八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第三百二十一話 戻って話してその二
「今から思うと小さい球場でした」
「そうだったんですね」
「はい、まことに」
そうだったというのだ。
「あの球場は」
「今はかなりの球場が広いですね」
昔の球場に比べてだ。
「甲子園は昔から広いですが」
「あの球場はそうですね、尚あの球場も昔と今では全く違います」
「蔦があったんですよね、昔は」
「あの蔦に蛇が多くいまして」
「蛇がですか」
「あの蔦は非常に風情がありましたが」
それでもというのだ。
「あちらにです」
「蛇が沢山いて」
「悩みの種でもありました」
「そうだったんですね」
「はい」
こう僕に話してくれた。
「実は」
「甲子園も時代によって違いますか」
「広いことは同じですが」
昔はラッキーゾーンがあってその分狭かったらしい。
「蔦があって他にもです」
「違いますか」
「そうでした、大鉄さんも大銀さんになりましたし工場だった時もありました」
「工場ですか」
「戦争中は」
第二次世界大戦の時はというのだ。
「そうでして空襲にも遭いました」
「そんな歴史があるんですね」
「多くの爆弾が突き刺さって墓場の様だったと」
「球児の想いも爆弾で、ですか」
「いえ、吹き飛ばされませんでした」
畑中さんはそのことは断言した。
「それは」
「そうなんですか」
「戦争が終わりすぐに高校野球は復活しました」
「だからですか」
「その爆弾達もすぐに取り除かれましたし」
「そうしてですか」
「すぐに野球が再開され」
そしてというのだ。
「高校野球も再開し阪神も」
「野球を再開したんですね」
「残念ながら阪神の選手でも戦死した人がいました」
「景浦将さんですか」
「私はあの人が好きでした」
今では伝説になっている人だ、阪神の歴史に残る名選手の一人だ。
「まことに。ですから訃報を聞いて」
「残念にですか」
「思いました」
「私は知らないですが」
ここで小野さんも言ってきた。
「素晴らしい選手だったそうで」
「はい、沢村さんとも多くの名勝負を繰り広げました」
「そうした人でしたね」
「戦争が終われば」
畑中さんは小野さんに遠くを見る目で話した。
「きっと再びです」
「名勝負をしてくれたとですか」
「思っていたのですがお二人共」
沢村栄治さんも戦死している。
「残念でした。特に沢村さんは肩を壊していたので」
「もう野球は出来なくなっていたんですね」
「そう聞いています、あの剛速球も」
一六〇キロを超えていたという、ただ速いだけじゃなくてノビも凄かったらしい。それに加えて三段に落ちるとさえ言われた物凄いドロップを投げたという。
「なくなっていたと戦後聞いて無念に思いました」
「そうでしたか」
「そして戦死は」
沢村さんのそれもというのだ。
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