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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第三百九話 冬の花火その六

「四十年代に生きていたら」
「また違うことを言っていたかも知れないわね」
「その頃太宰は六十歳位かな」 
 あくまで生きていたらだ。
「その時はまた違う考えでね」
「違うクリスマスを書いていたのね」
「そうだったと思うよ、昭和二十年代前半と四十年代も全く違うから」
「確かに全然違うわね」
「三十年代でもね」
「テレビが出て来て」
 三十年代にだ。
「白黒でね」
「それがカラーになってね」
「新幹線も走る様になって」
「オリンピックもあったしね」
「全く違う国になっているわね」
「日本でもね」
「三十年代でもそうで」
「四十年代なら」
 もうそれこそだ。
「全く違っていたから」
「その頃に太宰が生きていたら」
 それならだ。
「もうね」
「全く違う国ね」
「まあ太宰が三十年代に生きていたらという時点で想像しにくいけれどね」
 昭和の二十年代までの人というイメージがどうしても強くてだ。
「また違う作品書いていたね」
「どんな作品だったかしら」
「戦後の混乱が終わって」
 そうしてだ。
「物凄い勢いで発展して」
「さっきも言ったけれどテレビが出て来てね」
「食べものは何もなかったのが」
 あっても残飯シチューやすいとんといったものだ、ただ林檎だけは幾らでもあったと畑中さん達は話してくれた。織田作之助の世相を読んでいると巨大なスプーンに少しのご飯を隠してその上にルーをかけたカレーもあった。
「コロッケとかがおかずになってね」
「コロッケね」
「何でもね」
 そのコロッケの食べ方がだ。
「潰して広くしてそこにソースをコロッケが浸かる位かけてね」
「食べていたの」
「そうしてご飯を沢山食べていたんだ」
「そんな風だったの」
「ハムカツもあってお芋の煮っころがしとかがあって」
「そういうのを食べていて」
「そんな時代だったんだ」 
 昭和三十年代はだ。
「それでクリスマスはアメリカから入って」
「ツリーがかろうじてある?」
「なかったみたいだよ」
 クリスマスといえばこれだけれどだ。
「まだまだ垢抜けない感じで」
「名前位なの」
「そんな風で少しずつサンタさんやツリーが入って来て」
 そうしてだ。
「四十年代でツリーもサンタさんもね」
「定着したのね」
「映画館が一杯出来ていて」
 これも昭和三十年代だ。
「あちこちにあってそれがなくなって」
「テレビが普及して」
「パチンコ屋さんとかになったんだよ」
 大阪の新世界とかがそうらしい、あそこのパチンコ屋が元は映画館だった場所が多いと聞いている。
「四十年代はね」
「そうなのね」
「それで馬鹿な人達が大学で騒いで」
 あの何の意味もなかった学生運動だ、今の僕達は政治に興味がないと当時若かった今の年配の人達が言うことがあるけれどそれは違う、僕達の殆どはあんな馬鹿で恰好悪いことをする位頭が悪くないのだ。 
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