八条学園騒動記
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第五百七十四話 文化祭前日その九
「生徒会とかないんだな」
「それは連合のことでね」
「あっちはまた違うか」
「国が違うと」
それでというのだ。
「学校のシステムもね」
「違ってくるんだな」
「しかも全寮制だとね」
それならというのだ。
「尚更だよ」
「寮のこともあるか」
「考えてみたら」
「何だよ」
「十五少年漂流記」
マルコはこの小説も話に出した。
「二年生じゃB2組が舞台にしているけれど」
「あの作品か」
「洪童は読んだかな」
「ジュール=ヴェルヌだよな」
洪童は作者の名前から問うた。
「そうだよな」
「うん、そうだよ」
「作者はな」
「色々書いている人だね」
「ヴェルヌは八十日間世界一周を読んだけれどな」
それでもという口調だった、洪童はマルコに対して文学を語る時独特の真剣なまるで自分の信念を語る時の様な顔で話した。
「それでもな」
「この作品はだね」
「まだ読んでいないんだよ」
「僕は八十日間世界一周は読んでないよ」
このことは洪童と逆だった。
「海底二万マイルとね」
「その作品か」
「それは読んだけれど」
それでもというのだ。
「そっちの作品は読んでないよ」
「そうなんだな」
「けれど十五少年漂流記を読んだら」
すると、というのだ。
「そうしたらね」
「寄宿学校出て来るのか?」
「その慣習が出るんだ」
「そうなんだな」
「子供達しっかりと生活してるけれど」
漂流した先のその島でだ。
「それの基準がね」
「寄宿学校のそれか」
「そうなんだ」
「そうだったんだな」
「多分子供達が寄宿学校にいないと」
「そうした風には暮らせなかったか」
「知識がないと」
それこそというのだ。
「出来ないよね」
「ああ、人間知ってることは出来てもな」
「知らないことは出来ないから」
「寄宿学校みたいな生活もか」
「それもね」
これもというのだ。
「知ってるからだよ」
「出来たんだな」
「うん、それで子供達は暫くそこで生活して」
そしてだったのだ、作品の中では。
「最後は救助されてね」
「ハッピーエンドなんだな」
「冒険というよりかは」
「漂流してな」
「それで共同生活を送る」
「サスペンスとかか」
「そんなのかな」
作品としてのジャンルはというのだ。
「僕が読んだ限りだと」
「そうなんだな」
「うん、冒険はね」
「自分達から出るな」
「そうしてはじまるから」
「漂流は冒険じゃないか」
「今で言うと」
この時代で、というと。
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