八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第三百一話 昔ながらのゲームその十一
「かなり出ていたらしいよ」
「そうよね」
「津軽弁って凄いよね」
「ええ、私も聞いたことあるけれど」
「東北の中でも特に訛りが強くて」
「九州で言うと薩摩弁ね」
「あんな風だから」
それでだ。
「かなり独特だったんだ」
「そうよね」
「まあ薩摩弁は今と昔じゃ違うけれど」
昔の薩摩弁つまり鹿児島弁はもう喋られる人はかなり少なくなっているそうだ。方言も時代によって変わるということか。
「昔のは凄いからね」
「もう他の国の言葉みたいね」
「そんなのだから」
それでだ。
「かなり凄いよ」
「そうよね」
「津軽弁もわかりにくいけれど」
他の地域の人達にはだ。
「昔の薩摩弁もね」
「わかりにくいわね」
「発音も単語も独特で」
「今の鹿児島の人でもわからないっていうわね」
「そうみたいだから」
それでだ。
「相当な言葉だよ」
「そうね」
「まあ太宰とは正反対の地域だよ」
「北と南で」
「そうなるよ」
「そうよね」
「鹿児島だと西郷さんや大久保さんだね」
幕末の志士の人達だ。
「それに東郷平八郎さん」
「日本海海戦の」
「あの人とか山本権兵衛さんとかね」
海軍のトップだったこの人もだ。
「大山巌さんもね」
「鹿児島の人ね」
「この人達はクリスマスは関係ないけれどね」
「太宰治はあったのね」
「メリー=クリスマスって作品があるから」
それでだ。
「だからね」
「関係あるわね」
「うん、ただね」
「ただ?」
「あの頃のクリスマスは畑中さんも言われていたけれど」
太宰が書いたその頃だ。
「終戦直後でね」
「畑中さんがまだお若い時ね」
「もう戦争に負けたばかりで」
「空襲の後でね」
「もう何もなくてね」
バラックにカストリに残飯シチューにすいとんといったものが世相を表していた、織田作之助の世相にその頃のことが書かれている。
「そんな中で安いお酒飲みながらね」
「メリー=クリスマスだったのね」
「そう言う位で」
太宰のその作品の最後の場面だ。
「鶏肉もケーキもツリーもね」
「なかったのね」
「勿論サンタさんもイルミネーションもね」
こういったものもだ。
「なかったよ」
「そうよね」
「もう食べるものなんて」
それこそだ。
「皆必死になって調達していたから」
「闇市とかで」
「そうしたところでね」
もう何とかだった。
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