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探し求めてエデンの檻

作者:オイラム
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5-2話

 
前書き
ここは存在しない幻像の大地。 
かつて絶滅し果てた古代の生物が実像を持って存在する。
何の術も持たない人間は幻と実の本質を視抜く事が出来ない。
その事実だけが重くのしかかる。

強い風に置いていかれた仙石達はいまだに森の中を彷徨う。


 

 

「おーーーーい!!」

 小動物がざわめく森の中で声を張り上げる。

 態度と声はデカいオレは、遠くにまで聞こえるほどに密林への向こうへと大声を響かせる。
 声を張り上げつつも、オレ達は人を探し求めて木々を掻き分けて足を進む。
 平地でもないこの土地は斜面が多く、原生林みたいなこの森には木の幹の凹凸もあり、バレー部のトレーニングでもないようなハードワークに全身から汗が浮かぶ。

「誰かー! いませんかーー!!」

 かれこれ呼びかけ続けても返事が返ってくる事はなかった。

 あてもなく探索し続けていて疲れを覚える。
 だが同時にわずかに安心もしていた。
 返事がないという事はあの化け物鳥―――ディアトリマに遭遇する事もないからだ。

 動物の声色で人間の言葉を話す怪鳥。
 一度は、助けられたからどうにかなった……だが、オレ達だけであんな怪物に出会ったらどうなるかと思うと想像したくない。
 頼むから出会わないでくれよ、と自分の運勢に頼み込む。

「おおーい!! 誰かーー!!」

 もっぱら声を張り上げているのはオレだけだ。
 オレの後ろを歩く真理谷(まりや)CA(キャビンアテンンダント)は息を切らしていて、少し出遅れている状態だ。

「おいっ、お前ら元気ねーぞ! もっと声出しよ!」

 オレは発破(ハッパ)をかけようと二人にそう言う。

「はぁ……ぜぇ………僕は理系の人間だ。 体力バカのお前と一緒にするな……お前みたいに、ずっと声を張り上げてられるか……」
「そ……そうですよ。 昨晩は…野宿なんて初めてだから、よく眠れませんでしたし……少しは休みましょうよ…」
「アぁん!? だらしねーぞ、てめーら!」

 くっ……これ以上は駄目か。

 オレ達がこの土地で一夜を明かした。
 ディアトリマとの遭遇から一日だけしか経っていないし、こんな環境で寝具もなしに過ごした影響は思ったよりも重い。
 ほぼ休みなしの強行軍にも関わらず、既に昼は過ぎている。 二人の顔には疲労の表情が浮かんでいて、オレよりも心身共に参っている様子だ。

「たく、しょうがねぇーな………」

 もやしな真理谷や、CAのパンプスは森を踏破するのに向いていない。
 二人ではオレの体力について行けないから、オレが合わせてここは足を止めるしかなかった。

 “目印”を付けておくついでの事もある。
 休憩の提案を受け入れてここで休む事にした。

「ぜー……ぜ~……」

 ノートパソコンを置いて大の字に寝転がる真理谷をよそに、オレは休む前に“目印”を付ける作業に入った。
 先の尖っている石で、手頃に見易い位置にある木に叩きつける。

「っ……っ……!」
「あ、あの……仙石くん…?」

 ガツッ、ガツッと木肌を削っている途中でCAが話しかけてきた。

「何、スチュワーデスさん?」
「あ、大森です。 大森夏奈子(おおもりかなこ)

 大森さんか、そう言えばお互いちゃんと自己紹介していなかったな。
 CA(キャビンアテンダント)と呼ぶのも、スチュワーデスと呼ぶのも長ったらしいから、名前を教えてもらったのはちょうどよかった。

「ああ、今更だけどオレは仙石アキラな。 んで大森さん、何かな?」
「気になっていたんですけど、時々木に印を付けていますよね? 矢印のように見えますけど、何か意味あるんですか?」

 オレがやっていたのは、(くさび)型のマークを木に付けていた事だった。
 朝から人を探しつつも、こうして途中で立ち止まっては繰り返し“目印”を刻んでいた。

 チラリ、と真理谷を見る。
 うまく説明できそうなヤツはあの通りの様だ。

「ああ、目印だよ。 オレ達がここに通った、って事を教えるためにな」
「教えるため、ですか?」
「こうして目印を付けておけばオレ達が通った道でも迷わないし、オレ達以外に誰かが見つければその矢印を追って合流する。 真理谷の受け売りだけどな」
「ああ、なるほど! それでですか」

 感心したように彼女はポン、と手を打つ。

「それに、こうすればもしかしたら“あの人”にも出会えるかもしれない、って事もあるけど」
「天信さん……ですか」

 大森さんは顔を俯かせて思い出すように意気を潜めた。

 共通して思い出すのは、風のように助けて、世話になって、そして風のように去っていった“天信睦月”という女性。
 その振る舞いは自分勝手のようで自由だったけど、我意の強いスタンスが強く印象に残っている。

 泣きじゃくって色々迷惑をかけた大森さんとしては心残りがあるはずだろう。
 ろくに謝る事も出来なければ礼を言う事すら出来ないまま、彼女は立ち去っていったのだから。

「そのリス…ずっとくっついているな」

 オレは睦月さんの置き土産である小動物に話題に出した。

 大森さんの腕にはリスのような小さな体に、サルのように長い尾をさせた生き物がいまだに大森さんに付いて離れていなかった。
 それは昨日大森さんを泣き止ませるために、天信睦月が招き寄せたリス、プティロドゥスだ。
 そのプティロドゥスは躾けているはずがない野生動物なのに、すっかり大森さんに懐いていていた。

 愛嬌があって可愛いし、ちょっとしたマスコットだ。
 不思議な事だが、気が弱そうな大森さんを慰める事に貢献してくれている。

「そうですね…まるで私の言葉がわかってくれるかのように、接してくれますし」

 そう、そこも不思議な所だった。
 このプティロドゥスは、話しかければ顔を向けてくるし、離れて欲しい時も呼び寄せる時も言えばちゃんとわかってくれる。
 その利口さはヘタな犬より賢いとすら思える。

 このプティロドゥスが特別そうなのか、それとも天信睦月によるものなのかはわからなかった。

「……仙石、ちょっと付き合え」

 息を整えた真理谷がそんな事を言ってきた。
 ちょうど腰を下ろそうとした所だったから出鼻を挫かれた。

「なんだションベンか? 一人じゃ不安か?」
「いいから来い」

 もしかしてアッチだろうか?
 それで誘われても困るな…臭いのは嫌だぞ。


―――。


「おい、真理谷どこまで行くんだ。 どんどん大森さんから離れていくぞ? 危ないだろ、一人にしちゃ…」

 オレ達は結構深い所まで来ていた。
 大森さんの姿はもう見えていない。 これ以上遠く離れたら、そうなったら万が一の事があっても大声でもしない限り聞こえるかどうかわからない。

「あの女には聞かれたくない話だ。 また泣き喚かれても面倒だしな……」
「……」

 オレは真理谷の言葉に緊張感を抱いた。
 秀才の真理谷がわざわざ前置きを置いて話すという事は、それなりに真面目な話なのだろうとすぐにわかった。

「おかしいと思わないか仙石?」

 真理谷はまず疑問から始めて、言葉を続けた。

「五時間…これだけ探しても、人はおろか、事故の痕跡すら見つからないなんて…」
「たかが…五時間だろ? もっとよく探せば……」
「何もない事はない、あれほど巨大な物が墜落すれば火事になっておかしくない。 地形を変える事だってあるし、その影響は広い。 なのにどうだ? この静けさ…まるで何事もなかったかのように落ち着いているこの感じ……“何か”あったと考えるべきだろう」

 オレは…それに何も答えられなかった。
 どこかに誰かがいる。 頭の中でそう否定した。
 あの睦月さんだって居たんだ、だから何もないはずがない。 そう自分に言い聞かせていた。

「なあ、仙石―――皆…もう死んでいるんじゃないのか?」


 ―――!!


「墜落事故のニュースは見たことはあるだろう。 航空機が落ちる事は稀だが、事故が起きれば……その死亡率は限りなく100%に近い。 ここではないどこかで……あるいは遠くの場所で落ちた可能性がある。 僕らが生きていた事…これ自体が奇跡だ、無傷でいるのがありえない。 だが……他の奴もそうだとは限らない」

 そんな……。

「その事を……覚悟しておいた方がいい」

 真理谷の言葉はオレに非常な現実……限りなく可能性が高い未来を暗示(あんじ)てきた。
 学友(エイケン達)親友(こーちゃん)幼馴染(りおん)……それらがオレの知らないところで死んでいる…。
 オレでも、飛行機が落ちるニュースも見たことがあるし、それで何百人も死んだというニュースだって見たことある。

 だがそれは……しょせんは対岸の火事としか見ていない。
 自分が見知った人が既に死んでいるなど、到底認められる事じゃなかった。

「ば…馬鹿な事を言うなよ」
「仙石…」
「うっせぇよ!!! もう聞きたくねえ!」

 それ以上真理谷の言葉を喋らせないように、オレは声を荒げる。
 絶対に、そんな事はない…と真理谷にではなく、自分自身にその可能性を必死に頭から追い出す。

「戻るぞ真理谷……探索を続けなきゃ! 大森さんも心配だしな!」


 真理谷はそれ以上何も言わなかった。


―――。


 苛立ち紛れに足音を鳴らしながら休憩場所に戻ると、プティロドゥスと戯れる大森さんの姿があった。

「チチ……」

 大森さんは猫を相手するかのように舌を鳴らして、指で突っついたりする。
 プティロドゥスも差し出された指を掴んだりして、見ていて和む光景だった。

 まるでペットと遊ぶ子供みたいだ…。

 言えねえよな……
 あの姿を見ていて、真理谷に聞かされた話を、彼女に言うべきじゃないと思った。
 それでも立ち止まるわけにもいかなかった。

「おいっ、もう十分に休んだだろ。 そろそろ行こうぜ」
「あ…はいっ……」

 声をかけられてようやくオレ達に気付いた。
 彼女を交えて捜索を再開する。


 ―――その時だった。

「―――っ」

 プティロドゥスがピクリと反応して顔が上がる。
 そこから次の瞬間は速かった。

 突然、大森さんの腕からプティロドゥスが離れたのだ。

「あ……ま、待って!?」

 大森さんは呼び止めるも、プティロドゥスは止まってはくれなかった。
 それなりに可愛がっていた彼女は、いきなりの離別に戸惑って懇願(こんがん)した。

 だが、小柄な小動物はその懇願(こんがん)を振り払い、俊敏(しゅんびん)な動きで垂直の木肌を駆け登り、枝から枝へと飛び移って大森さんの元から去っていった。

 ―――まるで“この場”から奔っていくように。

「どうして……」




 ―――…ーーーイ!



 ふと、耳は遠くで声を拾った。
 ほんのわずかだが、森の葉鳴りとも小動物のざわめきとも違う音調にオレは訝しんだ。


 ―――オォーーーーイ!!


「(こ、この声は……!?)」


 聞き覚えのある単調な呼びかけ。
 人の声に似ているソレは、意味が篭められていない悪夢の呼びかけだった。

 オレのみならず、真理谷や大森さんもその声に恐怖思い出させられた。

「お、おい…仙石……こ、これは…」

 ―――オォーーーーイ!!

 遠吠えのようなソレは、今度はかなり近い所で聴こえる。
 ハッキリと聴こえるほどに接近している音源に向かって、オレ達はその方に振り向く。


 そしてそいつは―――影と共に襲来して現した。


 ―――コ、カカカアァ…。

「ディ…!」
「ディアトリマ……!」

 それは…オレ達の恐怖だった。
 そいつは見下すようにこき下ろす。 そしてその顔を見て、オレ達は愕然とした。

「こ、こいつ………!?」

 そのディアトリマには…そこにあるべきはず片方の眼球がなかった。
 そこにあるのは肉が抉れ、一筋の傷痕を残す痛々しい横顔。

 隻眼(せきがん)―――まさかあの時、睦月さんに撃退されたディアトリマなのか…!?
 もしかして……オレ達を追ってここまで来たのか!

 片目を奪われた事による執念だとしたら……だとしたら、なんて執拗(しつよう)なやつだろうか。

「くっ……!」

 こうして改めて相対して実感する。
 その巨大な体躯(たいく)を前に、人間ではあまりにも無力。
 まともに戦おうとしたらとても敵わない、そう思わせるほどの埋められない“差”がオレと怪鳥の間にはあった。

 羽毛を膨らませて脅威を撒き散らす怪鳥は、変わらず与えてくる恐怖が全く薄れていない。

「こんのぉ、あっち行けよ!!」

 オレはその場に落ちている石を拾って投擲(とうてき)した。
 カァン、と嘴に当たると、硬質な音を立てるがそれはあまりにも貧弱な響きだった。

「(くっそがぁ……こんなもんじゃ効かねーか!?)」

 オレが投げつける石つぶては、あまりにも貧弱だ。
 睦月さんと比べれば、豪速球と豆鉄砲くらいの開きがある。

 こんなものじゃ撃退するはおろか、ディアトリマを怯ませる事すら出来ない。
 彼女がいれば……彼女が守ってくれれば……そう思わずにはいられない。


「おい、二人とも逃げろ!!」

 背後にいる二人にそう呼びかける。
 戦う力のない真理谷と大森さんでは、それ以外に選択肢はなかった。
 脅威を前にして逃亡。 それが出来なければ全員殺されてしまうという焦燥(しょうそう)に駆られる。

「…早く逃げっ……―――!?」

 脇見で二人を窺う。

 振り返って真理谷と大森さんと同じ方向に視線を向けた。
 そしてオレは……二人が目の当たりにしている同じ存在をこの目で見てしまった。


 ―――ロロロォ……。


 退路を塞ぐように、そいつは佇んでいた。
 オレ達の恐怖を塗り替えるような……そんな圧倒的な恐怖を携えた“(かいぶつ)”がそこに居た。


「なっ…!?」


 ―――絶望と怖れが背筋を舐めた。


 そこには怪物がいた。
 それも、ディアトリマよりも攻撃的な怪物。

 見る者を圧倒する、悪魔的な風貌(ふうぼう)
 獰猛(どうもう)な雰囲気を湛えた猫目と、王者を思わせるような猫背に沿った(たてがみ)
 大地に踏みしめるその四脚には凶器の如き鋭い爪が伸びている。

 だがそれすら凌駕する“凶器”がオレ達に見せつけてくる。

 『噛み砕く』とも『噛み切る』とも違う…『突き立てる』ために有るような、ナイフのように鋭利な―――二本の牙。
 それは異常に長く、上顎から下に向けて伸びるソレは、生き物が持つにはあまりにも危険すぎる“凶器(キバ)”。

「バ、バカな……アレはまさか……!?」
「ヒァアアァァ!!」

 何だ……アレは…!?
 何だ…あいつは!?
 何なんだ……あの怪物は!?

 虎…?
 ライオン…?

 いや、どれも違う。
 似ているけど違う。
 獣の上位に君臨する双璧と特徴が似ているようであって、アレはそれとは非なる存在だ。

 いや、ただ一つ…ただ一つだけ……思い当たる存在があった。
 二本の下に伸びる牙……それだけで連想できる。
 幼い頃に図鑑などを見て、わずかに憧れと畏怖を抱かせたその姿は、あまりにも有名だった。


 アレはまさか……サーベルタイガー!?


 ―――グルォ…ロロロロォォ……!!


 その脅威は現実味を帯びていた。
 ライオンは百獣の王だと思っていた…だが、それをも超える存在がオレの記憶の中で蘇った(思い出した)


「(はっ……挟まれたっ…!)」

 最悪だ……!

 前にはサーベルタイガー、後ろにはディアトリマ。
 逃げるという選択肢が選べないほどに、絶望的な状況に追い込まれた。
 こうしている間に、いつ襲いかかられるか…なのに対策が…何も思いつけない。

 ディアトリマだけでも十分に脅威だというのに…この“位置”はあまりにも悪すぎる。
 命が天秤に乗せられて…どっちに転んでもそれだけで殺されてしまう。
 そんな前後の睨みに晒されるオレ達は(すく)んでしまう。


「(どっちだ…どっちが来る…!?)」

 前から見下ろす隻眼(せきがん)のディアトリマ。
 後ろから牙を剥くサーベルタイガー。

 皮膚を刺すような緊張感が増す。
 心臓が激しく動くのに、猛獣の板挟みという極限のシチュエーションに体は動かせないほど脅迫感がオレを縛っている。
 十数秒でしかないこの時間は、果てしなく長く感じさせてくる。

 その均衡を破ったのは……。


 ―――グルォアァァアァア!!


 咆哮するサーベルタイガーからだった。

「ふっ…伏せろおおぉぉ!!」

 猛然と迫ってくるその速さに危機感を感じた。
 真っ直ぐ猛進するその巨躯(きょく)は、車の正面衝突を思わせた。
 気付けばオレは後の事を全て忘れ、ただ目の前に迫るサーベルタイガーの進路から飛び退いた。

 二人を押し倒して、間一髪のところをサーベルタイガーが脇を通り過ぎていく。


 だがその猛進は止まる事なく―――“ディアトリマと衝突”した


「……なっ……!?」

 火蓋を切ったように、そこから一つの闘いが始まった。
 鉄と鉄がぶつかり合って火花を散らすように、ディアトリマはサーベルタイガーを、サーベルタイガーはディアトリマを襲う。
 怪物同士は争い、互いに相手を屠らんと牙を(くちばし)を爪を駆使して凶暴になる。

「何で!? あいつら、互いを……っ―――!!」

 目の前で野生の戦いを繰り広げる。
 混じりっ気のない純粋な命のやり合いをしている。
 怪物と怪物が互いに死力を尽くして暴力に火花散らせる。


 オレ達には埒外(らちがい)の闘争。


 その時、だった―――!


 ―――ゴアアァァァア!!!


 サーベルタイガーが飛びかかり、ディアトリマの首根っこを押さえつける。
 体重を乗せた肉弾を避け切る事が出来ず、ディアトリマは悪魔のような獣に捕まった。

 そして―――死神の鎌(二つの牙が)が振り下ろされた。



 ■■■■■■■■■ァァァッッ―――!!!



 二本の牙がディアトリマの首を突き立て、その命を刈り取る。
 肉を裂きる音がして…骨を砕く音がして…血液を振り撒き……ディアトリマは命の限り断末魔《だんまつま》を上げる。
 抗おうとする怪鳥に、悪魔の牙は決して離しはしなかった。

 やがて…隻眼(せきがん)のディアトリマは動かなくなった。

「(マ……マジかよ…! あ……あのディアトリマが……!)」

 オレ達は…その惨殺を見ているしかなかった。

 ダラリと下がった首が、そこにもう力も命も尽き果てたのだと証明している。
 オレ達の恐怖の象徴であった怪物(ディアトリマ)が…目の前で怪物(サーベルタイガー)に殺された。


 ―――………。


 サーベルタイガーは殺しきった怪鳥を食いついたまま、オレ達の方に踵を返す。

「……!!!」

 ディアトリマを引き摺り、少しずつこっちに近づいてくる。
 威嚇してくるようなその眼がオレ達を射抜いてくる。

「(こ……こっちに…!? …く、来るなぁ…!!)」

 動けない…動く事ができない。
 心臓が早鐘のように動くのに、恐怖に体が弛緩して…緩慢(かんまん)に進んでくる獣を前に動くきっかけが見つからない。
 サーベルタイガーの歩みをただ視線だけが追う。

 ―――そしてそのままゆっくりと、オレ達の目の前を通り過ぎていった。


 み、見逃した…? た、助かっ……。


 ―――……!


 そいつは一瞥してきた。


 背筋が凍る。 その視線は激しく動悸する心臓を鷲掴みした。
 まるで……動くな、と恐喝するかのような眼に、オレは心までが弛緩《しかん》した。

 それを最後に…サーベルタイガーは、獲物の血の跡を残して去っていった。


 冷や汗が止まらない。
 怪物の後ろ姿が遠く離れたというのに、恐怖が収まらなかった。

「な…なんで…行っちまったんだ……?」
「僕らより食いでのある獲物を見つけたんだ―――前菜(オードブル)よりも主菜(メインディッシュ)、をな…。 弱肉強食―――……アイツらにとってはそれが当たり前なんだろう……」

 弱肉強食…ここはディアトリマの天下などではない。
 それどころか、より恐ろしい獣が存在する世界なのだと…眼の前が暗くなるような絶望的な事実だけを残して、オレ達を思い知らせる。


 ピチャリ―――。

「…!」

 ふと、手に液体らしきものが触れた。
 一体何かとを思うと…その液体を垂らしていたのは大森さんだった。

 アンモニア臭を漂わせるソレは…彼女の失禁だった。

「お…大森さん………」

 明確なほどに命の危険に恐怖する顔が浮かべ、全身を小刻みに震わせる。
 スカートにシミを作り、恐怖に顔を歪ませたまま、彼女は恐ろしさのあまり泣いていた。

 だが彼女を侮蔑する事はできなかった…。
 オレも同様に、死ぬほど恐ろしかったから…もう、今日は動けそうにない。


 無力感と悪夢だけが残り、オレ達は沈黙するしかなかった。
 
 

 
後書き
▲あまりにも早い退場の「隻眼のディアトリマ」。 特に物語に絡むというわけでもなく、単に睦月が傷つけた“程度”で見逃した獣も、やっぱり弱肉強食の世界で喰われるというもの。 見逃してもらったからって助かるというわけでもない。 これが現実。 この島での現実。 
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