。だからこそ偽の通信をカイタルに送ったのです。増援の到着までに我々を撃破すれば…と考えさせる為に。可能性は五分五分でしたけどね。それに囮役をやれとグリーンヒル大将に命令されていました」
俺も紅茶入りブランデーに変える事にした。本当に酒が止まらなくなりそうだ。
「そうだね、それもあるだろう。私が言いたいのは、君はミューゼル少将の性格を知っていてあの罠を仕掛けたのではないか、と言う事さ。君は五分五分と言ったが、本当は成算があったからああいう罠をかけたんじゃないか?もしそうなら君は君は帝国軍からつけ狙われるぞ。自分達の事を知っていて攻撃してくる敵なんて厄介極まりないからね。だからしばらく前線に出ない方がいいと言ったんだ」

 ヤンさんはくるくるとマグカップを回していた。確かにそんな敵が居たら気味が悪いだろう。相手にしないか必ず殺すかしかないけど、攻撃の主導権は此方にあるから、帝国軍としては相手にしない訳にはいかない。
「つけ狙われる…私がですか?確かにミューゼル少将が居るだろうと思って罠を仕掛けましたけど…それが何故帝国軍から狙われる様になるんです?」
ラインハルトから狙われるだけじゃなくて、帝国軍全体から狙われるだって?そんな無茶な…。
「君は今まで参謀、補佐役として存在感を示してきた。同盟軍の内部ではアッシュビーの再来と騒がれていても、帝国にとってはどうでもいい存在だった。だがイゼルローン要塞攻略で一気に名が売れた。君が立案者だと公表されたからね。それでもまだ帝国にとっては霞んだ存在だ。注意する存在かも知れないが、参謀には実行力はないからね。だけど君は艦隊司令官になり自らの力を手にした。そして今回の戦いだ」

 ヤンさんは冷めたマグカップを一気に飲み干す。
「君は今回の戦いで、自らの二倍の敵を手玉にとって、一個艦隊を殲滅した。殲滅したのは君じゃないかも知れないが、そう仕向けたのは君だ」
手玉に取られる方が悪い、と言おうとしたけど、言える雰囲気じゃない。普段暢気で柔和なヤンさんでもこんな顔をする事があるなんて…。
「囮役を務めるのは難しい。捕まっても駄目だし、当然撃破されても駄目。もしそうなりそうな場面でもそれをはねのける能力と実力が要求される。特に今回の様な場合は尚更だよ。普通は嫌がる任務だけど、君は何の抵抗もなく受け入れた」
命令だからやらなきゃいかんでしょう…反論になってない。
「まさか後からヒルデスハイム艦隊が出てくるとは思わなかったんです。マッケンゼン艦隊だけなら、あんな危険な作戦やりませんよ」
「だが君は実行した。勝てると思ったから実行したんだ。敵を罠に嵌めるには敵の心理を読まなければ無理だ。君は的確にミューゼル少将の心理を読んで罠に嵌めた。どうしてこんな事が出来るのか」
ヤンさんは紅茶から再びブランデーに戻した。
「ヤンさんだって実行したじゃないですか、エル・ファシルで。あれが私の教科書です」
「あれは…まあいい。私が知りたいのは君の本音だ。小出しにされるのはあまり気持ちのいいものではないからね」



帝国暦485年5月15日11:00
ヴァルハラ星系、オーディン、ミュッケンベルガー元帥府、
エーバーハルト・フォン・ヒルデスハイム

 「報告は目を通させてもらった。マッケンゼン艦隊は残念でしたな」
「艦隊を分けたのがいけなかったのです。でなければああはならなかった…全て私の力不足によるもの。どの様な罰も甘受するつもりです」
策自体は悪くなかった。敵から得た情報を過信したのがいけなかったのだ。
「参謀長ミューゼルの献策による作戦だったそうですな」
「左様。だがミューゼル少将の献策が悪かった訳ではないのです。充分に成算はあった、少々危険ではあったがな。献策を容れた私に責任があるのであって、ミューゼル少将や参謀達に過失はない」
「ふむ…」
元帥の執務室に沈黙が訪れた。察したのだろう、隣室から従卒がティーセットを運んできた。これくらいの気遣いが出来ないと元帥府の従卒は務まらない。
「ミューゼルは使えますか」
「充分に。覇気に富みすぎる面はありますが」
「此度の敗戦、当然ながら皇帝陛下にも報告申し上げました。意外な事にミューゼルの事を気にかけて居られた。アンネローゼの弟は息災か、と」
「ほう」
「こうなると、敗戦の責をミューゼルに負わす訳にもいきません。かといって誰も責任をとらない訳にはいきません。マッケンゼンの上級大将への特進は無くなりました」
「……死者に全て押し付ける、と」
「現に彼奴の艦隊の不手際が作戦に過大な影響を与えている。その点はリッテンハイム侯もしぶしぶながらお認めではあった」
「ですがマッケンゼンの殿戦があればこそ、我々はこうして生還は出来たのですぞ。その点は考慮していただかねば、マッケンゼンも浮かばれますまい」
「…全て決した事です」
「であれば私も一線を退こう。でなければリッテンハイム侯が治まるまい。大貴族の横槍は辛かろう?」
「…横槍はともかく、退いてどうなさるというのか」
「貴族達の艦隊を訓練し、万が一に備えようと思う」
「それは」
「邪な思いからではないのだ。もし軍に何かあった時、貴族が藩塀としての役目を果たさねばならん。いざその時になって貴族の艦隊が使い物にならない、では話にならんからな」
「…軍が敗れるとお思いですか」
「敗れるとは言っていない、万が一に備えると言っている」
「万が一、ですか。了解しました。艦隊はどうなさるおつもりか」
「二万隻近くはいる筈だが…一万隻は軍に譲ろう」
「宜しいのですか」
「その代わりといってはなんだが、頼みがある。ミューゼル少将を昇進させて欲しい。艦隊司令官に据えて貰いたいのだ」
「…伯の手前、皆申しませんが此度の敗戦の原因はミューゼルにあると考える者も多い。理由をお聞かせ願いたい」
 
 冷めた紅茶が喉に心地よい。アイスティーという物を、下の者達が好んで飲む理由が分かる様な気がする。
「あれは優秀だ。だが、その能力を発揮出来ているか…というとそうでは無い気がする。無論、参謀としても優秀なのだが…あの者の能力は集団の頂点に立って発揮される物だ。軍にとっても、あれ自身にとってもそれが良かろうと思う」
「ですが…」
「寵姫の係累に力を持たせ過ぎると後の憂いになりかねない、と申すのだろう?心配いらんよ。今ではあれの姉の面倒はブラウンシュヴァイク公が陰に陽にと見ておられる。それにミューゼル自身も私の部下という立場からではあるが、権力に近付く事の恐ろしさという物を理解している筈だ。滅多な事では妙な気は起こさんよ」
「…分かった、伯がそこまで仰るのであれば、手続きを進めよう」
「長官閣下も、あれを艦隊司令官として手許で使ってみれば、おのずと分かるであろうよ」



5月17日12:00
オーディン、ヒルデスハイム伯爵邸、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 「…という訳で、私は一線を退く事にした。突然過ぎるだろうが、分かってくれ」
…伯が軍から身を退く原因は、先日の敗戦とその結果…マッケンゼン艦隊が全滅した事、そして故マッケンゼン中将が特進しなかった事にあろう事は容易に想像出来た。マッケンゼン艦隊はヒルデスハイム艦隊のせいで全滅した、と思われていたから、敗戦の責任はヒルデスハイム伯にある、という静かな声があがっていたのだ。そして作戦を進言したのが俺である事が分かると、その声は静かな物ではなくなりつつあった…作戦失敗の原因は確かにマッケンゼン艦隊なのだ。だが彼等は死を以てそれを贖った…助けられた身としては苦い想いだけが募る。どうしても自責の念に駈られてしまう。そして結果として伯爵が犠牲になった…。
「申し訳ありません、小官のせいで…」
「よい、よいのだ参謀長。私から言い出した事なのだ。それに、こうでもしないとリッテンハイム侯は納得せんだろうからな」
リッテンハイム侯爵とブラウンシュヴァイク公爵…大貴族の権門同士の意地の張り合いが影響しているのは分かるが、それでも…
「だが、良い報せもある。卿の昇進だ。私の進退と引き換えというか…卿がヒルデスハイム艦隊を引き継ぐ。まあ二万隻全てとはいかんがな。艦隊のうち、一万隻を軍に残す。それを中核とした艦隊を卿が率いる。置き土産とでも言うべきか」
俺が中将に…艦隊司令官になるというのか?伯の意図が分からない、わざわざ俺の為にミュッケンベルガーに掛け合ったというのか?

 「何故です、何故その様な」
「この二年、私は卿を見て来た。卿は能力はあるが人事上の問題を抱えている。それが影響して、卿を引き取る部署は皆無だった。寵姫の身内というのはそれほど重い物なのだ。だが私の艦隊なら何の問題もない。卿を呼べば同時にグリューネワルト伯爵夫人も一門の手の中に納める事が出来る。ブラウンシュヴァイク公もお認め下さったし艦隊も強化出来る…正に一石二鳥だった」
 伯は一旦言葉を止めると、窓の外に目を向けた。窓の外には庭が広がり、そこでは伯の愛娘が女中と遊んでいた。
「実は、参謀としての卿にはあまり期待していなかったのだ。聞こえて来る卿の噂はひどい物ばかりだったからな。だが蓋を開けてみればどうだ、見ると聞くとでは大違いではないか。多少取っ付きにくい所はあるが、掘り出し物と思った」
 俺の知らない所で、そんなにひどい噂が流れていたのか…誰にも相手にされない訳だ。
「ありがとうございます。小官も全く勝手の違う場所での勤務でしたので、猫を被っていたのは間違いありません」

 伯爵は笑いながら続ける。
「猫を被っていた、か。今考えると納得出来るな…卿は帝国の現状を快く思ってはいないのだろう?」
「その様な事はありません。小官を現在の地位につけてくれた帝国には感謝しています」
「卿は隠すのが下手だな。卿が推薦した者の顔ぶれを見れば分かるのだ。推薦する場合、卿自身に近しい者や、同期生、卿が世話になった者に近しい者…いわゆるコネだな、そういった存在を推薦するのが普通だ。だが卿は違う、純粋に能力のみの推薦だ。そして卿の勤務来歴を見れば分かるが、直接関わり合いのある者は皆無だ。しかもリストの中には爵位のある貴族の子弟は居ない。その様な者達を推薦してくれと言われれば、疑問が沸いて当然だろう?」

 …伯爵の疑問はもっともだ、あの時は推薦者の配置変換が滞りなく進んだので、疑われているなどと思ってもみなかった…どう返事すべきだろうか。沈黙は肯定にしかならない、生半可な返しもかえって疑惑を確信に変えるだけの事だ。
「返事に困っている様だな。案じるな、叱責している訳ではないのだ。軍に復帰してからというもの卿と似た様な思いは私にもある。立場上、表には出せないがな」
今更の様に俺を立たせっぱなしなのに気が付いたのだろう、伯は応接セットを指し示した。伯自身もワインとグラスを手に取って応接セットに座る。
「…銀河帝国の神聖にして不可侵なる始祖、大ルドルフ皇帝陛下は、これぞと思う人物や顕著な功績のあった者に貴族の称号を賜られた。果たして今はどうか。帝国が宇宙を統べる様になり長い年月が経ったが、もはや追叙される者はいなくなりその間に階級は固定化し貴族と平民の間には埋めがたい溝が生じてしまった。貴族、特に爵位を有する貴族達は与えられた権利を行使する事と、その自らの権利を守る事だけにしか興味がない。そしてそれを仕方ない事と諦感を持って日々の生活を送る平民達。平民が顕官に着く事はごく稀で、それも貴族階級の者達の妬みを買って、その能力を発揮出来る環境ではない。おそらく、帝国の現状は大ルドルフ皇帝陛下の望んだ者ではない、と私は思っている」
伯爵は俺にもワインを注ぐと、しゃべり疲れたかの様に自分のグラスを一気にあおった。意外だった、伯爵がこんな事を言うとは…一礼して俺も一気にワインを飲む。
「まだ軍はいい方だろう。貴族平民関係ないからな。だがそれでも両者の溝は深い。伯爵の私が言うのも変な話だがな…軍に復帰するまで、当然だと思っていた権利は、私の力による物ではない事に気付かされたのだ。私に皆が傅くのは家名、地位にであって、それは私自身の力によるものでは無いという事に」
伯爵は一体どうしたのだろう。表に出す物ではないと言いながら、それを吐露してしまっているではないか…。
「それは仕方の無い事かもしれない。だが同時に寂しい事でもある。軍の地位はともかく、生まれによって人が卑下されるなどあってはならないのだ。人は人として正しく評価される社会であるべきなのだ……ふん、まるで共和主義者の様な言い草だな……卿はこの現状を変えたいのではないのか」
伯にとってこの話は酒の力が必要なのだろう、俺が二杯目を飲む間にボトルは空になってしまっていた。確かに酒の力が必要かもしれない、伯爵の話す内容は、その立場の人間としては危険極まりない内容だった。伯爵の言っている事は本心なのだろうか。答えるべきか、はぐらかすべきか…

 俺は……。
「……もしそうだとしたら、どうなさいますか」





(敢闘編 完) 
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