ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第90話 カプチェランカ星系会戦 その1
前書き
6月いっぱい副鼻腔炎からの高熱と体調不良に陥り、ほとんど自宅警備Twitter廃人化してました。
家族も肺炎で入院して、もうどうにもならない状況でした……
文面が荒すぎて、大筋を変えることはないでしょうが、恐らく書き直します。
今もそれほど元気なわけではありませんが、仕事に復帰はしております。
はやく第10艦隊来てくれませんかね。
宇宙歴七九〇年 二月二六日 二三〇〇時 ダゴン星域 カプチェランカ星系
カプチェランカ星系に侵入を果たした帝国軍艦隊に対する、同盟軍遠征部隊先任である第八艦隊司令部から送られてきた作戦行動案は第四四高速機動集団司令部が予想した通り、惑星カプチェランカの衛星軌道上で迎撃するという極めてシンプルなものだった。
機動迎撃するには敵に比して味方の数が少ないこと。二箇所の跳躍宙点から現れた帝国艦隊のうち、数の少ないアスターテ星域方面から現れた部隊が、ティアマト星域方面から現れた部隊の進路に寄り添うような形で合流を果たしたこと。以降の偵察行動より合流した敵が、ほぼ一直線に惑星カプチェランカへと押し寄せていることなど、下手に動いて乱戦状態になるよりもじっくり腰を据えて第一〇艦隊が到着するまで戦い続けるほうが、勝算が高いと司令部は見たのだろう。
陣形の指示は立方横隊。中央に第八艦隊、左翼に第四四高速機動集団、右翼に第三五三・第三五九・第三六一独立部隊と第四一二広域巡察部隊が配置される。アスベルン星系で第四四高速機動集団が帝国艦隊と相対した時と同様に、陣形がシンプルなので用兵の自由度は高い。
一方で接近する帝国艦隊の行動は刻々と報告されている。一九〇〇時にはこちらの存在を明確に把握し、陣形を再編すべく進撃速度を落とした。構成された陣形はこちらと全く同じ立方横隊。中央に約一五〇〇〇隻、右翼に約三五〇〇隻、左翼に約二五〇〇隻。後方に一五〇〇隻ほどの集団が三つに分かれて存在しているのは、各部隊の支援部隊と考えられる。
こうなると本当にアスベルン星系における遭遇戦と、規模は違えどもまったく同じような状況だ。そして立場はあの時とは逆である。敵と味方の戦力比は戦闘艦艇だけで一七三〇〇隻対二一五〇〇隻。火力比は一対一.五六。同一陣形のままで真正面から削り合いをするとなれば、同盟軍が全滅するまでにだいたい七五時間程度と推定される。金髪の孺子なら創造性の欠片もない戦いとでも言うだろうか。
カプチェランカから同盟軍を引き剥がしたい帝国軍としては積極攻勢に出るだろうし、こちらも遅滞戦術を取るから虚々実々の駆け引きとなる。シトレの用兵家としての手腕が問われるだけでなく、各部隊現場指揮官の柔軟な対応力も求められる。
そして左翼二五〇〇隻の敵陣重心点付近に戦艦ネルトリンゲンが確認されている。中央部隊はイゼルローン要塞駐留艦隊と思われるが、そうなると第四四高速機動集団の正面にいる右翼三五〇〇隻の出所は一体どこからだろうか。やはりマリネスク副参謀長の言う通り、ティアマト・ヴァンフリート・アルレスハイムといったイゼルローン回廊より同盟側にある帝国支配星域に配置された防衛艦隊を再編成したものか。その割には部隊構成と行動に秩序と統一性が見受けられる。
「正面の敵右翼部隊までの距離、八・七光秒。機動集団基準有効射程まで約一〇分」
「敵右翼部隊は単一台形陣を形成。敵中央部隊とほぼ並行して移動中」
「敵右翼部隊の総数は三六〇〇隻ないし三七〇〇隻。戦艦三五〇ないし三七〇、巡航艦一六〇〇ないし一七〇〇、駆逐艦約一二〇〇、宇宙母艦一五。台形陣後方に補助艦艇らしきもの四〇〇」
編成を見る限りメルカッツの重装部隊ほどではないにしても、やはり制式艦隊の中核戦力そのもの。各部隊・各戦隊の戦列もアトラハシーズ星系でのメルカッツ直轄艦隊ほどではないにしても、まずは一線級の部隊であると言えるだけ整っているから、急ごしらえの連合部隊とは思えない。
「敵右翼部隊中央部に識別可能な戦艦を確認……戦艦オスターホーフェン。マルセル=フォン=ヴァルテンベルク中将の乗艦と思われます」
ヴァルテンベルク……イゼルローン要塞駐留艦隊司令官で、第五次イゼルローン攻防戦において巻き添え砲撃を受けた指揮官だ。あの時は確か『大将』だったはずだが、今はまだ中将なのか? イゼルローン要塞における帝国軍指揮官の赴任期間は平均で三年と考えれば……中将で赴任して、大将に現地昇進と考えるのは些か無理があるので、昇進情報が連絡として遅れたのか。それともただ単にイゼルローンに赴任してきたタイミングという事か。
そうだとして、敵の中央部隊にはアトラハシーズ星系で遭遇したローラント=アイヒス=フォン=バウムガルテン中将の艦隊もいることから、イゼルローン駐留機動艦隊と思われる。となれば、イゼルローン駐留艦隊の規模が一万八〇〇〇隻を超えることになる。結論としては……
「イゼルローンに交代赴任する予定であったヴァルテンベルク艦隊は、ダゴン星域への同盟軍の侵犯により、急遽そのまま戦列に加えられた、といったところか」
「それが一番矛盾しない結論だろうな」
口に出た空想に、隣に座っていたモンティージャ中佐も同意してくる。
「交代戦力となれば、時期さえ間違わなければ取り立ててフェザーンの駐在武官達もそれほど警戒はしないだろう……そうか、君も経験者だったな」
「あとは昨年のイゼルローン攻防戦の損失補填と重なった可能性ですね」
「メルカッツが最前線の星域防衛に駆り出されていたということは、イゼルローンでの部隊補充と訓練が終わるまで、重戦力で前線を維持して欲しいという意図か。そこにどこからか同盟軍の辺境部攻略作戦情報が帝国側に流れた」
「……アトラハシーズ星系での戦い、事前に情報が漏れていたとお考えですか?」
「まず間違いない。軍外組織からフェザーン経由だな。アスターテかダゴンかはっきりとわからないので、やや大きめの戦力をメルカッツに預けた、というところだろう。証拠はないがね」
珍しく表情に出して悪態をつくモンティージャ中佐を横目に、俺はメインスクリーンに映る光点を見つめた。第四四高速機動集団の残存戦力は戦闘艦艇だけで一九七八隻。正面の三二〇〇隻の六割程度の戦力しかない。戦闘能力に余程の差がない限り、まともに撃ち合うのは時間と兵力の浪費というもの。それくらいはこの戦いを指揮することになるシトレをはじめとした第八艦隊司令部も理解していると信じたい。
「正面の敵右翼部隊までの距離、六.八光秒。機動集団基準有効射程まで三分!」
「集団全艦、長距離砲戦用意。目標正面敵右翼部隊。交互射撃」
モンシャルマン参謀長のいつもよりやや低い声が、戦艦エル・トレメンドの吹き抜けに木霊する。雛壇の下になる戦闘艦橋からは、副長と各班長の最終確認が行われる声が聞こえてくる。砲門開放よし、長距離砲撃照準システム正常確認よし、レーザー水爆発射準備よし、敵味方識別信号システム正常確認よし、エネルギー中和磁場正常稼働中、スパルタニアン発進待機態勢確認……
「第八艦隊司令部より砲撃司令あり!」
ブザーと共に若い通信オペレーターの声が響く。それから一呼吸おいて、爺様の砲撃命令が下される。
「撃て!(ファイヤー)」
相変わらず老人とは思えぬ迫力と圧力を持つ声に、ビビりながらもファイフェルが復唱し、戦艦エル・トレメンドはメインスクリーン真正面に二本のビームを数秒おきに吐き出す。続いて直衛戦艦部隊、第二・第三の旗艦部隊、麾下の巡航艦・駆逐艦達も砲撃を開始する。だが戦艦エル・トレメンドの交互射撃が二巡目に入るタイミングで、敵右翼部隊の砲火が第四四高速機動集団に襲い掛かってくる。
可視光として見えないエネルギー中和磁場と敵の砲火が激突し、火花と煌めきをスクリーン一杯に映し出す。戦艦エル・トレメンドが集団の重心位置にある以上、敵右翼部隊もそれなりに『気を使って』砲撃しているという感じだ。周辺にいる直衛の駆逐艦が浴びせられた砲撃による膨大なエネルギーに中和磁場を破られ、一瞬何事もなかったように直進したものの、数秒後に純白の光点となって煌めいて消える。
戦艦エル・トレメンドは第一部隊中央戦闘集団の前七列中央に位置している。その位置まで濃密な砲撃が届くということは、砲撃面火力でかなりの差があると言わざるを得ない。つまりは敵の集団戦闘能力は極めて常識的で、このまま何もせず手をこまねいていれば数の差でジリ貧になる。
「ボロディン少佐」
爺様の左隣に立つモンシャルマン参謀長が、厳しい目つきで俺を手招きする。七割の冷静さと二割の怒りと一割の焦りを混ぜたような参謀長の声色に、俺はすぐさま席を立って爺様の傍に向かう。爺様はいつものようにメインスクリーンをじっと無言で見つめている。ファイフェルも同じように直立不動でスクリーンを見ているが、横目でチラチラとこちらを見ているのは、周辺視野でわかる。
「第八艦隊司令部からは当面戦線を維持することを指示されているが、交互砲撃一巡目で直衛艦に被害が出るほどの火力差だ。少し手を入れないと些か困ったことになりかねない」
「増援の要請は難しいでしょうか?」
参謀長に問いかける俺自身、それは無理だと分かっている。正面にほぼ同数の敵戦力を抱えている以上、開戦早々の予備戦力前線投入は、以降の戦況を考えてもあり得ない話だ。参謀長も俺がそれを分かって問いかけていると理解しているので、口では応えず僅かに頭を右に傾けた仕草で応じる。故に俺も小さく肩を竦めるだけで応えた。
「敵の戦闘能力が当集団と同程度という事であれば、砲撃参加面積が同じなら当然、隻数が密度差になります。そこを崩すとしたら、散開陣形にして面積を広くとるしかありません」
「陣形の不用意な拡大は、敵に突破の機会を与えるようなものでしかない。我々が突破されれば、第八艦隊は帳面左翼の二方向から挟撃されることになる」
「敵右翼部隊の行動は実に慎重です。一気呵成に攻勢に出てもなんらおかしくないだけの戦力差があるのに、腰を据えて砲撃戦にのみ集中しています」
原作でヴァルテンベルクの性格は特に記載されていなかった。イゼルローン駐留艦隊司令官として艦隊を指揮し四倍の同盟軍と戦って、要塞があるとはいえ一撃で粉砕されたわけではないのだから、貴族ではあっても無能な指揮官ではないし、怯懦な性格をしているとも思えない。
もし俺が帝国軍全体の指揮官であるならば、両翼いずれかを前進させ半包囲するというプランで、それぞれの部隊を動かす。右翼のヴァルテンベルクか、左翼のメルカッツか。俺であればヴァルテンベルクを急進させて第四四高速機動集団を撃砕し、同盟軍全体が左に傾いたタイミングで中央と左翼を前進させる。メルカッツは近接戦闘指揮において絶対的な強さある以上、ヴァルテンベルクを槌、メルカッツを金床としたほうが有効だ。作戦時間も短くて済むし、カプチェランカの地上で絶望的な状況下で戦う陸戦部隊の助けになるし、イゼルローン要塞を空白にする時間も減る。
であるならば、この腰を据えたヴァルテンベルクの動きは、突撃前に第四四高速機動集団の抵抗力を減衰させる準備砲撃のようなものと考えられる。勿論、帝国軍の司令部が全く別の作戦を考案している可能性はあるだろうが、ただ漫然と同盟軍が損耗して撤退するまでこのまま砲撃を続けるというのは、時間とエネルギーの浪費であることは帝国軍首脳部も理解している、はずだ。
ここまで簡単にモンシャルマン参謀長に俺の考えを伝えると、参謀長も賛同するように小さく何度か頷く。
「突撃前の準備砲撃とすれば、こちらが付き合って撃ち減らされる意味はない。閣下、いかがでしょうか?」
モンシャルマン参謀長の問いかけに、爺様は一度だけ鼻を鳴らすと、目の前の画面に映し出される集団の被害状況と戦況シミュレーションを見比べてから思考に入った。第八艦隊司令部は戦力比から敵の出方に合わせて動こうという、どちらかというと消極的な戦闘指揮をしている。これは爺様の性格からして忍耐を必要とする状況だが、逆に積極的に動いてシトレの戦術構想を崩してしまうのも避けたいと考えているのかもしれない。
俺はこれまでの実戦において作戦における最上級司令部に所属する幕僚であって、別の司令部の麾下に入ったことはなかった。作戦立案において勤勉さを求められても服従を求められることは、直属の上司以外にはなかったと言っていい。しかもリンチにしても爺様にしても、それなりに理解力のある上司であっただけに、相当に恵まれた立場であったのは間違いない。いきなりムーアみたいな奴が上官だったら、俺の転生人生は前世以上に真っ黒だったろう。
しかも直属の上司以外に上層部のある戦いは初めてだ。上級司令部が構想している作戦に対して麾下部隊が独断で動くようなことは、結局バーミリオン星域会戦のトゥルナイゼンのように戦術レベルでの戦線崩壊を招きかねない。だが司令部の構想を維持しつつ戦力とテリトリーを維持せよというのは、中間司令部の悲哀というべきだろう。
「ジュニアは散開陣形をとれ、と言いたいのじゃな?」
問いかけからまるまる二分。少し離れたところにいた巡航艦が爆散し、エル=トレメンドの艦橋内部に閃光と微振動を引き起こしたタイミングで、爺様は口を開いた。
「散開陣形を取れば被害は低減できるが、貴官も想定するように帝国軍の積極攻勢を招くことになるじゃろう。現時点でこちらから敢えて敵の攻勢を誘引する必要性があるのか?」
「このままの状況があと六時間続けば、正面敵右翼部隊との戦力比は一対二を超えます。その時点で敵右翼部隊が積極攻勢に出れば、阻止することは困難です」
「余裕があるうちに敵の勇み足を誘え、そう言いたいんじゃな?」
「はい」
「第八艦隊から一〇〇〇隻程度の増援があれば、その勇み足を払って、さらに踏みつけることは可能か?」
爺様の言葉に、俺は思わず爺様の顔を凝視してしまった。爺様も俺の方にまるで一〇代の悪戯小僧のような不敵な笑みを浮かべている。つまり爺様も『後の先』を考えていたわけだ。現時点で第八艦隊が増援を出してくれるはずがないが、『敵が積極攻勢に出て第四四高速機動集団の陣形が乱れ、敵右翼部隊に突破される可能性を阻止する』為に、『第八艦隊が防御的措置を取らざるを得ないように敵を誘導しろ』、と爺様は言いたいのだろう。
「ジュニア、一五分でやれ。モンシャルマン、ジュニアの作戦案をチェック次第、集団全艦を散開陣形に変更。上下に広げるんじゃ」
「「了解しました」」
砲門が開いてそれほど時間が経っていない現時点で、これから一五分失われる可能性のある戦力は一五ないし二〇隻。艦種にもよるが一七〇〇人から三〇〇〇人の命が失われるだろう。砂時計の砂粒はダイヤモンドより貴重だと言ったのはシェーンコップで、エメラルドと言ったのはブルームハルトだったか。本来言いたい意味も分かるが比喩表現として、今の俺にとってはたかが宝石と人の命では比較するのも烏滸がましい。
作戦参謀として敵の作戦構想を知りたい為に、敢えて被害を出し続けるというのは理解できる。だが理解できるだけであって、今回のような付属部隊の立場であっても事前に対処できるようにしておくべきではないか。そう考えるとアスターテ星域会戦でのヤンの冴えに、凡人の俺は視聴者や読者としてではなく一軍人として改めて驚かざるを得ない。
ともかく爺様の構想としては、敵を第四四高速機動集団と第八艦隊の隙間に引きずり込むことだ。上下に散開せよということは、高速機動集団としてはあくまでも三分隊を維持して行動させろという意味がある。すると集団右翼に位置する第三部隊(バンフィ)を底として、右を第八艦隊左翼の第四分隊(一二四〇隻)、左を集団第一(ビュコック)・第二(プロウライト)で固めるU字陣形となるように動かせと言うことだろう。
単純なU字陣を構成するだけならばそれほど難しい計算はいらない。だが今までの被害が少ないとはいえ、バンフィ准将の第三部隊は僅かに七〇〇隻強。一方で敵右翼部隊は三二〇〇隻弱。普通ならコップの底が抜けてしまう。可能な限り第三部隊への敵の砲撃面積を減らしつつ、敵が喜んで突撃してくるような形に持っていくには、半包囲の形に知恵を使う必要がある。
並列散開陣形から半包囲までの構想から、第八艦隊第四部隊が最小限の回頭で効率的な砲撃ができる位置へ誘引する為の、第四四高速機動集団各部隊の動きとそれに伴う損害想定を三次元シミュレーションに落とし込むまでに一二分三〇秒。画面を見つつひたすらキーボードを叩いている最中、何となくではあったが俺の右脇にフィッシャー師匠がぼんやりと立っているような感覚があった。
まだ師匠は神様になったわけではないから、こういう場合は生霊というのか。俺が打ち込む作業一つ一つに師匠の視線が向けられ、時折指を画面に向けて『それは良手ではない』と忠告する声が聞こえてくる。その指摘が部隊の将来移動空間の余裕の無さであったり、可能であっても部隊練度レベルを超える移動距離であったりといちいちもっともだったので、狂信的艦隊機動戦原理主義過激派である俺もついに『本物の狂信者』になったと自覚せざるを得ない。
出来上がったシミュレーションを爺様と参謀長とファイフェルの前で説明する。我ながらに過激な案だとは思うし、巻き込まれる第八艦隊第四部隊はいい迷惑だろうが、勝算は十分にある。
「いいじゃろう。まるで別の誰かが作ったような行動案じゃが、儂らができる限界をよく見極めておる」
見終わった爺様は、顎を撫でながら小さく数度頷き、一度天井を見た後、俺の肩を二度ばかり叩いて言った。
「ジュニア。一応言っておくが、師に忠実すぎる弟子は師を超えることは出来ん。今はこれでも十分じゃが、一〇年後にはこれを超えてなければならんぞ?」
「司令官閣下。もしよろしければ、一〇〇点満点の回答を教えていただければ……」
「甘えるな。それくらい自分で考えんか」
肩を叩いていた爺様の右手が急に収縮し、即座に俺の左側頭部を襲う。思わず首を右に傾けて躱そうとするが、結局躱し切れず右頭頂部を削るように掠めた。だが床に落ちた軍用ベレーを取ってくれるであろう末席のファイフェルは、既にデータの入ったメモリを持ってオペレーター席に向かって走っていたし、モンシャルマン参謀長は自席に戻って各部隊の指揮官と直接通信していたし、カステル中佐はシミュレーションに記載された損害係数を修正しながら後方部隊と連絡を取り合っている。
結局、俺の後ろで作戦説明を聞いていたモンティージャ中佐が苦笑しながら、軍用ベレーを拾い上げ痛みの残る俺の頭の上に乗せると、何も言わず二度ばかり背中を軽く叩いてくる。俺は自席に戻っていく中佐に礼を述べつつ、全身に溜まり切った重圧を全て外に出すようにゆっくりと、かつ静かに息を吐いた。
俺の目の前で第四四高速機動集団はゆっくりとシミュレーション通りに動いてくれている。上下に拡張された三部隊は、敵右翼部隊の前衛に対して多角度で砲火を集中させる。敵右翼部隊は一時的に前進を止め、こちらと同様に上下に陣形を拡張させ集中砲火を避けようとするが、今度はこちらは各部隊を上下二つに分け、上下に伸びていく敵陣両先端辺に向けて砲火を浴びせた。
敵右翼部隊の前衛は上下に伸ばすことに躊躇し、逆に有効射程の関係で砲火の届かない中衛と後衛は損害なく広げることに成功した為、自然と正面から見ると長方体であっても断面は楔のようになっていた。第四四高速機動集団が手の上に乗る豆腐なら、その横断面を滑って切ろうとする包丁のような形だ。多少の損害を被ろうと、このまま突き進むだけで第四四高速集団を容易に分断することができる。
そして敵将ヴァルテンベルクは当然の如く前進を選択した。むしろ前進しなければおかしいという状況だ。それに対し第四四高速機動集団は中長距離砲戦から近距離砲雷撃戦へと転換する。ただし発射するのはレーザー水爆だけではない。集団全艦が電磁投射機能を最大出力にし、各艦の搭載する宇宙機雷の半分を集団正面左翼方向へと叩き出した。
先に発射した一万八〇〇〇発のレーザー水爆に対して囮を発射した敵右翼部隊に、一〇万発の機雷に対する手当ては遅れた。機雷達は妨害を受けることなく第四四高速機動集団の左半分、正確には中央から左翼にかけて天頂方向から見ると三角柱のような機雷原を構築することに成功する。そして敵右翼部隊は横隊陣のまま、機雷原にまともに突っ込んだ。
敵右翼部隊の右翼にかなりの数の光点が現れ、左右の戦列にズレが現れる。前方に妨害の無い左翼は通常速度で前進し、右翼は機雷を掃射しながらゆっくりと前進するから、陣形は自然と機雷原と点対象のような三角形に変化していく。いわゆる左斜陣形だ。
それに対して第四四高速機動集団は『前進』を開始する。ただし第一(中央・ビュコック)と第二(左翼・プロウライト)は散開陣形のまま、第三(右翼・バンフィ)はゆっくりと密集陣形に変化させつつだ。。機雷原の妨害のない敵部隊の左翼先頭、つまり楔型の先端に向けてバンフィ准将は火力を集中させ出鼻を挫く。一方で機雷原にぶつかった敵部隊の中央と右翼に対し、爺様とプロウライト准将は低出力投射で残りの半分の機雷を六時の方向にバラまきつつ個別に目標を指示して敵艦の各個撃破を目論む。
しかし根本的に数的に不利な状況に変わりはない。最初に作られた機雷原も機動集団から見て中央部は薄く左翼が厚いのだから、敵の中央部隊は早々に掃射を終えて機雷原を乗り越えてくる。その火力は正面で粘っているバンフィ准将の第三部隊へと浴びせられる。右翼が機雷原の突破に手間取っているとはいえ、敵部隊の中央と左翼を合わせれば二〇〇〇隻を超す。七〇〇隻程度の第三部隊はたまらず全速で『後進』する。
左翼を切先として機雷原の突破に成功した敵右翼部隊は、左斜陣形のまま第三部隊を追撃し、そのまま元の高速機動集団と第八艦隊の境界面へとなだれ込んでいく。この時点で第八艦隊司令部から第四四高速機動集団司令部に後退して密集陣形に再編せよとの指示が飛ぶが、爺様は意図的にそれを無視した。故に敵右翼部隊はさらに前進し、第八艦隊左翼に位置する第四部隊の左側面へと入り込んで、突破して第八艦隊の後背に回り込んでの半包囲しようとするが……包囲網に引きずり込まれたのは彼らの方だった。
第八艦隊第四部隊は速度に合わせて左舷回頭。左脇腹を晒している敵右翼部隊を強かに叩きのめす。悶える隙にバンフィ准将は後進を止め、円錐陣を構成し再度前進を開始。そして爺様の第一部隊は前進しつつ上から、プロウライト准将の第二部隊は後進しつつ下から、後で構築した機雷原を迂回し、上下から敵部隊を挟撃する。これで『第八艦隊第四部隊を底にした』縦の逆レの字に近いU字陣形(正面に第三部隊と機雷原があるので正確には四角錐)による半包囲が完成した。
「敵の指揮官は勇猛だが、いまいち視野が狭いな」
一方的になりつつある戦局を見つめながら、モンシャルマン参謀長は肩を竦めて呟いた。こちらの予想通り、最初から右翼部隊を主軸とした攻撃計画を練っていて、第四四高速機動集団の脆そうな陣形を見て、容易に喰い破れると考えていたのだろう。あまりにもあっさりと引っ掛かってくれて、基本構想を組んだ俺としては冗談じゃないかと思えてくる。
それに爺様やプロウライト准将、何よりバンフィ准将と第三部隊の奮闘と分単位での戦闘指揮は見事だった。特に散開陣形から密集陣形へ変更する際に生じる火力バランスの変化を、実に滑らかに統制していた。火力統制に艦隊戦闘の重きを置く爺様にとっては、もはや欠くべからざる人材だ。
最初に砲火を開いてから六時間。敵右翼部隊は先頭集団を殆ど廃棄していく勢いで後退していく。メインスクリーンに映る敵の光点も時間を追うごとに少なくなっていくのが目に見えてわかる。爺様は追撃をせず再び各部隊へ、方形陣への再編と補給及び応急修理を命じた。そのタイミングだった。
「司令官閣下」
副官席にある司令部直通の超光速通信画面を弄っていたファイフェルが、不愉快と困惑を綯交ぜにした表情を浮かべながら、司令官席でブライトウェル嬢が淹れたばかりの珈琲を傾ける爺様に告げた。
「第八艦隊司令部より通信。『第四四高速機動集団は速やかに前進し、敵右翼部隊を殲滅せよ』とのことです」
それは一瞬だった。爺様と珈琲を持ってきたブライトウェル嬢を囲むように立っていた第四四高速機動集団の司令幹部の、緊張しつつも一息入れる穏やか空気が、まるで極地のような寒気と暴風雪へと変化した。またもついていけてないブライトウェル嬢は、その包囲下で困惑し……何時ぞやと同じように俺の方へ戸惑う子犬のような視線を向ける。まぁ何も言わずに紙コップを司令官用デスクに置く爺様や、顔の部位に変化はないのに米神の血管だけが浮き上がっている参謀長、一気に飲み干して紙コップを握りつぶし眉間に皺を寄せたモンティージャ中佐、コップを平衡に保ちながらも大声で四文字F語を吐き捨てるカステル中佐に、彼女が問いかけられるわけがないのだが。
「多少小細工をしたとは言え、未だに我々は敵右翼部隊に対して数的不利だ。カステル中佐?」
答える俺からの視線に、口をへの字にしながらもカステル中佐は、左手だけで器用に携帯端末を操作しながら言った。
「簡易集計だけで一〇九隻撃沈、九三隻大破戦闘不能。中破を除いてまともに戦えるのは一七〇〇隻以下だ」
「敵の残存兵力はどのくらいです? モンティージャ中佐」
「重力波探知で観測しただけだが、動けるのはまだ二四〇〇隻以上いる」
モンティージャ中佐はそう言うと大きく鼻息を吐くことで怒りを抑えようとしている。爺様とモンシャルマン参謀長は何も言わずに珈琲を啜っているし、ファイフェルも興味深しげにこちらを見ているので、俺はブライトウェル嬢に話を続ける。
「さて、ブライトウェル兵長。我々は持てる機雷の全てと、レーザー水爆の四斉射分を失っている。そして撤退する敵艦隊と我々の間には、小細工で撒いたかなり肉厚な機雷原が中央から左翼方向に残存している。ここで第八艦隊司令部の指示通りに我々が追撃に移行したとして、我々はどのルートを取って敵を追撃すべきか」
機雷原の全くない右から追撃を仕掛ければ、敵中央主力部隊の砲火と機雷原に挟まれた狭い宙域を密集隊形で進むことになり敵の集中砲火を浴びることになる。まさに自殺行為だ。
機雷原のさらに左を迂回しながら追撃を仕掛ければ、今度こそ援護なしで一七〇〇対二四〇〇の真っ向勝負となる。開戦最初に比べればいくらかマシだが、補給にも増援を受けるにも距離が長くなり、戦力差がそのまま勝敗になりかねない。
機雷は自分達で敷設したものなので敵味方識別装置も有しているから、機雷原をそのまま乗り越えていくという方法もある。だがいくら敵味方識別装置が付いているとは言っても物理的な障害物には違いない。部隊としての機動性を大きく損ねながら前進するというのは、防御する側の敵にとって格好の的となる。
部隊を二つに分け機雷原を上下から迂回するという手もあるが、それは最悪の手だ。敵右翼部隊は上下どちらかの部隊へ急進するだろう。八五〇対二四〇〇ならば、四時間かからずに壊滅して敵にまったく損害を与えることができず、敵右翼部隊の我が軍左翼進攻を招くことになる。アルテナ星域におけるミッターマイヤーの恩師への『お礼参り』の通りだ。残りの八五〇隻がどう動こうと、艦隊戦闘においてもはや何の意味もない。
「故にここは我々が積極的に動く必要がない。敵右翼部隊に次の行動を躊躇させるだけの打撃は与えた。それでも数的不利な我々は現在位置で待機し、後退した敵右翼部隊の動きを観察しつつ、状況によっては第八艦隊の増援を行えるよう準備を整えておくのが、まず基本だろうね」
そんな基本すら理解せず、戦果拡大を目的として追撃指示するような第八艦隊司令部は、本当にこの戦いに勝ちたいのか。全体としても数的不利なのは変わりがないわけなのだから、第一〇艦隊が到着する一六八時間をどうやって損害を少なく消費するかを、戦局の変化を見極めつつ冷静に判断してから指示しろと言いたい。
シトレ自身がこの命令を下したとすれば、艦隊指揮官としてはあまりいい部類ではないと判断せざるを得ない。だがこれまでの経験からとてもそうは思えないので、恐らくは参謀長か副参謀長かが威力偵察の意味を含めて提案したというところだろうか。それでもOKを出したのはシトレということだが……
「後退した右翼部隊に対して急進近接並行追撃を仕掛けるというのは難しかったのでしょうか?」
頷きながら俺の話を聞いていたブライトウェル嬢からの問いに、爺様以外の幹部の視線が俺に集中する。さっきまで怒気を滾らせていたモンティージャ中佐の顔は、いつも通りの瀟洒で剽軽なものに戻っている。カステル中佐は我関せずと顔を背けつつも眼だけはこちらを向いているし、珈琲を飲みほしたモンシャルマン参謀長の血管も平常位置に戻っている。
「出来ないことはなかった。戦果拡大を目論むならば、それも一つの手だと思う」
第五次イゼルローン攻略戦で、シトレが見せた積極的な攻勢。要塞砲を使用できなくする為の急進並行追撃は、あわや要塞陥落という状況まで帝国軍を追い詰めることに成功する。追い詰められた指揮官こそ、現在帝国軍右翼部隊を指揮するヴァルテンベルクだ。
「だが並行追撃は追撃を仕掛ける方が仕掛けられる側より、圧倒的に数的優位にあることが前提だ。近接戦闘とは一対一のドックファイトを集団規模で行っているだけに過ぎない。数がそのまま力の差になる戦い方だ」
まず現状として全体でも局所でも数的に不利なこと、同盟軍と帝国軍では搭載される単座式戦闘艇の数で差があること、追撃を行うには第四四高速機動集団の疲労度は高いこと、そして適切なタイミングで第八艦隊から増援が来るとは到底思えないこと……
もしメルカッツの率いるような重火力艦隊であったなら、艦艇数の差を単座式戦闘艇や雷撃艇によって埋めることができるので、また話は違ってくる。だが長駆遠征の上、二回の会戦をこなして艦艇にも兵員にも疲労が蓄積されてる、正規艦隊より軽編制の高速機動集団にはとうてい無理な話だ。
「儂はどうでもいい命令でささやかな休息を邪魔されるのが一番嫌いじゃ」
ここまで一言もしゃべらなかった爺様が、欠伸交じりで言った。
「まだ何か言ってきたら、ジュニア、貴官が説教してやれ。数的不利でありながら差し引き七〇〇隻以上の損害を敵に与えているのに、同数の皆様方はなに手をこまねいているのですか、とでも言ってやれば、少しは自覚するじゃろう」
そんな喧嘩の売り方は爺様しかできませんよ、と応えるほどに空気の読めないわけではない俺は、了解しましたと答えるだけに留めるのだった。
後書き
2023.07.11 更新
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