八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第三百話 日本とクリスマスその十一
「これがね」
「最高の教材って言う位なのね」
「そうだよ、物凄く面白いんだ」
「それじゃあどんなゲームかね」
「観てみるのね」
「そうしようね」
「それじゃあ」
香織さんも頷いてくれた、そうしてだった。
僕達は実際にその八十年代のレトロゲームを観てみた、九十年代のゲームもあるけれどその頃のものよりも遥かに技術も低い。
だがそれでもだ、多くの人が遊んでいて。
香織さんはマリオブラザース、大学生と思える人達がプレイしているのを見て言った。二人でやっていてマリオとルイーズの連携は完璧だ。
「このゲームは名前はね」
「知ってるよね」
「それだけはね、けれど実際の画面はね」
「はじめてなんだ」
「ええ、けれどね」
「面白いよね」
「観ているだけでも」
それだけでもというのだ。
「かなりね」
「そうだよね、これがね」
実にだ。
「面白いんだよ」
「単純なゲームなのに」
「画面は一画面でね」
それでだ。
「敵も少ないけれどね」
「亀と蟹と蠅だけね」
「スーパーの原型だけれど」
このシリーズのだ。
「それよりも遥かにね」
「簡単なゲームよね」
「うん、けれどね」
そうしたゲームでもだ。
「この面白さなんだよ」
「そうなのね」
「情熱がね」
それがだ。
「凄かったんだよ」
「情熱ね」
「当時出来る限りで」
まさにその中でだ。
「必死に面白いゲームを作ろうってね」
「情熱を傾けていたから」
「だから今でもね」
二十一世紀に入って結構以上経つけれどだ、もう一九八〇年代のゲームなんてゲーム業界だと化石だと言っていいだろう。
けれどその化石がなのだ。
「宝石みたいにね」
「面白いのね」
「そうなんだよ、このゲームだって」
マリオブラザースを観つつ話した。
「後でゲームの中で出てたよ」
「ゲームの中でなの」
「ゲーム内ゲームでね」
そうしたポジションでだ。
「マリオとルイージが出てね」
「亀に蟹、蠅もなの」
「出てたよ、このゲームの容量一メガもないから」
「そうなの」
「九十年代に百メガが騒がれていたけれど」
ネオジオだ、この屋上にはこれもある。
「それどころかね」
「一メガもなかったのね」
「ファミコンって二メガで騒いでいたから」
CMではそうだった。
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