八条学園騒動記
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第五百二十九話 お見合い当日その八
「ですが」
「お店の名前にはですね」
「なっています」
「そうなのですね」
「この人は素晴らしいこともしています」
先生は秀吉の話をさらにした。
「奴隷制は大反対で」
「それは博物館でもありますね」
トラップが言ってきた。
「秀吉さんのコーナーに」
「そうですね」
「あの人は」
「ただ日本を統一しただけでなく」
「天下を治める仕組みも築き」
その土台を築いたとされている、これを天下餅をこねたと言われている。
「そしてです」
「奴隷制もでしたね」
「ただ言うだけでなく」
「実行にも移した」
「そうです、非道なことに」
先生はこうも言った。
「スペインやポルトガルの宣教師達が」
「神に仕える身であるというのに」
「キリスト教徒でない人達をです」
「騙したりしてでしたね」
「日本だけではなく」
「他の国々でもでしたね」
「特に中南米で」
当時のスペインやポルトガルの植民地統治のことを言うのだった。
「現地の人達を奴隷にしてです」
「非道を極めていましたね」
「そうしていたのですが」
先生はトラップにさらに話した。
「日本でも同じで」
「それで、でしたね」
「それを知った豊臣秀吉は」
「すぐにでしたね」
「宣教師達を呼び」
スペインやポルトガルの彼等をだ。
「奴隷にしている人達をです」
「買い戻してでしたね」
「救い出しました」
「まさに口だけでなく」
「実行で、です」
肝心の行動でというのだ。
「奴隷制に反対だった」
「そうした人でしたね」
「武士を武士としましたが」
身分制度を確立したがというのだ、尚日本の士農工商の身分制度は欧州の貴族制度の様に強いものではなく武士になることも養子縁組や名字帯刀でわりかし多かったし農工商の違いはないと言ってよかった。
「しかしです」
「それでもでしたね」
「奴隷制度は反対で」
それでだったのだ。
「奴隷になっていた人達も買い戻し」
「その様にして」
「助けていたのです」
「豊臣秀吉一代の善行でしたね」
「まさに」
先生は強い声で言い切った。
「博物館でもですね」
「豊臣秀吉のコーナーにです」
今度はトラップが答えた。
「あって」
「そしてですね」
「はい、しっかりとです」
そこはというのだ。
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