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八条学園騒動記

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第五百二十七話 お見合い相手その八

「失敗します」
「そういうものですね」
「それがわかったのは」
「就職されてからですか」
「そうなりました、思えば学生時代は」
 ミンチンはその頃の自分を思った、それでだった。
 アステカやマヤにかつてあった生贄の風習を見てだった、そうしてそのうでこんなことを言ったのだった。
「生贄も頭からです」
「絶対に駄目とですね」
「何故そんなことをするかとです」
「わかりませんでしたか」
「はい、今は否定されていますが」
 中南米の神々を信仰していてもだ、それは法律でも禁じられている。食べものを捧げてそれを後で信者達で食べる様になっている。
「昔は何故あったのか」
「そのことをですね」
「考えずに」
「ただ否定するだけでしたか」
「そうでした」
 学生時代のミンチンはというのだ。
「かつては」
「それが、ですか」
「社会に出てからです」
「考えられる様になりましたか」
「命という尊いものをあえて捧げる」
「そこまでしてですね」
「神の力を頼むしかなかった」
 その様なというのだ。
「世界でしたね」
「当時の文明レベルでは農業も医学も拙く」
「ですから命も軽いもので」
「何かあればすぐに死ぬ」
「そうした世界では」
 人が何時死ぬかわからない世界ならというのだ。
「生贄を捧げてでも」
「そう考えてですね」
「行われていた一面があるので」
 だからだというのだ。
「仕方なかったともです」
「言えますね」
「はい、またやはり命は軽いものだったので」
「生贄にしても」
「抵抗がなかった」
「そうでしたし」
「あくまで当時の中南米の価値観ですね」
 それによるものだったというのだ、二人は今ある生贄の儀式の説明を読んでいる、そこでは生贄の心臓を取って首を切ってから高い祭壇の頂上から死体を投げ落とすというものがある。
 それを読んでだ、ミンチンはまた言った。
「神に生贄を捧げても」
「そして命は尊いものと思われても軽かった」
「そうしたものだったので」
「生贄が行われていましたね」
「当時の中南米では」
「今では許されなくても」
 マリアも言った。
「当時はですね」
「それがよくて」
「そうしないとですね」
「ならなかった」
「そうでもありましたね」
「若し杓子定規のままだったら」
 ミンチンは考えろ顔で再びこう言った。
「まことにです」
「そうしたこともですね」
「わからなかったと思います」
「杓子定規では」
「ものの見方が一つになりやすく」
「真っすぐだけですね」
「それはものの見方も思考も」 
 そちらもというのだ。 
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