八条学園騒動記
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第五百二十七話 お見合い相手その三
「思ってです」
「そうした先生はですね」
「人気がないと思います、あと不公平な先生も」
「生徒の人達を分け隔てする様な」
ミンチンもマリアも学生と生徒と二つの言葉を使っているがその意味していることは同じである。そして自分と同じ人として認めてもいる。
「そうした先生もです」
「好かれないですね」
「自分が贔屓されずとも」
「自分が邪険に扱われるなら」
「やはり人が見ますので」
そうしたこともというのだ。
「ですから」
「人気が出ないですね」
「本当に人は見ます」
人をというのだ。
「そうしてです」
「先生も同じであって」
「評価されますね」
「学生さんも人ですから」
自分達と同じというのだ。
「しかも過去の自分自身なので」
「その人達を馬鹿にすれば」
「それが見抜かれて」
そうしてというのだ。
「悪い評価を受けます」
「そうなりますね」
「そして」
マリアはさらに話した。
「自分自身もです」
「学生さんを馬鹿にすることは」
「はい、過去の自分自身もです」
「馬鹿にすることですね」
「自分より年齢が下というだけで人を馬鹿にしますと」
「過去の自分も馬鹿にしている」
「そうもなりますので」
だからだというのだ。
「駄目かと」
「先生の言われる通りですね」
ミンチンはマリアのその言葉に頷いた、そしてだった。
メソポタミアの展示品を見てだ、こうも言ったのだった。
「こうしたものも」
「はい、過去の文明の遺跡も」
「馬鹿にしては」
「過去の人類を馬鹿にすることであり」
「ひいては私達自身も馬鹿にする」
「そうなりますね、そういえばです」
マリアはこうも言った。
「イスラムでは過去を馬鹿にしないですね」
「コーランではですね」
「聖書に登場する人物も出ています」
旧約、聖書共にだ。
「お話の流れは違いますが」
「そうなのですね、これが」
「はい、名前が違うのは当然として」
聖書の登場人物をアラビア語読みしているのだ、だから名前が違うのだ。例えばソロモンはスレイマーンとなる。
「そして結末も」
「全く違いますね」
「聖書では悲しい結末でも」
ダビデもソロモンも同じだ、モーゼも十戒の後はユダヤ人達は放浪している。
「ハッピーエンドです」
「コーランでは」
「そうして過去もです」
イスラムが成り立つ以前の歴史をだ。
「尊重しています」
「イスラムの中で」
「確かにイスラムの中ですが」
この宗教の範疇内ではあるがというのだ。
「尊重はです」
「されていますね」
「はい、そうして現代につながっています」
「ムハンマドからですね」
「今にもです」
この時代にもというのだ。
「しっかりと」
「そうですね、ですが」
ここでだ、こうも言ったミンチンだった。
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