八条学園騒動記
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第六百二十八話 冷気と風その五
「それと日本とベトナムでね」
「負けたのよね」
「島国とジャングルじゃね」
ナンは笑って話した。
「馬は使えないからね」
「それじゃあね」
「モンゴル人の強みは馬よ」
何といってもというのだ。
「だから馬が使えないと」
「どうしようもないのね」
「島じゃね」
「馬は通れないわね」
「海はね、だから日本で負けたし」
元寇である、日本にとっては未曽有の危機であった。
「それでベトナムでもね」
「ジャングルも馬進めないしね」
「だから負けたの、相手も強かったしね」
日本の武士もベトナム人達もというのだ。
「負けたのよ」
「そうだったのね」
「そう、けれどね」
「それでもよね」
「馬に乗れたら」
それならというのだ。
「モンゴルはね」
「無敵だったのね」
「もうね」
まさにというのだ。
「向かうところね」
「小さくても」
「そうだったのよ」
「そういうことね」
「生まれた時から馬と弓矢使ってて」
そしてというのだ。
「生活自体がね」
「軍事訓練だったの」
「そんな風だったから」
「強かったのね」
「ちなみにそれ大昔からだったから」
「というと?」
「だから生活がね」
モンゴル人のそれがというのだ。
「モンゴル帝国の頃だけじゃなくて」
「その前からなの」
「突厥とか鮮卑もで」
かつての遊牧民の国家だ、鮮卑が隋や唐を築いたと言われている。
「それで匈奴もね」
「ずっとなの」
「そうした生活だったのよ」
「馬に乗って弓矢を使って」
「それでこうしたもの食べてね」
羊肉にかぶりつつ言った。
「そうしてね」
「生活もそうだったのね」
「ゲルの中で暮らして」
「生活自体が軍事訓練だったのね」
「そんな風だったのよ」
「凄いわね」
「スパルタが凄かったっていうけれど」
ナンはこの国の名前も出した。
「国民皆兵でね」
「滅茶苦茶過酷な訓練ばかりだったのよね」
「それで徹底的に鍛え上げていて」
「強かったのよね」
「もうその強さはね」
それこそというのだ。
「今でも言われる位だけれど」
「何かね」
コゼットはスパルタについて眉を顰めさせて言った。
「スパルタに生まれたくない」
「そう思うわよね」
「絶対にね」
「そうよね、けれどそのスパルタにもね」
「モンゴル人は負けていないの」
「馬に乗っていなくても」
例えそうでもというのだ。
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