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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第三百九話 冬の花火その二

「雑誌もね」
「三号で潰れたのよね」
「そんな時代だったから」 
 あの頃はだ。
「もうこんなことはね」
「全く縁がなかったわね」
「そうだったよ」
 ツリーさえなかった筈だ。
「今じゃ普通のことでもね。女の子がサンタさんの恰好したり」
「男の人だけでなくてね」
「それもなかったしね」
「本当に何もなくて」
「これからどうなるのかさえね」
 それこそだった。
「そんな風だったよ」
「その中で太宰は書いたのね」
「二つの作品をね」
 冬の花火にメリー=クリスマスをだ。
「そうだったんだ」
「自殺する前に」
「自殺したのは昭和二十四年だったから」
 六月十三日だ、遺体が見つかったのは十九日だった。
「四年近くあったね」
「その頃の作品ね」
「中期とはまた違った作品になっていたんだ」
 終戦後暫くしてからだ。
「戦後急に価値観が変わっていく中でね」
「価値観も変わったのね」
「それまで戦争賛成だったのが」
 それがだ。
「急にね」
「反対になったのよね」
「もう多くの人が掌返しで」
 新聞がそうだけれど太宰は志賀直哉を批判していた。
「それに反発してね」
「作風が変わったのね」
「斜陽みたいな作品書いて」  
 太宰の代表作の一つだ。
「それで果てにはね」
「自殺したわね」
「心中したよ、その最後の頃の作品で」
「終戦直後を書いてるのね」
「ただ作風は終戦から急に変わってはいないよ」
 このことは太宰の作品を読んでいくとわかる。
「徐々にね」
「変わっていくのね」
「戦後のその一変を見てね」
「変わったのね」
「織田作之助の死も受けてね」
「夫婦善哉の人ね」
「そう、あの人と対談して」 
 坂口安吾を交えてだ。
「そうしてね」
「その後でなの」
「もうその対談の直後に織田が亡くなったんだ」
 丁度東京に取材に来ていてそこで亡くなった、持病の結核が元々悪化していて何時亡くなるかわからなかった位だったみたいだ。
「それも受けてね」
「作風変わったのね」
「徐々にね、ヴィヨンの妻とか書いて」
「斜陽ね」
「そういう作品を書いていって」
 そうしてだった。
「自殺に至るけれど」
「その変わっていったり変わる中での作品ね」
「どっちもね、両方共戦後の作品だけれど」 
 このことは確かでもだ。
「何時だったか詳しいことはね」
「義和も覚えていないの」
「ちゃんと日付書いてあったけれど」
 書かれたその日のだ。
「忘れたよ」
「そうだったの」
「ただ、太宰は確かに生き方に問題があって」
 いい加減だったと言う人もいる、何度も心中しようとして相手の人を死なせたこともあったし実家の仕送りで生きていた時もあったし芥川賞にやけにこだわったり薬物中毒になったりしたから言われても当然ではある。 
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