八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第三百二十一話 戻って話してその一
第三百二十一話 戻って話して
僕は八条荘に戻ると畑中さんそして小野さんに親父の言葉を伝えた、するとお二人は自然に笑顔になって言った。
「それは何よりですね」
「止様も変わらずにですね」
「むしろ奥様が戻られて」
「より一層ですね」
「みたいですね、遊んでますけれど」
このことも変わらないと言えば変わらない。
「おふくろが戻って」
「それで、ですね」
「これまで以上に意気軒高ですね」
「そうなっていますね、大阪に行って」
そうしてだ。
「食べ歩くそうですし」
「自由軒に夫婦善哉ですか」
小野さんは笑顔で言ってきた。
「非常によい場所に行かれますね」
「お好み焼きやたこ焼きも食べるそうですが」
それでもだ。
「そちらのお店に行って」
「召し上がられますね」
「そう言っていました」
「名物カレーですね」
小野さんは笑顔のまま言った。
「あれは絶品です」
「美味しいですよね」
「大阪の難波に行けば必ず食べています」
「そうされていますか」
「昔ながらの洋食屋で」
「ずっとあそこにあって」
「そうして味を残してくれています」
大阪のそれをというのだ。
「それはいづも屋も同じですが」
「鰻の」
「はい、そして夫婦善哉も」
このお店もというのだ。
「同じです」
「昔からの味を残してくれていますね」
「素晴らしいことに。法善寺横丁自体が」
一度火災に遭ったけれどだ。
「そうした場所です」
「昔の大阪が残っていますね」
「大阪も変わっていますが」
時代によってだ、道頓堀にしても昔は多くの座があった。蟹もエイリアンも紅白のおじさんもいなかった。
「昔ながらの場所もです」
「残っていますね」
「大阪球場はなくなりましたが」
「ああ、今はなんばパークスですね」
「ホークスも九州に行きましたが」
「昔は大阪のチームでしたね」
南海ホークスの時はだ。
「そうでしたね」
「はい、ただ一時期です」
ここで畑中さんがお話してくれた。
「近鉄グループのチームでした」
「近鉄のですか」
「南海鉄道が近鉄の中にあった時期がありまして」
「そうだったんですか」
「その時は近畿日本グレートリングといって」
このチーム名でというのだ。
「南海ではなくです」
「近鉄だったんですか」
「その為かつての近鉄ファンの中には日本一になったことがあると言っていました」
近鉄は日本一になったことがなかったけれどだ。
「その頃に優勝したので」
「だからですか」
「はい」
まさにというのだ。
「そう冗談で言っている人がいました」
「そんなことがあったんですね」
「そうです、尚私も大阪球場には行ったことがあります」
畑中さんもというのだ。
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