八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第三百十三話 休める時はその六
「そういう場面見てきたんですかね」
「尊敬が軽蔑等に変わる時を」
「そうでもないと」
それこそだ。
「そうは言わないですし」
「考えることもないですね」
「そうですよね」
「おそらく、どういった経緯で観られたかわからないですが」
「尊敬の重さを知っていて」
「それがマイナスになった時の怖さもです」
これもというのだ。
「ご存知で」
「それで、ですね」
「仰っているかと。私はこのことを終戦直後に知りました」
「その時ですか」
「それまで立派だと言われていた軍の人達がです」
「ああ、一瞬で」
「賊の集まりの様に言われてです」
その時のことを話してくれた、あの時は敗戦のショックに極東軍事裁判で価値観がまさに一瞬で変わった時だった。
「それまでの尊敬がです」
「あっという間にですね」
「軽蔑と憎悪に変わり」
「ずっとそれが続いて」
「戦後日本軍は悪でした」
それまで尊敬されていたのにだ。
「文字通りのです」
「悪そのもので」
「徹底的に憎まれ批判される」
「そうした風になったんですね」
「その瞬間を見ました」
「それで、ですか」
「私は尊敬の怖さを知りました」
まさにその時にというのだ。
「恐ろしいものでした」
「ですね、僕はその時は生きていないですが」
「聞いておられますね」
「その時のことは」
「だから今もですね」
「お話出来ます、ただ」
「ただ?」
「確かな人は真実を知っていて」
それでというのだ。
「なびきませんでした」
「そちら側に」
「はい」
そうだったというのだ。
「小林秀雄氏や福田恒存氏は」
「凄い人達ですね」
「太宰治も」
「あの人も」
「私はあの人が生きていた時代にもです」
「ああ、生きておられますね」
「自殺の記事も観ました」
あまりにも有名なそれをというのだ。
「昭和二十四年に」
「六月十三日ですね」
「そして十九日にです」
「遺体が見つかっていますね」
「その記事もです」
「読まれていますか」
「この目で」
そうだったというのだ。
「そしてあの人があの頃何と言っていたか」
「急に価値観が変わってですね」
「百八十度違うことは言っていません」
「あの人もそうでしたね」
「あの戦争も批判しませんでした」
戦後の知識人の多くの様にだ。
「親が負けるとわかっている喧嘩をする」
「子供がそれについていかないか」
「そう言っていました」
「そうでしたね」
「色々あった人ですが」
「それでもでしたね」
「太宰はそこはしっかりしていました」
そうだったことを話してくれた。
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