探し求めてエデンの檻
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5-1話
前書き
鉄の鳥の中に隠されていた秘密は暴かれた。
飛ばない鳥の秘密はおよそ片手で数える人しか知らないまま、やがてひっそりとした夜が訪れる。
「帰りたい」とだけを考える人間が何百人もいる中で、天信睦月だけは違う事だけを考えていた。
夜の気配で空気が重くなる。
夜の帳が降りるだけで、辺りはこんなにも静かになる。
静寂の生者の息を潜めさせ、宵闇に招き寄せる。
ひっそりと…旅客機の足元で、点々と燃えている焚き火を囲む人々もまた静寂の中にあった。
こんなに人が集まっていても、重苦しいほどに態度が慎ましい。
三桁にも及ぶほどの人が一塊になって膝を揃えて沈黙するものがほとんどだった。
まるで亡者のようだ。
アタシはそんな亡者が呟く不安な声に耳を傾けた。
「……救援隊に見つけてもらうための…目印の火か…」
「見つけてくれるよね…? 救援隊……」
「みんなでもうすぐ帰れるんだ…絶対に……みんなで……」
搾り出したようなセリフばかりが聞こえてくる。
言葉にしないと夜の静けさと不安に押し潰されそうだとばかりに、力ない呟きが出てくる。
人が寄り添い合えば会話も弾むものだというのに、言葉を交わしているのは学生ばかりという有様だった。
血気溢れる学生連中もわずかばかりの元気と会話で誤魔化してはいるが、これと比べたら虫の合唱の方がまだ活気がある方だ。
野宿慣れしていない事と墜落からのショックと負傷から少なからずストレスを抱えているため、若気の至りすらも静まり返っている。
皆等しく…灯りに惑う誘蛾のように、目印の焚き火を拠り所にするばかりだ。
来る事のない救助を信じて…―――。
「―――」
アタシはパチパチと生枝を弾かせ揺らめく炎に見入る。
火を眺めていると、どこか遠い情景を感じる。
それは恐ろしいようで懐かしい。 それはアタシの…“天信睦月”の空白の記憶にあるモノだろうけど、それを思い出す事はない。
フィルターのかかったイメージの雰囲気から、気分が良くする要素はない。
旅人なアタシは火から切り離す事はできないし、今では眺めるだけなら特に忌避する事でもなかった。
「いけないわね」
…首を振る。
忌避する事でもないと思いながらも、火を眺めながら物思いに耽ると余計な事を考えてしまう。
これからどうするか…手段はいくつも考えて、様々な事態を想定しておかないといけない。
「(ざっと考えて12通りの選ぶ手段がある。 最も有効なのは旅客機を使う事だけど…リスクが高い)」
正直、今の精神状態ですら危ういのだから、何の拍子で均衡が崩れるかわかったものじゃない。
今はただ…救助という希望に縋ってようやくギリギリの所で全員が安定している状態だ。
それが安定を失えばどうなるか…それを最も危惧している機長は戦々恐々しているはずだろう。
「(堅実な方向でローリスクを考慮すれば…自分の足で稼ぐ事、か)」
旅客機を使ってこの地から脱出が可能なら、何の問題はない。
それがダメなら…また駆けずり回って活路を見出す事になるだろう。
「(そうなると…この地の正体について突き詰める必要も出てくるかもね)」
一連の要素に付き纏う謎は深まる。
飛行機の墜落、あるはずのない陸地、そして跋扈する絶滅動物。
そこに何らかの要因があるとすれば―――あるいは、自分はそれを目の当たりにするかもしれない。
その時は…どう行動するか心構えをしておくべきだろう。
例えそれが―――|世の業が渦巻く真実だとしても。
「あ、あの!!」
「ん?」
炎を眺めていたら誰かに声をかけられた。
いちゃもんか? それとも好奇の類か? 一体何の用かと思って振り返る。
敵意がなく、若くて隠せない気配を向けてくるその“子”にアタシは抑揚なく答えた。
「…誰かしら?」
そこにいたのは女の子だった。
なんて事はない、200人近くはいる学徒の内の一人。
どこにもで居る……とは一には言えない。 ある意味頭一つ飛び抜けている。
手入れがされた綺麗なストレートロングの髪と、両サイドにリボンを付けた女子生徒らしき子。
容姿は一目見れば覚えが良いほどに整っていて、プロポーションに至っては“女の子”を逸脱して大人顔負けで抜群のスタイルだ。
出る所が出ていて、男が好きそうな柔かい“ソソる”肢体をしている…が、肉付きがいいだけじゃない。
何かの体操をしているのか、筋の質が柔軟な動きに適している体付きをしている。
外面的には紛れも無く美少女だ。
その少女は蕾…いや華とも言えるような綺麗な顔。
だけど、その綺麗な顔も今はどことなく暗い表情をさせている。
明るさが似合いそうなのに、必死さの翳りが視える眉を顰めた顔は…見ていて残念なものだ。
そんな美少女が、両手を重ねてスカートを握り締めそうなほど握り拳を硬くさせてアタシに何の用だろうか。
「私……赤神りおん、と言います」
「ふぅん…よろしく、りおん」
下手には出ないで気安く名前で呼び応えてやった。
「……」
「……」
「…あの、お名前は?」
むぅ…律儀な子だ。
適当に名前を呼んで、勝手に要件を述べれば済むのに…礼儀正しいのか執拗なのか、アタシは訊かれなければ口する事はなかった名前を言わざるを得なかった。
「……ジェニアリーよ」
嘘の名前を言ってやった。
睦月という名から取ったJanuaryという偽名。
使い古した英語の偽名だが、独語や羅語を出されて混乱しても可哀想なのでこっちにした。
「日本語、上手なんですね」
「アタシは日本人よ」
ハーフだけどね。
「それで、何の用かしら?」
カミングアウトに反応されても面倒なので話を進めた。
促されて、りおんという子も切り口を得た事で本題が出てきた。
「仙石アキラ…という男の子を知りませんか?」
「仙石アキラ……」
一応知っている。
本名は教えたわけだし、昨日別れたばかりだから記憶に新しい。
「行方不明なんです…昨日は皆混乱していて、でも何度も探したけど見つからなかったんです、今日だって…」
「……」
何とも…痛ましい気持ちが伝わる。
この子は…仙石アキラを純粋に心配していて、今でもそれに悩み苦しんでいる。
同じ学生仲間か…あるいはそれ以上の交友関係があるような反応。
ただの男友達という認識では足りない想いだ。 必死さが窺える瞳も、翳りのある表情も納得できる。
こうも真摯に心配してくれる姿を見ていると、友人を連想させる。
「でも…ジェニアリーさんはこの中には…いなかったですよね?」
「…はい?」
「全員というわけじゃないですけど…ジェニアリーさんみたいに蒼い髪をした人は見たことはありません」
よく見てるわね。 アタシが目立つという事もあるだろうけど。
「もしかしたら、ですけど……ジェニアリーさんも行方不明の内の一人だったんじゃないですか?」
「ふむ…続けて」
意図は読めてきた。
だけど、あえて彼女の口から言わせる。
“アタシ”からそれを口にするわけにはいかない。
「…アキラ君を…仙石アキラを知りませんか!?」
それに帰結する。
彼女のこちらに対する関心はそれだけ。 物珍しい髪色である事が災いした。
“行方不明者”という共通点から何か得られるかもしれないから、この子はアタシに接触したのだ。
その程度の共通点で訊くとは、藁にもすがる思いなのか…それほどまで心配か。
しかし―――アタシは表情を変えずに言ってやった。
「……知らないわね」
たった一言。
少女の望みを切り捨てるには十分な一言。
浅はかな希望は抱かせるべきじゃない。
もう既に一日近く経っていて、今頃どうなっているかわからない。
それを教えて不安を与えるより、知らぬものと答えた方がいいと思った。
迂闊な一言で少女の身と心を危うくさせるべきじゃない。
そう判断しての切り捨ての言葉。
「そう、ですか…」
りおんは目に見えて気落ちする。
わずかな期待もあったのだろう。
安否を気遣う想いはあっても、気持ちは行動に繋がらない。
女の身分では一人森へと飛び出すほどの胆力がないから、わずかでも手がかりを求めたかった。
まぁ、気持ちはわかる。
理屈では危険とわかっていながらも、胸の内の押さえ込んでいるモノは納得はしない。
無事かどうかだけでいい、それを知りたくて徒労だとわかっていながらも繰り返し訊いて回りたくなる。
その衝動は親近感を覚える。
否定しておいて、気の毒に感じた事は否定できない。
「信じなさい」
まずはじめに、彼女にそう言ってやった。
無責任に、あの子を事を知りもしないアタシが“生きてる”などとは言わない。
だけど…想う事で、祈る事で何かが返ってくるかもしれない。
あの子の中にりおんの心に帰ってくる想いがあれば、だけど。
「死ぬべきじゃない、やるべき事、やり残した事がある…そう思える部分があるのならその子を強く信じてあげなさい。 想いが届くようにと、彼氏が無事である事を祈るのよ」
そうでしょ?
アイツと同じなら…仙石は生きている。
仙石アキラと同じ目を持っているアイツも同様に死ぬわけがない―――死んでいてたまるか。
その想いが強ければ強いほど、それを受ける者も少なからず影響する。
それが生存に繋がるのであれば…彼女の想いそのものが証明になる。
“終わる”以外で祈ることをしないアタシと違って、これは彼女くらいしかできない事だ。
「か、かか彼氏!?///」
アタシの言葉を聞いて、りおんは急に顔を赤くして狼狽する。
何事かと思った。
「ア、アキラとはそんな関係じゃありませんよ! 彼とは幼馴染で、どこかで怪我して迷子になってないか、それが心配なだけです!///」
さいですか?
別段間違った事は…的外れな事は言ったつもりはなく、何となく直感でそうなのかなぁ、と思って口に出したつもりだけど。
そこまで必死で否定する? そんな図星を突かれてリンゴみたいに赤い顔をさせて?
ははっ、笑えるくらい初しいわねぇ。 見ていて可愛いものだ、思春期真っ盛りだと思わせるその反応は想いが全然隠しきれていない。
これだけ想われてるのなら本当に、あるいは…と思う。
それにしても幼馴染かぁ。
友人とも幼馴染だったし、異性であったのならアタシも同じようになってたのかしらね?
「わかったわかった、今のはなし」
ヒラヒラと両手を振って宥めてやると、顔は赤いままでも少し落ち着いたようだ。
「とにかく、その子が生きていて欲しいのなら、まず貴女が先に諦めないことね」
「あ…はい……ありがとうございます」
「ク…」
頭を下げて礼を言うりおんに、アタシは微笑が漏れた。
ホント、この子は律儀である。
ヒラヒラと手を振り、そろそろこのやりとりを締めくくろうと視線は焚き火の方へと戻した。
「ほら、もう用は済んだのでしょう? もうあっちに―――」
アタシは途中で言葉を切った。
目線は焚き火に向けながらも、アタシの意識は別の感覚に向いた。
視覚とは捉えない中で、聴覚では伝わらない距離で、嗅覚では届かない風の向こうで……アタシはそれを感じた。
弾けるように立ち上がって、目線を深淵のような森の奥へと向ける。
油断ない緊張感の糸は、テグスのようにピンッと硬く張りつめる。
「……あ、あの…ジェニアリーさん?」
アタシは眉尻が上がり、顔は険しくなっているだろう。
そばにいるりおんがアタシの様子に慄いた。
―――彼女は知らないだろう。 この場において、アタシ以外誰も知らない。
灯りのなき夜の恐ろしさを。
そこに潜む生暖かい息遣いを。
この土地に有る冷厳な理不尽を。
「―――来る」
夜の惨劇が始まる。
矮小な人間は餌食となり、生贄となり、殺戮を引き連れる“獣達”が来る。
天信睦月は―――獣の内の一つに数えられる事になる。
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