八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第二百四十三話 古典であるものその十
「悲しみや未練は歌っても」
「憎いとか怨むとか」
「それはないね、何か酷い歌詞になりそうだし」
これは和歌でもだ、そんなものを詠っても奇麗なものにはならないと思う。人の醜さを詠ったものになるだろうか。
「それじゃあね」
「大抵の人は歌わないね」
「作曲もね」
それもだ。
「しないよ」
「そうだよね」
「それアルゼンチンでもじゃないかな」
「アルゼンチンは歌も有名だけれど」
「ダンスもだよね」
「うん、タンゴとかね」
アルゼンチンのダンスといえばこれだ、大人のダンスというイメージがある。
「そういうのがあるけれど」
「怨みとかは歌わないよね」
「僕はあまりないと思うよ」
「やっぱりそうだよね」
「そこは日本と同じかな、けれど演歌って失恋が」
「多いよね」
「物凄く多くない?」
こう僕に聞いてきた。
「何か」
「そうだね、実際にね」
「多いね、失恋の歌」
「どうにもね。しかもね」
僕はクーラ君にさらに話した。
「それを悲しく歌うんだよね」
「曲がそうだよね」
「幸せを歌うよりもね」
「悲しみだね」
「それ歌うのが多いね」
「そうだね、そういえば昔のアイドルの曲も」
今聴くとだ。
「失恋の曲多いね」
「バラードとかでね」
「八十年代のグループなんか曲が賑やかでも」
「歌詞は違うよね」
「失恋だったりするからね、それで演歌も」
このジャンルの歌もだ。
「悲しい曲が多くて」
「失恋のね」
「クーラ君の言う通りになってるね」
「故郷を思う曲も多いね」
演歌にはというのだ。
「そちらも」
「そうだね、何かと」
「あれも演歌なんだね」
「故郷とか地方を歌うのも」
「津軽海峡の歌あるけれど」
クーラ君が津軽海峡冬景色のことを話していることはすぐにわかった。
「あそこは本州の端っこにあって」
「もう東京から見たらね」
「地方の最たるものだよね」
「そうだね、それにね」
「それに?」
「あそこは実際に冬凄いから」
津軽の辺りはだ。
「雪もね」
「凄く降るよね」
「そうだよ、だからね」
それでだ。
「あそこのことを歌うと」
「余計に印象的だね」
「そうだよね、あとその北のね」
津軽のだ。
「函館もね」
「ああ、あの街も」
「歌があったね」
「そうだったね、あそこ一度行きたいよ」
「いい街だよ」
僕はクーラ君に笑って話した。
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